一、山谷・釜ヶ崎事件史年表ーその1)1959〜1961
(□印は東京・山谷事件関係を示す)
年・月・日        事件内容・対策・その他      参考
1959年(昭34)
1959年                              岩戸景気。      
1959年4月          東京・渋谷署、タコ部屋摘発。      東京都下のスラム
              (都下一八、九〇〇の建設工事々    は、二七三地区〜
              務所、二五万人の建設労働者)。    約二万世帯。    
1959年7月          大阪西成署、売春暴力団に対し              
              「特別取締隊」設置。                      
              大阪市立西成市民館に「学童保育            
              会」スタート。                            
1959年8月          大阪社会学研究会(昭和三十三年    簡易宿泊所につい
              四月発足)「第一次釜ケ崎実態調    て。            
              査」。                            東京〜六二三。  
                                横浜〜六六。    
                                川崎〜五五。    
                                大阪〜一五六。  
1959年8月22日        □第一次山谷騒動。                        
              □交番襲撃・パトカー袋たたき。            
1959年11月1日        大阪西成署に全国初の「臓品捜査            
              係」設置。                                
1960年(昭35)
1960年                              労働力不足の時代
                                へ。            
                                六〇年安保。    
1960年1月1日        □第二次山谷騒動。                        
              交番に投石〜五〇〇名。                    
              (後にマンモス交番建設)。                
1960年2月8日〜20日     大阪社会学研究会「大阪市西成区            
              福祉地区実態調査」。                      
1960年2月9日        朝日新聞大阪本社。                        
              柴田俊治記者、釜ケ崎に住み「大            
              阪のどん底・釜ケ崎」レポートで            
              暴動を予測。                              
1960年4月          □山谷「友の会」発足。                    
1960年6月          釜ケ崎の暴力団手配師「山田組」            
              勢力を拡大し、一名につき二〇〇            
              円の斡旋料を取る。                        
1960年7月20日        □山谷宿泊所組合、一斉値上。      七月一九日。    
                                池田内閣発足。  
1960年7月26日        □第三次山谷騒動。                        
              交番に投石〜一、〇〇〇名。                
1960年8月1日        □第四次山谷騒動。                        
              交番襲撃、破壊、乗用車三台全焼            
              〜三、〇〇○名。                          
1960年8月3日        □第五次山谷騒動。                        
              一、五〇〇名〜二、〇〇○名。              
1960年8月4日        □第五次山谷騒動。                        
              二、〇〇○名。                            
1960年8月5日        □一、〇〇○名。                          
              四五名逮捕。                              
1960年8月9日        □東京都、福祉センター建設を立            
              案。                                      
1960年8月12日        □東京都台東区議会及都庁が政府    釜ケ崎の暴力団。
              に要請書。                        池畑組、和田組、
                                島田組、柳川組、
                                鬼頭組、山田組、
                                山口組、成田組、
                                西川組、福田組、
                                陸野組、松田組、
                                淡熊会、佐藤会、
                                平和会、鶴和会、
                                西条会、七二会、
                                若桜会、義友会、
                                南道会、一心会、
                                泉会、勇組、誠会、
                                酒梅組、その他。
1960年8月          大阪社会学研究会「第二次釜ケ崎    釜ケ崎地区での〜
              実態調査」。                      封切館〜二三〇円、
              □山谷宿泊人対策協議会発足。      大工賃金〜一、七
                                〇〇円、銭湯大人
                                〜一九円、オデン
                                一個〜一〇円 民
                                間大手企業大卒初
                                任給一八、五〇〇
                                円、釜ケ崎〜バク
                                ダンがサイダービ
                                ン一本二五円。  
                                一日食事代二〇〇
                                〜二五〇円。    
                                釜ケ崎〜売春代  
                                (?)花三〇〇円。
                                泊り一、〇〇○〜
                                一、五〇〇円。  
