長町人家移転の決行

   去八日の紙上に長町弊習一洗の協議と題して長町人家を他に移転す

   るの協議あるよしを記しおきたるが右は愈々建野知事の特許を得て

   決行することの手順に運び急に東西南北の四区并に西成郡の連合会

   を組織し四区一郡役所より勧業掛主任者各一名を出し都合五名をし

   て先づ原案を作らしめ区は区会議員より郡は町村会議員より各五名

   宛を互選して都合廿五名を連合会員とし来十八日午前十時より各郡

   区役所に於て其選挙会を開き其第一選挙区は西区(百七十五ヶ町)

   第二は南区(九十二ヶ町)第三は東区(百五十七ヶ町)第四は北区

   (九十四ヶ町)第五は西成郡(八十九ヶ町村)と定め追て右連合会

   場に充つるは府会議事堂の手筈なりとの事にてその長町移転の事に

   愈着手なりしうへは長屋建家数凡二千戸地所凡三千坪余にして其建

   築費額は凡六万円の予算又其家屋は皆公設とし場所は多分難波村辺

   なるべく而して此連合会一切の管理は南区長において担任せらるゝ

   との事なり抑此長町といへるは今更事新らしく申すまでもなく不潔

   汚醜の場所にして貧民の巣窟悪漢の潜伏場たる如きの姿を成し紙屑

   拾ひの軒づけ乞丐児などいへる類の最下等の人種は皆此中より出で

   全く人間社会の外に立て尋常人に歯せられざるものゝみの集合する

   所なれば悪疫流行の時の如き先づ之が媒助をなして惨毒を他に伝播

   せしむるの憂あり其外此中より生ずる所の害は一々枚挙に暇あらざ

   るほどの事ゆゑ吾大坂市内に斯る不潔の場所あるは甚だ慨嘆すべき

   ものなりとて吾も人も共に其取払の断行を望むこと頻りなりしが今

   や其協議の一決して連合会を開くの時機に臨みたるは府下の為め尤

   も喜ぶべき所なり

   

   著者:朝日新聞
   表題:長町人家移転の決行
   時期:18860814/明治19年8月14日
   初出:朝日新聞
   種別:長町取払/