(4)相談体制と相談数

 

 先に紹介した「事業分析」では、巡回相談の相談員の推移と面接件数が報告されている。

 これによれば、再面接件数の伸びに対応するために巡回相談員数が増員されているように見える。

 これも先に紹介した「巡回相談事業計画」では、人員を見ると合計42人となっており、2005年にも増員されていると思われる。

 大阪市から提供された巡回相談データ数は、199910月から20067月までの、個人記録11,547件と面接記録48,833件であった。

 「新規面接」は、それまで一度も巡回相談員と面接していない野宿生活者について作成される個人票を集計したものである。2001年の2,403人を最高に、減少傾向にある。巡回相談が開始されて7年、「新規相談」が0人とならないのは、巡回相談員と出会っていなかった野宿生活者が、毎年、新たに増えるからである。しかし、それらの新規が、全て野宿が短い人々であるとは限らない。23年野宿していても、それまでに巡回相談員と出会っていなければ、「新規相談」となる。

 「再面接」は、相談記録によって集計したもので、新規相談を受けた同じ年に再面接を受けているもの、新規面接の翌年、あるいは数年たって再面接となったものなどが含まれている。新規面接だけで、再面接のない人も多数存在する。

 「事業分析」で示された図と図4-1とを比較すると、面談内容において、新規面談より再面談が上回るようになった年においては1年ずれがある。新規のその年度の再面接の取り扱いを含めるかどうかの違いがあるのか、年度区分の違い(暦年か4月を年度初めとするか)が影響しているのかであると考えられる。今回検討を加えた資料は、暦年で集計を行った。生月が削除されているので、年齢計算の関係上その方がわかりよいからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(上 図1「事業分析」で示された利用状況。下 図4-1今回作成の利用状況)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

表4-1 新・再面接実人員と延べ面接数

 

「新規面接」は、その年に初めて野宿状態で面接したものであり、「再面接」は、新規面接の内その年の内に再び面接したものと、以前に新規面接したもので、その年に再面接したものの2つが含まれると説明した。

新規面接と再面接を、新規面接を受けた年、再面接を受けた年で集計したのが、表4-2である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

表4-2 年別相談実員・延べ面接回数

 

1999年に新規面接を受けたのは587人で、そのうち20人がその年の内に再面接を受け、その面接総数は22回であったということを示す。2000年についていえば、1,229人が新規に面接を受け、その年の内に225人が、延べ354回の面接を受けている。2000年の面接には、1999年に新規面接を受けたものの内82人の再面接が含まれており、その面接延べ総数は138回であった。

したがって、2000年の再面接実人員は、2000年の新規面接者の再面接と、その前年に新規面接を受けたものに対する再面接の合計307人ということになる。延べ面接回数も同様に計算すると、年間再面接総数は492回ということになる。

 

年間の面接人員総数と面接会数総数は、それらに新規面接数を加えたものとなる。

その推移をまとめると、表4-3のようになる。

 

 

 

 

 

 

表4-3 面接回数と新規の占める割合

 

2000年の一人当たり面接回数1.31から、2005年の4.03に、一人当たりの面接回数が増えている傾向があり、相談員の増員は、一人当たりの面接回数の増加に結びついているかのようである。面接実員は減少傾向なので、その影響もある。

面接実員と面接回数の中で、それぞれの年の中で新規面接が占める割合をみると、面接実員の中で新規の占める割合は、2000年の93.7%から2005年の40.1%へ、面接総数に占める新規の割合は、2000年の92%から2005年の26.1%へと、それぞれ新規の占める割合は減少し続けている。

その年の新規面接者のフォローよりも、その前年までに累積した面接者に対するフォローの比重が大きくなっているということである。

先の面接回数が増える傾向と併せて考えると、新規面接後、数年野宿状態を継続しているものに対する面接回数が増えているであろうという予測にたどり着く。

さて、年間面接人員は、2002年の3,109人を最高とし、2003年に2,826人となり、2004年にいったん3,065人と増加するものの、2002年を境に減少傾向にあるといえる。それは、一人当たりの面接回数が増えたため、面接人員が減少したのだと考えることができる。

