釜ヶ崎総合年表−1990年代


1990(平成2)年

1月 大阪自彊館 今津町にある「さわやか荘分荘・途中谷荘」の常駐を廃止
通所での陶器作りに切り替える
2月1日 大阪自彊館 救護施設「三徳寮」開設
廃校となった「新今宮小・中学校」跡を借用して増改築
2月 新今宮小・中学校跡地に救護施設大阪自彊館「三徳寮」「今宮文庫」「子供教室」開設
▲三徳寮生活ケアセンターの北壁面。
2月21日 釜ヶ崎に文化の拠点/「跡地」交渉で大きな成果/新今宮小跡地問題(大阪市教組機関紙)
3月16日 釜ヶ崎夜間学校ニュース 新今宮小中学校跡地に/新今宮文庫/労働者の図書室ができた
−新今宮小中学校の跡地利用をめぐっての−大阪市との交渉は、今年の2月で、一応、終わった。/結果は、大満足とはいかなかったが、仲間の使えるスペースがいくらかできたことで、まずまず、といわなければなるまい。/昨日は、図書室・三徳寮を見学させてもらった。/三徳寮は高齢者の保護施設で、ほとんどが、満杯状態だった白雲寮から移ってきた人で、新しい施設ができたからからといって、収容者数が増えたことになっていないのが不満だが、スシ詰めだった人が、少しだけ余裕のあるところへ移れたとしたら、良しとしなければならないだろう。/釜の困っている仲間にもっとも関係がありそうなのは、単泊(一晩あるいは短期収容)のための部屋だが、一部屋に二段ベッドが五つ入っている。一晩に20人分ということになる。あまりにも窮屈。実際に単泊が動き始めたら、なんとか改善してもらわなければならなくなるのではないかと感じた。/元気な仲間でも利用できるのが図書室。これとても、面積・本の量・本の種類など、不満はあるが、まず、皆で利用し、あるいは手持ちの本を寄贈などで利用しきった上で、改善を求めることができるだろう。)夜間学校ニュース裏面:施設配置図
4月 旧今池生活館跡に救護施設「今池平和寮」開設
「今池こどもの家」同所へ移転
5月 西成保健所分室、結核検診業務の拡充
6月 この頃より、白手帳更新時に顔写真貼付開始
8月1日 「三徳寮」に「三徳生活ケアセンター」を併設(定員20名)
「住居不定の高齢・病弱者に14泊まで利用してもらい、生活指導を通じて自立を図る」を目的に大阪市の補助事業として開所。−開設当初は、趣意書を手に24区福祉事務所をまわり、利用をお願いしました。半年ほどは12〜3人利用で、ほとんどの方が14泊の安静、休養で体力回復に努めることができました。/1年を経過し、大阪市更生相談所からの受け入れも多くなり、ご利用者は増える一方。臨時ベッドを組んでは、しのぎました。(大阪自彊館だより・第23号)
9月 第1回あいりん環境美化キャンペーン実施
10月2日 西成署暴動。5日阪堺線南霞町駅舎全焼、7日収束
大阪社会医療センター 外来患者年齢構成
平成2年は昭和55年に引き続き、50歳代(37.1%)が最も多く、第2順位が40歳代に代わって60歳代(27.6%)となる。一方、30歳代は5%、30歳未満は1%に満たないといった若年層の減少が顕著となった。(大阪社会医療センター創立40周年記念誌)
大阪市越年対策
越年対策=2年12月29日〜3年1月7日(9泊10日)、893人収容(延べ7,962人、巡回相談分3,144人を含む)、収容施設(大阪自彊館12/29午前0時現在180人・南港697人)、

1991(平成3)年

新今宮小・中学校跡地に萩之茶屋「老人憩の家」「集会所」開設
8月頃より当地域でも急激に仕事が減少し、いよいよバブル崩壊が始まった。特に花博終了後からの景気は凋落現象が続き、建て替えラッシュもこれを境にピタッと止んでしまった。我簡宿の稼働率も下降線を辿り始め(簡宿40年の歩み)
 大阪自彊館 「福祉QC」活動の取り組み開始
4月25日 参議院地方行政委員会議事録 9号
あいりん 警察官汚職
8月1日 第21回釜ヶ崎越冬闘争報告集 刊21-第1PDF/21-第2PDF/21-第3PDF/21-第4PDF
第21回釜ヶ崎越冬闘争実行委員会(第1は各班報告、第2は医療班、第3は日刊えっとう、第4は日刊えっとう号外以降)
9月25日 衆議院文教委員会議事録 1号
あいりん 教員定数
10月1日 参議院建設委員会議事録 2号
広島橋梁事故 釜ヶ崎
大阪市越年対策
越年対策=3年12月29日〜4年1月7日(9泊10日)、1,170人収容(延べ10,533人、巡回相談分1,909人を含む)、収容施設(大阪自彊館12/29午前0時現在202人・南港947人)、

