大失業時代に抗して

 

大失業時代に抗して シリーズその5 (94〜95 日刊えつとう 連載)

 大阪府・市が実施している特別清掃事業は、いまのところ2月までと言われている。なぜなのか。

 大阪府労働部は、「失業対策事業」が打ち切りになっている時代に、「失対」と同じようなもの継続することはできないという。大阪市民生局は、民生行政の枠からはみでているという声もあり、中々庁舎内でも理解が得られにくいとコボす。そういったことがあるから、特別清掃事業の拡大は愚か継続すら難しいという。

 行政は組織の仕事であり、予算をともなうことでもあるから、当面の担当者の考え一つだけでは事が動かないことは理解できる。しかし、今年は、敗戦50周年という。釜の越冬はその半分の25年、市更相前のできごとからだけでも丸2年、何人が路上での死を迎えさせられた事であろうか。

 行政は釜ヶ崎だけの為にあるのではない、これまでにも予算を付け対応はしてきた、ということも理解できる。しかし、いつまでも現実を無視した対応をすることは理解できない。

 民主主義の原点は、声の大きいもの勝、ということ。相手に対する理解と、要求行動は別物である。今日、府市へ行く。

 

大失業時代に抗して シリーズその6

 民主主義は、王様の首を切り落として始まった、といわれる。一部の限られた人以外は、誰もその事を、野蛮な殺人事件だとはいわない。多くの人は、人民の決起が新しい時代を切り開いた、と評価している。今の日本で行われている絞死刑は、法制度に支えられた殺人であるが、多くの人は声を出さず、慣例的に行われ続けている。釜ケ崎での野宿者の路上死は、事故死なのであろうか、社会による殺人なのであろうか。

 「緊急避難」という言葉がある。例えば、船が遭難して、一枚の板切れに二人が取り付いた。しかし、二人を支えるほどの浮力はない。この時、他の一人を板切れから突き放して自分だけ助かっても、殺人罪には問われない。野宿を余儀なくされている労働者が、死を逃れるために行う行為は、これによると刑法上の罪に問われない。そのハズなのに、現実には、野宿者であることによって一般より重い刑が課せられる傾向がある。これを要するに、警察力を背景とした社会による緩慢な殺人という。特別清掃事業の打ち切りは、死刑執行命令書への署名ということになるわけだ。

 

大失業時代に抗して シリーズその7

 状況によっては、死にさらされた人間が、生きる為になにをしようとも、法的に罰せられる事はない。しかし、野宿者は、死にさらされているけれども、なにをしてもいい存在として法的に認められているわけではない。にも関わらず、なにをしてもいい存在と潜在的には認識されている。それが、潜在的認識にとどまり、合理的認識となっていないからからこそ、なにをするか分からない人達、という「市民」の恐怖感を産むのだ。その恐怖感から、警察に「追い払え」と命令するのだし、行政に「自分の生活圏から見えなくしろ」と要求するのだ。このような声を背景とした行政の野宿者への対応が、ろくでもないものになることは、明らかだろう。

 時には「暴動」も必要である。なぜか、という疑問を社会に提起し、合理的認識を育てる契機となるから。逆に恐怖感を強めることになろうとも、行政の対応の強化を引出し、行旅病死させられる仲間が減るのであれば、結果、オーライだ。

 とは言え、日常的に行える事は、路上で死ぬ仲間を横目で眺めながらの交渉事だ。今日、西成市民館で「反失連」の学習会がある。話題は「就労対策事業」にしぼる。参加を。

 

大失業時代に抗して シリーズその8

 APECなるものが、今年の11月に大阪で開催されるそうだ。我々にはあまり縁のなさそうな話だが、行政・財界は大歓迎していると伝えられている。

 行政や財界が大歓迎しているとどういうことになるかというと、多分、APECに関連した予算の大盤振る舞いがおこなわれ、自分たちが不都合と思ものを隠そうとする。「御堂筋パレード」第一回目の時、初日に今の天皇が来るというので、街の「美化」のために野宿者を「狩り込み」、追い立てようとしたことがある。

