『住宅』155 通巻164号 1966510日発行 社団法人 日本住宅協会

スラム特集-住宅の底辺
スラムの機能と分類 / 磯村英一/p2840
 はじめに
 生活的水準によるもの-第1要件
1)低所得/(2)低支出/(3)定職性
 社会的性格によるもの-第2要件
1)貧乏性/(2)前近代性/(3)排他性
 社会的階層によるもの
1)社会階級性/(2)非常災害性/(3)少数集団性
 物理的構造によるもの
1)定着性/(2)密着性/(3)老朽性/(4)非規格性/(5)共同化性(イ.便所の共同化/ロ.炊事場の共同性/ハ.障壁の共同性/ニ.景観の共同性
 地域的構成によるもの
1)大都市型/(2)中都市型/(3)近郊農村型/(4)農漁村型
 時代的過程によるもの
1)封建的スラム/(2)前近代的スラム/(3)近代的スラム

Ⅰ はじめに

 わたくしはしばしば海外の都市を訪れる。そのたび毎に、都市のスラムを見て廻る。こういってもスラムを必ずしも都市に限定するのではない。地方まで足を伸す余裕がないからである。
 去年の夏、イギリスの住宅兼自治省からの招きで、その国のニュー・タウンを視察した。おたくしの目標はニュータウンよりも、古い都市、とくにその中のスラムにあった。その帰途欧州の二、三の都市を廻って、スラムを捜してみた。
 ロンドンには、その昔から有名な東部地区がある。Charles Boothの研究、Toymbeeの努力によって開発されたその地区も、第二次大戦後は、スラムではもうないという説明だった。なるほど行ってみると、巨大な住宅群が並んでおり、遊園地も出来ている。しかしわたしには、いぜんとしてその地区が、スラムだ、又は、再びそれになる可能性を感ぜざるをえなかった。その理由はあとで説明する。
 パリの市役所の人にスラムを見せてくれといったら、ノートルダム寺院の附近を何回か歩き廻らされた。そこには、1800年代、あるいはそれ以前の住居番号表示のあるくずれかかった建物がいくつかあった。しかしいくらそれがスラムだといわれても、背景になる寺院や、昔ながらの石で敷いた鋪道をみると、どうしてもスラムという実感が湧いて来ない。強いていえば京都の寺巡りをしているような感じである。これはスラムと思えないといったら、それならパリーの中心地はほとんどスラムと思えばいいと皮肉をいわれた。
 海外の旅行から、とくに欧州の旅行から、アジアの都市に足を踏み入れると、町並や建物の古さは同じでも、アジアの町は、どこかにスラムがあるという印象が強い。それは考えてみると、アジアの町には、人間が道路に溢れているからと思われる。必ずしもアジアの比較的未開発の国の町をいうのではない。先進国に近づきつつある日本の町をみても同じである。毎日その中で生活をしているとわからないが、しばらく国を離れて帰ってくると、実にその印象は強い。
 わたくしに与えられた課題は、スラムの分類である。だからこんな余分な文章を長く必要はないわけである。しかしスラムは、必ずしも学者や専門家?が、頭の中だけでスラムの現象面だけをみて機械的に分類することのできるものではない。むしろ現象的に分類できないような“生活機能のConplexのなかに、スラムという状態が存在していると思う。しかもわたくしは、分類の説明をする前に、もう二つの特色ある社会の底辺地区の特色を書いて読者の理解を深めることとする。その一つは通称ドヤ地区-ドヤ街-についてである。これはスラムを論じ、その対策を練る場合に、大きな要因となる。精細は、あとで説明する分類を読んでもらえばわかる。ただ予めいいたいのは、通常のスラムに居住するものは、土地に対する定着性、とくにその個人的占有性が非常に強い。これはスラムの最大の特徴でもある。同様にドヤ地区に居住するものにおいても、土地に対する定着性はありうる。しかし住居への個人的占有性は――たとえ本人はそれを意識しても――弱い。毎日ドヤに対して宿賃を払わなければ、そこをねぐらとすることはできないからである。時によっては青カン――青大井に寝る――をせざるをえない。しかしそれだからといって、占有性がないというのではない。一つの住居、ドヤに対しての占有性は少いが、地域としては極めて強いものがある。ドヤが寝室とすれば道路は食堂であり、サロンともなる。街全体が一っの血縁的・地縁的集団の関係となる。したがって地域としての定着性占有性は、逆に極めて強いということができる。些細なことで、東京や大阪のドヤ地区に、地区住民による暴動が起ったのも、それらの地区が以上のような流動的な性質をもっているからである。もう一つの課題は、未解放部落についてである。
 わが国の未解放部落――現在では同和地区といわれており、政府の施策の呼称も“同和対策”と呼んでいる。しかし一般的には未解放部落という――は、その居住の形態が現象的に不良住宅群の密集した状況を呈しているので、他のスラム同様環境面に重点がおかれて検討されているが、これは未開放部落を正しく見ることにはならない。これはスラムをば単に、住居の状態の不良性、いわゆる不良住宅といわれるものに限定して考える結果である。スラムが、このような環境についての概念のみによって評価・分類されることは、その対策を考慮するうえからいっても必ずしも妥当とは思われない。たとえその生活状態に類似するものがあっても、その形成の要因に違いのあることは、明かにされねばならない。スラムは、現代のように、生活の科学化、近代化の進んだ社会になることと無関係に、依然形成される可能性は残っている。それは、おが国の未解放部落が、封建的社会体制の遺産であるにも拘らず資本主義体制下においても依然増大している事例がこの事を最もよく説明しているともいえる。ここに未解放部落が、単なる不良環境地区の問題として考えてはならない理由を見出すのである。
 以上のように考えてくると、同じような貧しい人達の集りのようにしか見えないスラムにも大きな差異があり、その差異はスラム形成のプロセスによって決って来るわけである。その生成のプロセスこそその分類の順位に影響をもってくる。しばしば触れているように、不良住宅地区ということは、物理的な要因-physical factor-を中心にした考え方である。今までのスラムもやはりPhysical factorのみで把える場合が多かった。住居が人間生活の様式であるがその間の関係は住居が人間生活を規定するという一方的な関係ではなくて、生活と住居の形式が相互に影響し合って常に変化して行くものである。したがって生活の条件、即ち生活を規制する経済的、社会的条件がphysicalな要件に対して働くsocial factorということができる。平たくいえば、貧困や身分の差別は人間にとって“現在与えられた衣服”である。衣服は、生活の条件やその人間性を歪めそして封建社会では現実にその階層によって物理的なその様式まで視定されていた。住居もまさにそれに等しい。したがってわたくしは、スラム分類の大項目を次の順位に定めておくことにした。
1)生活的水準によるもの-Standard of living-(職業、所得、消費等を内容とする)
2)杜会的性格によるもの-Social character(Personality、集団性、等)
3)社会的階層によるもの-Social stratification(学歴、技能、人種等)
4)物理的構造によるもの-physical structure(土地、住居、等)
5)地域的構成によるもの-Spacial structure(都市、畏村、漁村等)
6)時代的過程によるもの-Periodica1 Process(封建的、前近代的、近代的)
7)総合的指標によるもの-comprehensive index(スラム、ドヤ、部落等)
 重ねて附言するが、一般的にはスラムの分類は、住居の不良化とか集団化とかから示されるのが多い。しかしわたくしのように社会学の立場からスラムを観察するとき、又同時に、現代の住居形式あるいは住宅政策のなかにも、時間的経過においてはスラムを形成する要因が含まれていると考えると、このような分類から始めることを適当とするのである。
()ただし、このようなスラムの分顛の仕方はあくまでも歴史的な運動理論によるものではなく、むしろ各時代、各時期におけるスラムの現象論的な認識を導きだす方途を示すものといえよう。ここで磯村氏が「時間的経過において」といっているのは、現在までの歴史の中でスラムの現象論的な認識のためには、このような社会学的アプローチも有効であると指摘しているのであって、歴史的運動論について営求している訳ではないので注釈をしておく(研究グループ)