1992(平成4)年

1月1日 大阪自彊館 「甲子寮」で通所事業(在宅精神障がい者の自立促進援助)開始
第22回釜ヶ崎越冬闘争報告集22-第1PDF/22-第2PDF/22-第3PDF
1991.12.24〜1992.1.8 第22回釜ヶ崎越冬闘争実行委員会(第1は各班報告、第2は日刊えっとう、第3は参加者感想等)
4月1日 旧遊廓の家並みが往時のまま残っている「飛田新地
廓から料理店に名を変えた店がこのところ次々に廃業、その跡地には駐車場やマンションが建つ。昭和33年売春防止法施行前の31年には、飛田新地の赤線は待合197軒、1,350人、周辺の青線には旅館180軒、180人いた。(毎日新聞・夕刊)
5月 あいりん職安、土曜閉庁開始
5月31日 大阪自彊館 今津町にある「さわやか荘分荘・三谷荘」を閉鎖
6月1日 大阪自彊館 今津町に救護施設「橡生の里」開設
6月25日 大阪自彊館 創立80周年記念感謝会
6月 西成労働福祉センター、高齢者アンケート実施。高齢者就労窓口設置を府労働部へ要望。
7月3日 センターで「顔づけ」した業者のライトバンが焼かれる
7月11日 「釜ヶ崎高齢日雇労働者の仕事を勝ち取る会」発足。三角公園炊きだし開始
7月21日 萩之茶屋本通商店会活性化実行委員会「萩之茶屋『茶屋まつり』」実施
冊子「わが街歴史再発見」発行
7月23日 反失業闘争開始
7月31日 釜ヶ崎キリスト教協友会 民生局の回答公表
9月6日 高齢者雇用改善なければ「野宿闘争」へ 毎日新聞
バブルがはじけ、求人が激減している大阪市西成区の「あいりん地区」労働者の中で、高齢者の雇用確保対策などの要求書を大阪府に提出している「釜ヶ崎日雇労働組合」(山田実委員長)は、7日朝から、大阪市中央区の府労働部前の大阪城公園の一角で回答要求の座り込みを始めることを5日までに決めた。7日に府の前向きの回答がなければ、労働者とともに異例の「野宿闘争」に入る。/同組合は8月25日、約130人で府労働部を訪れ、専用の仕事紹介窓口をつくるなど高齢者の失業対策を最重点項目にした要求書を提出。7日までの回答を迫った。この際、労働者3人が建造物侵入の疑いで逮捕された。
9月10日 座り込み中止へ あいりん地区労働者側 朝日新聞・夕刊
−労働者約百人が、−大阪府労働部のあるビル前で座り込みを続けていた問題で、10日午前、府側が今後、高齢者対策に取り組む意向を示したことから、労働者側はひとまず野宿作戦を取りやめることを決めた。−座り込みは7日から行われていたが、これまでは交渉の方法をめぐって折り合いがつかずにいた。(補注:当時の府労働部あいりん対策関連部署は、「国民会館住友生命ビル」に入居していた。
9月16日 あいりん地区「あぶれ手当もらえない」 毎日新聞
全国最大の日雇い労働者の街、大阪市西成区の「あいりん地区」で、仕事に就けなかった時に、日雇労働求職者給付金(あぶれ手当)を受けるための「雇用保険日雇労働被保険者手帳」(白手帳)の交付数が激減、地区内の労働者の約半数が手帳を持っていないことが、15日までにあいりん労働公共職業安定所の調べでわかった。−手帳制度は−前2ヶ月間に計28日働いた実績があれば、1日6,200円〜1,770円までの四段階の給付金が受けられる。/同職安は「一人で何通も手帳を持つなどの不正受給があった」などの理由で86年から、新規登録の際に住民票提出を求めるようになり、さらに90年の雇用保険法施行規則改正で、住民票提出と顔写真てん付が義務づけられた。増加していた手帳交付者は、87年度の2万4,458人をピークに激減。今年8月末現在、1万2,778人にまで落ち込み、地区内労働者は推定2万1,000人で、半数近くが手帳を持っていない。
9月21日 市更相生活窓口に並んだ111名が「貸し付け金」(2000〜1000円)受け取る
24日、貸付金約600名(2000円)。釜日労は貸付金でなく、失業対策の窓口設置、ドヤ券・食券を要求
9月26日 援護資金に労働者殺到 朝日新聞・夕刊
9月29日 市更相30日をもって緊急相談窓口閉鎖を発表。30日、1,142名の大半が貸し金(1000円)受け取り
9月29日 大阪自彊館 理事長 吉村 靫生 毎日社会福祉顕彰
「第22回毎日社会福祉顕彰」決まる(毎日新聞9月15日)
 大阪自彊館は労働者のまち「あいりん地区」がある大阪市西成区を中心に、計8ヶ所の更生施設や救護施設を持ち、病気やけがで働けなくなった約千人を保護している。/吉村さんは戦後間もなく、その活動に携わり、71年三代目の理事長に就任。/73年、西成区の「愛隣寮」にアルコール依存者を受け入れる初の民間施設を作った。酒以外に生きがいを見つけてもらうのが目的で、延べ約240人が社会復帰。/「身に余る光栄」と受賞を喜びながらも「痴ほう性老人の介護対策など、やらなければならないことがまだまだあります」
10月1日 財団法人西成労働福祉センター30周年記念誌「行跡」刊
10月1日 第23次あいりん地区暴動。1日午前11時、市更相玄関閉鎖。
午後3時市更相職員退去。あいりん騒動発生(応急援護資金の貸付の取り扱いをきっかけとして)
以下は10月1日毎日新聞・夕刊から=大阪市西成区の「あいりん地区」の労働者が融資を求め1日、同地区にある大阪市立更生相談所に列をつくった景気後退で同地区でも求人が大幅に減ったため、先月21日から労働者への緊急融資「応急援護資金貸し付け制度」で“二重借り”も認めるよう融資条件を緩和したところ、労働者が殺到、融資資金が底をついた。そのため1日から融資条件を元に戻して厳しくしたが、事情を知らない労働者などがこの日も早朝から押しかけた。午前10時現在で約200人に膨れ上がり、相談所職員と労働者の一部がもみ合い、職員二人が軽いけがを負ったため、午前11時過ぎ閉鎖、同日の融資受け付けを中止。午後1時ごろ労働者数人が投石を始め、相談所の窓ガラス数枚が割れた。
 この制度は大阪市が1973年、独自に設けた。市が年間3百万円を出資、西成区内の社会福祉協議会会員らでつくる「西成愛隣会」に業務委託し、急場をしのぐ資金が必要な労働者に、1日2千円を限度に融資する。−これまで1日30〜40人が融資を受けてきた。−緊急措置として“二重借り”規制の条件をはずし、先月21日だけで百人を超える労働者に融資した。その後も連日労働者は増え続け、21日から30日までの休日を除く8日間に融資を受けた労働者は5千2百人、融資額は5百万円にのぼり、約8百万円の融資資金が底をついてしまった。このため、1日から融資を受けた人のは返済しない限り、新たな融資はしない条件を復活した。
10月3日 あいりん 沈静化へ 読売新聞
−あいりん地区の騒動は、2日夜も労働者や見物の若者ら約7百人が集まり、投石やゴミ袋への放火、機動隊との小ぜり合いが断続的に発生した。大阪府警の警備本部は約2千5百人で厳戒し、6人を器物損壊などの現行犯で逮捕。3日午前零時過ぎには群衆も解散を始め騒動は鎮静化に向かっている。/この、同相談所に26件の融資の相談があったが、条件にあわず、貸し付けはゼロ。返済は6件あり、午後4時半に相談所のシャッターが閉められた。この直後から、群衆は積み上げた自転車や段ボールに火を付けたりして反発。−/府警は放水車で消火し、相談所前の府道3百メートルにわたって、南北の二か所でシャットアウト。約2百人が西成署付近の路上にも集まり、爆竹などを鳴らしたが、徐々に収まった。−/今回の騒動の発端となった援護資金の貸し付けの対応について、市民生局は2日夜「労働者が殺到した先月21日以降、トラブルをおそれて、本来はやってはいけない二重貸し付けを行ったケースが毎日数十件あった」と非を認めた。/市によると、申し込みは1日30〜50件程度だったが、釜ヶ崎日雇労働組合が失業対策について要求を出した先月21日に、161人が来訪。業務を委託している7人の相談員では応じきれなくなり、22日から本庁などから管理職20〜30人が応援に来た。しかし、手続きに不慣れで10〜20分程度の短時間の相談で貸し付けに応じた。さらに、数日前に借り、返済がまだの労働者も台帳で確認したが、廊下に並んだ労働者の数に圧倒されて応じたといい、30日は1,013人の来訪者のうち、泥酔者などを除く967人に貸し出ししていた。/同日、返済のない労働者への貸し付けを断る意味で、「これで終わり」と告げたのが、制度自体の打ち切りと勘違いされ、翌日のトラブルにつながったという。
10月24日 大阪市の巡回相談、11月から前倒し実施
大阪市は23日、毎年12月に実施している地区の巡回相談を今年は11月から前倒しに行うなどを盛り込んだ対策を釜ヶ崎日雇労働組合に回答した。/同組合は今月12日、市にドヤ(簡易宿泊施設)券、食券の支給など4項目を要求。回答内容は、巡回相談で高齢や病弱の野宿者約400人を優先的に施設に収容するほか、市が発注する土木・建設工事に地区の労働者を雇用するように請負業者に依頼するなど。(毎日新聞)
 巡回相談は市職員らが週3回、夜間に回り、高齢、病弱、障害で就労が難しい人を1回10人から20人ずつ、近くの社会福祉法人・大阪自彊館に保護する。(読売新聞)
10月24日 「顔づけ焼き打ち」事件救援会発足へ 毎日新聞
大阪市西成区の「あいりん総合センター」で今年7月、求人に来ていた建設会社のライトバンが労働者2人に放火され、土木建設会社の担当者ら2人がやけどを負った事件で、殺人未遂の罪で公判中の労働者(42)を救援する会が来月7日、結成される。/「行為は許されるものではないが、事件の背景には不況に伴い、業者が労働者を年齢やこれまで雇ったことがあるかどうかなどで選別する『顔づけ』が横行するなど、労働者の置かれた厳しい状況と、それを放置している行政の不在がある」としており、会結成後は、初の「顔づけ」実態調査を行い、結果を裁判所に提出するなどしてバックアップする。/起訴状などによると、事件が起きたのは7月3日早朝。労働者とその友人が、事件の二日前、ライトバンを焼かれた建設会社の担当者に「顔づけ」を抗議したところ、友人が殴られた。/事件当日、同建設会社に二人で職を求め断られたため、立腹。労働者が近くのガソリンスタンドでガソリンを購入し、ライトバンにかけて、友人が放火したとされる。/放火された業者は、「責任は業者側にあり、顔づけを反省している」などの謝罪文を地区の労働組合に提出している。
10月10日 「センター求人半分以下に」と新聞報道
11月2日 越年対策前倒し、民生局の夜間巡回相談開始(月水金)
大阪市越年対策
越年対策=4年12月29日〜5年1月7日(9泊10日)、1,519人収容(延べ22,650人、巡回相談分9,822人を含む)、収容施設(大阪自彊館12/29午前0時現在365人・南港1,136人)、

