釜ヶ崎救援会が発足しました(関西救援連絡センター 第20号 71.11)
 

釜ヶ崎救援会に結集を!

 

初めて釜ヶ崎に大規模な「暴動」が生起したのは1961年8月のことです。その年から数えて20年目にあたる今年の5月25日かってない長期にわたった「暴動」が釜ヶ崎の街を揺るがしました。そして間を置かず6月・9月とそのエネルギーの展開を見せつけたのでした。

これら一連の「暴動」の背後には、36年暴動が交通事故処理に端を発したように、一貫して労働者を人間として扱わず敵視する警察の治安対策、および憲法で保障されている「健康で文化的な最低生活」とは程遠い環境を見て見ぬふりをし続けて来た大阪府・市の行政の姿勢があります。

一切の人権が奪われ法律すら適用されない釜ヶ崎において、ひたすら行政の尻ぬぐいをし、労働者の不満を押えるため、西成署は街の辻々にテレビカメラをとりつけ、街中に労働者の服装をした私服を放っています。そして400人という署員の数にものを言わせ機動隊とパトカーを駆使してひっきりなしのパトロールを続け、またある時は演芸大会をやるなど硬軟両用使い分け、ひたすら労働者に弾圧を加えて来ました。

一連の「暴動」の中で警察は多くの労働者を逮捕し、さらに『泥酔保護』の名目のもと大量の労働者予防検束し暴行を加え留置しました。その数は5月の実件だけで100名を越えているのです。

しかも労働者の自然発生的な闘いを圧殺するために、救対ビラなどを口実として「煽動者説」を打ち出すという卑劣な行為に出ました。そしてさらに血迷った西成署は、地道な活動を続けている釜ヶ崎における唯一の労働組合、全港湾建設支部西成分会に焦点を合わせてできたのです。7月の末に、3ケ月も経たメーデーデモに暴行事件があったとし、分会長をはじめとする組合員4名の逮捕という暴挙に出ました。そして9月に入って正当な労働争議を恐喝事件と規定し、副分会長・書記長そして一般労働者も含めた8名を逮捕し7名を起訴しています。これは組合つぶし以外の何ものでもありません。

「暴動」においても、逮捕された者の大半は、わずか石ころ一個を投げたことにより公務執行妨害の罪に問われ起訴されています。しかも何もやっていない労働者をも一方的に検挙し、「石一つ位投げたと言っても、どういうことはない、認めれば三泊四日で出してやる」と法律的に無知な労働者を甘言でつり罪に陥し入れるなど、狭山差別裁判と同じ手口で権力は卑劣な弾圧を加えています。― 一体権力はわずか石ころ一個を投げたものを何によって裁こうとしているのでしょうか―

昭和36年の第一次暴動では182人の検挙者のうち113人が起訴され104人が有罪判決を受けています。そして同じように今年に入って、150名にも及ぶ検挙者を出しているのです。

私たちは、ここに同じ轍を踏まない為、無告の民を権力の手から守る為に「釜ヶ崎救援会」を設立致します。釜ヶ崎救援会は、現在の救援活動の輪を拡げ、資金等の基盤を固める目的を持つとともに、真の釜ヶ崎を外に伝える為の機関としてあります。

釜ヶ崎救援会は市民社会と釜ヶ崎を結ぶパイプ役を果さねばなりません。なぜなら、釜ヶ崎は市民社会より歴然と差別されており、その解放の為には必ずその両者を結ぶ媒介が必要なのです。

多くの方々が本会の趣旨に賛同され、会員となって労働者・活動家の救援活動に支援・参加されることをお願いします。

釜ヶ崎救援会(準)大阪市北区浪花町125 関西救援連絡センター内