釜ヶ崎総合年表−1990年代


1990(平成2)年

1月 大阪自彊館 今津町にある「さわやか荘分荘・途中谷荘」の常駐を廃止
通所での陶器作りに切り替える
2月1日 大阪自彊館 救護施設「三徳寮」開設
廃校となった「新今宮小・中学校」跡を借用して増改築
2月 新今宮小・中学校跡地に救護施設大阪自彊館「三徳寮」「今宮文庫」「子供教室」開設
2月21日 釜ヶ崎に文化の拠点/「跡地」交渉で大きな成果/新今宮小跡地問題(大阪市教組機関紙)
3月16日 釜ヶ崎夜間学校ニュース 新今宮小中学校跡地に/新今宮文庫/労働者の図書室ができた
−新今宮小中学校の跡地利用をめぐっての−大阪市との交渉は、今年の2月で、一応、終わった。/結果は、大満足とはいかなかったが、仲間の使えるスペースがいくらかできたことで、まずまず、といわなければなるまい。/昨日は、図書室・三徳寮を見学させてもらった。/三徳寮は高齢者の保護施設で、ほとんどが、満杯状態だった白雲寮から移ってきた人で、新しい施設ができたからからといって、収容者数が増えたことになっていないのが不満だが、スシ詰めだった人が、少しだけ余裕のあるところへ移れたとしたら、良しとしなければならないだろう。/釜の困っている仲間にもっとも関係がありそうなのは、単泊(一晩あるいは短期収容)のための部屋だが、一部屋に二段ベッドが五つ入っている。一晩に20人分ということになる。あまりにも窮屈。実際に単泊が動き始めたら、なんとか改善してもらわなければならなくなるのではないかと感じた。/元気な仲間でも利用できるのが図書室。これとても、面積・本の量・本の種類など、不満はあるが、まず、皆で利用し、あるいは手持ちの本を寄贈などで利用しきった上で、改善を求めることができるだろう。)夜間学校ニュース裏面:施設配置図
4月 旧今池生活館跡に救護施設「今池平和寮」開設
「今池こどもの家」同所へ移転
5月 西成保健所分室、結核検診業務の拡充
6月 この頃より、白手帳更新時に顔写真貼付開始
8月1日 「三徳寮」に「三徳生活ケアセンター」を併設(定員20名)
9月 第1回あいりん環境美化キャンペーン実施
10月2日 西成署暴動。5日阪堺線南霞町駅舎全焼、7日収束

1991(平成3)年

新今宮小・中学校跡地に萩之茶屋「老人憩の家」「集会所」開設
8月頃より当地域でも急激に仕事が減少し、いよいよバブル崩壊が始まった。特に花博終了後からの景気は凋落現象が続き、建て替えラッシュもこれを境にピタッと止んでしまった。我簡宿の稼働率も下降線を辿り始め(簡宿40年の歩み)
4月25日 参議院地方行政委員会議事録 9号
あいりん 警察官汚職
8月1日 第21回釜ヶ崎越冬闘争報告集 刊21-第1PDF/21-第2PDF/21-第3PDF/21-第4PDF
第21回釜ヶ崎越冬闘争実行委員会(第1は各班報告、第2は医療班、第3は日刊えっとう、第4は日刊えっとう号外以降)
9月25日 衆議院文教委員会議事録 1号
あいりん 教員定数
10月1日 参議院建設委員会議事録 2号
広島橋梁事故 釜ヶ崎




