『住宅』155  通巻164号 1966510日発行 社団法人 日本住宅協会

スラム特集-住宅の底辺

スラム研究の方法論(編集後記) -私達自身の未来のために-  スラム研究グループ
スラム特集を企画した契期
/奇怪な現実 (その1) N県下における住宅地区改良事業の反対闘争 (その2) 豊中市の建築条例と川西市の建売業者 (その3) 広島市の立退反対期成同盟の意味/数々の連想
スラム特集の編集を始めて
/皆の力で/科学性の追求/試練
スラム対策の方法論/スラムの写真/感謝
(参考)住田論文に対する研究グループの指摘と意見
単純な誤り/論理上の矛盾/不十分な説明/字句の訂正
「スラム観」と住田論文/科学的認識に立った建設的発言

スラム特集を企画した契期

奇怪な現実
 私達研究グループのメンバーは、夫々何等かの意味でスラムに関係し、高い関心を持って来た連中である。そして、その中の何名かは毎日顔をつき合せている間であるので、その間では絶えずスラムが議論されていた。今度の特集の伏線をなした事件は多数あるが、問題性の高い例を3つ程あげてみよう。
(その1) N県下における住宅地区改良事業の反対闘争
 第2次世界大戦の落し子のような兵舎転用住宅は、未だ全国津々浦々にある。N県の例もこの転刑住宅に関係している。この種の住宅は一般に老朽化が激しく、その上、入居者も戦後20年余の間休むことのない景気の波、そして自由化に伴う合理化のあらしを背景に、幸運にも富を蓄積した人達は抜けだすことができたが、失業、転職、労働災害等の犠牲になった人々は、いつも抜けだそうと努力しつつもその中にしばりつけられて来た。その他、既成市街地や農山漁村から同様理由で追いだされた人達も、倒壊の危険があっても安い家賃という魅力にひきつけられてここに集って来ていた。N県は物理的に危険なこの実態を見て住宅地区改良事業によって整備する事を企画した。しかし、意外にも住民からのつよい反対に逢ってしまったというわけである。住民は、「俺等だって人間並の住宅に住みたい。しかし、2万円足らずの失対の賃金では、嬶とガキを3人もかかえて生きているがやっとだというのに、3千円もする家賃を払ったらどうやって食って行くだ」というのである。それまでの家賃は月200円炊事場、便所とも共同、16帖住いである。そのため、ガス、水道、電気等の費用は月300円足らずというのである。っまり、生活水準は、物理的な住宅の水準ではないと彼等はいっているのである。良い住宅に住んでひもじい思いをするより、すこし位不便でも危険でも明日の食糧を心配しないで生きていたいというのは当然の事ではないだろうか。
(その2) 豊中市の建築条例と川西市の建売業者
 最近、大阪市への人口集中によって、大都市及びその近郊の住宅供給のバランスが完全に破壊しているため、その間の不均衡を是正する経済法則によって、大都市及びその周辺には61間というような木造賃貸住宅や、敷地面積が10坪前後で建坪6坪程度の木造建売分譲がどんどん供給されて来た。これらの住宅は、いずれも経済的な営利採算を基礎にして出来上ったものであるため、住宅としての水準は悪く、建築基準法に合致しないものが非常に多いといわれている。火災が発生すれば、消防車が入れなかったり、下水が整備されてなく、伝染病がまんえんする恐れがあったり、し尿を集める清掃車が来ても、他家の居間をし尿輸送用ホースを通さなければ清掃できなかったりする状況にある。これらの建築は災害を招く危険があるので豊中市は建築規則する最も有効な方法として、電気、ガス、水道等を供給しない事を条例で定め、強い姿勢で臨むことになったのである。この事に対し、建設省住宅局長(賛成)と厚生省社会局長(反対)と政府内部でも意見の統一はされ得なかった。その理由は、住宅局長が建築行政の立場に立ったのに対し、社会局長が住宅行政の貧困に要因がある事をほのめかして、やむを得ないとする立場から電気、ガス、水道等は許可すべきであるという立場に立ったのは印象的であった。