しかし、相談員数の推移が示すところによれば、2003年には、10人前後増員されている。また、2005年にも増員されている。にもかかわらず、相談実員が若干増えているのは2004年だけである。相談員が増えた分が一人当たりの面接回数の増にだけ結びつき、相談実数の増に結びついていない現象は、現場で新規の野宿生活者に出会う機会が減った−野宿生活者が減少した−と解するべきであろうか。

可能性として、「相談の拒否」が多くなっていることで、新規面接が減少しており、拒否しない再面が増えるということが考えられる。これまでの聞き取り調査などの経験からいえば、「拒否」はきわめて低く、相談の拒否の増は考えにくいが、新規野宿者の層がこれまでと変わって、拒否が増えるようになったということは、考えられなくもない。

「大阪市野宿生活者(ホームレス)対策に関する懇談会」で配布された資料の中に、「市内の公園・道路のテント等の推移」がある。それに、新規面接人員と年間面接実数を加えたものが表4-4である。それに基づいて作成したものが、図4-4

 

 

 

 

表4-4 公園・道路のテント等の推移と巡回相談面接数推移

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図4-4 公園・道路のテント等の推移と巡回相談面接数推移

 グラフの形で見れば、2001年以降、公園・道路のテント等の減少と新規面接人員とが、ともに減少傾向にあることこと、面接実数は、2006年数字が年度途中の数字であることを考慮すれば、ほぼ横ばい傾向といえることがわかる。

 このことは、巡回相談事業が、公園・道路等の固定層を中心に展開されているので、新規面接人員は、それら固定層の減少に伴って減少し、一方、年間面接実員は、相談員の増員で固定層の再面接が増えて一定の数字を保っていることを示しているように思える。

この間、大阪市における野宿生活者対策の施設の開所・運営状況は次の通りであった。

2000(平成12)年102日 自立支援センター 大淀 開所

2000(平成12)年116日 自立支援センター 西成 開所

2000(平成12)年1225日 自立支援センター 淀川 開所

2000(平成12)年1229日 長居仮設一時避難所開所(2003331日閉所)

2001(平成13)年1225日 西成仮設一時避難所開所(2005131日閉所)

2002(平成14)年1127日 大阪城仮設一時避難所開所

2006(平成18)年1月 自立支援センター 舞洲1 開所  1ヶ月遅れで 舞洲2 開所

 

 巡回相談は、「箱物」へ野宿生活者を誘導すること、テント等を少なくすることに集中して行われていたよう見える。

 市内野宿者の概数には、1998年8月に実施された大規模調査で把握された8,660人、2003年1月に国の全国調査に伴って把握された6,603人、2005年10月国勢調査にあたって参考に把握された3,540人がある。1998年と対比できる巡回調査の数字はないので、とりあえず、2003年、2005年について、それぞれの数字を尊重して把握割合を計算すると、2003年で42.8%、2005年で79.0%となる(表4-5)。

 

表4-5 仮定把握率

 

2005年でいえば、市内野宿者の2割を除く大多数は、巡回相談員の面接を、少なくとも年1回は受けているということになる。ただ、国勢調査時の把握は、移動層の把握が、全国調査時よりもさらに過小であると考えられるので、1,000人程度を加算する必要があるという意見もある。1,000人足しても、把握率は61.6%で、かなり高いといえる。

 2003年全国調査は、「都市公園、河川、道路・駅舎、その他」と、場所毎の集計がされている。その数字と、2003年大阪市内公園・道路のテント等の数字を比べると(表4-6)、全国調査の方が、公園で481人、道路で1,597人多くなっている。この原因は、調査時期の違いであるよりも、調査対象の違いであると考えられる。大阪市内公園・道路のテント等の数字は、固定層のみで、移動層は含まれていないが、全国調査では、両方が含まれている。河川については、比較数字がないが、都市公園同様の固定比率だとし、駅舎・その他を全て移動層だとすると、野宿生活者全体で固定率は47.6%となる。