1992(平成4)年

1月1日 大阪自彊館 「甲子寮」で通所事業(在宅精神障がい者の自立促進援助)開始
第22回釜ヶ崎越冬闘争報告集22-第1PDF/22-第2PDF/22-第3PDF
1991.12.24〜1992.1.8 第22回釜ヶ崎越冬闘争実行委員会(第1は各班報告、第2は日刊えっとう、第3は参加者感想等)
4月1日 旧遊廓の家並みが往時のまま残っている「飛田新地
廓から料理店に名を変えた店がこのところ次々に廃業、その跡地には駐車場やマンションが建つ。昭和33年売春防止法施行前の31年には、飛田新地の赤線は待合197軒、1,350人、周辺の青線には旅館180軒、180人いた。(毎日新聞・夕刊)
5月 あいりん職安、土曜閉庁開始
5月31日 大阪自彊館 今津町にある「さわやか荘分荘・三谷荘」を閉鎖
6月1日 大阪自彊館 今津町に救護施設「橡生の里」開設
6月25日 大阪自彊館 創立80周年記念感謝会
6月 西成労働福祉センター、高齢者アンケート実施。高齢者就労窓口設置を府労働部へ要望。
7月3日 センターで「顔づけ」した業者のライトバンが焼かれる
7月11日 「釜ヶ崎高齢日雇労働者の仕事を勝ち取る会」発足。三角公園炊きだし開始
7月21日 萩之茶屋本通商店会活性化実行委員会「萩之茶屋『茶屋まつり』」実施
冊子「わが街歴史再発見」発行
7月23日 反失業闘争開始
7月31日 釜ヶ崎キリスト教協友会 民生局の回答公表
9月6日 高齢者雇用改善なければ「野宿闘争」へ 毎日新聞
バブルがはじけ、求人が激減している大阪市西成区の「あいりん地区」労働者の中で、高齢者の雇用確保対策などの要求書を大阪府に提出している「釜ヶ崎日雇労働組合」(山田実委員長)は、7日朝から、大阪市中央区の府労働部前の大阪城公園の一角で回答要求の座り込みを始めることを5日までに決めた。7日に府の前向きの回答がなければ、労働者とともに異例の「野宿闘争」に入る。/同組合は8月25日、約130人で府労働部を訪れ、専用の仕事紹介窓口をつくるなど高齢者の失業対策を最重点項目にした要求書を提出。7日までの回答を迫った。この際、労働者3人が建造物侵入の疑いで逮捕された。
9月10日 座り込み中止へ あいりん地区労働者側 朝日新聞・夕刊
−労働者約百人が、−大阪府労働部のあるビル前で座り込みを続けていた問題で、10日午前、府側が今後、高齢者対策に取り組む意向を示したことから、労働者側はひとまず野宿作戦を取りやめることを決めた。−座り込みは7日から行われていたが、これまでは交渉の方法をめぐって折り合いがつかずにいた。(補注:当時の府労働部あいりん対策関連部署は、「国民会館住友生命ビル」に入居していた。
9月16日 あいりん地区「あぶれ手当もらえない」 毎日新聞
全国最大の日雇い労働者の街、大阪市西成区の「あいりん地区」で、仕事に就けなかった時に、日雇労働求職者給付金(あぶれ手当)を受けるための「雇用保険日雇労働被保険者手帳」(白手帳)の交付数が激減、地区内の労働者の約半数が手帳を持っていないことが、15日までにあいりん労働公共職業安定所の調べでわかった。−手帳制度は−前2ヶ月間に計28日働いた実績があれば、1日6,200円〜1,770円までの四段階の給付金が受けられる。/同職安は「一人で何通も手帳を持つなどの不正受給があった」などの理由で86年から、新規登録の際に住民票提出を求めるようになり、さらに90年の雇用保険法施行規則改正で、住民票提出と顔写真てん付が義務づけられた。増加していた手帳交付者は、87年度の2万4,458人をピークに激減。今年8月末現在、1万2,778人にまで落ち込み、地区内労働者は推定2万1,000人で、半数近くが手帳を持っていない。