川西市も、市役所の建築課の真前200m足らずの所に堂々と700戸近い建築基準法違反の住宅が無確認で昭和35年ごろから建設されて来た。その建設経営に当った業者は無確認建築のかどで起訴されたが、その業者は「私は建設大臣から表彰されることがあっても、起訴されるのは全くおかしい。何故なら、政府で出来ない住宅供給を手伝ってやったのだから、良い事をしたわけだ」といったというのである。それに対して、「住宅担当の建設大臣からは表彰されるべきかもしれないが、建築行政担当の建設大臣からは、やはり叱られるだろうね」という意見も聞かれた。
(その3) 広島市の立退反対期成同盟の意味
 原爆被災都市広島は原爆のきづあとをぬぐい去り、平和都市建設のため、焼失区域1090万㎡にわたる土地区画整理事業を行って来た。21年度に着手し、24年度までに換地計画が完了したが、莫大な事業費が必要となるため、公共用地になる部分の事業が遅れ現在に至っているわけである。その間約20年、土地の評価もかわれば、市民の内容もかわって来た。平野部分の少ない広島は、中国地方の大産業都市で、人口の集中もはげしく、職を求めて広島市に集中した人々は、区画整理に伴う住宅の除却年度が真近に迫っているのを承知していても生活するために住宅を見付け次第入居しなければならない状況におかれていた。勿論、換地計画後20年近くも放置された駅前の的場地区の場合など、生活を維持する経済基盤も土地に密着して出来てしまったし、又、20年間に流入したり、出生したり世帯分離した連中は、当初から不法の中にしか居住できない状態におかれていた。法律は形式論理的には完全に近い体系を備えている。しかし、年間の変化にはたして耐えられるのだろうか。商業の様に顧客のある者、バタ屋や失対労務者の様に地縁性の高い職業にある者、この様に非常に複雑にからみ合った関係を20年前の区画整理の等地価換地に基礎をおく謂ゆる補償基準による補償で調和し得るというのだろうか、その場合特に問題になるのは不法占拠の状態にある人々である。
数々の連想
 私達はこれらのことから社会現象一般に対していくつかの例をひろい検討することになった。その第1N県の例に対応させたものとして「刃物を持たない運動」が考えられた。っまり、N市の事業の場合は、その危険な状態をなおす対症療法として住宅地区改良事業が介入して来たのに対し、刃物を持たない運動は、刃物を持ち歩きさえしなければ、刃物によって人間に傷をつける事はあるまいという人間の存在を忘れた一種の対症療法という事で共通する。これは前述の豊中、川西等における違反建築に対する行政処分についてもいえることである。
 次の広島の原爆スラムの例は、ビクトル・ユーゴの「レ・ミゼラブル」の物語と対応させて考えると面白い。主人公のジャンバルジャンは広島の不法拠占者が法を犯していると同様の意味で、パン屋から生命保持のためパンを盗み、妻子の生活を慮って脱獄した。それに対して職務に忠実なジャベール警視は法に忠実であろうと努力する。その努力は、広島市の職員が換地計画に則ってヘルメットをかぶって不法占拠者を強制撤去をしようとすると同様に法に対して忠実である。私達は、必ずしも広島市と、レ・ミゼラブルとを等しいと置いているわけではないが、形式論理に対する完全性の追求と、より高次の人間の尊重の追求という対決という面では、共通するものがあると考えた。
 次に、豊中の例で、不法建築に対する規則にも拘らず、住宅不足の逼迫している現在、木造のこの種の住宅は現実には増加している。という事実に対して、「農山漁村からの若手層の離脱」の問題を対応させて考えた。通常、この様な不可抗力的な流れに対し、「時代の流れ」として説明にもならないやり方で片附けてしまう傾向があるが、都市に人口の集中するのも、農村から脱落するのも、実はすべて原因があり、その原因が存在するかぎりその傾向は継続するに過ぎないだけの話である。毛沢東は「矛盾論」の中で「非常に多くの矛盾の中で主要なものがその運動を指導する」といっている。