Ⅱ 生活的水準によるもの-第1要件

1)低所得
 スラム居住者が一般に低所得であることはいうまでもない。しかしそれは、スラム居住者が自ら好んで(恩情等で)そのような低所得に甘んじているからではない。幼児より貧困の中で育ち、成人しても学力や技術をみがく機会が与えられなかったため、生産性の高い職業への道は実質的にふさがれているだけではなく、失対労務者や建設工事の人夫などのように単純労働においてさえ就労の機会が保障されていないためである。
 スラムがしばしば、都市生活のなかの吹溜りとして表現される。又資本主義社会における生活の避難所と称えられる。それは激しい生存競争(()この意味は単に個人対個人ではなく、農村と都市、大資本と中小資本というような意味で考えた方がよい(研究グループ))のなかで、個人の意欲等とは無関係にその競争において打ち敗され、それまでの雇庸の場を追われて行くためである。しかし生命を維持するためには選択することなく残された生産性が低く、不安定な今までよりもっとも簡単な仕事に追い込まれてしまう。その中の幸運なほんの一部の例外を除いて、再三の努力にも拘らず、その都度押しつぶされて人々は将来への希望を失わされて行く。その結果一般的には“怠堕”として認められる生活環境のなかに追い込められて行くのである。だからスラム居住者が怠性堕によってスラムに住むようになったのではない。限られた職業の種類のなかで、最大の労力を払っている場面が多い。スラムのなかの内職による――事実は内職ではなくて本職であるが、一般からみれば、そのように観察される――収入が、いかに少いものであり、いかに最大の労力を払っているかは、いくたの事例にみることができる。
 次に問題は、その低い収入が、どのような方法で入ってくるかである。生命を維持する事が困難に近い収入であるから、その収入は毎日あることが必要である。この点でドヤ居住者とは多少の差異が見られる。ドヤ居住者の、収入は必ずしも低いのみとはいえない場合があるからである。主として人夫等はげしい労働に従事するので、時には高い収入のときもある。収入が多ければ、次の日は休むこともある。休むことは、せっかく確得したわずかばかりの経済的自由を享受することであり、それを怠情と決めつける事は誤りである。一般にスラムは、極めて低所得であるが、最低の生活水準であるので、その持続性、安定性が認められる。これが住居の比較的定着したスラムのもつ大きな特色となるのである。
 しかしこの最低性を維持している背後には、各スラムの社会に共通する各種の強大な搾取のあることを指摘しなければならない。生活そのものが各種の搾取の中に圧しつけられて来たため、本能的に生命の維持を考える他は収入のうちどれだけが搾取されるかというような点については、無関心な態度(実はあきらめた態度である)が多い。否たとえ若干の関心をもったにしても、それを搾取として主張することのできないのが、スラム的所得で生活をする要件なのでもある。スラムと若干条件は異なるが、非公認の労働市場、ヤミ労働市場における手配師の口銭のごときは、まさに最高の搾取を受けているといってもよいであろう。又スラムに多いバタヤの仕切場においてのマージンのごときは、とうてい一般の想像できない高い搾取の状態のなかにおかれているのである。スラム間題の最大の関心事は、まづこの最低の収入のなかにおいての最大の捧取という構造の中におかれる必要がある。
()磯村氏は手配師その他の搾取について指摘しているが、著者は必ずしも手配師のみがその元凶であると指摘しているわけではない。各種の建設工事、港湾作業、売血、それら各種の産業の中の骨組み、さらには金融機関から高い金利で企業を経営している中小業者、下請業者、そしてそれらの各種経済行為がどのような構造の中で動き、富がどのように集中しているかに思いを及ぼす時、著者の指摘している搾取の意味を読者自身の問題としてさらに動的に把握することがてきよう。勿諭「国家」の意味についても当然の事ながら読者各々の思考の中で追求されなければならないのは当然のことである。(研究グループ)
2)低支出
 低所得の状態は当然収入に対する比率は極めて高いが、絶対額においては低支出を余儀なくされている。ただし、その場合において、エンゲル係数からいえば、食糧費がそのほとんどを占め、その他の費用は最低か又は零に近いものまで減少させられるのが常である。
 低所徳者がなぜスラムに定着させられるかはこの低支出のなかで、住居に対する支出が負担できないからである。この原則は極めて重要であり、とくに日本人一般の生活のなかでも認められる傾向として注目されねばならない。すなわち、日本人は生活の三要素の衣食住のなかで、いみじくも住が最下位であるように、生活に困窮してくると、まづ住居に対する支出をけずってゆく。“家を売る““借家住い”“アパート住い”として“部屋住い“といった表現のなかに、転落するものの階層的な表現であると受取ることができる。
()磯村氏のこのたとえは、たとえ持家に生活したいと希望する者においてすら、個人的な願親や努力と無関係に「部屋住い」にまで迫いやられている事を指摘していると考えるべきである。(研究グループ)
 いいかえれば低支出のなかでの住居費の分担は零またはそれに近いところにスラム形成の内部的要因をうかがうことができる。したがって一度定着したこのスラム居住者は簡単はドヤ街の居住者になることはできない。なぜならば、住居費をほとんど支出しない生活習慣になっているものが、毎日ドヤの支払いをしなければならず、いわんや毎日の宿賃を計算すれば最低4,500円にも達するような条件は、とうていスラム居住者の受け入れられるものではない。
3)定職性
 スラムを分類する場合に、バタヤとか人夫とかいう職業の種類をあげることがある。わたくしもかつては、未解放部落、ドヤ、そしてスラムをその分類区別に使ったことがある。それはたしかに一つの分類指標であり、その表現はむしろここに掲げるような定職性の区分からみたものであるということができる。
 スラム居住者は、その収入が低くなればなるほど定住しているため、一定の職業に定着しようとする傾向を示す。そのため、やがて物価の騰貴、失業者の増大等によって或る職業に定着しても、生活の維持ができないという段階にまで追い込められてしまう。そこには上記の慢性的搾取による低所得が身について、若干低所得になっても、“身体が楽である”とかいう表現の怠堕性は、この定職性をさらに強めるものである。又一方においてスラム居住者達を搾取する階層は、スラム居住者の転職を極度におそれており、彼らができるだけ最低賃銀でも、最長期にわたって働くことを望んでいる。そのためには若干の“犠牲”?を払っても、低家賃の住宅――それはかつては長屋といい、現在ではアパートといわれる――を最低の料金で提供することになる。
()借家の供給は社会経済的には住宅取得(賃僧も含む)が個人の取得に比べ著るしく高価であるため、スラムの居住者自身で確保することはできないが、このような居住者が弱い条件にあることをより上手に逆用したのが使用者であり、借家の供給によって賃借人を二重に搾取しようとしている。この例は伺和地区において、部落住民が地区外に住宅を取得しにくいため地主家主が多大の搾取をしている事例にもみられる。しかし、この問題はILOの勧告の本来の意味や、女工哀史から現在までの工員寮を比較検討されるとよりよいと思う。(研究グループ)
 あまり好ましい事例ではないが“一日乞食をやったら止められない”という言葉がある。それには、わたくしがこれまであげてきた、いろいろな条件が重り合って、乞食という最低の職業であっても、やめられないという環境を生むのである。
()“一日乞食をやったらやめられない”ということばは一般には磯村氏の指摘と逆に使っているようであるが、実態は磯村氏の指摘通り生命維持のため追いやられているわけである。(研究グループ)

