府立救育場

   授産場を設け悲田院を建て世の貧民の為めに救助の道を開き或は産

   業を得せしめ後日生活の途に就かしむるは開明の世にありては人類

   相互の事にて曩に東区粉川町へ府立救育場を設置し専ら貧民を救育

   する事となりたるが今聞処に依れば同場には平生二百人以上二百五

   十人迄の受救者居りて各々身に相応せし職業を与へ余暇に習字算術

   等を伝授し其内少し読書の出来る者は藤田組又は硝子製造会社其他

   の工業場へ其筋より照会の上雑役の就かしめ又は職業見習等の為所

   々ヘ遣はし又人民に於て救育人を雑役に傭はん事を望む者は日に六

   銭の賃金にて弁当を持せて依頼に応ずる事もあれば勉励する者は成

   規通りの貯金をなし居りても暫にして相当の金を貯ふるに至るなり

   同場に於ては是等の者の勤怠を見て其の独立するに差支無き見込み

   ある者は本人居住する地の戸長又は家主等へ照会の上六ヶ月分の家

   賃を先払となし猶一ヶ月分の食料をさへ与へて出場させる事もあり

   現に是等の法に依り上独立して糊口を凌ぎ居る者少なからず又已に

   独立なし居る者の中にも職業を営むに未だ十分道あらざる者は同場

   に依頼して其業務(下職)を営むも多く又同場は大体毎月百名位宛

   の出入ありて近頃大に体面を改めしのみならず実際失業者の産業を

   得たる者少からず該場設置以来猶日浅しと雖も斯の如く好結果を顕

   はしたるに就ては府下の豪商鴻池善右衛門住友吉右衛門の両氏は大

   に感ずる所ありて今度金千円宛救育費の内へ寄附したり右に就き該

   場長を兼務する平田衛生課長は此寄附金を以て一層同場の拡張を謀

   らるゝ由に聞しが貧民救育の道の益々盛んになり行くは誠に喜ばし

   き次第なり

   

   著者:朝日新聞
   表題:府立救育場
   時期:18860804/明治19年8月4日
   初出:朝日新聞
   種別:社会事業/府立救育場