1960年9月1日        □東京都・玉姫生活相談所開設。            
              大阪・西成愛隣会結成。                    
              (各種団体で組織)。                      
1960年10月          □山谷騒動の裁判対策として「山            
              谷対策協議会」発足。                      
              後の「山谷地域労働組合」である。          
              大阪・新世界浄化対策委員会発足。          
              国勢調査結果〜大阪市内一平方キ            
              ロ当り一五、○○○名、釜ケ崎は            
              六〇、○○○名と出る。                    
              国民生活白書は、年間収入二〇万            
              未満を〜低所得階層、二〇〜四〇            
              万を〜中所得階層、四〇万以上を            
              高所得階層と規定。                        
1960年12月          釜ケ崎に於ける刑法犯〜七、五八            
              四件。                                    
              全国の建設費総額〜二兆四千億円。          
              釜ケ崎の反社会的集団として〜博            
              徒七団体二一九。                          
              的屋八団体一三八。                        
              売春麻薬六団体一七一。                    
              売春五団体七六。                          
              麻薬八団体一九八。                        
              グレン隊二六団体六二五。                  
              手配師二団体六四。                        
              ポン引き二二四。                          
              シケ張り九八。                            
              釜ケ崎の不就学児童〜七六名。              
              長欠児童-六一名。                         
1961年(昭36)
1961年5月          西成区東萩青年団発足。                    
1961年7月          釜ケ崎仲よし子供会誕生。          釜ケ崎簡易宿泊所
                                〜一七五軒中無許
                                可四九。        
                                一泊一〇〇円〜一
                                五三軒、八○円〜
                                二〇軒、五〇円〜
                                二軒。          
                                西成署、釜ケ崎の
                                暴力団検挙〜七〇
                                三件。          
1961年7月30日        西成区宿屋組合、一斉値上。                
1961年8月1日        ★第一次釜ケ崎集団暴力事件。              
              (わいらかて人間やで〃)。                
1961年8月1日21時5分    日雇労働者「柳田豊造」(六二才)          
              の交通事故処理でトラブル。                
1961年8月1日21時50分    八○○名に。                              
1961年8月1日22時5分    西成署東田町派出所に投石。                
1961年8月2日0時0分    西成署に警備本部設置。            茂木草介〜テレビ・
                                ドラマ「釜ケ崎」
                                で芸術祭賞。    
1961年8月2日0時30分    市内全署に非常召集令。                    
              タクシーに放火・投石、一、〇〇            
              ○名。                                    
1961年8月2日1時45分    警察官集中暴行を受け、威嚇発砲。          
1961年8月2日2時0分    大阪府警本部「西成集団暴力事件            
              特別警備本部」開設。                      
1961年8月2日2時35分    東田町派出所炎上の為、脱出警察            
              官威嚇発砲。                              
              二、〇〇○名。                            
              パトカー、警備車に投石、消防車            
              炎上。                                    
1961年8月2日2時40分    大阪府警々備部長、課長と共に西            
              成署で指揮。                              
1961年8月2日2時55分    西成署へ集中的に投石、三、五〇            
              〇名。                                    
              パトカー、鑑識車炎上。                    
1961年8月2日3時40分    催涙ガス弾使用。                          
1961年8月2日6時0分    一応平穏。                                
              警察官二、九四九名。                      
              最高検・釜ケ崎事件に「騒乱罪の            
              適用」を検討。                            
1961年8月2日19時30分    釜ケ崎各所で蝟集、投石。                  
1961年8月2日20時15分    阪堺線・今池線へ投石一、五〇〇    八月のある夕食〜
              名。                              バクダン四合六〇
              西成署へ投石一、〇〇○名。        円、おかず四品五
                                〇円、めし二〇円。
1961年8月2日22時20分    警察の実力行使で催涙ガス弾使用、  一九六一年の釜ケ
              検挙。                            崎反社会的集団と
              二、〇〇〇名。                    して、博徒十六団
              深夜一八個中隊で警備。            体〜二八九。    