が、主要な矛盾こそ、まさにすべての変化、運動の原因をなすものである。住宅取得費が個人の収入に比べ絶対的に大きく、公共機関が個人の住宅取得に介入しなければならないという客観的事実を事実と認め、その事実が依って来たる主要な原因を追求する事によって、始めて効果的な対策が考えられる。この姿勢は、農村が都市に対し相対的に、又は農村自身絶対的に貧困化又は破壊されて行く中で、その運動の主要な矛盾である農村の経済的及び社会文化的に阻害されて行く構造の問題を考えないで、物埋的に都市並みの環境を作り、そこによって農村からの若手層の離脱を防こうとしているが、それがどれほどの効果を持つかについて謙虚に評価をする姿勢こそ、住宅対策にも、スラム対策にも共通する重要な点でないかと考えられる。

スラム特集の編集を始めて

皆の力で
 研究グループは、当初一般的な住宅問題の畿論を通して作られることになった。住宅が不足し、政治的にこれほど大きな問題になっているのに何故選挙の時の票と結びつかないのだろう。住宅取得の問題が個人の能力を離れて明らかに社会的責任の問題となっているのに、何故持ち家政策に重点がおかれ、一部の政治家の間では18世紀的感覚で個人の責任だと言っているのだろう。その上、せっかく建設された住宅も公団住宅にみられる下限制限や高い競争率で入居を阻害されたり、収入の上限制限のある公営住宅も高い競争率を突破して入居して数年もたてば明渡し義務が課せられる。これほど国民的需要の高い要求を政治の票に結びつけられたという願いがグループ発足の動機であった。
 各種の住要求を検討する中で、その極限的な形で現われているのがスラムであり、そのスラムの問題は夫々私達が現在直面している問題である事が次第にはっきりして来た。検討の結果、仏画にある地獄図ではないけれど、私達全部が振れ落される可能性をもったスラムについて研究グルーブを含んだ全国民が今一度勉強すべきではないか、ということになった。そこで雑誌「住宅」に各種のスラムを連さいさせてくれる様お願いした所、4月の上旬に5月号で特集してくれとの依頼を受けることになった。研究グループは、それより前の3月ごろから、スラム生成史を執筆された田代氏を含むメンバーで、6回の集団討議の機会を持つ事ができた。その都度、前回までの議論をふまえた発展的提案を検討に付して来たが、それらの集団討論とは別にメンバー数名で何度も集り、詳細な問題について議論をくり返した。
科学性の追求
 今になって思い当る事であるが、研究グルーブは当初スラムの諸性質に振り回され、スラムに対する正しい「スラム観」を追求する姿勢を忘れていた。そのため「スラム観」なき「スラム論」に議論が集中していた様である。研究グループはスラムの認識の問題をスラム対策との関係で追っかける事にした。この姿勢は非常に合目的であり、スラム生成史、スラム分類学を観念的ではなく把握する事に役立った。つまり、対策史の評価をスラム生成史の発展の中で評価する事こそ、スラムを学習する最も重要なことであるからである。
 武谷三段階論はスラムの認識から対策への道を明確にしてくれたが、その枠組は次のようなものである。スラムの記識が現象論的段階に止っている限り、スラムは衛生上、保安上好ましくない存在であり、その中に生存している連中は可哀想な奴であり、又困った連中である。暴君ネロによる焼打や、宗教的慈善事業はこの様な認識に立つものといえよう。この現象論的認識をふまえて、然も、この立場を否定して実体論的な認識がなされなければならないと武谷氏は説いている。いみじくも、エンゲルスが「住宅問題」に書いているとおり、英国における住宅政策が個人の責任から社会的責任へという行政の歩みは、都市における産業革命と、農村におけるエンクロージャーが住宅問題を行政上それまでとは異質のものとして扱わざるを得なかった事を指摘している。現在日本に存在するスラムを実体論的に生成の因果関係をふまえて分類すると研究グループの検討では同和型スラム、バタヤ型スラム、ドヤ型スラム、老朽型スラム、朝鮮部落型スラム、災害型スラム、木造密集型スラム、農山漁村型スラムの八つに大別された。