1993(平成5)年

西成労働福祉センター技能講習開始
3月 「オーシャン」アパート化
7月までに支援団体の生活保護申請支援で約60名が生活保護を受けることになったが、8月になり、西成区福祉事務所が「実態は簡易宿所」と判断、新規申請を受け入れなくなった。(12月30日・毎日新聞)
6月4日 参議院建設委員会議事録 10号
あいりん 入札制度
8月 第22回釜ヶ崎夏祭り
9月 釜ヶ崎反失業連絡会結成
結成準備会合8回。正式名称=釜ヶ崎就労・生活保障制度実現を目指す連絡会。毎週水曜日、府市へ押しかける(6ヶ月継続。結成時参加団体(釜日労・協友会・勝ち取る会・釜ヶ崎資料センター・釜ヶ崎連帯会議・医療連)
10月 反失連 大阪府議会に請願提出
請願51号 釜ヶ崎(あいりん地区)労働対策に関する件
大阪市越年対策
越年対策=5年12月29日〜6年1月7日(9泊10日)、1,529人収容(延べ23,486人、巡回相談分11,597人を含む)、収容施設(大阪自彊館12/29午前0時現在410人・南港1,101人)、

1994(平成6)年

6月3日 平成5年度分西成労働福祉センターの日雇(現金)求人件数(延数)が7年ぶりに100万件の大台を割る、と発表
6月20日 反失連 府庁玄関前で座り込み、労働部前(本館南側にあった)で抗議集会
6月25日まで。労働部主幹が「野宿対策は、民生問題、大阪市へ行け」と問題発言。大阪府労働部がが現地出先機関と認める西成労働福祉センターを窓口として、抗議と協議の申し入れへ。
6月27日 反失連、センター寄場の夜間開放(3名逮捕)−8月31日まで
6月27日(月)午後6時頃西成労働福祉センターと交渉続行中にセンターのシャッターが閉まり出す。1階寄り場にいた労働者たちが、管理室職員たちに抗議行動。シャッターは一部降りた状態でストップ。労働者が自発的にセンター1階寄り場に集まってくる。ゴザ300枚ほど集めてきて配り、二交代で夜警を組んで、センター開放第一夜。380名が夜を過ごす。/府労働部特対室主幹と市民政局保護課長が団交の席に同席。府市協力のもと「別途の就労対策」実施を約束。
7月1日 大阪自彊館「自彊館だより」復刊第1号 
「大阪自彊館は、今年で創立82周年を迎えました。職員は350名に達し、場所も本館の所在地以外にあいりん地区に2ヶ所、滋賀県今津町に2ヶ所と、合計5ヶ所で8つの施設になっています。/6月10日には、東淀川区で特別養護老人ホームと身体障害者療護施設の合築施設「リベルテ」の地鎮祭を行いました。」(復刊に寄せて)
9月  日雇労働「雇用保険被保険者手帳」給付金 10年ぶりに改定
参考:「仕事」=西成労働福祉センター把握求人数推移。「人口」=国勢調査から地区人口を計算したもの。「手帳」=あいりん職安発行の有効「雇用保険被保険者手帳」推移(あいりん職安の管轄は西成区・平野区・住吉区・東住吉区・住之江区・浪速区の一部であり、白手帳所持者が西成区居住とは限らないし、住所が西成区だからといって釜ヶ崎地区内居住とは限らない)。「相談」=市更相の相談件数推移。
10月6日 参議院労働委員会議事録 1号
委員派遣報告
11月 高齢者就労対策小規模開始(94.11.7〜95.2.28)
1994年10月 西成労働福祉センター告知ビラ(実施期間=1994年11月〜95年2月末、紹介数50人、前日午後2時に輪番紹介)
申し込み受付は10月31日〜12月20日。輪番登録数940人。紹介内訳=センター清掃30人(大阪環境整備)、道路清掃20人(大阪自彊館)。
11月18日 あいりん対策拡充する事の不安
「大阪で対策を充実すれば充実するほど、また全国から集まってくるんではないかといったような、私はふと不安の念がよぎりまして、この問題は本当に方向性の見きわめにくい問題だなと痛感しておるところでございます( 足立民生局長)。【平成5年度決算特別委員会(準公営・一般)1994(平成6)年10 ・11・12月-11月18日】」
11月 あいりん総合対策検討委員会 設置
大阪府知事、大阪市長による府市懇談会において、あいりん地域のまちづくりの視点を含めた中長期対策のあり方や展望を、総合的に検討する場の必要性が認識され、「検討会」の設置にいたる。
12月 更生相談所一時保護所、人にやさしい街づくりにともなうエレベータ一設備等設置
大阪市越年対策
越年対策=6年12月29日〜7年1月7日(9泊10日)、1,651人収容(延べ15,612人、巡回相談分2,756人を含む)、収容施設(大阪自彊館12/29午前0時現在219人・南港1,410人)、

