千日前の火事

   一昨七日夜十一時難波村字千日前にて目下鞠乗の興業をせし奥田井

   兵衛所有小家より出火し直に其裏手の自安寺妙見宮の絵馬堂をかす

   りて南へ延焼し猶西側に移り東は自安寺の境内南は溝の側迄北は竹

   林寺墓所の高塀迄西は西側人家及観物小家残らず焼失し同夜一時四

   十分鎮火せり抑も此の辺は観物小家のみの並列せし繁華の場所柄に

   して目下興業中焼失せしは名古屋下りのヘラ/\。男女小供合併の

   手踊。洋犬芝居。女身振狂言(是は目下中止)竹沢万治の曲独楽。

   鳥羽下の海士。撃剣。手品身振り狂言。鞠乗等なるが此内大小家二

   ケ所中小家六ケ所都合八ケ所其他に楊弓大弓吹屋餅店煮売店黒住派

   教会所妙見堂内の末社二ケ所鐘突堂(但し半焼)等も焼失せり此処

   の西側は南区にて即ち難波新地二番町三番町となり東側は難波村と

   なり両側其管轄区域を異にせり而し南区の分は焼失の建坪数二百五

   十七坪九合一夕難波村の分同百三十六坪なり初め火の起りし時は近

   傍の人家未だ寝に就かず勿論各小家の興業は巳に終りしのみにてへ

   ラ/\洋犬芝居などは上り銭の銭割勘定を為しをりしから此出火を

   聞き上り銭を寄集めるに暇あらず其まゝに捨て命から/\漸く逃出

   せしぐらゐなりしと此うち尤も倉皇狼狽を極めしは犀豹大蛇などの

   観物小家にていづれも容易く人手に合ひかぬる畜類のみなれどスワ

   火事といふより急に引出さんとするも意の如くならず犀と大蛇は僅

   に引出したるも豹の如きは竟に引出しかねて小家の内に打遣りおき

   しが幸ひにして此小家は南の焼止まり近傍に在りて焼残り豹も危き

   間に一命を拾ひ得たる姿にて豹自身僥倖は固より小家主に於ても定

   めし満悦を表せしならん又此混雑中に難波村番地不祥の豊島豊助

   (四十二)といふ按摩業をなせるもの予て西阪町五十一番地阪本音

   吉方に出稼をなし居たるより同家の家財を取片付んと奔走中持病の

   疝気が発り路傍に打倒れける処へ群集の人々斯くとは知らず火事の

   方ばかり向て駆出す足先に蹂躪せられ遂に踏殺されたりとは彼の豹

   と幸不幸相反して最と憫然なり又火の原因は鞠乗り小家の東下桟敷

   より発りしといひ又同小家舞台下手の奈落よりなりともいひ未だ判

   然せざれど此小家は同日午前八時より興業し同午後五時限にて打出

   し跡には番人の小家を守りしのみなれば全く番人の粗相に出でしか

   将た浅宵の内に火の気の残りしものより発せしか両様の内に相違な

   しといへり又警察本部に備付の蒸気喞筒《じようきポンプ》は出火

   最中現場に引出し太左衛門橋北詰に据付二本の水管にて頻りに注射

   したるを以て頗る其功を奏し猶此外水の手は海士の小家に掘溜たる

   水と同村千四百七十三番地(焼止り)津和某の嬉湯に汲ためたる湯

   水とを用しゆゑ消防上大に便利を得又消防夫中には負傷したるもの

   多けれど皆さしたる重傷なく難波村戸長役場の出張所(千日前通の

   東裏手)には警官医師の出張して夫々負傷者を治療せられぬ此千日

   前の出火は同所開闢以來明治十年の冬一度焼失し今度が第二回目に

   て此前の時にも丁度夜の十一時より燃出し鎮火の時刻も大抵同様な

   りしといふは亦奇なり前夜の火事は幸にして風あらざりしかど火の

   手太だ熾にして殊に近傍の小家は皆莚簾又は板などを以て構造せし

   ものなれば転瞬間に近傍へ延焼して忽ち一面の火となりしより余程

   大火の如くに見へ且其月夜なりし故にや船場以北より望めば尤も近

   く見え大川町辺にては船場の中央即ち本町近傍ならんとの想像殊に

   多く又戎橋の{1}店京與(三階楼)なりといふものも多かりしが

   是は中らずと雖も遠からずといふべし猶此外にも記すべき事あれど

   余白に乏しければ次号に附すべし。

   

   {1}  鶏の右+離の左

   著者:朝日新聞
   表題:千日前の火事
   時期:18861009/明治19年10月9日
   初出:朝日新聞
   種別:千日前火災