9月21日 市更相生活窓口に並んだ111名が「貸し付け金」(2000〜1000円)受け取る
24日、貸付金約600名(2000円)。釜日労は貸付金でなく、失業対策の窓口設置、ドヤ券・食券を要求
9月26日 援護資金に労働者殺到 朝日新聞・夕刊
9月29日 市更相30日をもって緊急相談窓口閉鎖を発表。30日、1,142名の大半が貸し金(1000円)受け取り
9月29日 大阪自彊館 理事長 吉村 靫生 毎日社会福祉顕彰
「第22回毎日社会福祉顕彰」決まる(毎日新聞9月15日)
 大阪自彊館は労働者のまち「あいりん地区」がある大阪市西成区を中心に、計8ヶ所の更生施設や救護施設を持ち、病気やけがで働けなくなった約千人を保護している。/吉村さんは戦後間もなく、その活動に携わり、71年三代目の理事長に就任。/73年、西成区の「愛隣寮」にアルコール依存者を受け入れる初の民間施設を作った。酒以外に生きがいを見つけてもらうのが目的で、延べ約240人が社会復帰。/「身に余る光栄」と受賞を喜びながらも「痴ほう性老人の介護対策など、やらなければならないことがまだまだあります」
10月1日 第23次あいりん地区暴動。1日午前11時、市更相玄関閉鎖。
午後3時市更相職員退去。あいりん騒動発生(応急援護資金の貸付の取り扱いをきっかけとして)
以下は10月1日毎日新聞・夕刊から=大阪市西成区の「あいりん地区」の労働者が融資を求め1日、同地区にある大阪市立更生相談所に列をつくった景気後退で同地区でも求人が大幅に減ったため、先月21日から労働者への緊急融資「応急援護資金貸し付け制度」で“二重借り”も認めるよう融資条件を緩和したところ、労働者が殺到、融資資金が底をついた。そのため1日から融資条件を元に戻して厳しくしたが、事情を知らない労働者などがこの日も早朝から押しかけた。午前10時現在で約200人に膨れ上がり、相談所職員と労働者の一部がもみ合い、職員二人が軽いけがを負ったため、午前11時過ぎ閉鎖、同日の融資受け付けを中止。午後1時ごろ労働者数人が投石を始め、相談所の窓ガラス数枚が割れた。
 この制度は大阪市が1973年、独自に設けた。市が年間3百万円を出資、西成区内の社会福祉協議会会員らでつくる「西成愛隣会」に業務委託し、急場をしのぐ資金が必要な労働者に、1日2千円を限度に融資する。−これまで1日30〜40人が融資を受けてきた。−緊急措置として“二重借り”規制の条件をはずし、先月21日だけで百人を超える労働者に融資した。その後も連日労働者は増え続け、21日から30日までの休日を除く8日間に融資を受けた労働者は5千2百人、融資額は5百万円にのぼり、約8百万円の融資資金が底をついてしまった。このため、1日から融資を受けた人のは返済しない限り、新たな融資はしない条件を復活した。
10月3日 あいりん 沈静化へ 読売新聞