1995(平成7)年

1月10日 大阪自彊館 「標準的な表現」の改訂各施設長に連絡
「高齢社会の進行と、社会福祉を取り巻く状況の変化に伴い、社会福祉サービスの質的転換が求められています。大阪自彊館においても、理事長の本年度「年頭の辞」のなかに禁句集がありましたが、以下の言葉について、今後、表現を改めますので周知徹底をお願いします。
入所者・寮生→「入居者」に改める。
2.処遇→「サービス」、時によっては「福祉サービス」
3.処遇表→「サービス票」。現在見直しをしていますので、近い将来、呼称が変更になることもあります。
4.先生→「〜さん」と呼びましょう。とりわけ、入居者が職員を呼ぶときに「〜先生」ということがよくあります。今後、職員にたいしては、〜さん、よ呼ぶように習慣づけてください。
1月17日 阪神淡路大震災/3月20日 地下鉄サリン事件
2月14日 参議院労働委員会議事録 2号
阪神淡路大震災 あいりん
4月 更生相談所の土曜閉庁実施
5月22日 高齢者清掃 第2期開始
1995年5月22日〜1996年3月30日。センター内清掃20人、生活道路清掃10〜20人。登録数922人。輪番登録第1次5月15日〜7月19日、第2次11月15日〜11月29日
6月 大阪自彊館 大阪市東淀川区に「メゾン リベルテ」開設
 建物全体=リベルテ(自由)、特別養護老人ホーム=ジュネス(若さ)身体障害者療護施設=エフォール(努力する)、デイケア施設=ベラミ(良き友)、おもちゃ図書館=オズの家。(自彊館だより・復刊第2号)
メゾン リベルテ 1階=ベラミと総称(柴島地域在宅サービスステーション=在宅高齢者デイサービスセンターと在宅支援センター。身体障害者デイサービスセンター。法人独自事業であるおもちゃライブラリー。)
メゾン リベルテ 2階=エフォール(身体障害者療護施設。入居のほかショートステイも可能)
メゾン リベルテ 3・4階=ジュネス(特別養護老人ホーム。入居のほかにショートステイ可能施設もあり)
メゾン リベルテ 5階=施設内診療所(内科・精神科)。2階建ての地域交流ホームも併設、リハビリルームを設置(自彊館だより・復刊第6号)
特別養護老人ホーム「ジュネス」・老人短期入所事業「ジュネス」/身体障害者療護施設「エフォール」・障害者福祉サービス事業「エフォール」(短期入所)/ 『ベ ラ ミ』・障害者福祉サービス事業「エフォール」(障害者デイサービス事業)/柴島地域在宅サービスステーション・老人デイサービス事業「ジュネス」・在宅介護支援センター事業
8月15日 「釜ヶ崎越冬小史」第1回から第23回まで1-23第1PDF/1-23第2PDF/1-23第3PDF)刊
1995年8月15日発行。発行者:逃亡者こと内田(第1は前史から第7回、第2は第8回から第15回、第3は第16回から第23回まで。)
10月18日 藤本さん事件
(野宿していた藤本彰男さんが戎橋の上から道頓堀川に投げ込まれ殺される)
10月 野宿者と釜ヶ崎労働者の人権を守る会
(「釜ケ崎差別と闘う連絡会」から「野宿者と釜ケ崎労働者の人権を守る会」へ)
12月27日 「寄せ場」被災地で急増  朝日新聞・夕刊
神戸市の被災地で、仕事を求めて日雇い労働者が集まる「寄せ場」が急増している。阪神大震災の復興事業が本格化し、ガレキ処理や家屋解体などの建設現場で、日雇い労働者の需要が増えているためだ。労働者を不法にあっせんする「手配師」が暗躍しているとの指摘もあり、兵庫県は実態調査に乗り出した。/記録的な大雪となった26日朝、神戸市兵庫区の「新開地」に近いJR神戸線のガード下に、50人ほどの労働者が集まってきた。午前6時、気温は0.8度。雪が舞う中、手配師の指示に従って、業者名が書かれたワゴン車に乗り込み始めた。−午前6時半に来たイラン人の男性(35)も仕事にあぶれ、労働者の手配を終えてカップ酒を飲んでいた手配師と雑談していた。テヘランに妻を残して5年前に来日し、今年3月まで栃木県宇都宮市で働いていたが、不況で仕事が少なくなったため、神戸に来た。−/新開地は周辺に簡易宿泊所が多く、以前から有名な寄せ場だった。常に6〜70人が集まっていたが、震災後には200人前後が来るようになった。−/関係者によると、震災前まであった寄せ場は、このほかにJR神戸駅前と中央区・生田川公園の2カ所。震災後、兵庫区・湊川公園やJR兵庫駅前、中央区・東遊園地など数カ所が加わった。震災直後から3月ごろまでは主に大阪市西成区のあいりん地区(釜ヶ崎一帯)で労働者を集めていたが、4月以降、震災で勤め先が被災し、失業状態の労働者が増えた神戸市に拠点を移したという。/日雇い労働者の日給は1万2千〜1万5千円。一方、下請け業者には労働者一人当たり1万5千〜1万7千円が元請け会社から支払われる。2千〜3千円の差額の内千円前後が手配師に支払わられ、残りは下請け業者が食事代や交通費などの名目で取るという。/職業安定法は、日雇い労働者のあっせんを有料で行うことを禁じている。建設会社の名刺を持ち、同法違反で何度か摘発されたという手配師(33)は「必要な人数の増減が激しい建設業界では、日雇いでないとコストがかかり過ぎる」と話す。
仕事量変化と市更相相談件数・人口等の推移
注:「仕事」=西成労働福祉センター把握求人数。「相談」=市立更生相談所受付相談件数。「人口」=国勢調査による地区内人口。「大阪市」=大阪市建設雇用男子の数。「西成」=西成区建設雇用男子の数
 1975年と1990年を比較すると、仕事量は1,55,1652人分増加しています。仕事量が大きく伸びていますので、相談数は、4,463 件減少しています。増加率は、511.7%で、減少率は16.2%です。地区人口の増加率は、16.6%、大阪市の増加率は、13.8 %、西成区の増加率は、114.9%(地区人口はすべて建設業男子の数字ではないのですが、95年までは生活保護世帯もそう急増していないので、今はこの数字で比較します。地区建設業雇用は1990 年14,559人、1995年10,035人。減少幅は、西成区と同じ)。バブル期の仕事増に対応して、地区人口も増えているのですが、あいりん地域外の西成区で仕事増に対応したと考えるのが妥当なようです。
 バブル後の変化が重要です。仕事は減少し、相談件数も減少します。地区人口も減少しほぼ1975年の数字に近くなります。西成区建設雇用者男子も減少しますが、 1975年の数字よりは高いままです。大阪市建設雇用者男子は1990年よりも増加しています。
 大阪市建設雇用者男子は、1990年では、西成区で増加した建設雇用者男子にほぼ見合う数字が増加したにすぎません。大阪市の増は西成区の増の反映と理解されます。しかし、 1995年には、西成区で減少しているにもかかわらず、大阪市では増加しています。これは、あいりん地区で把握される仕事量が落ちているにもかかわらず、西成区以外の区では建設雇用者男子が増加していることを示します。西成区の減少数は 4,152人です(地区人口の減少は3,102人)が、大阪市の増加は、1,785人ですから、単純に「西成区の簡宿・アパートから、他区の飯場への移動」では説明できない現象のように思えます。
 バブル後の仕事減少期に、西成区の簡宿・アパートから、中高年の日雇労働者が路上に押し出されたが、それは、仕事量の減少の要因のほかに、西成区外での建設産業への新規参入労働力によって加速されたと見ることもできます。
1996年以降の市更相相談数の異変、地区人口の安定と微増は、あいりんの福祉体制に親和性を持つ層が地区外に増え、困窮時にあいりん地区を頼るようになったことが一つの要因ではなかろうか、と推測することもできるように思えます。
大阪市越年対策
越年対策=7年12月29日〜8年1月8日(10泊11日)、1,517人収容(延べ15,603人、巡回相談分2,997人を含む)、収容施設(大阪自彊館12/29午前0時現在242人・南港1,245人)、

