ソシオロジ /  45 (2000-2001) 3   p. 125-131

●書評―青木 秀男

島 和博著「現代日本の野宿生活者』(学文杜) 1999年 A5版 321頁 6000
 本書は、現代日本の野宿者「問題」を、大阪及び釜ケ崎に見る野宿者の形成と存在形態の分析を通してあきらかにしている。同じ課題を追究する評者として、本書から重要な諸事実と有意義な理論的示唆を得ることができた。野宿者「問題」はそれを隠蔽する市民社会の問題であること、野宿者「問題」は野宿者の実像の分析抜きには理解できないこと、野宿者の形成は寄せ場の日雇労働者(寄せ場労働者-評者) の分析抜きには語れないこと等の、著者の基木的立場に評者も同感である。また著者らは野宿者調査を行ない、その実像を実証的にあきらかにした。著者の手堅いデータ分析と解釈に立論の確かさを窺うことができるし、その成果は野宿者「問題」研究に重要な展開を記すものとなっている。著者らは、1998年に「野宿者概数概況調査」を行ない、大阪の野宿者数と地域分布をあきらかにした。そして大阪市に8660人の野宿者がおり、釜ケ崎経由の野宿者がその55%に及ぶと指摘した(第二章)。1995年に「野宿者聞き取り調査」を行ない、日雇労働者や不安定居住者が野宿者になっていく経路を分析し、「釜ケ崎経験」と「野宿経験」に基づく野宿者類型を構成した(第四章)。1996年に「市民意識調査」を行ない、市民による野宿者「問題」の構成過程をあきらかにした(第五章)。いずれも、野宿者「問題」研究の新たな構想を誘う貴重な材料となっている。・・・以下、本書の中心論点を四点に絞り、評者の立場から補足し、論点をより鮮明にするかたちで、本書の書評としたい。
 第一に、「新しい」野宿者「問題」について。東京都の報告書『新たな都市問題と対応の方向』は、野宿者が都内に遍在するに至ったこと、マスコミが野宿者「問題」を繁く報道したため広く都民に注目されるに至ったことが、「新しい」野宿者「問題」形成の原因だとした。著者も野宿者の量的増加を強調し、社会は野宿者の存在を隠蔽できなくなったとした(第一章、ただし著者は東京都報告書の「問題」理解の立場を厳しく批判しており、評者も同感である。また野宿者「問題」は、市民の根拠のない抽象的な野宿者イメージに基づいて構成されたとした(第五章)。評者もこれらの指摘に異存ない。同時に今日の野宿者「問題」は、量的増加と顕在化、市民の抽象的イメージという要因に止まらない。まず、市民の野宿者イメージは抽象的であっても、野宿者「問題」のイメージは具体的である。なぜいま野宿者「問題」が登場したのか。長期不況のもと企業の倒産やリストラや解雇が増え、失業率が上昇し、多くの人々が階層的に下降し、社会的な逼迫感が高まった。野宿者「問題」は、そのような今日的状況における「都市下層の集約的な存在形態」(33頁)となった。すなわち野宿者「問題」は、具体的な経済環境を背景として登場した。市民は、野宿者の存在にみずからの窮乏化の極点を見、漠然たる不安に曝された。次に、野宿者「問題」の形成に作用する要因は複雑である。野宿者が市内全域に遍在化したこと、マスコミ報道が繁くなったことに止まらず、市民の野宿者襲撃や住民の野宿者排除が激しくなったこと、野宿者のシェルター・仕事獲得の社会運動が高まったこと、行政が野宿者施策を批判され、「有効な施策を模索し、実施し始めたこと等もまた、野宿者「問題」の形成に相補的に寄与した。したがってここで、さまざまな社会的主体が錯綜しつつ野宿者「問題」を構成していく過程の分析が必要となる。その場合とくにマスコミ報道と、行政の野宿者施策の(批判的)分析が決定的である。一面で、それらが野宿者「問題」を作った。1983年の横浜での野宿者殺傷事件で、野宿者は「浮浪者」であった。95年の道頓堀での野宿者殺人事件で、野宿者は「ホームレス」となった。市民・マスコミ・行政による野宿者「問題」の構成は、社会情勢に照応して具体的である。
