向井孝の部屋 「IOM通信」あるだけ紹介

1965年2月 個人通信発行「イオム通信」

1969年10月25日 通号81号pdf 第14号
  9月23日のことなど

1969年12月15日 通号83号pdf 第16号
  いまこのごろの意味/ミイラとりのミイラ・・・/負けることをサボる/救援ということ/“汚い一票”/視座と視点/雑記

1969年12月10日 通号103号
  自由連合への旅 6 完7.29 キブツの集まりで/『類』について/山鹿泰治さん死す

1972525日 通号127号
  ガリキリ第一歩/ビラをつくること、まくこと(1

197265 通号128号 
  家について 13 ぼくの『女・子供論』

1972年12月 141号から「サルートン通信」に改題

1975年11月15日 通号186号
  非暴力直接行動は無力か-闘いの質と方法の転換・その発展のために(上)/あさひ町から

1976年9月5日 通号194号(「サルートン通信」から再び「イオム通信」へ改題
  高畑(藤井)信一さん!/補遺 女と政治/あさひまちから
  194号フロク <三一書房>墓標なきアナキスト群像ー逸見吉三著-をめぐる私的な問題

1978年6月15日 通号219号
  日本の反体制運動・1978(中)

1978年6月20日 通号220号
  日本の反体制運動(下)

1980年2月25日 通号234号
  現代と大逆事件/イ.大逆事件の意味 ロ.その人々だけでなく

1980年3月20日 通号236号 
  私 そして<運動> Ⅱ 八時間小集会のこと

1980年6月10日 通号238号
  やつらは、「その日(天皇ヒロヒトの死)」を絶好のチャンスとして待ちかまえている。そしてぼくらは・・・

1980年7月  通号239号
  詩「同行四人」「 <赤い鳥>奇談」「夕闇の中」「深夜定期便」/現代の日常状況を逆照射-問題の質を遠い時代の「事件」としてよいのか?! 向井孝-198069日日本読書新聞

1980年7月(実発行日9月1日) 通号240号
  同行四人補遺 飯田博久/あさひまち から

1980年9月30日 通号242号
  野の花を-故 小川潜くんのこと

1980年12月10日 通号243号
  詩「熱烈歓迎?! 自衛隊様」「112日の、戦争と平和」

1980年12月17日 通号244号
  雑記あれこれ-10.25 反原子力の日ノート 

1981年2月15日 通号245号(a)
  何が何でも どんな場合でも・・・か

1981年3月25日 通号245号(b)
  「本つくり」助っ人募集/詩論「一つの時代の終わり」/詩「ビラについて」/余白に/逸見吉三さんの死報

1981年5月15日 通号247号
  ハプニングの意味など-5.10女女女カーニバル

1981年6月30日 通号248号
  人権・民権・国権/やつてますか健康法、原発ひとつですべてムダ!/あさひまち から

1981年1月25日 通号255号
   母の死

1982年3月20日 通号258号
  その日その日6.大衆と大衆性-幻舟大阪公演/関西芸術座の原発ドラマ

1982年7月10日 通号260号
  その日 その日

1982年8月10日 通号261号
  ①②③④の立場-ハラハラ大集会のやり方 

1982年9月5日 通号262号
  連合が創り出すもの(831日記)-9.5ハラハラ大集会のこと/詩・三尺高い木の枝の・風景/あとがき的に

1982年9月30日 通号262号
  反政治ということ・政治的ということ・<反政治>ということ

1982年10月4日 通号263号
  どう「反日」を理解したか・ 1 「反日」の一般性・2 「東ア」の<反日>・3 武装闘争の問題・4 反政治的多様性

1983年1月25日 通号266号
  女川町長選の意味・運動の有効性とは

1983年3月23日 通号267号(表記は262号)
  大森勝久さんの裁判/詩・「遺留証拠物」報告書/近藤真柄さんさよなら/犬山の家案内

1983年5月20日 通号268号
  補遺“アイヌモシリへの旅”・大森判決の意味/天皇がなにか気になる日・集会考/雑記

1983年7月7日 通号269号
   集会の作り方/身辺雑記

1983年8月25日 通号270号
  つかれ くたびれ都市の反原発運動私論-京都8.2728反原発全国集会を前に/急告・9.15東京で開かれる<大杉・野枝をしのぶ夕>ビラの講演ランにぼくの名がありますが、全く事前連絡無しの掲載で、当日の出席は都合で出来ません。会の趣旨には賛成ですが、不参加を主催者に申し入れました。以上、ビラをみた方におしらせします。

