社会病理学と都市底辺 小関三平著 汐文社 1968710日発行

まえがき
目次-02
第一部 社会病理学の反省と課題
  社会病理学の歴史と展開03
1.ブルジョア社会と社会問題/2.社会病理学の萌芽形態/3.アメリカ社会病理学の開花/4.現代社会病理学の反省と展望
  社会病理学の対象-新しき胎動の素描-04
 Ⅲ 社会問題の研究方法-認識と実践の結合を目指して-05
1.社会問題と人間形成(よき人生・「人こわし」とのたたかい)
2.社会問題研究の系譜(貧困調査・研究対象の分化・「社会病理学」・現代的傾向)
3.社会問題研究の課題(前提としての社会理論・実践的意義・日本社会の構造認識)
4社会問題研究の手順(全体の概観と対象の決定・生活破壊の階級的條件・体制的規定の分析・学習と既成資料の収集・資料作成としての調査・調査と実践)-06
5社会問題研究の主体(国民大衆の巨大な集団作業・インテリゲンチャの役割・社会科学者の多面的協同)-07

 

第二部 スラム問題の存在と意義
  スラム的労働の実態1960年における「釜ヶ崎」失対労働者の場合-08
はじめに-立場と視角/1.住民の社会的構成/2.調査課題・対象・方法/3.失対労働者の概念規定/4.分布と属性/5.労働と賃金/6.所得と消費/7.連隊と意識/8.階級帰属/9.住民的位置/10.改善の基本的前提/おわりに-反省と感謝:(自由労働者に関する戦後の主要な資料と文献・1960年まで)
   都市自由労働者の居住形態1962年における「釜ヶ崎ドヤ街」の場合-09
1.自由労働者と住宅問題/2.「ドヤ街」の居住形態/3.「ドヤ」居住の逆機能/4.自由労働者と「ドヤ街」
  現代日本のスラム問題-一つの短いおぼえ書-10
1.「スラム」の概念/2.失業・貧困・孤立/3.スラム住民の構成/4.スラム・マス
5流入の契機と経路6.スラム発生の基盤/7.スラム対策と行政/8.研究の課題-11
  スラム現象の基本的視点12
1.スラム概念の歴史性/2.体制的所産としてのスラム/3.スラムと外部の連続性/4.スラム現象の相対的独自性/5.スラム形態の多様性

 

第三部 都市問題の規定と基底と背景
  アメリカのスラム-その歴史と現状-13
はじめに/1.発生と展開(移民の流入・希望のスラム・都会のムラ・「もう一つのアメリカ」)/2.対策と課題(AICPの活動、アーバン・リニューワル方式、リニューワルの行詰り)/おわりに
  「部落」と「スラム」-貧困と差別の社会学-14
1.近代社会における貧困と差別/2.「部落」と「スラム」の現代的状況(A.部落/B.スラム)/3.貧困と差別からの解放運動
  都市貧困層の存在形態15
1.都市の光と闇/2.不良住宅地域/3.都市貧困層/4.都市の生活難と格差
  極貧層の堆積とその背景-むすびにかえて-16
堆積する被保護世帯/最底辺への転落の契機/貧困と傷病/底辺の諸階層/氷山の一角/「新しい貧乏」/抑えられる保護基準/貧困を克服する道
補論
 「社会病理学」の現実と可能性-好事家的雑学からの解放をめざす一つのエスキス-17
1.導入-社会病理学の現実的水準/2.社会問題研究の対象/3.社会病理学の源泉-リリエンフェルトにさかのぼって/4.社会解体論の展開-エリオットとメリルを頂点として/
5社会解体論の限界-リマートおよびクリナードとは別に/6.社会病理学の傾向-ミルズを手がかりに/7.社会問題研究の方法/8.帰結-社会病理学の可能的目標-18