 今、大阪府や大阪市は、まがりなりにも「反失連」と話し合う姿勢を見せているし、市会、府議会にも理解の輪が広がっているようにも見えるので、以前のような対応はしまいとは思うが、清掃事業を打ち切り、野宿者が放置される状態が続くことになるとすれば、一時しのぎの策として、「狩り込み」を、野宿者の救済という「美名」のもとに行うかもしれない。釜ヶ崎にとって、野宿を余儀なくされる仲間にとって、本当に必要で望ましい対策を、早急に実現させなければ、我々にとって暗い秋となるだろう。

 

大失業時代に抗して シリーズその9

 「越冬実」の学習会では、反失連の闘争報告と清掃事業についての報告、打ち切り濃厚の現状について報告と今後の闘争への参加呼び掛けなどがあった。

 参加した仲間からの問題提起として、「釜ヶ崎全体に仕事が少ない。全体についても取り組んで欲しい。」「55歳になっていなくても、個々人体の都合で働けないものもいる。年齢で区切るのはおかしいのではないか。」「就労できる者が少な過ぎる。やり方がなまぬるいのではないか」といった意見が出された。

 誠にもっともな意見だと思う。「費用対効果」という言葉があるが、闘争に参加した仲間の数や費やした時間、それらに比べれば、微々たる成果だといえよう。しかし、どのようなものであれ、努力の結果だ。規模は求めたものの何十分の一にもあたらないが、仕事が増えたことも確かだ。ただ座しているよりは、各段に増しだった、といえる。仲間の多くはそう考えていると、確信している。ただ、もどかしい思いがすることも確かだ。もどかしさをバネに、より一層の闘いを、2月打ち切りを断固回避し、拡大をめざそう。

 

大失業時代に抗して シリーズその10

 朝日新聞で、外国で働く若者のことを、連載している。いわく、日本人ので稼ぎの時代が始まったと。また、大企業だけでなく、中小企業にまで海外移転が広まっていることも、各マスメディアによって伝えられている。商品の流通も合理化が徹底され、今後、中間卸売業者や「系列店」の整理が進み失業者が増えることになる。高齢者の再就職の場など誰も考えていない。

 民間活力など活用したくても、高齢者のために振り向けられる余力は限られている。いきおい行政は補助金を出して高齢者の雇用の維持と促進をはかろうとする。それは、社会の回転を維持するために必要なことである。

 企業の生産は消費を前提としている。日本列島の人が死に絶え、「消費」がゼロとなれば、政府も企業もあったものではない。行政の役割の一つに、国内消費者の確保もある。

 これはまったく逆転した言い方だが、まったく働けない人でも、消費者としての社会的存在意義を持つ。福祉予算の一つの側面として、内需確保に果たす役割も考慮されているはずだし、今後はより一層その側面が強まる。

 

大失業時代に抗して シリーズその11

 特別清掃事業に就労している仲間286名が、これまでもっとも長く働いた産業はという質問に対して答えた中で、一番多かったのは建設業(99名)だった。建設業で働いていた仲間が釜ヶ崎に来た時期はバラバラであるが、これまでに聞いた個別の事情は、地方での仕事が無くなって釜ケ崎に来た、歳取ったために本隊にいづらくなったから、というものが多いようだ。

 ほかの職業では、農業も多い。また、炭坑や港湾も多い。 釜ケ崎に来た時期の特徴としては、「バブル」がはじけ、釜ケ崎の不景気がある程度知られわたった時期、90年以降

に来た仲間が、一割強もいることだ。ようするに、57〜8歳で、不景気な釜ヶ崎に移り住んで来たという仲間のグループが目立つということだ。

 言いたいことは、この連載で言いたかったことは、どのような立場にも「正当な意見」があるということだ。それをぶつけあうことによってしか、現実の問題は解決しないということだ。但し、「命」が掛かっている側にはぶつける方法をお上品に選んでいる余裕はない。今年は猪年でもある。

(前後欠)