1983年10月4日 通号271号
  往還雑記 全国集会がもつ最大の効用、又はもう一つの意味・<報告>でなく、<総括>を/<墓前祭>の意味/瀬戸内さんの憤り?のことなど

1983年11月30日 特別号 詩集ビラ 感想集

1983年11月11日 通号273号pdf
  ギョツとする!!-詩集を出したことで判ってきたこと

1984年1月27日 通号275号pdf
  前号に続く-詩 または、運動についてのノート②

1984年6月5日 通号280号
  詩・報告-忽然として消えた/余白に

1984年6月6日 通号281号
  <旭町界隈>サルートンとウリ事務所-いろいろの記/詩 講座弾圧史より そして 誰もいなくなった-過激派と連帯しよう

1984年7月25日 通号282号
  とりあえず一筆・転居通知(周辺案内図付)/新文学掲載・関西文脈人脈31『イオム通信』小島輝正著

1984年10月25日 通号283号
  署名などのこと-墓前祭によせて

1984年11月2日 通号284号
  いま『ギロチン社事件』の意味・ギロチン社事件とは・虹作戦への判決・大逆罪と「爆取」

ふろくちょっぴりオモシロイいたずらあそびへの招待!/11.3虹の旅団行動写真集

1985年1月6日 通号288号
  その日その日 「御名御璽事件」ガサ入れ

1985年2月28日 通号289号
  ハイケイ ヒロヒトはん/雑記

1985年3月18日 通号290号
  御名御璽・踏み絵ビラ事件 ウッツソー、ホントー、ヤッター 差押え押収は違法・取消し/しかし、やはり、最高裁へは特別抗告を出したョ/きみは-「踏み絵」をどう踏んだか

1985年5月10日 通号291号
  大阪名物 反日タコヤキ団興行/極私的タコヤキ団雑考/メモ書き一束

1985年12月12日 通号299号
  続 現象と本質-糾弾の思想

1986年1月  通号300号
  続々 糾弾の思想/<総括>とは・・・-「連節」と「伝達」/<総括のやり方>/<総括提起>の構造-運動評論の意味/中途での論旨の整理/あさひまち13階から

1986年4月10日 通号301号
  詩・恋歌-道行き一心坂、または御名御璽踏み絵ビラ事件余聞/あさひまち13階から

1986年5月28日 通号302号
  ウワァー 御名御璽事件「国賠訴訟」完全勝利したぞ/いかなる理由があっても、ビラ配布予防の目的での捜索差押許可状の請求・発布は、憲法21条に違反する。

1986年7月30日 通号305号
  ぼくにとっての御名御璽事件国賠訴訟勝利判決の意味
  305号附録 千人集会について-目盛り・ゲンナリ・呪文・転換・伝播・提起・おもい・ともかく・「数字」・「7月」

1986年7月15日 通号306号
  イオム通信宣伝号/技術と人間4月号-「踏み絵」ビラのてんまつ/「ミニコミ同時代史」『「ミニコミ」の戦後史』いずれも丸山和著からの引用

1986年12月15日 通号308号
  紙碑として-三重詩人の浜川弥ァさんのこと/9.14千人集会のこと『80年代』に運動論的視点から25枚ほど書いた

1986年12月15日 通号309号
  わたしらの問題?!/この頃考えること!-アナ連加入から今日までの・・・

1987年2月25日 通号311号
  死刑廃止運動に於ける政治犯・刑事犯の意味

1988年4月25日 通号317号
  「号外新聞」同封・旭まちから-ウリ事務所閉鎖/あたらしい反原発の波

1988年8月30日 通号320号
  径書房から本が?/国井由紀子さんが非暴力直接行動(1159号)とイオム(150319号)の丁寧な「目録」をつくってくれた。欠号判明。/能登「脱原発」シンボルタワーに、全国の注目とカンパを!

1988年9月27日 通号321号
  Xデーをチャンスに

1988年12月15日 通号322号
  前号361321の誤り/建造物不法侵入罪という名の・号外新聞不敬罪ガサの後日/茫 秋山清さん

1989年3月15日  通号325号
  不当捜索押収連絡会「ザ・ガサ」3号-ぼくにとっての国賠とは-こう/丸岡さんからの手紙(抄)(帰国者の裁判を考える会ニュース「ザ・パスポート」2号)