−あいりん地区の騒動は、2日夜も労働者や見物の若者ら約7百人が集まり、投石やゴミ袋への放火、機動隊との小ぜり合いが断続的に発生した。大阪府警の警備本部は約2千5百人で厳戒し、6人を器物損壊などの現行犯で逮捕。3日午前零時過ぎには群衆も解散を始め騒動は鎮静化に向かっている。/この、同相談所に26件の融資の相談があったが、条件にあわず、貸し付けはゼロ。返済は6件あり、午後4時半に相談所のシャッターが閉められた。この直後から、群衆は積み上げた自転車や段ボールに火を付けたりして反発。−/府警は放水車で消火し、相談所前の府道3百メートルにわたって、南北の二か所でシャットアウト。約2百人が西成署付近の路上にも集まり、爆竹などを鳴らしたが、徐々に収まった。−/今回の騒動の発端となった援護資金の貸し付けの対応について、市民生局は2日夜「労働者が殺到した先月21日以降、トラブルをおそれて、本来はやってはいけない二重貸し付けを行ったケースが毎日数十件あった」と非を認めた。/市によると、申し込みは1日30〜50件程度だったが、釜ヶ崎日雇労働組合が失業対策について要求を出した先月21日に、161人が来訪。業務を委託している7人の相談員では応じきれなくなり、22日から本庁などから管理職20〜30人が応援に来た。しかし、手続きに不慣れで10〜20分程度の短時間の相談で貸し付けに応じた。さらに、数日前に借り、返済がまだの労働者も台帳で確認したが、廊下に並んだ労働者の数に圧倒されて応じたといい、30日は1,013人の来訪者のうち、泥酔者などを除く967人に貸し出ししていた。/同日、返済のない労働者への貸し付けを断る意味で、「これで終わり」と告げたのが、制度自体の打ち切りと勘違いされ、翌日のトラブルにつながったという。
10月24日 大阪市の巡回相談、11月から前倒し実施
大阪市は23日、毎年12月に実施している地区の巡回相談を今年は11月から前倒しに行うなどを盛り込んだ対策を釜ヶ崎日雇労働組合に回答した。/同組合は今月12日、市にドヤ(簡易宿泊施設)券、食券の支給など4項目を要求。回答内容は、巡回相談で高齢や病弱の野宿者約400人を優先的に施設に収容するほか、市が発注する土木・建設工事に地区の労働者を雇用するように請負業者に依頼するなど。(毎日新聞)
 巡回相談は市職員らが週3回、夜間に回り、高齢、病弱、障害で就労が難しい人を1回10人から20人ずつ、近くの社会福祉法人・大阪自彊館に保護する。(読売新聞)
10月24日 「顔づけ焼き打ち」事件救援会発足へ 毎日新聞
大阪市西成区の「あいりん総合センター」で今年7月、求人に来ていた建設会社のライトバンが労働者2人に放火され、土木建設会社の担当者ら2人がやけどを負った事件で、殺人未遂の罪で公判中の労働者(42)を救援する会が来月7日、結成される。/「行為は許されるものではないが、事件の背景には不況に伴い、業者が労働者を年齢やこれまで雇ったことがあるかどうかなどで選別する『顔づけ』が横行するなど、労働者の置かれた厳しい状況と、それを放置している行政の不在がある」としており、会結成後は、初の「顔づけ」実態調査を行い、結果を裁判所に提出するなどしてバックアップする。/起訴状などによると、事件が起きたのは7月3日早朝。労働者とその友人が、事件の二日前、ライトバンを焼かれた建設会社の担当者に「顔づけ」を抗議したところ、友人が殴られた。/事件当日、同建設会社に二人で職を求め断られたため、立腹。労働者が近くのガソリンスタンドでガソリンを購入し、ライトバンにかけて、友人が放火したとされる。/放火された業者は、「責任は業者側にあり、顔づけを反省している」などの謝罪文を地区の労働組合に提出している。
10月10日 「センター求人半分以下に」と新聞報道
11月2日 越年対策前倒し、民生局の夜間巡回相談開始(月水金)