 その同和問題については、部落民を分散させれば部落問題は解決するという分散論があるが、これは一つの実体論的認識に立つ対策にいえる。形式論理的には、封建体制に根をもつ問題をブルジョワ民主主義体制が必要としないかぎり絶え尽す筈であり、その意味において、分散論は問題を解決する筈であった。しかし、現実には部落民である事をかくして、都市にまぎれ込んだ人達も、就職差別、結婚差別によって再びスラムの中に落ち込んで行く例は枚挙にいとまがない。そして、山野炭鉱事故において死者は殆んど組夫で、その8割が部落出身者であったことによっても、分散論の誤りが最も顕著に証明された。つまり差別を必要とする構造が確かに存在しているわけである。その問題を認識しないで実態論的認識に立った対策を行えばそれは一つの因果関係を取りくずす事にはなっても、同時に別の矛盾の増加を来すことにしかならないからである。それは量から質への転換でしかない。冒頭に記した建築行政の問題が、住宅問題への転化にしかなっていないのは同様の認識論的段階に立った対策である事を示すものである。
 武谷氏は、現象論的認識及び実体論的認識の双方を否定し、同時に発展させる事によって、より高い本質論的認識に立つことができると説いて三段階論を結んでいる。私達研究グループが提示した前述の現代スラムの実体論にたつ分類が、現在どの様な本質論的な社会的運動論に立って成長し膨脹しているのだろう。すべての社会的運動論は、その置かれた環境としての体制から外力を受けて運動し、その運動は環境としての体制の持っている論理に従って価値付けられている。同一労働をしながら臨時工と本工における給与差別、同一努力を払いながらも資本蓄積の量の差による収益の差別、同一の住宅難にありながら、十分な住宅供給がされないため起る入居の差別、これらの環境としての体制が外力として働らいている事実認識の中で、実体論的に浮び上った8つのスラムを正しく位置づける必要があった。本質論的な認識はこれらのスラムを必要とし、育成している外力そのものの力学に対する認識によって明らかにされる筈である。この外力に対する対策は、現在社会病理学によって考えられている。政府の施策として社会開発なり、資本主義の修正化なりが強調されているが、はたしてこれらの施築が外力に対してどれ程有効であるか、無力なのか、根治療法のメスとなり得るかどうかについて、この機会に読者諸君が自ら再検討されることを希望している。
試練
 私達は以上の検討の結果、私達の検討の成果を「概論」としてまとめ、次に科学的分析に立って、「スラムの歴史」と、現在存在する「スラムの分析」と「その対策史」と「資料」を組むこととした。しかし、時間的に殆んど余裕が残っていなかった上、いざ執筆を依頼しようとすると研究者が見当らない。一時は研究グループで全部書く事を考えたが、この機会にスラム研究者を発堀し育成すべきであるとの意見もあり、結局、スラム研究の長い人と若い人とを入れることにした。「概論」及び「スラム生成史」にっいては問題はなかったが、他の人選は問題になった。それまでの検討に参加されなかった磯村氏には私達の研究の成果に同意がいただけたので依頼したわけである。しかし、氏の論文ではその末尾に断り書きがあるとおり、私達の意図は十分には反映されなかった。そのため、本の出版を半月程遅らせてもらい、磯村氏の了承を得て、研究グループで氏の意図を阻害しない範囲で手を加えられる所は修正させてもらい、その他は注釈を設けて説明することにした。磯村氏は修正を全面的に委任して下さった。なお磯村氏は「スラムとドヤと同和地区」は別々に分けよとの持論であり、それを強調されたが、私達は、その差異を分ける科学性について疑義を持っているので、修正することにした。