Ⅲ 社会的性格によるもの-第2要件

1)貧乏性
 一口に貧乏性といわれる。その意味を考えてみると、一面においては多方面に気を配るという“苦労性”という積極的な意味もあるが、他面では、生活環境の“無秩序性”という消費的な面も表現される。
 スラムに住むものが、すべて貧乏性であるというのではない。問題は生活環境の秩序をなくなすような性格が、貧乏性に通じ、それがスラムの社会的性格をつくるかどうかという点である。わたくしはその点でこの無秩序性・貧乏性は、現象的には主として消費生活において発揮されているようである。
 別の面から分析すると、収入の低下現象が消費のアンバランスを生じさせ、その混乱のなかで浪費という習性が生れてくるとみることもできる。しかし、消費生活の混乱している面については、そのバランスをくずさせている外的条件を絶えず考慮すべきである。一方スラム居住者の生態をみると、たとえ無秩序の状態を改善させるような所得を与えたにしても、浪費性を解消することは困難と考えられるような場合をしばしば発見する。それは弾性限界から塑性状態に押し込められた貧困という社会的条件が強制した一つの外力であると理解するのが正しいと思う。即ち、すでにそのような性格を身につけたのが、スラム居住者に多いということは、強く指摘する必要がある。
2)前近代性
 スラムの社会における貧困性、貧乏性的人間形成は、他面において、家族とか隣人といったようなもっとも身近な人間相互の強いつながりとなって現われている。いいかえるとスラムの社会では、前近代的人間関係が強いということである。よく新聞などで報道される“美談”のなかには、昔の長屋住い同志のなかの温情的人間関係が基礎になっているものが多い。一般的にいってスラムは家族的っき合いに似たものが強い。流動性のあるドヤ地区においても、“一食一飯の仁義”を重んづる傾向のあるのは、その地域全体が一つの家族的的・近隣的生活共同体としての認識をもっているからである。しかし住居に定着することの少いドヤの社会での人間関係には限界がある。スラムは一つのところに定着すれば、容易に移ることはできない。生活の場を移すことは、職業と同時に収入もなくなることであるから、できるだけ伝統的秩序を保とうとする。
 ドヤの祉会においては、同じ前近代的結合関係が認められても、それはたまたま同一のドヤ地区にいたという地縁関係を基礎とする。ドヤの居住者は、血縁関係からは離れているものが多いから、たとえ血縁関係的な結合が認められてもそれは疑態である場合が多い。その他のスラムの場合には、家族的、血縁的関係のなかにさらに緊密なものが認められるから、その結合は極めて強いものになる。個別には権力者に対抗しないで、集団として対抗するが、これはしいたげられたものの自己保存本能と考えることができる。
 大阪の釜ヶ崎の暴動の場合に、そのメンバーのなかに、かなりの家族のものが加わっていた。それは釜ヶ崎が封建時代からのスラム地区であると同時に資本主義的近代スラム的な性格をもっていることを立証するものでもあった。そのメンバー達は、男達の投石するのを極めて積極的に支持し、近くの鉄道線路から石を運ぶ手伝いをしていた。理由は極めて簡単である。夫が石を投げるからであり、親が戦うからであり、仲間が殺されたからである。
3)排他性
 スラムの前近代的結合は、他の祉会に対しては、強い排他性となって現れる。個人的、世帯的には、スラム居住者は極めて社会に対し無関心である。権力者に対しては、極めて無低抗、かつ不信感をいだいている。しかしそれは、“長いものには巻かれろ”という封建社会における生活慣習が、今日の社会にも存続していることを示すだけではなく、搾取に明け暮れた生活の智恵ででもある。あくまでも表面的であり、疑態的である。とくに官公庁の役人に対してはそのような傾向がつよい。しかし共同の生活問題に対しては、とくに住居の問題については極めて強い抵抗を示す。
()これは今までの行政においてスラムはたえず追っ払らわれ、塵や芥のように非人道的に扱われて来た歴史をもつているからである。そのため良い意味にしろ、悪い意味にしろ彼らの住宅事情に影響を与えようとする役人に対しては特に神経質になっている。(研究グループ)
 その抵抗は、生活の現状を変更しないという排他性となって現われる。すでにのべているように、最低の収入、最低の消費にまで落された生活からは、それ以上の変化を恐れるようになってしまっている。変化は、生活を変えることであり、それが最大の苦痛となって現われるからである。第三者からみれば、全く“不幸”とみられるような生活環境であっても、変化は期待しない。むしろ停滞こそが生活の安定であり、しあわせでもあると思っている。ここに今までの行政の歴史的責任を背負うスラム対策の困難性がある。

