住民登録の有無による利益不利益が問題の本質ではない

住民登録問題の「問題」はなにか

 

釜ヶ崎資料センター  松繁逸夫

 

 大阪市西成区の特定の建物を住所とする、多数の住民基本台帳への登録があることが問題視され、西成区役所は、「居住実態」を確認した上で、住民登録の「適正化」をはかることにした。その結果、2,700人(注1)を超える人の住民登録が職権により削除されることになった。今の日本の社会が、「個人認証」の基本的な役割を住民登録に依拠していることから、住民登録を失うことは、社会生活上様々な不利益をもたらすことになる。このことが問題視されている。

 たとえば、選挙人名簿は住民基本台帳を参照して作成されているから、住民基本台帳から削除される事は、投票権を奪われることになる。しかし、これは、住民登録の問題なのであろうか。そもそも、居住の実態に基づいて作成される住民基本台帳を選挙人名簿作成の根拠としていることが問題なのではなかろうか。かつては、納税額の多寡によって参政権が制限されていた。現在の日本は、住所設定できる住居を確保できるか否かで参政権が制限されているといえる。これは、選挙制度の問題であり、住民登録制度の問題ではないと考えられる。

 そもそも住民基本台帳法は、すべての日本列島居住者を含み込むことを想定していない。一般的な「居住」を確保し、社会保険制度等を活用できる人々を効率よく管理するために存在している。社会の多くのシステムが、住民登録を参照しているかといって、諸個人の持つ社会的権利義務関係の根源が住民基本台帳法にあるわけではない。生活保護制度は、大原則として、人の存在を重視し、現地保護主義をとっており、住民票の有無は絶対必要条件ではない事を考えても明らかである。

 日雇い雇用保険制度を利用できなくなった野宿生活者や社会保険制度から排除されている派遣労働者は、住民票の有無にかかわらず生活を送っている。住民票があるからといって路上死しなくてもすむわけではなく、住民票があるからといって正社員になれるわけではない。それらは、住民登録の問題ではなく、社会保障制度や所得分配のありかた自体の問題である。

 「住民登録問題」は、社会制度から排除されている人々の存在(制度外市民)をあらためて露呈させたものであるけれども、住民登録を確保することによってのみでは、本当の問題は解決しないことを確認しておく必要がある。

 

(1)住民登録の本質

 現在の住民登録基本台帳法の原型は、1951(昭和26)年3月に衆議院法務委員会に設置された「住民登録法案起草に関する小委員」によってとりまとめられ、提案された「住民登録法案」であるが、参議院本会議の裁決に当たり、日本共産党所属の須藤五郎議員は、「実にこれは日本人を馬鹿者扱いにした法案であり、日本人民を強制登録し、戰争に動員することを容易にしようという、徴兵、徴用、徴税のための肉彈登録法、戰争準備法と断ぜざるを得ないのであります。」と反対意見を述べている。

 時代背景として、前年の朝鮮戦争や警察予備隊の発足がある。また、修正されはしたが元々の原案に、登録事項は市町村の条例で追加できるという規定があり、宮城県において、14歳以上の全県民に対し強制的に適用するという指紋條例が国警宮城県本部の要請に基づいて県議会に上程されたことから、論議の的となった。また、地方公務員が記載事項の確認をする時、問われたことについて証言を拒否すれば罰金刑を科せられるという罰則があることなども反対理由としてあげられている。

 羽仁五郎参議院議員は、法務委員会で、「住民登録法案の提案者は凡そこの国民の自由という問題、それから政府の行政上の便宜という問題、即ちリバテイという問題と、レガリテイという問題とも言えますが、いずれを重しとなさつて、この法案をお出しになつておられますか。」と問い。秘密保持の問題。閲覧によって住居の自由が侵害されることなどを追求している。

