(9)「依頼有りグループ」の要望と結果
(A)依頼有り・初回面接のみ、結果ありグループの要望と結果
先に、相談者の要望を、「*支援センター入所*福祉施設入所*仕事による自立*居宅保護*医療*住居確保*金銭の支援*各種手続き支援*帰郷・連絡等*食事の確保*その他*無」に分類した。
これらの要望が、満たされたのか、満たされていないのかを、これから検討していくことにするが、「依頼有り」の中でも「初回面接のみ」で結果記録があるものが、比較的単純な経路を示しているので、先ずそのグループを、要望の種類ごとに詳しく見ていくことにする。
(9)「依頼有りグループ」の要望と結果
(A)依頼有り・初回面接のみ、結果ありグループ
(9)−A-1 要望=支援センター入所・仕事による自立
「支援センター入所・仕事による自立」を要望としてあげていたのは、3,074人であったが、そのうち結果があるものは、761人で、残り2,313人については、その先どうなったのか、再面接記録もなく把握できていない。移動性の高い野宿生活者が多く、2回目の面接につながらないケースが多いということかもしれないが、相談者に「支援センター入所」という具体的な要望がありながら、2回目以降の連絡が確保できないというのは、理解できない。当初、漠然と「支援センター入所」を要望していたが、説明を聞いて取りやめた、あるいは、一時期入所までの待機期間が長かったのであきらめたということが考えられるが、もし、説明を聞いて取りやめたものが多いのであれば、自立支援事業の根幹にかかわる問題を提示していることになる。
経路図1は、人の流れを示している。
面接を受けたうち661人は、野宿のまま何日か待機した後、自立支援センターへ入所している。
77人はケアセンターを利用し、57人は自立支援センターへ、7人はもう1度ケアセンターを利用して自立支援センターへ入所している。ケアセンターを利用し、自立支援センターに入所せず、その後の記録がないものは、13人いる。
福祉施設に入所したものは10人いるが、そのうち1人はケアセンターを経由して入所しており、福祉施設入所2ヶ月後、1人は自立支援センターへ移っている。
以上のように読み取っていただきたい。
自立支援センターの退所理由が13に別けられているが、簡単な説明を加える。
「自主」と「その他」は内容が把握しにくい。飲酒による退所や自分から申し出ての退所、いざこざ、共同生活に嫌気がさしたなどが含まれている。
「無断」は、無断外泊などで、自立支援センターへ帰ってこなかったもの。
「期限」は、定められた入所期限の内に就職できず、再び路上に戻ったものである。
「就労」は、飯場等日雇労働で働くために退所したもの。
「半就職・半保護」は、働いて収入を得ることができるようになったが、収入額が低く、生活保護(居宅)によって補うこととなったもの。
相談記録の限られた情報をもとに、著者のこれまでの見聞を加えて、結果にたどり着く経緯を探ってみる。
就労自立の要望とは違い、福祉施設入所や入院した人は15人であった。
居宅保護となった相談時年齢61歳男性は、保健福祉センターからの依頼ケースである。
1999年3月から野宿生活に入り、既往症としては「陳旧性肺結核」がある。2000年8月30日から2001年3月27日まで入院していた。巡回相談員との面接は、2001年3月26日で、面接場所は病院内と想像される。そして、措置日は、退院日と同じ日付となっている。
1999年から野宿していた男性が、自費で入院していたとは考えられず、生活保護法による医療扶助で入院生活を送っていたものと考えられる。居宅保護への移行は、保健福祉センター内部での、措置変更手続きですむと思われる。にもかかわらず、保健福祉センターが、巡回相談へ依頼をかけた理由は何なのであろうか。
保健福祉センターのケースワーカーが、仕事による自立ではなく、体の調子を考慮して、居宅保護を進めているにもかかわらず、本人が考えを変えないので、巡回相談員に説得して貰うために連絡した。あるいは、居宅保護へ移行するための居宅確保ができていないにもかかわらず、公務員が特定の不動産屋を紹介するわけにはいかないので、巡回相談員に居所探しを依頼するために連絡した。
いずれであるにしても、生活保護行政とホームレス対策事業の連携の一つとして、望ましい事例であると考えられる(この事例が、特定の公園にかかわる特例でなかったのならば)。