1996(平成8)年

7月1日 病原性大腸菌O157による集団食中毒発生
2月15日 別冊フレンド事件
=本校(大阪市立鶴見橋中学)での取り組みの発端は2月15日だった。偶然、日曜日に買った漫画に許せないことが書いてあると、3年生の女子生徒2人が「別冊フレンド」を持って訴えてきた。 「注」に書かれた「大阪の地名 気の弱い人は近づかないほうが無難なトコロ」。子ども達はこのことばに怒り
3月18日 救護施設定員オーバーの事態
「救護施設につきましては定員1,210名のところに1,486ということで、定員数を現員がオーバーいたしております」【平成8年3月定例会常任委員会(民生保健・通常予算) -03月18日】
4月30日 復刊自彊館だより 第9号 生活ケアセンターの巡回相談事業
生活ケアセンターでは野宿する人に対して、夜間巡回相談と昼間巡回相談を行っています。
 夜間巡回相談は毎週月・水・土曜日の3回、午後9時から三徳寮の宿直者4名と本館から応援職員1名の計5名で実施しています。巡回者3名が巡回コースを回り、野宿している人に声をかけ、保護が必要と判断され本人が希望すれば、車で三徳寮に来てもらいます。/その日は入浴、食事の後就寝してもらいます。翌日に面接を行い、3日目の朝、大阪市立更生相談所に相談に行きます。/昼間巡回相談は、夜間巡回相談のない火・木・金曜日の午後3時から実施しています。昼間は夜間に比べて寝ている人も保護を必要とする人も少ないです。/巡回相談によってできるだけ多くの人を保護したいが、大阪市立更生相談所での相談を拒否する人もいるので、より広範な野宿者対策としてはシェルターのような施設の設置が望まれます。
6月 連合大阪 あいりん地区問題プロジェクト
7月1日 復刊自彊館だより 第10号 三徳寮の付帯事業
三徳寮の建物の前身は「大阪市立愛隣小・中学校」で、現在は「あいりんこども教室」が併設され、学校が終わると沢山の子供が遊びに来ています。同じエリアに地域の「集会所」「老人憩いの家」があり、同様に委託を受けて管理を行っています。
 ほかにもいくつかの付帯事業を行っていますが、施設が地区の真ん中にあるということから「生活ケアセンター」や「地区巡回相談」を重要な事業として、取り組んでいます。−
 あいりん地区の労働者には近くにゆっくりとくつろげる場所や、文化的な施設がありません。このため市から委託を受けて「新今宮文庫」という図書室を運営しています。ここは約6000冊の図書を置き、貸し出しと閲覧を行っていますが、一日平均200名ほどの労働者が利用されています。
 また施設の一部を談話室として開放しています。ここも一日中利用者の出入りが絶えません。中でも雨の日や真夏、真冬の利用者は一日平均500人を超えます。労働者の憩いの場を地区内に公的に設置されることが望まれます。
 地区内の労働者は高齢化しているといわれますが、たとえ仕事がたくさん出ても、高齢者にはなかなか回ってきません。このため55歳以上の高齢者を対象に「あいりん生活道路清掃事業」を西成愛隣会から受託し、事業所として毎日20名の方のお世話をしています。
7月17日 大阪自彊館 今津町に救護施設「角川ヴィラ」開設
大阪自彊館においては11番目の施設、救護施設としては7番目、湖西地区での3番目。「あいりん」における急速な高齢化と救護対象者の増加に対応することを目的として開設されました。入居者数は9月早々に定員の200名に達しています。−
 建築にあたっては「施設」を作るのではなく、「生活の場」、つまり200人が住む「街」を創ろうと、2・3・4階のフロアー単位に、サービスが独立して提供できる設備機能(食堂・風呂等)を持たせました。/そして、各フロアーを日常生活の単位として3ブロックが町内会的な役割を果たすことをイメージしています。したがって住居表示も○○通り○丁目○番地というサイン・呼び方になり、○号室という呼び方はなくなりました。(復刊自彊館だより・第11号)。
8月 第1回釜ヶ崎フォーラム「ストップ・ザ・路上死
(「野宿者と釜ケ崎労働者の人権を守る会」)
10月 大阪自彊館 メゾン リベルテ ボランティアグループ「コスモスの会」発足
特別養護老人ホーム施設外からの入居者向けのボランティア活動。喫茶・園芸・手芸等のグループがある。
10月 釜ヶ崎の日雇労働者と野宿者への労働・生活実態調査
(「野宿者と釜ケ崎労働者の人権を守る会」)
大阪市越年対策
越年対策=8年12月29日〜9年1月7日(9泊10日)、1,591人収容(延べ15,160人、巡回相談分2,862人を含む)、収容施設(大阪自彊館12/29午前0時現在242人・南港1,074人・自彊館本館245人・みなと寮12/29午前0時現在130人)、