1993(平成5)年

西成労働福祉センター技能講習開始
3月 「オーシャン」アパート化
7月までに支援団体の生活保護申請支援で約60名が生活保護を受けることになったが、8月になり、西成区福祉事務所が「実態は簡易宿所」と判断、新規申請を受け入れなくなった。(12月30日・毎日新聞)
6月4日 参議院建設委員会議事録 10号
あいりん 入札制度




1994(平成6)年

6月3日 平成5年度分西成労働福祉センターの日雇(現金)求人件数(延数)が7年ぶりに100万件の大台を割る、と発表
反失連、センター寄場の夜間開放
10月6日 参議院労働委員会議事録 1号
委員派遣報告
11月 高齢者就労対策小規模開始(94.11.7〜95.2.28)
1994年10月 西成労働福祉センター告知ビラ(実施期間=1994年11月〜95年2月末、紹介数50人、前日午後2時に輪番紹介)
12月 更生相談所一時保護所、人にやさしい街づくりにともなうエレベータ一設備等設置



1995(平成7)年

1月17日 阪神淡路大震災/3月20日 地下鉄サリン事件
2月14日 参議院労働委員会議事録 2号
阪神淡路大震災 あいりん
4月 更生相談所の土曜閉庁実施
6月 大阪自彊館 大阪市東淀川区に「メゾン リベルテ」開設
特別養護老人ホーム「ジュネス」・老人短期入所事業「ジュネス」
 身体障害者療護施設「エフォール」・障害者福祉サービス事業「エフォール」(短期入所)
 『ベ ラ ミ』・障害者福祉サービス事業「エフォール」(障害者デイサービス事業)
柴島地域在宅サービスステーション・老人デイサービス事業「ジュネス」・在宅介護支援センター事業
8月15日 「釜ヶ崎越冬小史」第1回から第23回まで1-23第1PDF/1-23第2PDF/1-23第3PDF)刊
1995年8月15日発行。発行者:逃亡者こと内田(第1は前史から第7回、第2は第8回から第15回、第3は第16回から第23回まで。)
10月18日 藤本さん事件
(野宿していた藤本彰男さんが戎橋の上から道頓堀川に投げ込まれ殺される)
10月 野宿者と釜ヶ崎労働者の人権を守る会
(「釜ケ崎差別と闘う連絡会」から「野宿者と釜ケ崎労働者の人権を守る会」へ)
12月27日 「寄せ場」被災地で急増  朝日新聞・夕刊
神戸市の被災地で、仕事を求めて日雇い労働者が集まる「寄せ場」が急増している。阪神大震災の復興事業が本格化し、ガレキ処理や家屋解体などの建設現場で、日雇い労働者の需要が増えているためだ。労働者を不法にあっせんする「手配師」が暗躍しているとの指摘もあり、兵庫県は実態調査に乗り出した。/記録的な大雪となった26日朝、神戸市兵庫区の「新開地」に近いJR神戸線のガード下に、50人ほどの労働者が集まってきた。午前6時、気温は0.8度。雪が舞う中、手配師の指示に従って、業者名が書かれたワゴン車に乗り込み始めた。−午前6時半に来たイラン人の男性(35)も仕事にあぶれ、労働者の手配を終えてカップ酒を飲んでいた手配師と雑談していた。テヘランに妻を残して5年前に来日し、今年3月まで栃木県宇都宮市で働いていたが、不況で仕事が少なくなったため、神戸に来た。−/新開地は周辺に簡易宿泊所が多く、以前から有名な寄せ場だった。常に6〜70人が集まっていたが、震災後には200人前後が来るようになった。−/関係者によると、震災前まであった寄せ場は、このほかにJR神戸駅前と中央区・生田川公園の2カ所。震災後、兵庫区・湊川公園やJR兵庫駅前、中央区・東遊園地など数カ所が加わった。震災直後から3月ごろまでは主に大阪市西成区のあいりん地区(釜ヶ崎一帯)で労働者を集めていたが、4月以降、震災で勤め先が被災し、失業状態の労働者が増えた神戸市に拠点を移したという。/日雇い労働者の日給は1万2千〜1万5千円。一方、下請け業者には労働者一人当たり1万5千〜1万7千円が元請け会社から支払われる。2千〜3千円の差額の内千円前後が手配師に支払わられ、残りは下請け業者が食事代や交通費などの名目で取るという。/職業安定法は、日雇い労働者のあっせんを有料で行うことを禁じている。建設会社の名刺を持ち、同法違反で何度か摘発されたという手配師(33)は「必要な人数の増減が激しい建設業界では、日雇いでないとコストがかかり過ぎる」と話す。

1996(平成8)年

7月1日 病原性大腸菌O157による集団食中毒発生
2月15日 別冊フレンド事件
=本校(大阪市立鶴見橋中学)での取り組みの発端は2月15日だった。偶然、日曜日に買った漫画に許せないことが書いてあると、3年生の女子生徒2人が「別冊フレンド」を持って訴えてきた。 「注」に書かれた「大阪の地名 気の弱い人は近づかないほうが無難なトコロ」。子ども達はこのことばに怒り
6月 連合大阪 あいりん地区問題プロジェクト
7月17日 大阪自彊館 今津町に救護施設「角川ヴィラ」開設
8月 第1回釜ヶ崎フォーラム「ストップ・ザ・路上死
(「野宿者と釜ケ崎労働者の人権を守る会」)
10月 大阪自彊館 メゾン リベルテ ボランティアグループ「コスモスの会」発足
10月 釜ヶ崎の日雇労働者と野宿者への労働・生活実態調査
(「野宿者と釜ケ崎労働者の人権を守る会」)