 第二に、「新しい」野宿者について。著者が指摘する通り、野宿者は新しい存在でなく、これまでずっと存在してきた。とすればここで、野宿者の「今日的な特徴」が問題となる。その限り、今日の野宿者を「新しい」野宿者と定義していいだろう。彼らが、「新しい」野宿者「問題」の核心をなす主体となる。著者も、野宿者をめぐる今日の諸特徴を分析した(第三章)。寄せ場に日雇仕事が減ったこと、その原因は建設・土木業(建設業-評者)の不況と機械化・合理化にあること、労働力調達の様式が変わったこと、労働者が高齢化したこと、寄せ場が労働の場から窮民層の福祉・サポート資源の集積地になったこと、不安定就労層もまた野宿化しつつあること。・・・そこでこれらの特徴の上に、さらに特徴を補足し、「新しい」野宿者を定義づけると次のようになる。一つ、野宿者から日雇労働者への回帰が困難となった。それは、寄せ場に出る仕事が減ったからである。原因は二つある。①建設業で、不況のため仕事(とくに公共事業)が減り、また機械化・合理化で旦雇への需要が減った。②日雇労働力の調達方法が変わった。まず、現金仕事が減り、飯場の比重が大きくなった。そこには、飯場が大型化した、飯場が一次下請化し、手配ネットワークが全国化した、賃金を払わず、労働者を厳重監視するタコ部屋(刑務所飯場とも呼ばれる)が増えた等の事情がある。次に、駅や公園での手配が増えた。さらに、新聞や雑誌による求人が増えた。そして、手配師を経ずに就労する野宿者が増えた。二つ、野宿者の就労先が多様化した。彼らの就労先は、なお建設業を中心としながら、食品・印刷等の工場や、運送・販売等のサービス業職種への就労が増えた。そこには、建設業での仕事の減少と、サービス経済化に伴なう製造業・サービス業職種(それらは従来「都市雑業」と呼ばれたが、その中身は変わりつつある)の増加という背景がある。三つ、野宿者の社会的出自が多様化した。不安定就労者(安定就労者さえ)や若者、外国人労働者が日雇労働者になり、その一部が野宿者に参入しつつある。不況による倒産・リストラ・解雇のため野宿へ落層する安定・不安定就労者が増えた。「フリーダー」を重ねた末に野宿者になる若者が現れた。不況で製造業を解雇され、その上エスニックの友人関係が切れて野宿者になる外国人労働者が現れた。このように野宿者に、寄せ場経由の野宿者を中心としながら、寄せ場を経由しない野宿者が増えた。その相当部分は、一般社会からダイレクトに街頭に流れた人々である。したがって、彼らを寄せ場に関わらせて説明することはできない。・・・こうして、不況やサービス経済化等の経済環境、日雇労働をめぐる労働市場の変容のもと、かつての野宿者と異なる「新しい」野宿者が現れつつある。
 第三に、寄せ場労働者と野宿者の関係について。著者は、寄せ場から野宿に至る社会過程を大阪及び釜ケ崎を舞台に分析した。寄せ場労働者と野宿者の関わりが大阪及び釜ケ崎でもっとも深くクリアであるという点で、その舞台設定は妥当である。またその関わりの基本的傾向は、現代日本の経済・社会情勢にあって、多かれ少なかれ全国の都市及び寄せ場に通底するものである。ところが他方、寄せ場の歴史的な形成過程、地域の産業構造・労働市場・都市空間構造における寄せ場の位置と比重、行政による労働や居住の寄せ場施策は都市ごとに異なる。それに伴ない、寄せ場労働者と野宿者の関わりも都市ごとに異なる。その意味で、大阪及び釜ケ崎の実態をただちに「現代日本の」と一般化することはできない。例えば東京では、寄せ場は山谷を最大として高田馬場や上野等いくつかの地点に分散している(この点、名古屋の笹島も同じである)。また日雇労働市場における寄せ場の比重が、大阪の場合より小さい。行政も、山谷を縮小・解体する方向で寄せ場施策を進めてきた(大阪府市は少なくともこれまで、建設日雇の手配を釜ケ崎に囲い込む施策をとってきた)。山谷では、建設仕事を中心としながら製造業やサビス業への就労も多い(横浜の寿町では今日なお港湾日雇への就労者が多い)。 山谷では、単身者にドヤを住所とする生活保護の適用が認められている(この点、寿町も同じである)。さらに、首都圏の経済・社会の構造と機能に規定され、新宿や渋谷等のターミナルに寄せ場を経由しない大量の野宿者が現れている。外国人の野宿者も現れている。・・・これらの事情が、野宿者の形成や形態、分布に東京固有の特徴を刻印している。東京の野宿者は、1998年に4300人とカウントされた。それは大阪の約半数である。都行政は野宿者を「路上生活者」と呼ぶ。これに対して大阪市は、「野宿生活者」と呼ぶ(名古屋市は、「住所不定者」と呼ぶ)。そこには野宿者の存在形態に規定された、行政の野宿者「問題」に対する姿勢と施策の差異がある。こうして、野宿者の数・社会的出自・分布・就労内容・社会的認知・行政施策は都市ごとに異なり、野宿者「問題」の諸相も異なる。そしてその背後に、都市及び寄せ場をめぐる地域的な産業構造・労働市場・都市空間構造の差異がある。(「新しい」)野宿者「問題」の社会学的研究のためには、比較も含め、この中身にまで踏み込む必要がある。