1997(平成9)年

4月1日 消費税5%に引き上げ
「1997年の時に、大変な、多くの問題が発生しました。我のホテル、そして約2万室あった簡易宿所では、餓死とか、自殺とか、ホームレスになる方がたくさん出てきました。(簡宿組合50年史)
2月25日 衆議院予算委員会議事録 18号
あいりん 覚醒剤
3月3日 衆議院予算委員会第四分科会議事録 1号
日雇い健康保険 あいりん
3月18日 シンポジュウム「あいりんの高齢化問題を考える
午後2時から4時まで西成区民センターで
4月 たぞえ診療所開設
大阪自彊館診療所の精神科医田添医師が岸里で診療所開設
4月 野宿者ネットワーク発足
5月26日 反失連 府庁前大阪城公園で1週間野営闘争
アルジェリアテント3張り、その周辺にゴザと毛布で野営。毎夜400人を超える。府は緊急対策として「特掃」300万円上積み、市は年間通じて休日明け6名増員と霞町再開発ビルせの清掃要員3名分確保。府市の共同責任(府場所提供・市乾パン・毛布)でセンターの夜間開放。
炊き出し(5月30日分の事例)朝 金とき 570食 昼 ゲキカラ丼 560食 夕 カレー丼 585食 (釜ヶ崎と連帯する皆さんへ・報告その8)
6月 反失連、臨泊実施までセンター寄場の夜間開放
行政にとっては初めて6.6-7.31。大阪市は緊急避難物資であるカンパンを、当初一日800食の予定で支給を開始したが、現在は一日1,200食の予定となっている。管理運営は反失連。(三角公園で週三回行われている炊き出し、6月16日1,092食、18日1,750食、21日2,311食と増加)
9月 釜ヶ崎居住懇発足
10月 第2回釜ヶ崎フォーラム「今、釜ヶ崎に必要なもの
(「野宿者と釜ケ崎労働者の人権を守る会」)
11月 反失連、府庁前で11.25〜28日まで座り込み要求行動
府庁前野営から、センター3階野営に
12月4日 センター夜間開放求め 300人座り込み 朝日新聞
−労働者と支援者でつくる「釜ヶ崎反失業連絡会」は3日、地区内の「あいりん総合センター」で、センターの夜間開放などを大阪府に求める座り込みを始めた。センター2階に労働者ら約300人が集まり、徹夜で交渉する、としている。これに対し、大阪府は地元住民の合意が得られず認められない」としている。
深夜、柵越しの折衝。
12月6日 モチ代支給日 反失連一時フロアーから退去
12月20日 正式にセンター夜間開放が認められ、一階フローアに移る
12月18日に大阪府労働部が西成労働福祉センターを通して発表コメントは、
「あいりん労働福祉センターの夜間開放については、これまで、センター本来の設置目的である就労斡旋の昨日が損なわれることや、施設の管理運営上からも支障が生じるおそれがあること、また、地域住民に多大な迷惑をかけることなどから、要望に応じることは困難と回答して参りました。
しかしながら、あいりん労働福祉センターの現状は、これ以上放置しておくことが許されない状況となっております。
また、地域関係者や多くの府民から早期解決を求める意見が寄せられており、さらに、地域住民も一定の理解を示されるに至ったことなどから、夜間開放に向け、代表者と協議を行いたいと存じます。つきましては、明日、午後1時に代表者の方が、府労働部までおこしください。』
(期間は、臨泊期間中を除き2月1日午前5時まで)
12月29日 臨泊受付整理券異例の未明配布
▲前日夜から市更相周辺に多数が臨泊受け付け待ちに集まり、周辺住民から「不穏・寝られない」の苦情で、異例の整理券配布前倒し、時計は午前3時40分をさしている。
12月31日 えつとう祭・年越しそば
▲三角公園でのえっとう祭。中央横一列に見えるのは仮眠小屋の屋根に張られたブルーシート医療センター軒下だけでは対応できず。
大阪市越年対策
越年対策=9年12月29日〜10年1月16日(18泊19日)、2,403人収容(延べ30,852人、巡回相談分2,263人を含む)、収容施設(大阪自彊館12/29午前0時現在76人・南港2,214人・みなと寮12/29午前0時現在90人)、
97末〜98始 西成公園問題