 ちなみに、大阪市の住民登録の年間の職権消除数は、それぞれ3月末現在で、2004(平成16)年2,627人(西成区52319.9%)、2005(平成17)年5,520人(西成区77214.0%)、2006(平成18)年2,494人(西成区71228.5%)、となっているが、削除となるきっかけは、市民通報(住居者が変わっているのに役所から郵便物が届く等の通報)、役所内部からの連絡(役所からだした郵便物が戻ってくる)、そして、業者からの通報があるという。業者というのはサラ金業者等で、住民票を閲覧してたずねていったが本人が住んでいなかった事を知らせてくる場合である。

 住民登録と選挙人名簿の関係については、「住民登録法」が廃止され、「住民基本台帳法」が成立(1967年)する過程で論議されている。

 

「○市川房枝君 簡単にちょっと伺いたいのですが、この住民基本台帳と選挙人名簿との関係がどうなるのか、そのことを伺いたいのです。

○政府委員(長野士郎君) この基本台帳法の第十五条におきまして「選挙人名簿の登録は、住民基本台帳に記録されている者で選挙権を有するものについて行なう」という内容のことを掲げておるわけでございますが、それを掲げました意味は、選挙人名簿と住民基本台帳の制度とを結びつけるという目的でございます。現在の選挙人名簿につきましては、御存じのように、住所を移転いたしましたり、あるいは選挙権を有する年齢に達しました場合に、選挙人のほうから届け出があるというのをたてまえにいたしておりますが、その届け出というものを実質上はこの住民台帳の届け出と結びつけてしまう、そういうことで、住民台帳の届け出と一つにいたしますれば、この台帳に載せておりますものを、続いて選挙人名簿をつくっていく、こういうことにつながるわけでございます。

○市川房枝君 そうしますと、住民基本台帳が実施されるようになると、選挙人名簿というものは、もっぱら住民基本台帳によるわけですね。もし住民基本台帳のほうが間違っていたら、こういうこと言うのもなんですが、選挙人名簿のほうも間違っていくわけですね。

○政府委員(長野士郎君) お説のとおりでありまして、選挙人名簿は住民基本台帳に基づいてつくるわけでございますから、住民基本台帳の記載が間違っておりますと、選挙人名簿も間違う、こういうことが起こってまいります。ただし、選挙人名簿につきましては、まあ言ってみれば、新しく記載をしましたこれは、今後技術的な検討をいたしますが、選挙人名簿自体の縦覧なり異議申し立ての制度というものは残しておきたいと思っております。したがって、そうしておけば、脱漏しておる、間違っておる、それは住民台帳が間違ったり、住民台帳に記載漏れがあった結果間違っておるものもございます。そういう場合に、そこで異議の申し立てをいたしまして直す、直した場合には台帳のほうも直す、こういうふうにいたしたいと思っております。」

 

 現行「公職選挙法」には、選挙人名簿の縦覧期間内に、登録の不備について異議申し出ができることになっている。しかし、選挙人名簿の登録は、「住民基本台帳法」で「住民基本台帳に記録されているもので、選挙権を有するものについておこなう」とされており、「公職選挙法」でも同様のことが明記されているのであるから、住民基本台帳に記載されていないものは、異議申し立てしても受け入れられないことになると考えられる。

 地方公共団体の選挙権については、「日本国民たる年齢満20年以上の者で引き続き3箇月以上市町村の区域内に住所を有する者」と限定されているが、国政選挙については、「日本国民で年齢満20年以上の者は、衆議院議員及び参議院議員の選挙権を有する」とされているだけで、「3箇月以上市町村の区域内に住所を有する者」という制限は規定されていない。にもかかわらず、選挙人名簿が、単に行政手続きの合理化のため存在する住民基本台帳に依拠することとなっているために、「不定住市民」の参政権が奪われ、異議申し立てすることすらできないことになっている。これは、住民登録制度の不備の問題ではなく、「不定住市民」を視野に入れていない選挙制度の不備であるというべきである。

 

(2)住民登録制度でありながら「住民」「住所」の定見がない

 「住民登録法」の審議過程では次ぎのような議論がなされていた。

 

「○伊藤修君 そうすると、これはこの間の新聞に出ておつた滝野川の橋の下に住まつておる者、お茶ノ水の橋の下に住まつておる者、或いは上野の地下道で生活の本拠を営んでおる者は、こういう者はどうですか。

