論説 旧名護町人家の移転

   府下南区日本橋南詰以南旧名護町は不潔汚醜の場所にして貧民の巣

   窟悪漢の淵叢とも称すべき処なるを以て今般建野府知事の特許を得

   て同町の人家を他処に移転するために区は区会議員より郡は町村会

   議員より各五名宛を互選し都合廿五名を以て東西南北并に西成郡の

   連合会を組織し本件の全体及為に要する長《名が》屋建家数凡二千

   戸地所凡三千坪の費額凡六万圓を議決せしむるの計画あるよしは載

   て去八月十四日の紙上にあり右に付東西南北の四区役所并に西成郡

   役所は各書記一名を委員とし連合会に提出せんため編纂せしめたる

   議案は全く其稿を終り連合会の議員廿五名の選挙も亦已に其終を告

   たるよしは亦去月廿一日廿四日両日の紙上に於て報道したる所なり

   是を以て旧名護町人家移転に関する連合会の準備は業に已に成り今

   は唯其開会の日に当り議員諸氏の之に対する決議如何を知らんと欲

   するのみの場合に達したるなり而して本件たる僅に府下一部の人民

   に係る事にして全体の関係あるにあらざる如くなれども其利害得失

   を論ずるに至ては府下一般に影響する所少からざるを以て余輩は之

   を黙々に付する能はず敢て茲に卑見を陳じ以て議員諸氏の参考に供

   せんと欲するものなり

   蓋し大坂に不潔汚醜の名ある久し旧名護町に矮屋陋巷のある久し大

   坂に倫盗掏摸の多き名ある久し旧名護町より罪人を出す久し大坂に

   悪風俗の名ある久し旧名護町に破落戸博徒の住居する久し大坂に悪

   疫流行の名ある久し旧名護町より数多の伝染病者を出すこと久し大

   阪は全国第二の都会商業の中心なりと称するに拘はらず不潔汚醜、

   倫盗掏摸、悪風俗、悪疫等の名を以て全国に藉々たるものは何ぞや

   素より一概に之を云ふべからざる所ありと雖も旧名護町の存するあ

   りて始めて生ずるものゝ如し故に今大坂をして此等の醜名を去しめ

   んと欲するには先づ旧名護町の人家を他に移転するに在りとは業に

   已に世人の口頭に屡する所なり寔に旧名護町の如きは今更喋々する

   までもなき事ながら数町の間一家を維持し相当の業を営み尋常の生

   計を立るものは暁星の寥々たるが如くして多くは一戸の内を数画に

   区別し一室の内数人相住み南土の者も北越の者と膝を接し東奥の者

   は西薩の者と枕を併べ其状恰も街道筋の木賃宿若くは安泊と称する

   者と一般にして而て尋常の木賃宿安泊の如きは僅に一夜の宿客を泊

   せしむるに過ざれども旧名護町は長きは数年短きも数月間此の如し

   て生計を為す者なり故に一戸の内は恰も小長屋の如くして茲に住す

   るもの十余名乃至二十四五名に達するものありと云へり又偶ま一戸

   を有するものあるも其家屋は極て陋矮にして不潔甚しく先づ鼻を掩

   ふて而る後にあらざれば其内に入る能はざるほどにて通常一般の貧

   家或は裏長屋と同視すべからざるものとす而して其人民の種類を問

   へば概ね紙屑拾、煙筒仕替、金屑浚、門附、乞食、等の事を以て日

   に二三銭乃至五六銭の銭を得て以て僅に生計を為すものにて世に最

   賎業と称する所の紙屑買の如きは名護町社会に在て最上の地位を占

   めるものとす而して紙屑拾煙筒仕替等貧民の群住するは姑く堪べし

   とするも彼の木賃宿安泊に彷彿たる状態あるを以て諸方より悪漢の

   茲に蟻集して潜伏するもの亦少しと為さず旧名護町を概言すれば社

   会の極貧者犯罪人の巣窟と称するも敢て誣言にあらざるなり故に大

   坂の犯罪人を云ば先づ名護町の住民を指し大坂の流行病を云ば先づ

   名護町の住民を指し大坂の貧民を云ば先づ名護町の住民を指し苟も

   大坂に在て有害のものは悉く名護町より発生せざるはなきが如く実

   に名護町は大坂の疾病と謂ふべきなり是れ今回名護町人家移転の計

   画の由て起りたる所以なり而して名護町の人家を移転するに付ては

   巨額の費金を要し且貧民と雖も均しく大坂区内の人民なるに之をし

   て区内に受得る幸福を失はしむるの恐なきにあらざれども此移転よ

   り大坂全体に生ずる利益は少からず即ち左の如し

   第一 公安を維持する事

   第二 衛生に利益ある事

   第三 風俗を釐正する事

   第四 区内の体面を善くする事

   請ふ次号に其所以を述ん

   (未完)

   

   著者:朝日新聞
   表題:論説 旧名護町人家の移転
   時期:18860904/明治19年9月4日
   初出:朝日新聞
   種別:論説/長町取払/