 次に住田氏は最近スラム問題に取り組んでいるという編集委員からの推薦もあったので、大阪在住であったが依頼することにした。しかし結果は私達の意図が殆んど反映されず、内容的には現行の住宅地区改良事業についての批判のための批判になってしまっていた。住田氏とは、大阪との長距離電話でその内容について度打々合せたが、氏が原稿の修正に応じて下さらなかったため、またレジメの交換など研究グループも十分手を尽さなかったこともあり、そのまま掲載した。しかし研究グループはその内容に責任をもつために、編集後記に住田論文に対する意見をつける事にした。
スラム対策の方法論
 今回のスラム特集―住宅の底辺―の中においてはスラムの実体把握に非常な力が注がれなければならなかった。その理由については、以上までの説明からも了解された事と思うが、スラム研究についての蓄積や研究者の少なかった事もあるが、編集時期との関係で研究グル―プでも十分な検討の時間を持てなかった事もあげられる。研究グループでは、スラムの基本的認識のためのスラムの分析に力を入れて来たため、今回の編集も、スラム分析の方法論の追求と、その実体論的分析に過半の工ネルギーが集中された。勿論、検討にあたっては、スラム対策という目的意識をはっきりさせながら検討して来たが、具体的な対策の手法について検討する事はできなかった。特に諸外国の事例を参考するにあたっては、そのスラム対策が住宅対策、環境対策から、都市再開発対策に発展して行った経緯という対策の変遷を分析する中で、新しく盛り込まれた要素、失なわれた要素を夫々具体的に指摘し、評価する作業を通して、始めて我々の検討に役立つといえる。研究グループとしてはその種の検討を通してスラム対策の分析手法を確立するべきであったが、それらの単純な作業すら検討にのせられなかった。諸外国のスラム対策についての検討も、わが国では都市機能の更新による都市の経済的効果の促進という側面からの紹介が殆んどになっているが、この様な見方はスラム対策として考える場合はスラムを直正面から把える姿勢をしっかりたてなければならない。研究グループは、スラム対策についての基本的姿勢を具体的にするまで検討をすすめる事ができなかった。しかし、今までの険討の中から一応、スラム対策はスラムの実体分析に基づく本質の正しい追求を行うなかで考えられるべきで、その病根を抜本的に解決する対策は、その事業効果及び事業の実施意義を、具体的にさせて行く過程の中で、試行錯誤を重ねながら作りあげられて行くものと考えられた。その検討の中で特に注意しなければならないのは、現在における諸外国におけるスラム対策は、歴史的発展の経緯の中で生れて来たものである、という事実を忘れてはならないという事である。即ち、現在諸外国で実施されている再開発事業が、諸外国において仮りにスラム対策として有効であったとしても、それがそのまま我国のスラム対策として適応され得ないという事である。
 以上のような理由で、スラム対策として再開発事業を考える時は、諸外国で行なわれているスラムの諸対策をそのまま輸入するのではなく、わが国におけるスラムの本質に基づいて、実体的にスラムを解決する姿勢を持つ事が要求される。
 今回の特集では、住田氏が、対策史については、以上の姿勢に立って論述される予定であったが、既述の様な理由で満足されなかった。対策史及び今後の対策についてはその方法論の検討と合せて、今後我々が真剣に追求しなければならない重要な課題であると考える。
スラムの写真
 本誌に掲載したスラムの写真は研究グループのメンバーが撮影したものを主にして、他に建設省住宅局の協力を得て掲載したものである。殆んどが素人写真である上、住民の生活の中へ入り込むまでにはなっていないので、その意味では未だ現象論的な段階でしかない。本文中の写真のレイアウトは文章がよみやすいように、内容とは無関係に挿入した。この写真も1,000葉以上の中から選択したものである。
感謝