『部落』1968.11 部落問題研究所出版部

「本棚」欄

 小関三平著 社会病理学と都市底辺
「産業社会」論とか「未来社会」論とかよばれる科学的な装いをもったブルジョア・イデオロギーが横行し、社会発展の究極的原因を生産枝術の進歩にもとめることによって、資本主義社会の未来がバラ色にえがきだされるとともに、国民の生活は消費を作りだす人びとの手によっておどらされ、豊富の幻想がまきちらされている。こうした状況のもとで国民大衆の多くにとっては、貧困の問題は視界の後方に押しやられ、忘れられがちである。だが果して、貧困はごく一部の者だけの特殊な問題なのであろうか。
19662月の物価水準にもとづいて人事院が試算した「標準生計費」でさえ、3人世帯で42,780円、5人世帯で59,040円と算出されている。これに対し同年度の労働者の賃金は、政府統計によっても平均34,230(全産業規模30人以上、臨時給与を含まず)にすぎず、企業規模10人以上の事巣所で働く労働者のうち、臨時給与を含めて月平均4万円以上の賃金の者は全体の約30%しかおらず、3万円以下の低賃金の者が全体の53%にも達しており、規模9人以下の零細企業労働者を含めれば、この低賃金層の比重はさらに大となる。「驚くべきは現時の文明国における多数人の貧乏である」という河上肇の「貧乏物語」(大正五年)の冒頭の言葉は、今日でもやはり真実をついているのである。
ここにとりあげた小関三平氏の著書「社会病理学と都市底辺」は、まさに、こうした現代日本の貧困の問題と正面からとりくんだ労作である。本書は、第一部「社会病理学の反省と課題」、第二部「スラム問題の存在と意義」第三部「都市問題の基盤と背景」および補録「社会病理学の現実と可能」から構成されており、これらの問題について著者がこれまで折にふれて発表してきた13の論文が収録されている。全体を通じて、本書における著者の意図は、次の二点に集約することができよう。
まず第一に本書は、貧困の問題を「基礎」として複雑多様な「病理症候」を示す社会問題についての、正しい科学的な研究方法を提示せんとする意図によってつらぬかれている。この点について著者は、19世紀末のヨーロッパに芽ばえ、192030年代以降のアメリカにおいて開花した社会病理学をとりあげ、従米の社会病理学のもっとも根本的な欠陥は、社会問題をその現象形態において表面的・断片的・羅列的に記述するにすぎず、「全体社会の体制的・階級的な構造の把握を欠き、社会問題を資本主義の矛盾の反映として把えないというところにある」とし、したがってそこでは「社会問題は社会の近代化にともなう社会的分化の必然的随伴物として宿命的にとらえられ、実践的堤言としては、せいぜい部分的・漸進的改良と、個人の矯正と適応が志向されるにすぎない」と、きびしく批判する。
だが同時に、社会問題の本質を「資本主義の矛盾の表われ」としてとらえ、「一切の現象を無媒介・高踏的に<資本主義の必然的所産>という一般的抽象論のみに還元」することだけに終わるべきではないとされる。著者によれば、必要なのは現存の社会体制の把握を基礎として、さまざまな「中間媒介項的諸要因」の分析を通じて、「どのような社会現象が、どのようなプロセスを経て、どういう形で、どの程度まで、体制によって規定されているかを、実証的検証をくり返しながら」具体的・個別的に明らかにする作業をつみ重ねていくことである。こうしたアプローチを通じて始めて、社会問題の研究の理論的基礎を堅固にし、「貧困と差別からの解放←→社会体制の変革という課題にこたえることも可能となるとされる。
こうした社会問題の研究方法について、とくに第一部の第三章では、社会問題=貧困の研究がふまえるべき根本的前提(研究視角ないし問題意識)、研究の具体的な手順、さらには参照すべき文献や統計資料にいたるまで、きわめて平易に、かつ懇切丁寧に説明されているので、研究の手引きとして一般の読者にとっても大へん参考になるであろう。
著者の第二の意図は、研究方法のたんなる提示にとどまらず、資本主義社会体制が基本的にはあらゆる社会問題を規定しているメカニズムを、実証的研究によって具体的に明らかにすることにある。著者は、現代日本の社会問題の「基底」をなす最も重要かつ緊急なカテゴリーとして貧困の問題をとりあげ、現代日本の貧困の全般的状況の分析・把握をふまえながら(とくに第三部の第三、第四章)、「社会問題を集約的に表現する結節点」であり「貧困と差別の集約的な担い手」である未解放部落とスラム、とくにスラムを実証的研究の対象としている。そして著者によれば、「事例研究・比較研究の積み重ねを通じてスラムへの流入・定着・沈澱過程のタイポロジーを開発し、さまざまなレベルとタイプの諸要因――とくに媒介的諸要因の選別と整理に、当面の重点をおきつつ、スラム研究を通じて、現代日本社会の具体的構造へと迫らねばならない」とされている。
だが本書では、著者らが昭和34年から数年にわたって実施した大阪市釜ケ崎の調査の結果にもとづいて、若干の分析がなされているにとどまり、スラム問題についての「真にヴァリディティをもつ<理論>の構成」は、さらに今後の具体的な実証的研究の積み重ねにまつ残された課題となっている。しかし右の若干の分析のなかからだけでも、スラム問題、ひいては貧困と差別の問題について、いろいろと教えられ、考えさせられる多くのものを、読者は見いだすことができるであろう。
最後に、一つだけ疑問を提出させてもらうならば、著者は、「まえがき」のなかで、みずからの立場を「正統マルクス主義」でもなければ「ブルジョア社会学」でもないと述べているが、では何なのか。事実、一方では従来の社会病理学や「伝統的社会学」のブルジョア的性格と欺瞞的性格とをきびしく批判しながらも、他方ではブルジョア社会学が作りだした諸概念や枠組みを払拭しきれないでいるところが見うけられないでもない。もとよりこれは、著者だけの問題ではない。わたし自身をも含めて、社会学を学び、社会学でメシを食っている者にとって、なかなか克服しえない弱点であるのかもしれない。
だが果して、ブルジョア社会学が作りだした諸概念や粋組みのなかに、使用にたえうる「少しでも有用なもの」がありうるのだろうか。そもそも概念は、ある範囲の対象ないし現象をさし示すとともに、その対象や現象の木質的な性質・関係をあらわしており、ある特定の理論のうえに構成されている。したがって、ある概念によってさし示されている対象や現象がいかに重要であっても、その概念が誤った理論のうえに構成されたものであるかぎり、その対象や現象の正しい科学的認識のためには、その概念は排除されなければならないのではあるまいか。
(神戸大学助教授 杉之原寿一)
汐文社発行、B6.350頁 690円、〒70