 第四に、「野宿生活者」の概念について。著者は、もはや寄せ場の日雇仕事に回帰できず街頭に長期に留まらざるをえない野宿者を「野宿生活者」と呼んだ。そこに、寄せ場の日雇仕事に回帰していく寄せ場労働者本来の「野宿者」との差異を強調したいという意図がある。野宿者の実態からして、このような区別の必要は理解できる。評者も、前者を寄せ場の「外縁層」、後者を「基底層」と区別したことがある。ところで著者は、野宿生活者の語を、街頭に長期に留まる者という含意で用いた。他方著者は、本書の全体を通して、野宿化の経路や野宿形態を、寄せ場労働者の労働との関わりで捉えることに力点を置いた。とするならば、野宿者を「野宿労働者」と呼んではいけないのだろうか(寄せ場の運動用語とは関係なく)。それとも野宿者の場合、街頭でのしのぎ(生存)において労働と生活が時間・空間的に一体化しているという意味で「生活」なのだろうか(寄せ場労働者の場合は、労働現場が労働の場で、ドヤ街が生活の場と、両者が分離している)。つまり、労働と生活を含めて「生活」なのだろうか。いずれにせよ野宿生活者という場合、「生活」の語に、長期に街頭に留まるという意味以上の積極的な内容が示される必要がある。ただし、生身の人間である野宿者をどのように定義しようと、そこにはかならず漏れ落ちる側面が出るのであり、したがってあらゆる側面を包含する語として、最少限の定義・「野宿者」を基本概念とするという著者の選択(44)に、評者も同感なのであるが。
 最後に、著者の野宿者の社会学的研究のさらなる展開を祈念してやまない。(あおき ひでお・都市社会学研究所)

書評に応えて   島 和博

 まず最初に、青木秀男氏が拙著への丁寧かつ的確な書評の労をとられたことに対して、心から感謝いたします。きわめて個人的なことですが、今から178年前、私が初めて寄せ場(釜ヶ崎)に足を踏み入れ、その圧倒的な現実を前にして、半ば呆然の状態にあったとき、青木さん(と呼ばせてください)からさまざまの助言やはげましを受け、それにずいぶんと力づけられたことを思い出します。そしてそれが、現在までまがりなりにも寄せ場の現実と向かい合ってこれたことの、一つの大きな原動力でした。そしてもうひとつ、寄せ場の日雇労働者の労働、生活、文化そして闘い、これらの当時はほとんど注目されることのなかった諸現実に目を向け、そこから私たちの社会のありょうをあざやかに逆照射してみせた青木さんの先駆的な一連の作業(それらをまとめたものが1989年の『寄せ場労働者の生と死』ですね)が、私の「研究」の出発点でした。そして本音を言わせてもらえば、本書をまとめるにあたっては、青木さんのこれらの仕事を踏まえた上で、それをいくらかでも乗り越えること、これが私の夢(もしくは野心)ではあったのですが、実際にはそれはきわめて困難で、今でも青木さんが切り開いた問題領域の内部で右往左往している状態です。
 このように中途半端なままに留まっている私の作業の中間報告とも言うべき本書に対して、青木さんから「本書から重要な諸事実と有意義な理論的示唆を得ることができた」「その成果は野宿者『問題』研究に重要な展開を記す」といったコメントをもらったことを、赤面しつつも喜んでいます。私、が本書において意図していたところを的確にまとめてもらい、さらには私が自覚していたところ、自覚していなかったところの両方をあわせて、本書の問題点、不足点を指摘してもらい、現在も考え込んでいるところです。そのすべてに答える用意はもちろんありませんが、今考えていることを述べることで青木さんの書評に応えたいと思います。