Ⅳ 社会的階層によるもの

1)社会階級性
 ここにいう社会的階層-Sosia stvotification-とは、いわゆる社会階級とは異り、同一の性格、機能等をもった集団をいうのである。もしそれが階級となるためには、その構成のメンバーに階級的な差別があり、その差別が社会構造的に位置付けられるときにはじめて階級というのである。
 わが国のスラムが杜会的階層としての存在の条件があるかどうかは、未解放部落等においてはっきり認識できると思う。これまでの考え方、それに伴う対策には、この点の解明がはっきりしていなかった。つまりスラム対策においてはその沈澱させられた社会階層の問題をそのまま現象的に取扱うべきではなく、基本的には社会的陥級制の問題として構造的に理解する必要がある。
 明治維新後における部落の“解放令”は一見その後の社会における階級性を否定したかの印象を与えるが、しかし、制度に裏付けされない一片の法令や声明はジェスチャーとしての意味はあっても、階級制を解消するものとして理解することはできない。事実、その後、100年近くなっても、いぜんとして日本の各地に、直接間接に身分差別が衰えることなく続いていることは事実である。それは近代社会に入って以後、産業革命を皮切りに発展した資本主義経済の発展の中でつくられるスラムの生成の構造の中へ封建遺制が組み入れて行ったからである。つまり、現代社会の中でスラムを生成させている構造を明らかにすること自体が、日本のスラムのあり方をハッキリさせることになる。
()スラムの生成を構造的に把握しないかぎり、また封建制度下の部落が何故資本主義体制下でも発展するのかを解く事なくして現在のスラムを理解できないからである。(研究グループ)
2)非常災害性
 スラムは原則として、時間的経過のうえにつくられるものである。時間的経過とは、人間生活を包含する構進物が、時間のたつにつれて老朽化し、内容的にも外観酌にも、人間の生活に適当でないものに転化することをいう。しかし、もしその建物が、応急的なものであったり、また租悪なものである場合にはその老朽地は、極めて早いテンポで現われてくる。ここにいうスラム発生の要件として非常災害性というのは、このような経緯で発生することを意味している。
 すなわち、火災、震災、台風等の天災・人災によって、多数の住民がその住居を失った場合には、応急の施設として、建物がつくられる。その場合入居するものは、はじめはあくまでも応急のものと考えるのであるが、時期の経過につれて、比較的生活能力のあるものは立退き、生活能力の低いものは残存する。残存者は生活程度の向上がおそいから、住生活の内容の改良・改善などは行われなくなる。そのため老朽化は、かなり早く到来する。災害等の応急施設がしばしば、スラム形成の原因となるのはこのようなプロセスによる。
3)少数集団性
 ここにいう少数集団-minority group-というのは、主として異民族が、夫々特定地域に集団化するものをいう。この分類に属するものは、わが国では、朝鮮民族の集団が該当する。しかしアメリカ等のスラムは、大部分はこの少数集団化としての要件が、スラム形成の大きな条件となっている。かつてシカゴの暗黒街の背景でもあったBlack Belt地域などは、警察署や保健所の職員までも、黒人でなければおさまらないという時代があった。今日ではそれは地区の再開発によって、一応外観的にはスラムといえないような状態に変ってきている。それははじめにのべたロンドンの東部地区である。しかし内容的にみると、その建物に住むのは、すべて黒人であり、収入や職業にかかわりあいなく、黒人であることが維持的な要件となっている。これなどは、明かに内容的にいって少数民族が中心となってつくられているスラム地域とみざるをえない。
(注)その他北海道におけるアイヌ民族なども同様なカテゴリーに入ると考えられるが、この少数民族によるスラムの形成は「単に少数民族である」ことが必要條件になっているわけではない。勿論十分条件ではあり得ない。少数民族がスラムに追いやられるプロセスは基本的には他のスラムの生成の過程と同一であり、特に朝鮮民族に対しては、詳しくは「朝鮮人強制連行の記録」(未来社刊)において歴史的に説明されるとおり、労働力搾取を正当化するための民族蔑視政策に起因している事を忘れてはならない。この内客についてはアイヌ人に対する態度やサケ・マス取引の実際の歴史からも十分指摘される。(研究グループ)

