第二の名護町

   大阪にて腐敗空気の醸造場悪疫伝播の製造所は何処なりやと言はゞ

   誰も直ちに指《指》を名護町に屈するなるべしされば大阪府も来年

   六月より追々取払可きの令を布きし程なるが茲に或人が所用ありて

   昨日同所に接近せる難波今宮木津の三ヶ村を通行せしといふ其話を

   聞くに固より一見に止まるを以て其の名護町と同じ性質の人間を養

   成するや否やは未だ速かに観察し能はざれども夫の腐敗せる空気を

   醸造し悪疫を製造すると云ふの二点に至つて名護町に優るとも敢て

   劣ることなかるべし{1}も同所は数年前までは今日の如き人煙を

   見ることは夢想にもなく何れも一小村落にして畑又は田の中に揚地

   もせず五軒六軒と人家を構へて住居なせしより悪水排除の方法もな

   く冬日も到る処に臭気鼻を衝かざるはなく宅地も右の次第なれば常

   に湿気に冒され降雨の時抔は壁土が床上まで湿ふ程なり又た道路も

   右の如く宅地に準じ地面の低ければ此程の雨には潦水の□け口なく

   三寸乃至五寸もドブ/\と溜り甚だしきは悪水が往来へ汎濫出し実

   に一見して嘔吐を催す有様なりしといふ又た家屋の構造も固より不

   完)》全なるを免がれず木津村の平瀬長屋難波村の鳥福長屋の如き

   は長屋建築規則に拠りて多少の改正を加へしも十八年コレラ流行の

   際には此等数ヶ村(難波村丈けにても二千余名ありし)に数千名の

   患者を発生したりき斯れば今日に於ては容易に改良の方法を講ずる

   こと難かるべきも当局者及び有志者にて十分の注意を要するに於て

   は多少の改良は出来得るならんか(是迄の如き僅々数百円の水道浚

   疎費や道路修繕費にては其見込みなきも)但し廿一年十二月三十一

   日の取調は難波村七千百九十五戸二萬千百六名今宮村千二十戸四千

   三百四十七名木津村千三百九十五戸六千三百七十六名の戸数人口な

   るが此戸数人口には寄留にて洩れたる分も少なからず殊に其後増加

   せしも多かるべければ現今にては一割に増加したりと見積るも不当

   にはあらざるべく総て此辺は年々一割位づゝ増加する位なれば其所

   に注目して向来悪水の排除法及び他揚道路の附方等に何とか取締を

   附けては如何と語りたりき

   

   {1}……「其」の古字を誤ったもの。その

   □…………判読不能

   著者:大阪毎日新聞
   表題:第二の名護町
   時期:18890606/明治22年6月6日
   初出:大阪毎日新聞
   種別:難波・今宮・木津