貧民と監獄

   米価暴かに騰貴して貧民の嘆声四方に起る、是れ誠に経世家の謀慮

   を要する処なり、貧民愈よ困頓して監獄場裏罪囚を増す、是れ誠に

   安圄者の思考を費す可き処なり、蓋し金融の必迫と云ひ米価の騰貴

   と云ひ気候の不順当と云へる如き世にも不幸の兆候を表はす時に当

   てや所謂貧民なるもの時を得顔に困苦の声を作り又或は無事を厭ふ

   の輩故らに其嘆声を鼓動して私かに自家の名利に資せんとするもの

   なきに非ざれば漫然慈恵を施こして其窮迫を救恤するは(其情甚だ

   嘉すべきも)適ま懶怠の悪習を誘起するの結果に陥らざるを得ず、

   是れ吾輩が前日来論弁を費せる所なり左ればとて若し之をして成行

   きのまゝに放擲せんか多多益す罪人を増殖して安民の術を失せんと

   す此時に当りて世を経する者は一時姑息の策に出ずして永遠持久の

   計をなさゞる可らず

   吾輩は頃日其筋に於て精調したる全国監獄囚徒の増減表なるものを

   得たり、今貧困と犯罪の関係を証するには最も適当の表なるべしと

   信ずるを以て之を左に掲ぐ

    明治廿六年四月調査

     囚人    五萬三千六百六十一人

     刑事被告    四千九百四十三人

     懲治        二百〇〇三人

     別席留置  一萬〇〇〇〇〇〇〇人

     携帯乳児      二百二十七人

    合計     六萬〇〇〇〇三十四人

    明治廿三年四月調査

     囚人    五萬九千一百九十七人

     刑事被告    八千五百〇〇七人

     懲治        二百二十九人

     別席留置      八百八十六人

     携帯乳児      三百六十九人

    合計    六萬九千人一百八十八人

   

   此の表に依れば全国の府県監獄に於て囚徒及び其の他在監人総数の

   昨今一年間に増加すること実に九千百五十四人即ち殆ど一萬に垂ん

   とする大数を増したるを見る可し、特別なる数多の原因ある外に於

   て僅々の日子に此の如き増数を見るは絶て無くしてわづかに有るも

   のと謂はざる可らず、聞く夫の明治十七八年の交に於て我国囚徒の

   数は空前絶後の多数に達したり、其原因とする所を問へば曰く新刑

   法の実施の余響、曰く治罪法の特令曰く博徒の厳束之に加ふるに物

   価の騰貴を以てす此の如く前後に接続せる諸種の原因は以て当時囚

   徒の増加を催したるも其後訓令等の示す処漸く博徒の取締を寛にし

   て細微を発かずまた世上には諸会社製造の事業勃興して人々に職業

   を与へたるより十九年廿年と次第に減少しつつ以て廿一年に至れり

   廿一年の末より昨年、昨年より今年に至りてはまた漸く増加し終に

   前掲の如き多数を見るに至りし所以のものは彼の明治十七八年と同

   視すべからざるは勿論にして誠に異数と云はざる可らず、凡そ罪悪

   の原因如何にと問はゞ人民の無智、道徳の腐敗、法政の宜しきを得

   ざる等其数も亦た多しと雖も其貧困に原づくもの蓋し多からん殊に

   無智不徳と云へるが如きは一朝一夕の変更すべきものに非ずして法

   政の変改もなく行処法の寛厳も格段に其度を異にせざる、而かも僅

   少の時日に於て著しき罪人の増加を見るが如きは貧困唯一の原因な

   りと断定して敢て差支なかるべし、夫の織物製紙等盛況を極むるの

   時に於て生産最寄の地方に妖婦醜行の跡を絶ち、其業の世上に不景

   気を見るに至りてまた倏忽として風俗上の犯罪人多きを加ふるが如

   き其他製造の旺盛、土木工事の頻繁は労働社会をして其行為を慎ま

   しむる代りに其事業の寡少衰頽は頓に市井無頼の徒を増加するの傾

   きある如き事実の最も視易き処にして事業と監獄との繁昌は適ま反

   比例を為すこと更に疑ふを須ゐざるなり (未完)

   

   著者:大阪毎日新聞
   表題:貧民と監獄
   時期:18900616/明治23年6月17日
   初出:大阪毎日新聞
   種別:貧民論