1998(平成10)年

野宿生活者急増、それでもなおセンターには人が・・・
▲1998年1月5日センター3階の様子。奥に赤い数字らしきものがかすかに見えるところが「アブレ手当」の支給窓口(あいりん職安)。この瞬間に何人いるか数えきれませんが、5千人以上は確実。
前後3年間の年度末有効求職者数(あいりん職安発行手帳の数)
1997年度 15,032。 1998年度 14,257。 1999年度 13,932。 1999年度末の手帳所持者平均年齢は54.4歳。
日雇労働者福利厚生費(モチ代、そうめん代)支給状況
1997年  夏 13,725人(一人16,900円)。     冬 13,744人(18,400円)。
1998年  夏 13,494人(一人16,900円)。     冬 13,235人(18,400円)。
1998年  夏 12,810人(一人16,900円)。     冬 12,648人(18,400円)。
(西成労働福祉センター事業の報告・第38号)。
病院から居宅保護へ移行時、敷金支給開始
▲市更相業務統計集より作成。「緊急入院保護業務センター」は、救急車とうで入院し、生活保護法の適用を受けるものを集中管理する部署。
1月9日 大阪駅JR神戸線5.6番ホームの東出入り口階段の通路壁面に、差別はり紙
利用客が発見し、駅職員に通報した。
はり紙はたて18.2p、よこ25.7pの用紙に、黒マジックで書かれていた。
文面は「1月8日に堺市で起きた通り魔事件で逮捕された19歳の少年はオウム真理教信者であり、第2の酒鬼薔薇聖斗であり、O−157 感染者であり、西成出身の部落民です。もし、部落民(エタ・四つ)・朝鮮人や、オーム信者や、西成の人々や、浮浪者やエイズ感染者や、同性愛者や、暴力団の方々や、非行少年、凶悪犯罪者を見かけたら、銃で撃ち殺してやりましょう。」とあり「江頭2:50&金田一少年+学級王ヤマザキ」と2行に分かち書きされていた。
1月31日 前年末からのセンター夜間開放一旦修了
臨泊期に中断、1月7日から3階座り込み闘争に、1月12日から夜間開放再開していた。
2月 「あいりん地域の中長期的なあり方」 刊
あいりん総合対策検討委員会(学者・地元精通者・労働団体代表・府市の行政関係者と専門委員で検討委員会を構成)
2月 連合のホームレス問題シンポジュウム
3月 あいりん地域の中長期的なあり方「あいりん対策総合対策検討委員会」
学者・連合・大阪府・市が参加して検討、まとめる
3月19日 衆議院予算委員会第三分科会議事録 1号
あいりん 覚醒剤
4月 さつき・つつじ会
4月23日 衆議院行政改革に関する特別委員会議事録 6号
あいりん 労働 機関委任事務廃止
5月 大阪市野宿生活者問題検討連絡会設置
5月9日夜 釜ヶ崎反失業連絡会が行った野宿者数調査結果
釜ヶ崎周辺(西成・浪速・天王寺・阿倍野)だけで3,422人を確認野宿者ネットワークが軸に調査。
5月末頃から 赤痢患者発生
5月〜7月 52名(大阪社会医療センター創立40周年記念誌)
6月1日 反失連 府庁前野営闘争(9日まで)
現地の炊き出し最大時700名
6月 センター夜間開放(6月9日〜7月31日まで)
府ー場所提供。市ー乾パン・災害用備蓄水缶詰、毛布千枚。5日目雨乾パン1,771名、泊まり1,038名。
8月3日 反失連 市庁前野営闘争(7日まで)
400名連日泊まり込みで朝昼2回の交渉。4日目豪雨全員びしょ濡れ臨時ケアセンター、特捜人員の2ヶ月間10人増員。乾パン・水の至急8月末まで延長。来年度より特掃地区外作業も想定。
8月 第27回 釜ヶ崎夏祭り
。前夜祭で赤痢について報告する総合医療センター院長
8月17日から9月27日まで 三徳寮臨時生活ケアセンター
▲反失連が整理券配布                                   ▲三徳内臨時ケアセンターへ引率
。臨時ケアセンター。現在娯楽室。
1回45名、2泊3日。8月期定員855名。
定員数は855名であったが、反失連受付終了後、三徳寮の受付けに間に合わなかったものが2名あり、実際の利用者は853名となった。 利用者853名の内訳は、1回のみ利用が619名、2回利用が114名、3回利用は2名であった。よって実人員は735名である(年齢区分と2人合わないが、そのまま紹介)。
年齢区分
20−24 1
25−29 2
30−34 8
35−39 9
40−44 42
45−49 103
50−54 142
55−59 178
60−64 197
65−69 52
70−74 3
総計 737
8月20日 大阪市における野宿者概数・概況調査(大阪市内8,660人)−8月24日朝まで
夜間調査=20日夜−24日朝延べ469人が参加昼間調査25日〜28日延べ289人が参加
10月 高齢者就労の枠拡大
10月 2回目の赤痢流行
10月〜翌年3月 104名(大阪社会医療センター40周年記念誌)
10月5日 反失連 市庁前野営闘争(17日まで)
11日御堂筋パレード、14日台風接近。16日風雨の中交渉。即時撤収を条件に、特掃の一時的増員・臨時ケアセンターの延長、乾パン支給11月1ヶ月、空き地の提供。17日雨の中撤収作業。この日の朝5時ごろ、参加していた労働者1名死亡。
10月7日 厚生省、東京都・新宿区・横浜市・川崎市・名古屋市・大阪市から野宿生活者の現状を聴く
10月26日から11月27日まで 第2回三徳寮臨時生活ケアセンター
1回45名、2泊3日。11月期定員675名。
定員数は675名であったが、反失連受付終了後、三徳寮の受付けに間に合わなかったものが2名、赤痢感染者が3名あり、実際の利用者は670名となった。利用者670名の内訳は、1回のみ利用が620名、2回利用が50名である(年齢集計と1回のみ人数が5名合わないがそのまま紹介。)
年齢階層
30-34 4
35-39 7
40-44 31
45-49 77
50-54 102
55-59 180
60-64 167
65-69 53
70-74 4
総計 625
11月 第3回釜ヶ崎フォーラム−「まちづくり」とは
11月 市大調査発表
11月30日 日雇労働者・野宿生活者問題の現状と連合大阪の課題
連合大阪 あいりん地区問題研究会 研究会報告 刊
11月 反失連、三徳寮横にテント設置。
(900平方メートルの野営地を大阪市が提供。11月5日から利用開始。朝5時起床。毎日夕6時、乾パン支給時に整理券配布。現在萩之茶屋夜間宿所)
▲大テント内部足場組−1階と2階床。                   ▲大テント2階
▲大テント利用中。                              ▲阪神淡路大震災の時に活躍したアルジェリアテントの再利用
一組の蒲団に一人の計算で=大テント1階119名、2階92名。アルジェリアテント30名。合計241名。最大310名。
11月2日 小渕首相、大阪府知事・大阪市長と懇談
小渕首相、非公式に釜ヶ崎視察。磯村市長、小渕首相に野宿生活者対策への国予算を直訴
11月5日 衆議院決算行政監視委員会が釜ヶ崎視察
11月9日 野宿者増大と生活保護の考え方
 市内野宿者の概数が8,660人と把握され、野宿生活者の間で赤痢が流行った1998年11月の市会で、「緊急事態だから簡宿での居宅保護を開始したら」の問いかけに対し、
 「ドヤを利用しての生活保護ということでございますが、現在のところ、確かに横浜市ではドヤ保護をやっているというふうなことでございますが、大阪市の従来からの方針は野宿生活、あるいは緊急に保護を要する方につきましては、施設をあっせんして、まず施設で保護をすると。その施設で何カ月か生活経験を経ました後、居宅保護にもっていくと、そのような方針でやっているところでございます。今後もそのような形での方法が適正な保護ではないかと。横浜市の場合は施設保護ではなくて、そういったドヤ保護を中心にやっている、施設整備はほとんどできておりません。」
  「収容できない方たちに対する医療の保障だけではなくて、デイケアーの問題もいろいろございます。私どもは現在、三徳寮というところで生活ケアセンターというのを実施しております。現在のところ、約 100名程度を2泊3日、あるいは場合によっては1週間、さらには2週間程度を目途といたしまして、病弱者、高齢者を中心にケアをやって、いわゆるリフレッシュをしていただいて、また働きに行くなり、また別の方法を考えていただくなり、そのような形で対応しているところでございます。【 1998(平成10年)11・12月定例会常任委員会(民生保健)-11月09日−01号 】
11月9日 「あいりん地区」でなく「あいりん地域」
 大阪市会記録によれば、西成区選出柳本豊委員の発言に「あいりん地区と言われますけども、これはあいりん地区とは申しません。あいりん問題、あいりん対策、あるいはあいりん地域、こういうような表現をいたしておりまして、民生局におきましてもそういうような表現を以前からお願いいたしております。」とあり、平成6年頃から言葉の言い換えを主張したと考えられます。 【平成10年11・12月定例会常任委員会(民生保健)-11月09日−01号】
 柳本市会議員の主張により、少なくとも理事者側では「あいりん地区」を使わなくなったということがうかがわれますが、 1966(昭和41)年6月当時からそうであったわけではありません。
大阪市会の議会記録では、1993(平成5)年まで質問者の発言や理事側答弁に「あいりん地区」が見えます。
11月18日 衆議院労働委員会委員が釜ヶ崎を視察
11月25日 政府、「緊急日雇労働者多数雇用奨励金」「中高年労働移動支援特別助成金」制度新設
12月1日 衆議院決算行政監視委員会議事録 1号
視察報告
12月3日 衆議院財政構造改革に関する特別委員会議事録 4号
大阪ホームレス事情 あいりん
12月9日 厚生省で、5省庁(労働・厚生・建設・自治・警察庁)による各府県・都市の野宿者対策ヒヤリング
12月10日 西成労働福祉センター労働組合、緊急避難施設などの支援策を提案した「緊急アピール」発表
12月15日 大阪自彊館本館診療室改装オープン
自彊館だより第17号
12月21日 センター夜間開放開始
始めて銀マットを使用(960枚)、センター内隅に府と覚書を交わし、毛布置き場を作る。センター900名、三徳テント310名の体制に。
12月 佐藤訴訟開始
12月 釜ケ崎居住懇が「緊急アピール: 野宿をなくし、人間居住を実現するための緊急策と抜本策」
12月28日 今宮中学校南側道路のテント強制撤去、花園公園へ移動
大阪社会医療センター 外来患者年齢構成
高齢化の傾向定着。50歳代(42.0%)、60歳代(30.8%)、40歳代(21.9%)、30歳代は平成2年の5.4%から2.5%へ減少。30歳未満は0.8%(平成2年は0.8%)。70歳以上は2.0%(平成2年は5%)。(大阪社会医療センター創立40周年記念誌)
大阪市越年対策
越年対策=10年12月29日〜11年1月7日(9泊10日)、2,844人収容(延べ23,943人、巡回相談分1,778人を含む)、収容施設(大阪自彊館12/29午前0時現在136人・南港2,656人・みなと寮12/29午前0時現在32人)、