 ①青木さんは、私が「市民の抱く野宿者イメージの抽象性を指摘しながら、そこに留まって、こうしたイメージ形成(あるいは問題構成)の背後にある諸要因の具体性を分析していないと指摘していますが、まったくそのとおりです。本書の目的が、調査データに基づいて、データから見えてくることを提示したいということにあったことは事実ですが、それにしてもそうした「抽象的なイメージ」がどのようにしてもたらされ、またそれがいかに「物質化」していくのかということについて、データ・資料に基づいて示すことができなかったことは、本書の大きな限界であろうと考えています。とりわけ、たとえば、ここ数ヶ月の長居公園における野宿者のための緊急避難施設の建設を巡る行政、地域住民、マスコミ、支援の運動団体等の「言説」をみると、「抽象的な」イメージの背後に具体的な「社会情勢」や問題構成を巡る錯綜した関係とコンフリクトが潜んでいることがわかります。今後、野宿者「問題」構成の具体的過程をより詳細に分析してみたいと考えています。
 ②私が野宿者「問題」の「新しさ」について疑問を呈したことに対して、青木さんは「かつての野宿者と異なる『新しい』野宿者が現れつつある」のではないかと指摘していますが、これについては正直なところ、私にはまだはっきりと結論がだせないでいます。本書では一つには、問題の「新しさ」が強調されることによって寄せ場の現実が議論の焦点から逸らされてしまう(問題の隠蔽)ことに対する批判として、そしてもう一つには「新しい」野宿者の出現を裏付ける実証的なデータを得ることができなかったということによって、野宿者「問題」をもっぱら「寄せ場の変容」という側面からとらえようと試みたのですが、確かに「寄せ場」から見ているだけでは捉えることのできない野宿者が存在する(増加しているかどうかについては確証がありませんが)というのは事実であり、この点について今後調べる必要があるだろうとは考えています。
 ③大阪の現状を一般化して、その他の地域の現実を見ていないのではないかという指摘については、まったくそのとおりです。このことについては私自身十分に自覚してはいたのですが、力量不足で、東京を始めとする諸都市の現実を織り込んでの分析がまったく欠落しています。にもかかわらず「現代日本の」のタイトルにしたことは、まさに「羊頭狗肉」です。しかし、これについても「今後の課題」とさせてください。
 ④私が本書で野宿(者)と野宿「生活」(者)というタームを使い分けたことに対して、この区分が不明瞭であること、とりわけ「生活」の概念がはっきりしないという指摘がありました。一つには青木さんも述べられているように、「寄せ場とのつながり」を保持しながら野宿(アオカン)をしている寄せ場の失業日雇労働者と、寄せ場とは無関係の、あるいは寄せ場を完全に離脱した、野宿「生活」者を明確に区別したいという意図の下に、この二つの用語は使い分けられているのですが、同時に都市の中で、都市のさまざまな資源や空間を「独自に」利用しながら、そこで自前の生活の「かたち」や、さらには「新たな」社会関係を構築しようとしている(ようにみえる)野宿「生活」者のありようを積極的にすくい上げたいという意図もあったのです(とはいえ、指摘されているようにそれが成功しているとはとても言えませんが)。この点については、現在、1999年に行った「テント生活者」を対象とした聞き取り調査の結果をまとめつつあります。そのデータに基づいて都市の中で「定着」して野宿している人々の生活実態を明らかにし、そこから野宿「生活」の構造についてもうすこしつっこんだ分析を行いたいと計画しています。
 以上、きわめて簡単に、青木さんからのコメントに対して答えにならない答えを書きつらねてきましたが、書きながら、山積する「宿題」に少し意気消沈しています。しかし、いずれにしても、青木さんからの指摘はすべて問題の根幹に関わる事柄であり、今後何とか応えていきたいと思っています。最後に、青木さん、貴重な批判とコメントをありがとうございました。(しま かずひろ・大阪市立大学文学部助教授)

HP管理者による付け足し。島さんの調査報告2つ紹介。
1998年7月29日「センター夜間開放利用者」調査 /「寄せ場」から見た野宿生活者問題(1998年10月7日版)