私達はこの様な特集が前年前逝去された新海悟郎氏なき後も多くの人の和によってできた事を喜んでいる。これからのスラム研究とスラム対策に対し少しでも寄与できればと考えている。この編集にあたっては、「住宅」の大村編集長、高橋編集員及び写真及び資料を提供して下さった建設省住宅局、さらに多忙中執筆を担当して下さった田代、磯村、住田の各氏に対して誌上をもって謝意を表する。

(参考)住田論文に対する研究グループの指摘と意見

単純な誤り
①現行の住宅地区改良法は、昭和2年に制定された不良住宅地区改良法の改正ではなく、新規立法である。
②現行の住宅地区改良事業は拠点再開発ではあるが、例えば四日市市の平和町(公害対策)や川西市(木造アパート密集地帯)等の事業も実施又は計画している。
③兵舎等の転用住宅が指摘のように「概して文京地区に建っている」とはいえない。その上、これらの施設は未だ全国に多数あって、当分の間、相当の事業量をもつ事が予想されている。
④都市再開的手段型の中で、都市再開発の目的が達せられれば事業を中止しているという指摘の事実は見当らない。事業は事業計画に則って実施され途中で廃止の手続はない。
⑤「事業計画が施行者の利己的判断でどんどんかわって行き、それをチェックする体制は何もない」といっているのは誤りで、事業計画の変更は建設大臣の認可事項である。
⑥同和事業は「事業化が困難だから放置している」といっているが、同和事業は改良事業の中では最優先事業であり、全国事業全体の 割を占めている。
論理上の矛盾
①現行の住宅地区改良事業の性格を、一方では「不良住宅改良を住宅問題的次元に(住宅地区改良法が研究グループ注)限定してとりあげる」と規定しながら、他方では「不良住宅地区改良の都市計画的側面がさらにクローズアップされ、住民が忘れられていると矛盾したことを言っている。
②①に関連して、末尾で地方の財政力の弱さが地区整備事業をあいまいにし、「改良法の都市計画的側面は全く形式的なものに過ぎない」と二重の矛盾を犯し、そして「都市再開発的側面が正しく運用されていない⊥といった矢先、「今後は、地区改良においては、居住者の移住を積極的に進め、地区清掃によって多目的利用を図ろうとする方向に変ろうとしているが、それは資本にのみ有利にしか働らかない」と三重、四重に矛盾している。これを好意的に見れば、都市計画的側面と都市再開発は別もので、前者は氏の説明によれば資本の利益になり、後者は住民の利益になるということらしいがよくわからない。
③住宅事情についての事実認識で、「総体的な量的住宅難は、やがて低所得層にしわよせられた質的住宅難に転化」して来たという判断が、住居状態の階層的分極化の項では、住調を使って総量分析を行って、共同建、1人当たり畳数、設備の共用等いずれの指標でも「大都市の住居状態は、停滞又は悪化している」としている。これは、量的な住宅難が質的な問題に転化したという住田氏の判断の何の説明にもなっていない。
不十分な説明
①「住宅地区改良事業が住宅政策の一環として筋が通せず、その単純なアンチテーデとしての都市再開発の方策化にも問題がある」という指摘があるが、これは個別対策に対する集団対策の意味であろうかと思われるが、この場合必ずしも対策上の対立概念にはなっていない。
③現行の改良事業は「地区の不良化の実態と遊離していて、取り上げる事業も事業化の容易なものだけだ」と指摘しているが、住田氏は改良事業が総資本(何を指すかよくわからないが)への身売りであると言ったり、施行者は貧乏だから十分事業ができないといったりしているので、事業化の容易なものという概念が何を指すか明確に理解できない。その上、地区の不良化は改良法施行令第4条に不良化の指標が明示されているので、「地区の不良化の実態とは遊離したもの」と断言するためには説明が必要である。
④現行の住宅地区改良法による地区指定の条件は「不良住宅80%以上で且つ50戸以上」だけではなく「住宅密度が1ヘクタール当り80戸以上、地区面積が0.15ha以上」の条件(政令4)を全部満足させる必要がある。
字句の訂正