1999(平成11)年

1月5日 簡宿理事8名、民生局立ち会いの下、南港臨時宿泊施設を見学(簡宿組合40年の歩み)
1月7日 センター夜間開放再開
1月7日〜2月28日。三徳テントも8日から利用開始。
1月23日 厚生省、結核患者対策に「直接監視下短期化学療法(DOTS)」の導入を決める
1月26日 衆議院予算委員会議事録 3号
 あいりん 白手帳 日雇い労働雇用保険被保険者手帳
2月2日 衆議院予算委員会議事録 8号
ホームレス問題
2月3日 衆議院予算委員会議事録 9号
大阪ホームレス事情 あいりん 野宿生活者/野中官房長官答弁要約「各都市の実態調査を待って、関係省庁を一体とした組織を作り、積極的な対策を講じたい、内政審議室を中心にして考えたい」
2月5日 小渕首相、閣議懇談会で、ホームレス問題総合対策の検討を指示
2月9日 衆議院安全保障委員会議事録 2号
ガイドライン関連法案 あいりん
2月12日 国・第1回ホームレス問題連絡会議開催
総理府・5省庁・5都市6自治体
2月17日 衆議院予算委員会第四分科会議事録 1号
あいりん ホームレス 赤痢
2月24日 連合大阪主催 シンポジウム
「日雇労働者・野宿生活者問題の現状と課題−連帯社会をともに考えよう−」(後に報告書作成)
2月末  センター夜間開放終了(3月1日から市庁前野営開始−3月30日まで))
4月20日 反失連、大阪市とセンター夜間開放について合意文書を交わす
5月26日  国・「ホームレス問題に対する当面の対応策について」まとめる
野宿を余儀なくされている労働者への経済的自立援助策を求めて 釜ヶ崎反失業連絡会 1999年6月刊
6月 簡宿2000室プラン
簡宿組合「野宿生活者対策およびあいりん活性化にあたっての簡宿活用」について、大阪市民生局に陳情。8月には衆参議員会館各国会議員宛に陳情書提出。11月には大阪市長に「野宿生活者及び高齢者対策に依る簡易宿所利用」に関して陳情書提出。(簡宿組合40年の歩み)
6月 「全国更宿施設連絡協議会」の職員研修会、野宿生活者急増問題で討論。
「全国更宿施設連絡協議会」は生活保護施設関係者の組織
6月11日 政府、「緊急雇用政策」発表
「緊急地域雇用特別交付金」創設
6月19日 第1回「あいりん・わいがや会」開催 
地元団体と運動団体、オブザーバー参加の行政で開催された初めての会合
6月21日 「三徳生活ケアセンター」を170床に増床
6月23日 NPO釜ヶ崎支援機構設立総会
7月 大阪自彊館 老人居宅介護等事業「ジュネス」、開設
7月1日 大阪市野宿生活者対策推進本部設置
7月2日 大阪市、国へ野宿者対策特別立法と就労対策事業を要望
7月5日 高齢者就労事業(特掃)
大阪市が自彊館委託分に地域外草刈り作業10人枠追加、開始
7月6日 大阪府、国へ野宿者対策予算を要望
7月16日 「あいりん・わいがや会」
栃木県野木町ごみ資源化センターと関連施設の町健康センターを見学。厚生省を訪問。社会・援護局長と野宿生活者対策について懇談。(「あいりん・わいがや会」の出席者、自彊館理事長・萩之茶屋連合町会長、今宮第12町会長、今宮保護司常任理事、反失連代表、簡宿組合厚生部長ら)
7月19日 厚生省、社会・援護局に「ホームレスの自立支援に関する研究会」設置
大阪からは森田洋司(大阪市立大学文学部教授)、吉村靫生(社会福祉法人大阪自彊館理事長)が参加。
8月 大阪市野宿生活者聞き取り調査(8月5日〜9月5日)
調査参加者打合会
長居公園・大阪城公園等で聞き取り調査。聞き取り票数=672票、調査参加者延べ1,461人
8月1日 大阪自彊館野宿生活者巡回相談事業に協力
8月1日 センター改修工事始まる。
センター夜間開放は7月31日で終わる。
8月 巡回相談事業を大阪市生活保護施設連盟へ委託
8月2日 簡易宿泊所1日10人(後に5室)の野宿者無料宿泊受け入れ開始
60数軒が協力、日曜祝日、盆正月期間を除く毎日、協力店が輪番で受け入れ。西成労働福祉センターからの紹介者に限る(抽選)。(簡宿組合40年の歩み)
8月2日 自民党「簡易宿泊所密集地域対策議員連盟」あいりんなどの環境改善へ向けての議員立法案を決める
8月 第28回 釜ヶ崎夏祭り
8月25日 反失連会議に民生局中元保護課長代理出席
「センター工事にともない、寝場所提供として南職安分室敷地にテント(畳400枚)を建てている。トイレと洗面所あり。反失連で管理してもらいたい」(7月末で打ち切るはずだったセンター夜間開放が、代替寝場所の未確定のため、継続されていた。)(釜ヶ崎と連帯するみなさんへ−報告13その)
8月28日 「あいりん・わいがや会」
京大教授を招き、ゴミ資源化・雇用創出について学習会
9月5日 南職安跡地に大テント設置。利用開始
大阪市が設置、反失連が運営。約250人利用可能。開所直前台風襲来で雨漏り。
9月23日 大阪市、緊急地域雇用特別交付金活用の野宿者雇用対策を盛り込んだ補正予算案を発表
9月27日 大阪社会医療センター DOTS事業 受託。開始。
DOTS=服薬を直接確認する結核患者短期治療。(結核患者が医療センターに来所(午後2時〜4時の間)、看護士の前で薬を飲む。
9月29日 NPO釜ヶ崎支援機構大阪府知事認証
野宿者の支援を目的に6月に設立された「釜ヶ崎支援機構」が、府からNPOの認証を9月29日に受け、10月9日までに法人登記も完了した。/法人格が確立したことで、大阪市が緊急地域雇用特別交付金を利用して拡大する野宿労働者向け特別就労事業(道路清掃など)の委託を11月から受ける見込み。市はあいりん地区以外の作業も加え、1日に出す仕事を現在より105人増やして150人規模にする。(10月10日読売新聞)
10月 第1回釜ヶ崎のまち再生フォーラム
釜ヶ崎居住COM主催
11月1日 NPO釜ヶ崎 就労事業開始
政府の緊急地域雇用特別交付金(大阪市分)高齢者就労の拡大部分。自彊館受託の地域内道路清掃、地域外草刈りに、NPO釜ヶ崎支援機構受託分(NPO道路、地域外ペンキ、地域外各区作業、バス停清掃が増えた。府は11月4日から「センター就労機能回復事業」と従前の大阪環境委託のセンター内清掃)
11月16日 衆議院環境委員会議事録 2号
あいりん 釜ヶ崎
12月 連合大阪「野宿生活者問題シンポジウム」
簡宿組合、「ドヤ」という表記には差別的意味合いが多分に含まれるとして、「簡易宿所」に変更の請願書を報道機関24団体や官公庁等に送付。(簡宿組合40年の歩み)
大阪市越年対策
越年対策=11年12月29日〜12年1月7日(9泊10日)、2,645人収容(延べ22,219人、巡回相談分1,749人を含む)、収容施設(大阪自彊館12/29午前0時現在121人・南港2,489人・みなと寮12/29午前0時現在17人)、