Ⅴ 物理的構造によるもの

1)定着性
 スラム居住者がドヤのそれらと異って、住居についての定着性の強いことについてはすでにふれた。しかし、スラム形成のもっとも大きな要件といわれる物理的関係のなかで、この定着性はもう一つの異った面から説明する必要がある。それは、最低に近い所得のなかで相当の期間の定着を決心するわけであるからその選択にあたっては「生活の知恵」が自己保存のため徴妙に働いていることを注意する必要がある。それは住居の選択において、もっとも地価の安いところ、あるいは地代等を必要としないところに集中していくという傾向をもっているということである。
 スラムといえば多くの場合、場末の盛り場の附近や、河川敷・公園・墓地など、一般にはあまり経済性のないと思われる地域につくられる。そして時にはそれが、不法占拠といわれる形をとらざるを得ない場合も多く数えられる。このような公共の敷地や建物などが、スラム形成の、スラムが定着する要因になることは全く科学的であるといえる。
()これは官公庁の管理能力では実際管理し切れない問題であると同時に、仮りにこのような現象面を完全に(全く形式諭理上の意味で)放逐できたとしても、この種のスラムの抜本的解決になったとえいるだろうか。完全雇用の保障(裏返えせば労働の権利)を認め、その生活を基本的に保障しないかぎり、不法占拠の問題を他のスラムの問題に転化させるだけで根本的解決にはなっていないのである。国家の行政の問題としては、直接的に管理する面で関係する不法占拠を追っぱらう事でその責任がはたされたとするのか、それともスラムの本質的な認識に立って不法占拠の問題を扱かおう(スラム生活者の生活再建を第一義とするの意味)とするのかに国民の国家行政に対し発言する内容であるのではないだろうか。(研究グループ)
 またスラムがしばしば都心や副都心など、いわゆる盛り場からあまり遠くないところに形成されるのも検討の余地がある。その原因をたづねてみると、盛り場の機能の一部にはスラム居住者を必要とするような要件が存在するからである。それは盛り場の清掃の役割をスラムに住む人々が受持っていることを意味する。同時に盛り場には、バタヤが仕事の対象にするような物品が存在している。“ジシヤ”――地面屋と書くか地見屋と書く定かでない――という仕事は、磁石一つもてばよい。ヒモをつけて都心の工場現場の附近を歩いていれば、針や鉄片などは自然に附着してくる。それをときどき拾いあげれば一日の生活はできる。このような仕事は、その住居が遠距離の場合は不可能である。できるだけ盛り場も近いことが望ましい。スラム居住者はその生計費のなかで交通費を負担することは比較的少い。ドヤ居住者も、時によっては毎日現場を異るため、若干の交通費は必要とする。
()磯村氏が都市中心部のスラム居住者が盛り場の清掃の役をはたしていると指摘されたことは、極めて皮肉な表現である。つまり町内をうろつく野犬が残ぱん整理をしてくれると同様な位置に、盛り場近くに発生するスラム居住者の地位が置かれていることを指摘するものである。若し、このような事実に立って「盛り場は餓死する人間を救済している」などといって、そのようなスラムの成立意味を肯定する人がいるとしたら、それは基本的人権に対する冒瀆あり、スラム生成の囚果関係を逆に認識したことによって生れてきた恐るべき非科学性であり、人間を差別する意識の発生源となる。(研究グループ)
2)密集性
 スラムは、その建物が密集していることによって始めて物理的に認識される。ここでいう密集とは、“家庭”のうちの“庭”のない生活というように比喩的に表現してもわかる。つまり建物も相互に密着して、ときによっては家庭的ブライヴァシーがなくなるほどの状態になる。
 「スラムはよく住居の過密状態だというが、その表現は正しいとはいえない。住居が密集することは、地域社会の空間のなかで、人間関係を維持することが必要なためにであり、すなわち密集することによって、生活の維持を可能にするのである。したがって、住宅対策として、スラム居住者をば、比較的密集度の少い建物に“収容”することは当をえたものとはいえない。なぜならば密集によって生活に対する相互援助が失われ、結果的には生活の基盤を失う危険もあるからである」(カッコ内の評価については研究グループの注を参考にされたい)
()「密集性」に関する磯村氏の説明については非だ疑義の生ずる恐れがあるので、ここに一寸指摘しておきたい。通常、彼らが選定し、居住した地域は現在の経済法則の中から脱落しておる(例えば、地価の面、立地条件に伴う生産性の面)からであるが、このような土地は無尽蔵にあるわけではない。スラムが密集する理由はそのように眼られた地域の中に経済的理由によって急激な人口の集中があるためであり、住民の協力関係はその結果「生命を維持するために」やむを得ず生れたものと見ることができる。実例としては神戸市の番町地区の変化(内番、外番、丸山町)にもみられるし「原爆ゆるすまじ」(新日本社刊)の中でも「原爆スラム」の実態の中にもみられる。住宅対策は彼等の相互援助によって助け合っている構造をこわすことなく住宅地経営を企画すべきであるから、単純に住宅という「物」の供給だけでは不十分であることを指摘しているわけである。(研究グループ)
 シカゴのかつての黒人部落であったBlackが、住宅改良法によって高層のアパート群に建て直された。そしてそこには黒人以外の白人をも雑居させる方針を実行したが成功しなかった。もちろんこの場合には人種的な差別という階層的条件が加わっているが、密集性については同じことだといえる。すなわちシカゴの場合にも、古い密集々団をばそのまま一つのアパートに人れる場合には比較的安定性が強い。しかし少しでもその集団をばバラバラにすると、そのなかの生活格差が著しくなり、集団全体が安定性を欠くことになる。スラムはまさに密集ということがもっとも大きな指標となる。したがって一見して過密とみられるような現象であっても、それがすべてマイナスに作用するものとは考えられない。密集することによって生活が維持されることは、スラム社会の必然性でもある。
3)老朽性
 スラムが建物の不良化によるということには、多くの人が異議をもたない。まさに建物は、人間にとって衣服に類するものであるとはすでに触れた通りである。したがって、衣服が古くなることは、生活水準の低下を意味すると同じように、建物が老朽化することは、住む人間の生活程度の変化を意味することになる。しかし一口に老朽化といっても、それが前述のように集団的現象でならなければ、スラムの要因とすることはできない。わたくしの家などは、部分的にも全体的にもかなり老朽化している。しかし周辺の建物は適当に増改策されているので、老朽化は普遍的・集合的ではない。その故にわたくしの家は、たとえ同じ程度の老朽化をもっていても、必ずしもスラムということはできない。
 一口に建物の老朽といっても、建物の全体が老朽化するのと、部分的によるものと二つに区別される。スラム化の場合には、むしろ建物が部分的に老朽するような傾向のなかにとらえられる。建物全体の老朽化は、むしろ生活全体の水準が低下しつつあることを示すもので、その建物全体としては、むしろ調和のとれた姿とみることができる。これは古い建物が、文化財として保有されるような場合に認められる。部分的不調和の状態は、居住者が貧困のため抜本的改修ができず、応急改良の状態にあるのであたかも衣服をツギハギしたのと同様の景観を呈しそれ故に建物の老朽化・不良化が一層目立つようになる。
 この老朽現象は、他の面から説明すると、建物に対する非管理性・非修繕性を意味する。この二つの性格は必ずしも同じ意味をもつものではない。老朽化現象は非修繕性と共通するものがあるが、非管理性は必ずしも老朽化性のすべてを規定するものではない。公共機関が管理しているスラムはしばしばその建物を中核として、あるいはそれ自体によってつくられることがある。それは多くの場合には管理者である官公庁の無責任な取扱によることが多い。土地ばかりではなく、建物までが不法占拠されたり、不法侵入されて、そのまま非修繕を持続して、逆にスラムになるような事例はしばしばみるところである。建物の老朽性は結果であるが、建物の非修繕性は、建物不良化の原因をなすもので、必ずしも同一に列することは適当と思わない。ただ両者に因果の関係があるので、ここに一つにまとめて説明を加えたのである。
4)非規格性