○衆議院專門員(小木貞一君) これは先ほど申しましたように、私どもも衆議院で論議がございましたが、今の御設例のような場合、或いは随分昔にあつたことでありますが、どつかの、山ノ手線か中央線の……、山ノ手線でございましたか、大久保の辺に、例の終戰後大きな土管でございますね、あの土管の中に鍋釜を持込んで住んでおつたのが新聞に出ておつたのでございますが、これらはそこで相当長い期間生活して、生活の本拠があるというふうに認められる場合でございまして、又今御設例のような場合にも、そこで生活の本拠が営まれておるということになれば、仮に立派な邸宅でなくても、雨露を凌ぐに足りる程度の所で生活をしておれば、これはやはり住居と認めていいのじやないか、こういうような結論に達しておつた次第であります。」(参-法務委員会-21 昭和260529日)

 

 この見解は、現在にも引き継がれている。

 

「○久元政府参考人 いわゆる公園居住者につきましては、近年かなりふえてきているという状況でございますが、実は、この住民基本台帳制度は昭和四十二年に法律としてできたものでありまして、それ以前は住民登録法という法律がございました。この昭和二十六年の住民登録法、また住民基本台帳法、共通の考え方といたしまして、法律は変わっておりますけれども、客観的な事実を基礎として住所を認定するという考え方をずっと一貫しております。

 ただ、この公園居住者につきましては、最近はふえてきておりますけれども、昭和二十年代におきましても、また昭和三十年代、昭和四十年代におきましても、いわば、住所が必ずしも定まっていない方、路上生活者のような方がおられたことは事実でありまして、そういう方を想定いたしまして、このことも含めて従来から法律が運用されてきているということは事実でございます。

○矢野分科員 恐らく、ただいまの答弁は、過去に、実際の事例といたしまして、洞窟の中に住んでおる方、あるいは橋の下で生活を営んでおられる方に住民票が交付されたということを指し示しておられるんだと思います。」(衆-予算委員会第三分科会-2 平成180301日)

 

 大阪市北区の扇町公園居住者が北区役所に公園内を住所地として住民登録を申請したが、北区役所は受理しなかった。これについて、大阪地裁一審判決は、従来の運用状況や判例から、不受理を不当とした。大阪高裁二審判決はこれを覆し、社会通念上認められないとするのが妥当とする判断を下した。

 西成区は、集団説明会の場で、国民健康保険加入者で、保険料を納入している被保険者については、公園の仮小屋まで居住確認に行き、確認されれば、そこを居住地として認め、緊急避難的に継続を認めると述べた。住民登録が職権削除されれば当然、国民健康保険の被保険者ではありえなくなるのだが、緊急避難的に公園を居住地として、法の規定(当該行政区の住民登録者を被保険者とする)を超えて資格を認め続けるという。「住民」の権利を守る立場に立った判断と一定評価はされるが、元の住所が職権削除され、公務員が実際の居住地で事実を確認するのであれば、当然その居住地が住所地となるはずであり、公園内での居住を確認した公務員には、住民登録(転居手続き)を勧告する義務が生じることになるはずである。しかし、今回は特例であり、住民登録できる住所とは別であると説明されている。

 

(3)住民とは

地方自治法では、住民を、「第10条  市町村の区域内に住所を有する者は、当該市町村及びこれを包括する都道府県の住民とする。」と定めている。

住民基本台帳法では、(住民の住所に関する法令の規定の解釈)第4条 住民の住所に関する法令の規定は、地方自治法(昭和22年法律第67号)第10条第1項に規定する住民の住所と異なる意義の住所を定めるものと解釈してはならない。」と定めている。

では、住所とは何かというと、 民法で、「第22条 各人の生活の本拠をその者の住所とする。」と定めている。また、「第23条 住所が知れない場合には、居所を住所とみなす。2 日本に住所を有しない者は、その者が日本人又は外国人のいずれであるかを問わず、日本における居所をその者の住所とみなす。」とも規定されている。