                                的屋九団体〜九九。
                                売春暴力団二四団
                                体〜四三七。    
                                グレン隊四〇団体
                                〜七四五。      
                                その他十二団体〜
                                一四二。        
1961年8月3日0時5分    西成署への投石苛烈を極める。              
              警察官実力行使。                          
1961年8月3日0時25分    暴力団山口組、鬼頭組々員三六名            
              を「持兇器集合罪で検挙」。                
1961年8月3日1時0分    暴力団山口組事務所へ投石、組員            
              と対時。                                  
              一、五〇〇名。                            
1961年8月3日2時0分    暴力団山田組・鬼頭組・梅田組・            
              酒梅組・松田組が「自警団」を組            
              織。                                      
1961年8月3日3時6分    自警暴力団員を大量検挙。                  
1961年8月3日3時30分    霞町交差点に一、五〇〇名。                
1961年8月3日        大阪国際ホテルで「知事・市長・    大阪国際ホテル会
              府警本部長」会議。                議の結果、(1)
              警察官動員六、四七一名。          旧住吉街道を四〇
              八月三日夜は比較的平穏。          〇メートル舗装、
                                街燈三十基作る  
                                (2)愛隣会館の
                                新築。          
                                (3)低所得階層
                                向け住宅を作る。
1961年8月4日        府・市・府警本部による「釜ケ崎            
              対策連絡協議会」発足。                    
              大阪府公安委員会「大阪府公安委            
              員会公告」を発表。                        
              大阪市民生局長「釜ケ崎に低家賃            
              住宅を作る」と。                          
              大阪府知事「血のかよったキメ細            
              い政治をする」と。                        
1961年8月4日19時30分    西成署へ投石一、〇〇○名。                
1961年8月4日20時10分    阪堺線今池駅へ投石八○○名。              
              西成署周辺に投石一、〇〇○名。            
1961年8月4日21時15分    ジャンジャン街へ飛火、交通妨害            
              五〇〇名。                                
1961年8月5日0時30分    平穏。                                    
              動員警察官六、五五八名。                  
              (近畿管区警察学校生・京都府警・          
              兵庫県警・大阪府警察学校生)。            
              最高検「田中刑事部長」視察。              
              五日夜、警察官六、二〇二名で厳            
              戒体制のため平穏。                        
1961年8月6日        京都府警・兵庫県警の応援要請中    八月ドヤ賃五〇円
              止五、五七五名で警備。            が十二月八○円に。
1961年8月7日        近畿管区警察学校・大阪府警察学            
              校の応援要請中止。                        
              五、一七八名で警備。                      
1961年8月9日        大阪府警察本部「長期警備体制計            
              画」を発表。                              
1961年8月10日        釜ケ崎対策で「労働行政〜大阪府、  旧飛田遊廓(昭和
              民生行政〜大阪市」と協議。        三三年)二〇三軒
              来阪の池田総理「釜ケ崎は先ず環    〜一、六〇〇名。
              境浄化から」と発言。              現在は割享料理屋
                                一三四軒。      
1961年8月11日        大阪府警「西成対策推進本都」設            
              置。                                      
1961年8月15日        大阪社会学研究会「浪速区恵美須    西成署(三五〜三
              地区バラック街の実態調査」。      六年八月末日)売
                                春一、〇四七件。
                                麻薬一七二件。  
                                行旅病人四〇九名。
1961年8月20日        早朝の釜ケ崎で「グレン隊と暴力            
              団が乱闘」二名死亡。                      
1961年8月21日        大坂地検捜査本部「第一次分とし            
              て六三名を起訴」。                        
1961年8月30日        寒川大阪府労働部長「労働省へ要            
              望書」提出。                              
1961年8月31日        第一次釜ケ崎事件で、二〇八名逮            
              捕〜一一二名起訴。                        
              一ケ月間で動員警察官、延八八、            
              四七六名、直接の警察費用〜約一            
              億三千万円。                              
1961年9月1日        警察官一、七〇〇名の警備で「大    西成分室〜港湾三
              阪府労働部西成分室(郡昇作室      〇、建設一四○、
              長)」開設。                      運輸二〇、その他