 ここにいう非規格性とは、スラムを形成する要因のうちに、一般の建物の形式によらないものの存在が、関連する地域をスラム化する傾向について指摘したいのである。すなわちバタヤ等がつくる仮小段、乞食等がつくる小屋などは、いづつれも住居の形成とは全く離れたものである。それは無一文の失業者が殆んどひろい集めた材料で、しかも自らの手一つで建設しなければならなかったからである。それは住宅として建設されるのではなく、シェルター(She1ter)として建設されたと考えるべきである。
 かつて終戦後、東京の上野公園の寛永寺の墓地のなかに、葵部落という文字通りのスラムがあった。これはまさに非規格性の建物の集団であった。しかし非規格性ではあるが、時間の経過と共に、それが住宅の規格に合うように、次々に改良されていった。ただその中に、寄木でつくった塔状の住居があった。部落の中央にあって、地域の住民の注目の的でもあった。しかしその構造は全く異様であり、ただ材木を五重の塔のように積み重ね、中央の僅かな空間を寝室にしているに過ぎなかった。住人は年配の独身者だったが、一匹の犬と寝食を共にしていた。隣人達は明らかに狂人扱いをしていた。しかしその居住者は真面目に語っていた。自分のつくった建物は五重塔をモデルにしたもので、日本の最高の芸術であると。その話しを聞いたわたくしは、決して笑うことができなかった。つくった建物が規格に合わないということは、一面からみれば、本人がいうように個性を現した最高の芸術だともいえる。しかし他面においては規格からはづれていることは人間関係的にみて社会から離れて、狂人の扱いを受けることになる。
 ()磯村氏の例示にある如く、人間性を疎外されかけている場合においても、人間は夫々のおかれた状況の中で何等かの形で自己実現の場を求めようとしている事は注目すべきことである。これは巣純な「両一化」への否定であるが、同時に各人が「平等」に自己実現する場を保障する必要を教えてくれるものと考える。(研究グループ)
 建物の非規格性をいう半面において、この様なユニークな住宅はスラム居住者が、一般社会関係から疎外の状態にあることを意味するものである。スラムの綜合的対策として考慮すべき問題が、ここらあたりにも存在すると思う。
5)共同化性
 共同化性とは、建物の利用が個別の利用から次第に共同の利用にまで移ってゆくプロセスとそのような生活条件を容易に受け入れるような性格構造を指している。
 日本人の衣食住生活のなかで、まづ最初に犠牲になるのは住居であると指摘した。しかしその住居も、犠牲となるのには順序がある。したがってその順序を知れば、建物がスラム化する傾向にあるかどうかを察知することができる。わたくしはこれまでの経験によって次のような条件をえらび出している。
(イ)便所の共同化
 スラム化の第一のプロセスは、住居のなかで、便所は、住居のなかで、もっとも不衛生なものであり――少なくとも従来の日本式の住居形式においては――一般的にも“不浄”といわれるくらいである。したがって、近代人の生活にとっては、もっともPrivacyを必要とするものである。その便所を共同化することは、家庭生活の独自性を失うことであり、それによって個性の発達の停滞、共同化による習俗の低劣化が行おれる。
 この傾向は、またスラムが、“共同便所”を利用できるような地域に出来ることでも立証することができる。前にのべた上野の寛永寺境内の葵部落――今日においてもその一部は竹の台会館という近代的名称に変って存在している――なども、近くにある共同便所が、もっとも大きな役割をしているのがみられる。
(ロ)炊事場の共同性
 アパートや団地などの設計の場合、その初期の時代にはよく“共同炊事場”が設置された。現在でも低所得階層の賃貸アパートの場合には共同炊事場のあるところもみられる。
 わが国には伝統的に“井戸端会議”という言葉がある。その昔炊事にとって絶対の要件である“水”の供給は、共同の井戸であることが多かった。したがってそこに集る人々が、雑談を交すことが多く、いつの間にか世論形成の場となったことが意味されている。このような形成は、今日でもみることができる。たとえ井戸が水道となっても、“共同水栓”を利用するような状態にあるのは、スラム形成の基礎を与えるものといってよい。共同水栓の利用は、古い言葉の井戸端の利用に通じるものであり、世論を形成する最高の場所となる。
 近代的地域生活からすると、家庭生活を中心とする人間関係の形成は、“近所の人々よりも、遠くの友人“というように広い地域内の人間関係に変りつつある。水の利用や炊事という日常生活のために、好みもしない人間関係をつくり、低俗な世間話の仲間入りすることは好むところではない。しかしいくらそのような近代性を求めても、建物の構造や、水道の利用が規制されれば、やむをえず低俗化も受け入れざるをえない。
(ハ)障壁の共同性
 スラムには門や塀のあるのは一寸想像できない。しかし逆に門や塀のないのは日本の都市のなかにたくさんみられる。商家の町といわれる下町に行くと、門や塀はもちろん庭のないところさえある。そうなると下町的な生活構造はスラム生活のそれに近いということもいえよう。しかしそれは単なる論理的な類推である。たとえ門や塀がなく庭という空間もなくとも、地域生活における人問関係にPrivacyが保たれておれば、必ずしもスラム化へのプロセスということにはならない。しかし、日本の住居建築は、共同生活を営むものにとっても、対外的な人間同様においても、ほとんど個人的生活を確保するという方向には進んでいなかった。むしろ戸主を中心とする家族制度のなかで家の中では、すべてを戸主が中心となっていて、家庭の構成員の個性は認められていなかった。したがって、家族員個々のPrivacyなどは保たれることは少く、その上、生活程度が逼迫して来て、門・塀・庭等による外部空間とのへだてがなくなると、住居群そのものが、家族的結合体の一つの単位になってしまう。家主と店子といえば、かなり広い範囲にわたって、家主が榴力をふるうことのできたのである。いわんやスラムとなると、このような障壁がない結果、建物ばかりでなく、人間関係的にも、前近代的なつながりが温存されるわけである。
(ニ)景観の共同性
 建物の形式が同一化することは、例えばユニフォームを着るのに等しい。幼少の頃はユニフォームを着ることを好む。そして集団生活を営む。しかし成人になるにつれてユニフォームは疎外されて、個人の好みに合った衣服を身につける。その理由は個性が発達してきて、できるだけ他人と区別をつけたいからである。同じことが住居の形式、その形式が示す住居の景観についていうことができる。家庭生活の内容は何等かの形で外の景観に現われるものである。外に向って現すことのできるような生活はしあわせである。現わすことのできないような建物の構造は、すなわち人間の個性を没却したものである。現在の団地の形式などはこの種類に属する。住宅の不足という絶対的な要件があるために、人間は“幼年期的住居形成”である団地に我慢している。もし生活水準が高くなり、一軒の家をもつことができるようになれば、この幼年期的住居条件から、できるだけ早く成年期的条件にうつることを欲するであろう。これは人間の本能に近いものであり、これまでの住宅政策のほとんどが見逃していたもっとも重要な点である。このような観点からすると、現在各地につくられている巨大な住宅団地は、一見して都市の周辺を防衛する兵舎のごとき景観であり、あるいはコンクリートのスラムに似た印象をもたざるをえない。否、それは単なる印象ではなくて、住宅団地のなかには、生活機能を簡単にするため共同性を強くしつつある面がかなりある。それはやがて住宅団地をしてスラム化する大きな要因となるおそれのあることを憂うるものである。
(注)標準設計等に依る画一的住宅団地の開発について磯村氏の批判は一考する必要がある。しかし、画一化そのものについて著者と同様に問題性を意識した場合においても、我々は著者と同様な型の画一化の否定は科学的ではないと考える。絶対的な住宅不足の現在、各戸が夫々独自の好みを生かす事は経済的、都市的な面から絶対不可能であり、その場合住宅政策としては、まずその時代の文化水準を保障する住宅を実質的に保障する事でなければならないため、画一化を打破して各人が夫々の自己実現する場所は住宅単体の設計以外に求めるべきであると考える。勿論住宅建設においても団地計画に変化をもたせ、植樹等により住宅の画一化への危険は避けるよう務めるべきである。マスプロと質の向上の中で物理的水準の向上を図ることこそ画一化そのものに対抗するエネルギーを集中的に増大させるものと考える。(研究グループ)