入院した4人は、39・44・48・50歳といずれも男性で若い。どこの窓口でも、自立支援センターに入所したいといえば、すぐ、巡回相談員に連絡することに何の不思議もない。野宿期間も、48歳の4年を除いて、後は1年以内である。
50歳と44歳は、面談時に体調不良を訴え、入院したものだが、入院経緯、つまり、救急搬送による入院なのか、所管の保健福祉センターから 診療要否意見書の発給を受け受診したものなのか、記録には記載がない。48歳は、既往症として「陳旧性肺結核」があり、受診した結果入院となった。受診が、無料低額診療所を活用したものか、所管の保健福祉センターから診療依頼券の発給を受けたものかは不明。39歳は、既往症として「糖尿病・結核」があり、面接時にも、発熱・左肋骨下の痛みを訴えていた。ケアセンター利用後入院しているが、ケアセンターから救急搬送されたのか、ケアセンター入所時の結核検診で入院となったのか、不明。
福祉施設に入所したのは10人で、内3名が女性(30・46・48歳)。野宿期間は30歳が0ヶ月で、残り2人は、ともに2ヶ月。女性用の短期ケアセンターは、2002年8月開所であり、3人の入所は2001年であるから、福祉施設が、それを指していることでないことは確か。女性が利用できる施設は限られており、大阪婦人ホーム、今池平和寮、そして、大阪府女性相談センターを通じて入所する、短・長期の施設がある。大阪府は直接、生活保護法上の措置権を持っていないので、施設利用者の医療費負担を回避するため、できるだけ医療費については、紹介元で担保する形で紹介することを望んでいる。60歳以上は、当然福祉が対応すべき、就労自立の可能性は低いとして、入所を受け付けない。
民間NPO法人でも、同時期に女性の福祉施設入所の事例が2〜3あったが、そのときは、受け入れ先と連絡しつつ、措置権を持つ行政窓口と相談して、行政窓口からの依頼という形で施設入所を実現した。巡回相談員においても、そのような手順が踏まれたものと考えられる。この手順は、男性についても同様であろうと考えられる。ホームレス対策と生活保護の運用との連携は、ここにもあるといえるが、措置権を持つ窓口の対応が、巡回相談員の介在を必要とする今の状態のままで有り続けることついては疑問がある。
男性7人の内、4人は60歳以上(60・61・63・68歳)である。残り3人の男性は、40歳代であるが、47歳は、心疾患の疑いがあり、47歳は、2ヶ月後に福祉施設から自立支援センターに移り、就職している。
41歳は、既往症「ぶどう膜炎・糖尿病」があり、左目失明、無料低額診療所に通院中であった。多分、市内で唯一特例的に医療単給付をおこなっている区の事例であると考えられる。であるとすれば、措置権を持つ行政窓口が、日常的にかかわっていたと考えられる。巡回相談員の出番が、どこにあるのか、理解に苦しむ事例であるといえよう。
救急搬送の1名は、42歳男性で、「B型肝炎」、2002年9月から2002年11月28日まで入院していた。退院日当日に、公園事務所が巡回相談に連絡、救急搬送になったものと思われる。体の調子が良くないのに自己退院し、入院していた病院ではすでに退院手続きが済んでいたので、救急搬送となったと考えられる。
自立支援センター入所後の就職は、268人、仕事による自立を求めるもの3,074人の8.7%にすぎないとはいえ、必要な機能としての存在を示しているといえる。ただ、6ヶ月の期限内に、就職目途が立たず、期限切れでまた野宿に戻る20人(2.7%)は見逃せない。本人の「やる気」がなく、ただ入所しているだけで、いくら期限を延長しても意味がないという割り切りがあるのであろうが、では、別案を考えなくても良いということにはならないであろう。ホームレスの自立支援事業が、野宿生活者を再び路上に送り返すのは、矛盾というよりも、悲惨である。
「自主・無断・その他」の理由で退所する人々は、もちろん、当人に原因があり、本人が責任を引き受けなければならない部分も大きいであろう。しかし、だからこその行政施策、事業であるといえる。居住環境はどうであるか、予算に縛られて改善に気付きながらもそのままになっていることはないのか。これまでの生活感覚を、十分に点検することなく、ただ就職に駆り立てていることになってはいないか。確かに、目安としての期限の設定は必要であろう。しかし、一律である必要はないのでは無かろうか。もともと、3ヶ月、延長して6ヶ月の根拠は、どのような検討を経て出されたものであろうか。見直される時期にきているのではあるまいか。