名護町製傘の需用

   南区日本橋筋三丁目辺りは彼の名護町とて最も貧民の多き有名の土

   地なるが兼て同地に於て製造する傘は是迄各地へ向け多額の輸出を

   なし随分高評のある一物産なれども近来は広島及び讃岐等に於ても

   盛に之を製造し当地にも追々輸入する事になりしを以て幾分か名護

   町製の傘に影響を及ばせし模様なるが右一年の製造商高じゃ二百三

   十二万五千本(此概価二十五万四千六百二十円)にして同町の重な

   る製造家は由賀清造と云ひ今を距る百年前寛政元年頃の創案なりと

   聞く。

   著者:大阪毎日新聞
   表題:反対論興る
   時期:18900215/明治23年2月15日
   初出:大阪毎日新聞
   種別:製傘