Ⅵ 地域的構成によるもの

 われわれはかつて、総理府に設けられた同和対策審議会において、いわゆる同和地区――未解放部落――の調査に際して、その分類をば次のようにとりあげてみた。
 すなわち、地区の大きな分類としては、都市と非都市――農漁村中分類としては、大都市、中都市、近郊農村、農漁村の四分類、地域の構成の面からは単一型と混住型――これは未解放部落に限る――の二つの分類にしたのである。このうち中分類としての四つの区分は、そのままスラムにも当てはめることができると思うので、この地域分類を採用して次に説明を加えてみる。
1)大都市型
  いわゆるメトロポリス型といわれるスラムは、大都市生活のなかで、階層的な転落現象によって沈澱集積されるもので、これにはドヤ地区とも関連してさらに次のように分類される。
ドヤ的スラム-産業労働型
バタヤ的スラム-伝統労働型
混合的スラム-伝統労働型
 以上のうちドヤ的スラムは、その居住者の職業が、日雇労働等のドヤ街にからなるものを多く含んでいる地域で、東京の山谷、大阪の釜ヶ崎の周辺地域に散在する。ドヤ地区の補完的役割を果すもので、ドヤ街に長く定着したものの終着駅ともいうべきものである。
 バタヤ的スラムは、大都市のスラムの典型的なもので、バタヤのボスである仕切場の主人達は、ほとんどの場合長屋をもち、不良な居住状態のなかで生活をつづけさせる。バタヤの主人にとって、このように一定の労働者を獲得することは絶対に必要なのである。バタヤの仕事は、単に不要な廃品を消極的に回収するばかりでなく必要な廃品――但しこの場合は、日本の産業を支えるために必要な鉄や紙屑をいう――を回収する能力のあるものを温存している必要がある。そのためには住居を与えておくことは、まさに留置所のなかに労働力を保存しておくのに等しい。この状態が大都市のスラム機能を特微づけるものである。
2)中都市型
 中都市のスラムは、大都市とはちがって、むしろ労働の型態としては、消極的に廃品を回収するに止まるものが多い。なぜならば、中小都市には、日本の産業が必要とするような大量な屑物の生産地ではないからである。かつてあるバタヤは次のような話しをした。
 東京は大きな鉱脈である。気を配って捜せば、金や銀ばかりでなく、ダイヤモンドまでも発堀できるからである。このいい方は二つに理解する必要がある。一つは文字通りのバタヤとして、捨てられている鉄片や金物類を集めることである。もう一つは必要とあらば所有権を侵してまでも――これが犯罪につながる――仕事を充実させようとする。このような機能は、中小都市では実現困難である。中都市のスラムは大都市にくらべ反社会性はそれほど強くはない。
3)近郊農村型
 近郊はしばしば大都市の周辺地区であることが多い。近郊農村にスラムが出来るということはいささか奇異にとられるが、これはむしろ新しい傾向といってよい。大都市にはドヤ的スラムは別として、バタヤ的スラムが形成されるのにはすでに限界がきている。都市のスプロールと近郊への人口渠中によっての“場末”に巣をくっていたスラム的な生活者達の一部が、さらに郊外の農村に近いようなところに移動したともみられる。
 近郊農村地域は、大都市の急激な発展の余波を受けて、農業そのものも転換を余儀なくされる。伝統的な仕事を失うことは、職業能力に欠ける近郊農民にとっては大きな打撃となる。しかもそこに新しい団地などができて新しい生活様式が流入されたりすると、停滞的な生活様式と、進歩的な生活様式との対比は、前者を社会階層からの転落者と認めさせる原因となる。ここに大都市の中心部に近いスラムとはちがった場末的スラムがつくられるのである。
4)農漁村型
 現代日本の農村は、若い世代のほとんどが男女を問わず、都市生活に憧れて、土地を離れてゆく。その大部分は都市、とくに大都市においての中間階層をつくるようになるが、同時にスラム地区に転落するものもかなりある。このような労働の移動が“出稼”という一時的な形態をとる場合と、都市への“移住”として永久性をもつのとは同列にみるわけにはゆかない。農漁村型のスラムは、出稼によって、一年のうちの相当期間、あるいは数年にわたって、住居から離れている。そのような状態の家庭生活は、スラム化の大きな原因となる。出稼家庭の悲惨な状態は、都市のスラムよりも遙かに貧しいものがあるのを認めざるをえない。
()磯村氏が「地域的構成によるもの」として.ここに試みた分類は、スラムを現時点で切断し、その切断面にあらわれた社会学的見地から見た諸特徴を示したものということができる。この認識は現象認識の側面であることを注釈しておく。(研究グループ)

