高齢者就労事業をめぐって―その1― (日刊えつとう連載 96〜97)

  白手帳事情

 第27回釜ヶ崎越冬闘争支援連帯集会の基調報告(釜日労深田書記長起案)によれば、「あいりん」職安の白手帳は1980年の24,458名を最大に、93年には12,300名と半減していたが、阪神・淡路震災後のここ2年間で2,662名増えて、96年11月末現在1万4千962名となっている。

 また、他職安発行手帳の支給窓口となっている「あいりん」職安南分庁舎の白手帳数は、96年11月末現在652名に達しているので、釜の白手帳はこの2年間で、合計3,314名増えたことになる。

 関東の事情を見れば、山谷・寿を合わせて2,615名の減少となっている。(山谷・玉姫職安―94年9月末6,005名が96年10月末には4,900名に。横浜・寿職安―94年8月末5,642名が96年11月末には4,132名に。)

 ことさらに数字をあげなくても、実感として分かっていることだが、「関西に仕事がある」という見込みで随分と釜の仲間が増えたことがよく分かる数字ではあると思う。
 

高齢者就労事業をめぐって―その2―

  仕事事情と個人の事情

 山谷や寿の白手帳人口が減少し、釜ヶ崎の白手帳人口は増えている。このことは、他地区よりも仕事量に関して釜ヶ崎はまだましな状態にあるという思惑が広まっていることを示すものである。「なみはや国体」、オリンピック招聘に向けての準備、そして震災の復旧、関空の二期工事、と並べ上げると、確かに仕事はありそうな気がする。しかし現実はどうか。

 震災後には関東から仕事を求めてきた仲間が、思ったほど仕事がなくて野宿しているという話をよく聞いた。

 その一方で、震災で住んでいるマンションが住めなくなり、次の住居を確保するための資金を得るために勤めている会社は有給休暇を取り、一ヶ月ほど日雇い(現金)で働いているという人もいた。その人は阿倍野から歩いて釜に来るのだが、センターに着く前にいつも仕事に就けていると話してくれた。

 同じ時期に釜に仕事を新しく求めてきた人なのに、アブレ続きで野宿をせざるを得ない人と、日雇い仕事は素人なのにアブレることがない人がいる。その差は何か。年令である。見た目の若さである、としか考えられない。

 

高齢者就労事業をめぐって―その3―

  神戸方面仕事事情

 関西には仕事がある、釜に仕事が増える。という見込みは、神戸の震災からの復興が本格化すると思われる97年に関してははずれることがないように思われる。しかし、実際はどうなるのだろうか。

 今、JR神戸線本山駅近くにゼネコンが共同で宿舎を建てている。気がついたのは二つだけだが、他にもあるのかも知れない。これは一つの工事現場を対象とした現場飯場・現場宿舎というものではないようだ。神戸全体を工事現場と見ての2〜3年先まで考えて労働力をプールするためのものと思われる。ようするに、関西新空港建設工事期間中の宿舎利用の経験に基づいているのだろう。

 関空工事では思ったほど釜ヶ崎への直接の影響は大きくなかったとされている。宿舎に他地区からの労働力を確保できたからではないかと考えられる。

 とすれば、神戸の工事に関しても、釜への影響はそう大きなものにはならないと想像される。

 にもかかわらず、人は期待から集まり続けるだろう。年令に関係なく。高齢者のアブレ地獄は続く。

 

高齢者就労事業をめぐって―その4―

  大阪市内建設労働者事情

 神戸や大阪等の建設現場で働くのは、勿論、釜の労働者だけではない。少し数字が古く、調査自体に論議があることに難はあるが、「90年国勢調査」の数字を挙げると、大阪市内に居住し、建設業に雇われて働く男性は86,743人いるそうだ。これは大阪市内に住み人に雇われて働く男性(589,472人)の14.7%にあたる。(ちなみに一位は製造業の27.4%、二位卸・小売、飲食店の22.2%、三位はサービス業の17%で、建設業は四位となっている。)

 さらに詳しく区ごとに見ると、建設業に雇われて働く男性(86,743人)のうち西成区に住んでいる者は19,668人でダントツの一位、22.7%を占めている。二位は東淀川区の6,112人(7%)にすぎない。三位は平野区の5,840人。これを見ると、大阪の建設業界内の釜ヶ崎の占める位置というものは、想像以上に大きいように思われる。働く現場は大阪市内だけではないので、近畿圏内での占める位置の大きさと言い換えることもできるであろう。

 

高齢者就労事業をめぐって―その5―

  大阪市内高齢者事情(1)

 大阪市内に住み建設業で雇われて働く男性労働者が最も多いのは西成区であった。それと同様に西成区がトップの数字がもう一つある。

 「90年国勢調査」の数字を見ると、大阪市内の高齢単身者(60歳以上の単身者)は、85,229人(大阪市内に住み建設業で雇われて働く男性労働者とほぼ同数)いるとされている。このうち西成区に住んでいるのは8,048人で全体の9.4%を占めて一位である。二位は生野区の5,784人、6.8%。三位住吉区5,652人、6.6%である。(ちなみに、各区を合計して平均を出すと一区あたり3,551人となり、西成区は平均の倍以上と分かる。)

 さらに詳しく見ると、大阪市内の高齢単身者85,229人のうちまだ働けると頑張る労働力人口は27,850人で、区別ではやはり西成区が一位で3,023人(10.9%)である。一区あたりの平均は1,160人となっている。働けない非労働力人口もやはり西成区が一位で、56,097人中5,015人で9%を占めている。

 

高齢者就労事業をめぐって―その6―

  大阪市内高齢者事情(2)