 

 

表4-6 仮定固定率

 

 

1998年の概数調査の集計は、居住・就寝形態によっておこなわれていた。

 

A.テント、小屋掛け、段ボールハウス、その他の形態、廃車−2,253人(26.3%)

B.囲い段ボール、布団、ベッド、その他−607人(7.0%)

C.敷物、ベンチ−4,358人(50.3%)

D.何もなし−874人(10.1%)

E.移動者−568人(6.6%)                 総計8,660人

 

A.を固定層と見ると、固定率は26.3%となり、2003年のほうが、20%高いことになる。

場所別集計で、公園での合計を見ると、1,649人で、A.のグループは947人となっており、固定率は57.4%とやはり2003年のほうが高い。

テキスト ボックス: 公園 702人

 集計されている公園の数や、固定層の把握内容の違いがあり、単純に比較することに無理があることは承知で、この二つの数字が、野宿の長期化で固定層が増えたという一般の認識を支えるものであるかどうかを、検討してみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数字が信じられるとすれば、野宿生活者の減少は、移動層の減少によって実現しているといえる。その間の事業をもう少し詳しく推論してみよう。公園固定層の最大は、2000年の2,593人であった。2003年までに1,013人減少したことになっている。道路固定層の最大は、1999年の1,502人であった。2003年までに936人減少したことになる。

 公園減少分1,013人+道路減少分936人+1998年との比較増加分891人=2,840人

 この数字は、公園固定外と公園外固定外の減少合計2,948人とかなり近い数字である。

 再び、これらの数字が信じられるとすると、野宿の長期化により移動層が公園や道路などにテント・小屋掛けで定着し、それに対して巡回相談を施すことによって、自立支援センターや公園仮設避難所への入所を促進、市内野宿生活者の減少が実現している、と概括することができる。

 ちなみに、2005(平成17)年10月末現在の自立支援センター全体の入所者総数は、2,905人、公園仮設の受け入れ総数は615人、合計すれば、3,520人。この数字を2年さかのぼれば、公園固定外と公園外固定外の減少合計2,948人とかなり近い数字となるか。また、奇しくも国勢調査の参考数値、3,540人にも近い。極端に単純に考えれば、あと5年現状の対策を続ければ、野宿生活者対策は終わると見える。

 以上の検討の中に、欠けている要素がある。巡回相談の新規面接人員が、毎年ゼロではないということである。再面数で見れば、毎年積み重なっていることも把握される。1998年の出発の数字と、2003年の最終の数字を固定して考えれば、ものすごく美しく数字のつじつまは合っているように見えるが、では、途中で新規に野宿状態となった人々は、どこに消えたことになるのか、検討されなければならない。

 国勢調査の参考数値(3,540人)についていえば、固定率が5割に達しているものと仮定すれば、2005年の公園・道路のテント数1,577+河川900(仮定)=2,477の倍、4,954人を参考として、過小であると判断される。来年の実態調査では、移動層の把握方法が課題となる。

 

 なお、巡回相談は、相談の結果が求められる事業である。その状況をまとめると表4-7のようになる。「結果」の内容は、自立支援センター入所、救急搬送、受診等であるが、とりあえず、この表では全て1つの結果して扱っている。一人が1年に複数回ということもあれば、数年で2回ということもある。したがって、1999年新規面接を受けたものが、2006年までに結果にたどり着いたものは75人で回数の計は111であるが、実員でいえば70人というように、実員数の方が下回ることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

表4-7 年別「結果」人員と「結果」回数

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

表4-8 面接における結果の割合

 

結果と面接数をあわせると、表4-8になるが、面接に対する結果の割合が年を追ってやや低下の傾向が見られる。もし、固定層が増えている結果であるとすれば、今ある相談員が指し示す、「自立への選択肢」が、固定層にとって望ましいものではないと拒否されていると考えられ、あらたな対応が求められていることを示しているといえる。