1997(平成9)年

4月1日 消費税5%に引き上げ
「1997年の時に、大変な、多くの問題が発生しました。我のホテル、そして約2万室あった簡易宿所では、餓死とか、自殺とか、ホームレスになる方がたくさん出てきました。(簡宿組合50年史)
2月25日 衆議院予算委員会議事録 18号
あいりん 覚醒剤
3月3日 衆議院予算委員会第四分科会議事録 1号
日雇い健康保険 あいりん
3月18日 シンポジュウム「あいりんの高齢化問題を考える
午後2時から4時まで西成区民センターで
4月 野宿者ネットワーク発足
6月 反失連、臨泊実施までセンター寄場の夜間開放
行政にとっては初めて6.6-7.31。大阪市は緊急避難物資であるカンパンを、当初一日800食の予定で支給を開始したが、現在は一日1,200食の予定となっている(三角公園で週三回行われている炊き出し、6月16日1,092食、18日1,750食、21日2,311食と増加)
9月 釜ヶ崎居住懇発足
10月 第2回釜ヶ崎フォーラム「今、釜ヶ崎に必要なもの
(「野宿者と釜ケ崎労働者の人権を守る会」)
11月 反失連、府庁前で11.25〜28日まで座り込み要求行動
府庁前野営から、センター3階野営に
12月4日 センター夜間開放求め 300人座り込み 朝日新聞
−労働者と支援者でつくる「釜ヶ崎反失業連絡会」は3日、地区内の「あいりん総合センター」で、センターの夜間開放などを大阪府に求める座り込みを始めた。センター2階に労働者ら約300人が集まり、徹夜で交渉する、としている。これに対し、大阪府は地元住民の合意が得られず認められない」としている。
12月20日 正式にセンター夜間開放が認められ、一階フローアに移る
12月18日に大阪府労働部が西成労働福祉センターを通して発表コメントは、
「あいりん労働福祉センターの夜間開放については、これまで、センター本来の設置目的である就労斡旋の昨日が損なわれることや、施設の管理運営上からも支障が生じるおそれがあること、また、地域住民に多大な迷惑をかけることなどから、要望に応じることは困難と回答して参りました。
しかしながら、あいりん労働福祉センターの現状は、これ以上放置しておくことが許されない状況となっております。
また、地域関係者や多くの府民から早期解決を求める意見が寄せられており、さらに、地域住民も一定の理解を示されるに至ったことなどから、夜間開放に向け、代表者と協議を行いたいと存じます。つきましては、明日、午後1時に代表者の方が、府労働部までおこしください。』
97末〜98始 西成公園問題

1998(平成10)年

施設から居宅保護へ移行時、敷金支給開始
1月9日 大阪駅JR神戸線5.6番ホームの東出入り口階段の通路壁面に、差別はり紙
利用客が発見し、駅職員に通報した。
はり紙はたて18.2p、よこ25.7pの用紙に、黒マジックで書かれていた。
文面は「1月8日に堺市で起きた通り魔事件で逮捕された19歳の少年はオウム真理教信者であり、第2の酒鬼薔薇聖斗であり、O−157 感染者であり、西成出身の部落民です。もし、部落民(エタ・四つ)・朝鮮人や、オーム信者や、西成の人々や、浮浪者やエイズ感染者や、同性愛者や、暴力団の方々や、非行少年、凶悪犯罪者を見かけたら、銃で撃ち殺してやりましょう。」とあり「江頭2:50&金田一少年+学級王ヤマザキ」と2行に分かち書きされていた。
2月 連合のホームレス問題シンポジュウム
3月 あいりん地域の中長期的なあり方「あいりん対策総合対策検討委員会」
学者・連合・大阪府・市が参加して検討、まとめる
3月19日 衆議院予算委員会第三分科会議事録 1号
あいりん 覚醒剤
4月 さつき・つつじ会
4月23日 衆議院行政改革に関する特別委員会議事録 6号
あいりん 労働 機関委任事務廃止
5月 大阪市野宿生活者問題検討連絡会設置
5月9日夜 釜ヶ崎反失業連絡会が行った野宿者数調査結果
釜ヶ崎周辺だけで3,422人を確認
5月末頃から 赤痢患者発生
6月 センター夜間開放(7月末まで)
8月17日から9月27日まで 三徳寮臨時生活ケアセンター
8月 大阪市における野宿者概数・概況調査(大阪市内8,660人
10月 高齢者就労の枠拡大
10月26日から11月27日まで 第2回三徳寮臨時生活ケアセンター
11月 第3回釜ヶ崎フォーラム−「まちづくり」とは
11月 市大調査発表
11月 日雇労働者・野宿生活者問題の現状と連合大阪の課題
11月 反失連、野営闘争で三徳寮横にテント設置
(900平方メートルの野営地を大阪市が提供)
11月 磯村市長、小渕首相に直訴
12月1日 衆議院決算行政監視委員会議事録 1号
視察報告
12月3日 衆議院財政構造改革に関する特別委員会議事録 4号
大阪ホームレス事情 あいりん
12月 佐藤訴訟開始
12月 釜ケ崎居住懇が「緊急アピール: 野宿をなくし、人間居住を実現するための緊急策と抜本策」
12月 今宮中学校南側道路のテント撤去、花園公園へ移動