外国人登録法では、「居住地」を登録することになっている。定住外国人でもそうである。「住所」の登録ではないので、地方自治法10条でいう「住民」ではない。民法の「みなし住所」の考え方からいえば、当然、地方自治法上の「住民」に含まれると考えられるべきであるが、地方自治法でいう「住所」は、住民基本台帳に記載されていることを前提としていると考えられ、やはり地方自治法10条でいう「住民」としては取り扱われない。

大阪市の生活保護行政は、釜ヶ崎地区内の簡易宿泊所について、生活の本拠として、継続的に生活を営むには相応しくない場である判断し、原則として居宅保護対象の住居とは認めていない。しかし、住民登録の住所としては認められている。

これを、民法の「みなし住所」の考え方を援用しているものと考えれば、「あいりん臨時緊急夜間避難所」を反覆利用する人々についても、当然、「あいりん臨時緊急夜間避難所」が住民登録の住所としては認められてしかるべし、と考えられる。だが、公式に見解を行政側に求めれば、居住のための施設ではないので認められないとする回答が出てくると思われる。

「住民は、法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の役務の提供をひとしく受ける権利を有し、その負担を分任する義務を負う。」(地方自治法102項)のであるが、「社会通念」で生活のあり方や質、本拠としての妥当性が判断され、住所が認定されたり、認定されなかったりするのであれば、当該行政区域内での実質的存在とは別に、行政側の恣意性によって「住民」が成り立つことになり、制度的な社会的排除の公認となる。今の日本社会は、そうである。

これに対して、反論もあるであろう。

生活保護制度は住所を必要条件としておらず、大阪市更生相談所や大阪社会医療センターも住所を前提としていない。ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法に基づく諸施策も全国画一的ではないけれども存在する。であるから、「住所」を持たない「住民」についての行政サービスも行われているというべきであり、過程において、住民基本台帳に記された「住民」と異なる取り扱いになることはあるが、住民登録できる住居を確保する支援が実れば解消されるのであるから、限定的な区別取り扱いと考えられ、今の日本のありようを、「住所」を持たない「住民」を社会から排除する社会であるというのは一面的意見である、と。

確かに、「住所」を持たない「住民」に対する行政サービスも存在する。そのことは認められる。だが、今回「ホームレス全国概数調査」の集計数字が前回集計数字を下回っているとしても、まだ制度的に排除されている人々の存在が確認されているのであり、各地で野宿支援活動に取り組む人々の努力にも関わらず、新たにホームレスとなる人がいることによって現在の数字になっていることもまた事実である。将来的にホームレスとなるであろう人々も、非正規雇用層として存在することが指摘されている。

地方自治法上、一般的な居住を確保し、住民登録した人を、権利義務の主体として認めることになっているのであれば、そしてそれ以外には、権利義務の主体として認める仕組みがないのであるならば、当然、地方自治体は、住居を失ったものに住居を提供しなければならない。なぜなら、憲法で定める法の下での平等取り扱いを実現できないからである。そのことを、十全に実現し得ていない社会は、やはり社会的排除を制度的に行っている社会であるといわれるべきであろう。

そのことが社会生活上混乱を引き起こす元となっているという反省から、ソーシャルインクルージョンの視点を確保する必要が提唱され、「地域福祉計画」の策定が法的に義務づけられ、住民登録しているかどうかに関わりなく地域に存在している全ての人を包み込んだ地域福祉の実践が進められている。

たとえば、旭川市の地域福祉計画(案)では、以下のように表現されている。

 

「◇地域の生活者支援

・長引く不況や経済社会環境の変化の中,生活保護世帯が年々増加しています。

・本市においてもホームレスの存在が確認されていますが,これについても社会の問題として捉えていくことが必要です。

・ホームレスの人たちは,社会生活を拒否していたりや社会に適応したくても出来ないなど様々であり,医療などの援護が必要な人や就労先を求めている人もいます。

・個々の事情を把握するとともに,生活保護などの制度周知や自立助長のための就業,居住,医療,保健などの支援やホームレスを支援しているボランティアなどや地域住民と連携が求められています。