 西成区には大阪市の他区よりも多くの高齢単身者が住み、当然、働ける高齢者も働けない高齢者も他区よりも多いことを国勢調査の数字で見た。もう少し、数字にこだわって詳しく見る。

 まだ働けると頑張る労働力人口は市全体で27,850人で、西成区が一位の3,023人(10.9%)であった。そのうち現に働けている者は2,320人で、職のない完全失業者は703人であるとされている。労働力人口に対する現に働けている者の割合は76.7%であり、完全失業者の割合は23.3%である。

 大阪市全体労働力人口に対する現に働けている者の割合の平均値は88.1%であり、完全失業者の割合の平均値は11.9%である。ようするに、平均値と比べても西成区の高齢単身者で働ける者のうち実際に仕事に就けている者は少なく、失業している者が多いということが、国勢調査の数字でも分かるということだ。

 なぜ西成区に高齢単身者が多いのか、それは、建設業についてと同様に釜ヶ崎の存在が大きく影響しているからである。

 

高齢者就労事業をめぐって―その7―

  西成区高齢者事情

 西成区には、大阪市全区の平均値より倍以上も多く、六〇歳以上の単身者が住んでいる。数字で言えば、8,048人である。平均は、3,551人。平均との差は4,497人である。今回の連載では最初に白手帳の再増加傾向について数字を挙げて紹介したが、あいりん職安の白手帳に関する数字の中には、年令区分による人数もある。それによると、60歳以上の白手帳所持者は3,000人を越えている。釜の労働者でも白手帳を持っていないものも多いので、そのことを勘案すれば、西成区の単身高齢者の平均値を超える部分は釜ヶ崎が西成区にある結果と言って誤りではないであろう。

 要するに、西成区には、子育てを終わり、郊外に家を買う余力を持ち得なかった単身高齢者と、元々単身で釜ヶ崎を中心に働き続けたかあるいは、高齢になって単身釜に職を求めてきた人が多く住んでいる。もっと簡単に言えば、「貧乏な」高齢単身者が多く住んでいる、といえると言うことだ。

 国勢調査の数字が現実を反映しているものであるとするなら、西成区の高齢者対策は、他区よりも大きな比重で行われていなければならないし、そうする根拠もあることになる。

 

高齢者就労事業をめぐって―その8―

  高齢者対策事情(1)

 「高齢者対策」とは何だろうか。人は誰しも年令を重ねて死ぬ。そのことはいつの時代も変わることがない。そして、高齢になれば、若いときにはできたこともできなくなる肉体的高齢化現象も当たり前のことだ。別の言葉で言えば、「生産」に対する寄与度が低下すると言うことだ。

 昔の伝説に「姥捨て伝説」というものがある。年貢を多く取り立てたいと考えた権力者が、生産に役立たない高齢者を山に捨てるように命じたという内容のものだ。これは伝説ではなく、今の釜ヶ崎では現実の話である。多くの仲間が高齢で働けず路上で死んでいる。もっとも、時代が進んだせいか、命令なしにそうなっているところが、伝説よりもっと恐い話であるが。

 で、「高齢者対策」とは、生産に寄与しない高齢者の比率が高まり、かといって昔のように山に捨てる法律を作るわけにはいかないので、なるべく社会に負担にならないような老人づくり、多少でも動けるものはなんとかして生産活動に動員しようという発想で行われているものなのである。個々人の事情を斟酌して考えられているものではない。

 

高齢者就労事業をめぐって―その9―

  高齢者対策事情(2)

 「高齢者対策」とは、なるべく社会に負担にならないような老人づくり、多少でも動けるものはなんとかして生産活動に動員しようという発想で行われているものなのである。

 この発想は、我々には受け入れがたい。なぜなら、経済的に言えば、最も社会の負担にならない対策は、路上でおとなしく死んでいくものはそのままにしておく、ということになるからだ。釜ヶ崎での「清掃事業」実現に多くの仲間の行動を要し、時間がかかったのも、その発想を転換させる、経済的効果以外の要素を認めさせるために必要であったのだ。国勢調査の数字で誰しもが考えられる高齢者対策の必要を、現実の対策として引き出すものは、やはり当事者の行動である。数字は、要求の正当性を訴えるに役立つにすぎない。

 発想を多少改めさせたといって、現在、清掃事業に従事している仲間も、遊んでいるわけではない。95年11月から96年11月の間に集めたゴミは483トン、一日平均1.6トンにもなっているのである。この多量のゴミを、トラックでなく、リヤカーで三徳寮横の収集場所に運んでいるのだ。そのことで社会に貢献している。

 

高齢者就労事業をめぐって―その10―

  高齢者対策事情(3)

 釜ヶ崎の「高齢者対策」は、数的把握に基づいてで行政が率先して行うものでなく、合理的根拠をも付け加えながら要求行動を積み重ねることによって実現されるものであることを前提として、もう一度数字に戻る。

 西成区の高齢単身者は市内各区のどこよりも多く、仕事を求める高齢者も多かった。しかし、完全失業者の割合も、平均の倍であった。「高齢者問題」と一口にいっても、この様相は、一番の要が労働問題であることを示している。大阪府労働部の責任は、もっと強く追及されなければならない。

 世間一般的にいっても、「シルバー人材センター」の見直しが言われている。「生き甲斐就労」などと表現しようとも労働は労働である。労災は適用されるが当たり前であるし、生活を支えるに値する質と量が求められるのは当然のことである。「高齢者就労」が、労働力のダンピングの別名であってはならないのである。

 ゴミの資源化は産業として成り立たせるべきものであり、新しい求人を生み出す。そして、釜ヶ崎にはそれに答えられる人材がある。実現は行政の責任である。