1999(平成11)年

1月5日 簡宿理事8名、民生局立ち会いの下、南港臨時宿泊施設を見学(簡宿組合40年の歩み)
1月26日 衆議院予算委員会議事録 3号
 あいりん 白手帳 日雇い労働雇用保険被保険者手帳
2月2日 衆議院予算委員会議事録 8号
ホームレス問題
2月3日 衆議院予算委員会議事録 9号
大阪ホームレス事情 あいりん 野宿生活者
2月9日 衆議院安全保障委員会議事録 2号
ガイドライン関連法案 あいりん
2月17日 衆議院予算委員会第四分科会議事録 1号
あいりん ホームレス 赤痢
2月末 センター夜間開放終了(3月1日から市庁前野営開始)
2月 国・ホームレス問題連絡会議開催
?月  南職安跡地に大テント設置
5月 国・ホームレス問題に対する当面の対応策について
野宿を余儀なくされている労働者への経済的自立援助策を求めて 釜ヶ崎反失業連絡会 1999年6月刊
6月 簡宿2000室プラン
簡宿組合「野宿生活者対策およびあいりん活性化にあたっての簡宿活用」について、大阪市民生局に陳情。8月には衆参議員会館各国会議員宛に陳情書提出。11月には大阪市長に「野宿生活者及び高齢者対策に依る簡易宿所利用」に関して陳情書提出。(簡宿組合40年の歩み)
6月19日 第1回「あいりん・わいがや会」開催 
地元団体と運動団体、オブザーバー参加の行政で開催された初めての会合
6月21日 「三徳生活ケアセンター」を170床に増床
6月23日 NPO釜ヶ崎支援機構設立総会
7月 大阪自彊館 老人居宅介護等事業「ジュネス」、開設
7月16日 「あいりん・わいがや会」
栃木県野木町ごみ資源化センターと関連施設の町健康センターを見学。厚生省を訪問。社会・援護局長と野宿生活者対策について懇談。(「あいりん・わいがや会」の出席者、自彊館理事長・萩之茶屋連合町会長、今宮第12町会長、今宮保護司常任理事、反失連代表、簡宿組合厚生部長ら)
7月 大阪市野宿生活者対策推進本部設置
8月 大阪市野宿生活者聞き取り調査
8月1日 大阪自彊館野宿生活者巡回相談事業に協力
8月 巡回相談事業を大阪市生活保護施設連盟へ委託
8月2日 簡易宿泊所1日10人(後に5室)の野宿者無料宿泊受け入れ開始
60数軒が協力、日曜祝日、盆正月期間を除く毎日、協力店が輪番で受け入れ。西成労働福祉センターからの紹介者に限る(抽選)。(簡宿組合40年の歩み)
8月28日 「あいりん・わいがや会」
京大教授を招き、ゴミ資源化・雇用創出について学習会
9月 NPO釜ヶ崎支援機構大阪府知事認証
野宿者の支援を目的に6月に設立された「釜ヶ崎支援機構」が、府からNPOの認証を9月29日に受け、10月9日までに法人登記も完了した。/法人格が確立したことで、大阪市が緊急地域雇用特別交付金を利用して拡大する野宿労働者向け特別就労事業(道路清掃など)の委託を11月から受ける見込み。市はあいりん地区以外の作業も加え、1日に出す仕事を現在より105人増やして150人規模にする。(10月10日読売新聞)
10月 釜ヶ崎のまち再生フォーラム
11月 NPO釜ヶ崎 就労事業開始
政府の緊急地域雇用特別交付金(大阪市分)高齢者就労の拡大部分
11月16日 衆議院環境委員会議事録 2号
あいりん 釜ヶ崎
12月 連合大阪「野宿生活者問題シンポジウム」
簡宿組合、「ドヤ」という表記には差別的意味合いが多分に含まれるとして、「簡易宿所」に変更の請願書を報道機関24団体や官公庁等に送付。(簡宿組合40年の歩み)