              (以下西成分室と略す)。          四〇社の求人業者。
              西成署に「防犯相談コーナー(七            
              名)」開設。                              
              西成分室の賃金安いと、三〇〇名            
              大阪府庁へ抗議。                          
1961年9月16日        第二室戸台風で、日雇仕事少なく、  西成分室斡旋賃金
              西成分室前で八○○名深夜まで騒    〜定時土工九四〇
              ぐ。                              円、運輸九六〇円、
                                港湾九三〇円。  
                                オールナイト土工
                                一、九〇〇円、運
                                輸二、一三三円、
                                港湾一、七八四円。
                                飯場〜定時平均九
                                〇〇円、飯代二〇
                                〇円。          
1961年9月17日        全日本自由労働組合「釜ケ崎分会」          
              結成。                                    
              (以下全日自労と略す)。                  
              釜ケ崎分会員、西成区役所へ「仕            
              事よこせ」と三〇〇名。                    
1961年10月1日        西成保健所分室開設。                      
              大阪府労働部「日雇労働者転職促            
              進訓練事業」発足。                        
              (期間六ケ月、1----五一〇円支            
              給、就職決定時に二万円)。                
              建設物価調査会「大工一、三二〇            
              円、雑役八○○円」と発表。                
1961年10月6日        大阪府労働部「日雇労働者対策に            
              ついて」各職安へ通達。                    
1961年10月9日        政府・次官会議(厚生・建設・労    西成署調査〜古物
              働・文部)でスラム総合対策の基    商八一六、金属ク
              本方針を決定。                    ズ行商二一三、質
                                屋三六、風俗営業
                                二〇五、飲食店四
                                一二、めしや八七、
                                お好み焼屋二八、
                                喫茶店六二、すし
                                屋二七、カフェー
                                一七、ホルモン屋
                                一四、マージャン
                                屋一〇、パチンコ
                                店四、小料理屋二、
                                小カフェー二、ス
                                マートボール一。
1961年11月          大阪港周辺「港湾専門飯場一五七            
              〜二、二五〇名」(西成分室調              
              査)。                                    
1961年11月13日        「衆議院社会労働常任委員」視察。          
1961年11月16日        西成分室周辺に再び「暴力手配師            
              が横行」。                                
1961年11月17日        西成分室職員「職員組合」を結成。          
              (総評全国一般)。                        
1961年11月18日        日雇労働者が「暴力手配師を港署            
              へ告訴」。                                
1961年11月20日        全日自労釜ケ崎分会「応急宿泊所            
              設置」を要求、西成分室前で坐り            
              込み。                                    
1961年11月27日        読売新聞「波止場」シリーズを連    くず買い商〜再生
              載。                              資源行商の事。  
1961年12月          西成署防犯コーナー松原氏「詩を            
              西成分室に掲示」。                        
1961年12月3日        全日自労釜ケ崎分会「宿泊所設置」          
              を要求。                                  
1961年12月4日        同要求で西成分室前で坐り込む。            
              西成分室斡旋の賃金引き上げを要            
              求。                                      
1961年12月19日        あいりん学園仮設校舎の土地決定。          
1961年12月30日        東萩公園に「無料宿泊所用テント            
              三張」開設。                              
              管理は総評大阪地評に。                    
              (一月三日まで)。                        
              年末アブレで深夜まで不穏。                
1961年12月31日        アブレ労働者五〇名を「梅田厚生    西成署〜泥酔保護
              館」収容。                        五八一、行旅病人
              全日自労釜ケ崎分会「事務所に投    三九五、自殺二六
              石・放火」される。                三。            
              西成分室九月一日〜本日まで「一            
              二、一二〇件〜一三五、〇六四名            
              を斡旋」。                                
              全国の建設費総額「三兆二千億              
              円」。