・経済不況が続く中,市内に在住している外国人の生活も不安定な状況にあることから,外国人の相談窓口の充実が重要です。

・こうした様々な課題を踏まえて地域の様々な福祉活動が円滑に取り組めるよう支援するとともに,安心して自立した生活を送られるよう,町内会をはじめとした地域住民組織や関係機関による生活者を支える仕組みづくりと関連する福祉サービス等の施策を推進します。」

 

  大阪市西成区地域福祉アクションプラン推進計画では、生活保護部会で『「地域福祉」を推進していくためには、“だれもが住みなれた地域で安心して暮らせるよう、地域のすべての人が支えあい、相互に協力しあいながらそれぞれの役割を積極的に果たす”との考え方のもと、生活保護部会では、被保護者のみを対象とするのでなく、広く「低所得者」や「ホ−ムレス」を含めた取り組みをおこなうこととし』、『すべての区民の権利擁護』を目指す取り組み課題の一つとして、『路上で生活をしない方策を検討する』ことが掲げられている。

  勿論、これらは上から下ってきたスローガンをなぞっただけのものであり、どれほどの実践を伴うか、現在の所疑わしいものであるけれども、地方自治法の枠を超えた、住民登録によらない、生活実態、地域内での実存在に則した「住民」概念を確保していることは評価されなければならないと考える。実践の積み重ねにより、制度の改変にまで進むことが期待される。

 

(4)住民票問題の波紋

 住民登録を失うことの具体的実害は、確かにある。しかし、その多くは、住民登録制度自体がいい加減なものであることから、住民登録と郵便物の受け渡しを二重化することで取り除くことができる。一つの建物への住民登録の集中を、いくつかの簡易宿泊所への分散と、郵便局への転送依頼で実務的には対応可能である。筋としては、行政サービスとして、住所設定場所を定め、郵便物等の受け渡しもその場所で行うべきであるが。議論の方向を、完璧な住民登録制度の構築へむけるべきではない。個人識別のためのタグ・マイクロチップを体内に埋め込む完全管理は、映画の中だけで充分なのだから。

 問題なのは、住民登録を失った事による喪失感、社会からの排除感を抱いた人々の自尊心確保の根拠をどう提供するか、また、やはりあの人たちは市民でなかった、区民ではなかった、と改めて「気付いた」市民が抱く排除の感覚をどう覆すか、である。

 住民登録制度は、一つの社会的虚構であるが、長期間機能することにより、人々の中に「個人認証」の確かな証として共有されるにいたっている。そして、個人の実存があって住民登録が成り立つのであるが、住民登録していることによって、個人の存在が証明されるかのように逆転して認識されるようになっている。

 今回、住民票問題は、この虚構性を明るみに出したともいえる。

 住民表登録をしているだけで、投票権以外になんの現実的な必要のない野宿生活者もいる。その人が、住民登録しているのは、自己の存在を何かの時に証明するためである。住民登録をしていることによって、社会の中に位置づいているという確信も持つためであるともいえよう。彼らが失ったのは、「一般社会」との絆である。

 住居を確保して住民登録している人は、住民登録制度の虚構性が明るみに出たことで二重の不安に直面したと考えられる。

 一つは、「居住」と「住民登録」の食い違った多数の住民登録の存在によって、住民登録による自己への「個人認証」が揺らぐのではないかという不安。今一つは、「個人認証」が個人の実存在と関わりなく、あまりにも簡単に社会的に否認されることから生じた、住民登録が自己の社会的認証の確実なものではありえない事の気づきと、それに変わるものを見いだし得ないことから来る不安。

 それらの不安は、不安を引き起こす契機を作ったと思われる人々への怒り、排除感に結びつく。

 長居公園の強制排除と連動し、大阪における野宿生活者、釜ヶ崎地区「住民」に対する排除感は強まっていると考えられる。

 制度外市民とされていた人々の緊急避難として住民登録密集であったこと、適切な代案が求められていることを広く伝えると共に、地域福祉計画の「住民」の概念を浸透させることが求められているのである。

 

注1:原稿を書き終えた2月25日以降、実際に住民票が削除された3月29日までの間に、住民票の移動があり、削除数は2,088人となった。