Ⅶ 時代的過程によるもの

 スラムは一日にしてつくられるものではない。相当長い時間的経過をたどるものである。それは同時にスラムの特性をつくり、定着性、執着性、非抵抗性等のスラム居住者としての特性にまで発展してくる。これは未解放部落が何百年の歴史のなかに根強く存在してきているように、スラムもまた時間的経過のなかで誕生しているものである。
()本誌では田代国次郎氏に「スラム生成史」を担当してもらったので、参考にしながら読まれるよう希望する。
「Ⅶ時代的過麗によるもの」の中で磯村氏は、その持諭として未開放部落とドヤについてはその他のスラムと性格的に差異が大きいという理由で言及されなかった。この間の理由については、この編集を担当した「研究グループ」でまとめた「編集後記」を参考にされたい。(研究グループ)
1)封建的スラム
 未解放部落を除くと封建的スラムとして現存するものは少い。しかしかつて、寺院の境内がスラム居住者のオアシスであり、墓地や火葬場も居住者にとってのやむをえない居住地であった。それはいぜんとして封建的身分関係が支配する領域である。なぜならば、そこに住むことは、単に雨露をしのぐだけでなくて、寺院や基地や火葬場の仕事に傭われることになり、何時の間にかそれが伝統的・世襲的な仕事にまで及ぶような状態がみられた。神社、仏閣が戦後行政的なつながりから離脱し、一方において社会福祉施設が若干発展した今日では、このようなスラムの身分的なつながりは次第に消えつつあるが、なお地方都市や農村の一部に存在している。そこには迷信や魔術といったような宗教的な行事も加わってゆき、その伝統の蔭を濃くしている。
2)前近代的スラム
 封建的スラムに対し前近代的スラムは、居住者達が、生活手段として選択する職業に、封建的・被支配の関係がうすらぎ、一方では階級的支配、被支配関係が芽ばえて来た。ただしこの場合においては特殊な職業が、スラムのなかで封建的な支配関係指導性をもつことが多い。たとえば、バタヤの仕事などはその適例である。関東のスラムはバタヤの仕事と、関西のスラムは日庸労働者と、大きく区分けすることができるほど、職業の種類によってスラムを分類することはある程度可能である。しかし同じバタヤの仕事でも、またいくつかの階層に分類できるからひとまとめに扱うことには問題が残る。
(イ)廃品回収の場を独占的にもっているもの、バタヤの階層では、もっとも有能なものと見なされる。
(ロ)廃品回収の場合に、特定の品物だけを蒐集するもの、例えば、ボール紙とか、紙聞紙とか、回収する品目が定っているものをいう。第二の有能な階層とみられている。
(ハ)廃品回収に当って、何でも回収するが、その場合に計量を行い、対価を払うもので、いわゆる公認の廃品回収員はこの階層に属する。
(ニ)回収する廃品に対価を払わないもの、いわゆる拾い屋である。ただしこの場合には、回収した廃品を、一応自分の庭前や、仕切場の空地で、整埋して売却するものが含まれる。
(ホ)回収する廃品が全く雑多であるが、持っている籠が、一定量の重さになると、それを本能的に感じて、仕事をやめるもの、多く精神薄弱に属する。
バタヤというスラムに関係する職業をとりあげてみても、このように分類される。前近代的スラムは、このような職能の分化過程にあっても、やはり住居を中心に強い結合関係をもっている。
(3)近代的スラム
 一般的にいって近代的スラムは、その居住者の職業が、特定のものに限定されないものを指す。前近代的スラムが、特定の職業に依存するのとは反対の状態を指している。それでも、日雇人夫やたまに混ってバタヤ等、又、時には思いがけない仕事をやっているのもある。しかし比較的多い日雇人夫のなかにも風太郎――いわゆる立ん坊で、仕事を怠けて町角などに立ってブラブラしているものと夫太郎――これは同じ立ん坊でも、日雇となる場合に、職安からもらっている労働手帖をもっているものを指す。風太郎と夫太郎が、彼等自らの判断で、分類するのはかなり興味がある。一般的には近代化しているスラムは、多数の種類の職業に分化される傾向にある。これに対して、封建的・前近代的なスラムでは、職業の種類はできるだけ単一化しさらにその職業を独占化する傾向さえみられる。
(注)「時代的過程によるもの」の中で磯村氏が指摘された点は、各時代に発生したスラムについての社会学的見地に立った性格付けをされたものである。それ故、名時代毎のスラムが連読性及び因果性をもつか否かは問題にされてはいないので、磯村氏の執筆の前提を考慮して読まれるよう希望する。(研究グループ)
 スラム対策において大いに注目すべき点であるスラムの分類という課題を与えられながら学問的に十分な検討をする余裕がなかった.そのため自らの経験にもとづく、スラム実態の分析に重点をおいてしまったのは、編集者に対して申訳ないことと思う。最後に近代の大都市でもスラムは姿を変えつつ、幾多の資源からニューフェースとして発生するおそれのあることを指摘しておく。
()編集を担当した研究グループの意図と磯村氏の原稿の間にはかなりの差があり、その間の事情は「編集後記」を参考にされたい。(研究グル一プ)