名護町事件

   曾て詳しく記載せし彼の南区日本橋筋三四五丁目の不潔家屋を取払

   ひに之に二ヶ所の劇場と各興業場、人寄席、遊郭等を移さんとのこ

   とは愈々よ一昨日を以て聞届けの指令あるたり尤も最初地主より選

   挙されたる土地改良委員九名より出願せんことを悉く許可されしに

   は非ずして興行場ぢやう、遊覧所、人寄席、遊戯所、劇場二ヶ所等

   を之に移すことを許されしまでなりと云ふ左れど地主や家主等は大

   に僥倖を得さりとし最初願書に記せし通り三丁目は今より向ふ六ヶ

   月以内に之を取払ひ夫れより四丁目、五丁目の取払ひに取掛り詰り

   向ふ十八ヶ月間には三ヶ町とも全く之を取払ひ尽さんとて何れも今

   より既に支度中にて明廿五日中には三丁目の中央なる字御蔵跡筋角

   及び五丁目の南端れなる名護橋の際へ免許劇場並びに諸興行地と云

   へる大いなる標杭を建設する筈なりとぞ又右三ヶ町の土地改良委員

   九名は昨日劇場其他の位置取極めの為め相談会を開きたる処三町と

   も我れこそ之を取らんと言張る者ありて到底二ヶ所の劇場にては折

   合はざるに付今一ヶ所の劇場を移すこととし即ち三町皆な一とつ宛

   の劇場を有することとせば可ならんとのことに相談粗ぼ纏まりたれ

   ば不日更に追願するべしと云ふ

   

   著者:大阪日報
   表題:名護町事件
   時期:18870724/明治20年7月24日
   初出:大阪日報
   種別:長町取払/