大阪に於ける下等労働者の状況(承前)

   戸数三千〇四十二戸人口九千九百八十八人の中に就きて男子は四千

   九百四十六人女子は五千〇四十二人女子は男子より多数を占むるを

   以て従て出産する者多く年々多く貧乏人に子沢山の諺に違はざれ共

   多くは其食の充分ならざるが為め衣服の不足なるが為め哀れ果かな

   くも出産者の多くは一寸浮世に顔出したる迄にて空しく黄泉の客と

   なり終るを常とす去れば貧民の一般は己が愛児すら養育し能はざる

   有様なれば其食と云へば又{1}{2}糠粕に腹を充たし五厘の醤

   油一厘の塩一錢の薪も空しきが常にして時に或は祭余の残肴余瀝に

   舌鼓鳴して栄養を取り此上もなき珍味佳肴を賞賛する事あれど是れ

   固より稀有の事なり其衣服に至りても寒威凛冽肌を裂く冬の空単衣

   一枚暖を取るあれば襤褸を着て一冬を過ごすあり其薪は往来より拾

   ひ来る者か又は近里の山中に入りて折り取り来る者薪炭の火に暖を

   取る者に至りては稀れに見る処なり故に貧民に取りては夏ほど便利

   なる者なし彼等は一枚の湯巻を着くるのみ皆裸体の有様なればなり

   垢は体に充ち虱は巣を造りて子孫を増し蚤は潜みて同類を孵化する

   に至りては言に及ばず甚しきは重き疾病に罹りても一点の薬さへ買

   ふ能はざるを以て只神仏の力によりて之が快復を企図す去れば衣食

   の為には杖にすがりて歩行する如き老翁も己が養育したる子弟の為

   め鉄拳に打たれ或ひは蝶よ花よと育て上げたる妙齢の女子に色を勧

   めて道行く人の袂を曳かしめ或ひは夫婦互ひに争闘して果ては巡査

   の拘引となり其他兄弟姉妹の喧嘩口論長屋同志の闘争は常に絶ゆる

   事なく仁義礼儀を度外にして親愛友誼を放擲す嗚呼彼等をして此の

   如き状況に対面せしめたる者衣と食とにあるかと思へば覚えず涙

   {3}然として下る

   今大阪に於ける此等貧民の巣窟とも云ふべき所は名護町を始めとし

   北区岩井町、難波毘沙門裏、福島羅漢前、北野蒸気長屋、北野焼寺、

   川崎橋屋裏、木津の赤手拭、松屋町小人屋敷、西九条等を其最とし

   其の他諸所に散居する者枚挙に遑あらず扨此貧民の住居する所に入

   り込む通路は幅一間の道にて此道に沿ふたる裏長屋は恰かも汽車の

   如く連接するを以て蒸気長屋の称へあり間口奥行共に一間半甚しき

   は一間位の者あり路次の所には「何々屋うら」と記せし行燈を掛け

   通路の突当りに一の小なる堂宇を建てゝ地蔵尊を奉祀し常に一厘二

   厘の錢を賽して年二回祭祀の料とし以て平常心労の苦を慰す是れ恰

   かも市中一般の人々が氏神の祭礼に酒肴を用意して其の日を歓楽に

   送ると同じ (未完)

   

   {1}……食+唐、あめ

   {2}……米+ガンダレの下に萬、くろごめ、玄米

   {3}……潸の月《つき げつ》のかわりに日

   著者:大阪毎日新聞
   表題:大阪に於ける下等労働者の状況
   時期:18930712/明治26年7月12日
   初出:大阪毎日新聞
   種別:貧民論