「地区計画」とあるは「事業計画」の誤り。
「計測法」 〃 「測定方法」 〃 。
「不良性」 〃 「不良度」 〃 。
住宅地区改良法の対象地区として「不良住宅地区」とあるのは「改良地区」の誤り。
「スラム観」と住田論文
 ペストやチブスやコレラの伝染が容赦なく資本家の住宅地まで広がった時、人道的なブルジョワジーは対決にのりだして英国の住居法ができた話はエンゲルスの「住宅問題」に書いてあるが、その場合の英国における施策は押し着せだったのだろうか、住民の要求はなかったのだろうか。否である。日本における改良事業も同様である。資本主義体制を支持する者のやる事は皆押し着せであり、資本家の利潤追求の手段であるという議論は上手に説明したようで何も説明していない。何時なら、そこから出て来る理論は単純な破壊の理論でしかないからである。住宅地区改良事業が実施されぬよりされた方がスラム住民にとってはるかに良い事は今更言うまでもない。しかし、逆に住宅地区改良事業がスラム住民の生活を向上させる上に最も有効なものであり、この法津によれば完全解消できるか、といえば決してそのようではない。私達研究グループの指摘している事は、スラムを論じ、スラム対策に対し正しい批判を加えるためには、スラムに対する正しい見方「スラム観」が必要であるという事である。正しいスラム観に立って始めて、スラムを論ずることができ、各種のスラム対策の限界や、可能性を評価する事ができるわけである。住田氏は、戦前におけるスラムは社会から孤立した貧民窟であったのが戦後は拡散したと評価し、戦前は単純な構造であったが、戦後は雑雑化した、などと評価しているが、このような分析はスラムに対する構造的認識がないための誤った観念論的評価でしかない。横山源之助の時代はやはり封建体制から近世資本主義来制への移行過程で変化は激しく、その変遷の波にのまれた人達が下級武士から部落民までスラムをつくり、都市にあふれていた事は文献にも示されているとおりである。スラム生成の構造をこれら複雑な現象の中から見抜き、実体論的段階から本質論へ導く事こそ研究の主要テーマであるのに、複雑な要素が作用しているからといって問題の構造を分析しないで、すぐ体制の矛盾だと決めつけて解決したつもりになっているが、それは研究でも科学でも何んでもない。住田氏はさらに「現下の情勢では、高度経済成長の矛盾のあらわれとして、産業と住民生活のアンバランス化が著しく増大し、産業基盤整備が進められる一方、住居状態の悪化が拡大再生産されており、そのことが産業の発展の足かせになっている。従って、総資本の立場からは非現住地主義の導入による不良住宅地区の用途転換によって、土地利用の資本制高度化を進めようとする要求が強まってくる」と分析しているがこれも図式観念論的で、議論に飛躍が多く、現実に対し有効な発言になっていないと考える。
科学的認識に立った建設的発言を
 住田氏は「“不良住宅”の定義を厳密にするほど、かえって生活の“貧困化”の側面が捨象されていった」といっているが、これは住宅の不良化という物理的に表示される内容が貧困の問題と全く独立の関係として住田氏には認識されているためである。不良住宅居住は貧困化の一つの現れでありその対策も貧困との闘の中で考えなければならないことはいうまでもない。住田氏はさらに、「都市住居の質的状態の悪化を規定しているのは、木造アパート群の存在であるといえよう。木造アパートの立地状況、集団化形態は極めて劣悪であるから、不良住宅地区の再生産要因になるものとして、地区改良の観点からとらえることが必要になって来ている」とここでは対症療法を説き、先の議論と矛盾をきたしている。一方では図式部観念論に基礎をおき、他方ではそれと全く矛盾した多元論的現象論に基礎をおいたこの種の議論は批判のための批判や議論となってしまって、建設的な発言とはいえない。科学は科学のためではないと同じ意味で、実践は合目的になされなければならない。それが科学的認識に立った建設的発言であり、実践であると考える。