釜ヶ崎差別の実態(1)

横浜・寿町日雇労働者殺傷事件

 釜ヶ崎差別=釜ヶ崎をはじめとする全国の寄せ場で生活する日雇労働者に対する差別を一挙に社会間題化したのは、今年の二月に明るみに出された横浜での日雇労働者連続殺傷事件だった。

 この事件は、横浜市内の中学2、3年生、高校生、有職・無職少年ら10人のグループが、今年の1月12日からの1ヶ月間に、国鉄関内駅地下街、横浜球場スタンド下、大通公園右の広場などで、13人に重軽傷を負わせたうえ、2月5日には、中区山下町の山下公園売店軒下で寝ていた、青森市造道出身の須藤泰造さんに襲いかかり、殴ったりけったり集団で暴行したうえ、ぐったりした須藤さんを公園にあったごみかごに入れて引きずり回して死なせた、というものだ。

 この事件は世間に大きな衝撃を与えた。マスコミは、この事件のわかりにくさをなんとか解消しようと、事件の後あれこれとこの事件の背後にあるものを探ろうとした。しかし、この事件のわかりにくさは、これらマスコミの努力によつては、いっこうに解消されなかった。なぜか。 マスコミは、この事件の報道の最初の段階から、この事件の本質を明らかにするための鍵を、自らの手で、どこか世間の眼にふれないところに隠してしまっていたからだ。

 この事件は、それが明るみに出された時点で、すでにマスコミにとってーそして、また、世間の多くの人々にとって、たんなる浮浪者殺傷事件にすぎなかった。マスコミは、浮浪者とは何か、寒空の下で寝るとはどういうことなのか、を問わなかった。一部の新聞は、少年らによって殺された須藤さんが労働者であることを明記していた。また、事件が起った地域が、大阪の釜ヶ崎(記事ではあいりん地区)、東京の山谷とならぶ三大ドヤ街の一つの寿町周辺であることも記していた。しかし、そうであるにもかかわらず、記事の見出しには、浮浪者(カッコ抜きの)しかなかった。

 マスコミが−そして、また世間の多くの人々が、浮浪者とは何かを問わなかったことから、どんな結果がもたらされたか。無惨にも殺されていった3人の人、重軽傷を負わされた13人の人の存在の無視である。(ここで、注意しておくべきは、この数字は、あくまでも、警察によって把握された人数であるということと、少年らが殺したとされているのは、須藤さんだけである、ということだ。つまり、殺されたとされる他の2人の人は、誰によって殺されたのか、わからないのだ。)
 マスコミが「浮浪者の連続殺傷−中・高生らの”遊び”」とすることによって、本来、注目されるべき殺された人々=労働者の存在が無視され、世間の関心は、殺した少年らにのみ集まることになった。
 寒空の下で寝るとはどういうことか、を問わず、殺された人々を、安易に浮浪者といいかえることで、マスコミは、世間の多くの人々のなかにある、浮浪者=ダメなやつ=無視してもかまわないモノ、という偏見に乗っかかったのである。

 他方、世間の多くの人々は多くの人々で、少年らによって殺されたのが浮浪者といわれる人々であれば、少しくらいはかわいそうにと思っても、ただそれだけで、あとはただひたすら関心は少年らの非行がついにここまできたか、ということに向くのみである。
 こうして、マスコミ、世間一体となって、この事件は少年非行問題との関連で考えられるようになった。おりから、中学生の校内暴力、非行は、この数年大きな社会問題として人々の関心をひいていたことも、この事件を非行との関連で把える傾向に拍車をかけた。 しかし、この事件を非行と関係づけて考えた結果として何かが明らかになっただろうか。何も明らかにならなかった。この事件のわかりにくさは、あいかわらず、わかりにくいままだった。

 もともと、殺された人々の存在を無視したところで、この事件の本質をみいだそうとすることが無理だったのだ。そして、マスコミも、世間の多くの人々も、自分たちがやっていることは、徒労なのだ、ということにうすうすは気ずいていたのだと思う。殺された人々を無視しては、この事件の本質はみえてこないということに、半ば気づいていながら、彼らは殺された人々に眼を向けようとはしなかったのだと思う。なぜか。
 もし殺された人々に眼を向ければ、そこにみるのは無惨にも殺された人々と、彼らを今までみまいとしてきた自分たち自身の姿だろうからだ。マスコミと世間の多くの人々は、少年たちが手を下すはるか以前から、自分たちが、公園や駅や地下街で寝る人々を嫌悪し、できるならば彼らのことを考えないですませたいものだと思ってきたことに気づいただろうからだ。

 もし、世間の多くの人々が、殺された人々に眼を向ければ、彼らは非行うんぬんといっていてはすまなくなる。今度は、非行うんぬんといっている当の人々のあり方が問われるようになる。自分たちのありよう、自分たちの社会のありようを問うことが恐いばっかりに、世間の多くの人々は非行うんぬんでこの事件を片づけようとしたのだと思う。

横浜寿町日雇労働者殺傷事件を概観してきた。そこでわかったことは、この事件をおこした少年たちの行動の異常さと、それに対するマスコミ、世間の反応の異常さだった。少年たちも、世間の多くの人々も、この事件の被害者である日雇労働者の存在を無視したのである。

 殺された日雇労働者たちは、最初からその人間ーかけがえのない人間としての存在を抹消されていたのだ。全国の寄せ場で生活する日雇労働者は、殺されても仕方のない人間以下のなにものか、とされているのだ。これが釜ヶ崎をはじめとする全国の寄せ場に生活する日雇労働者に対する差別でなくて何であろうか。そして、これが横浜寿町日雇労働者殺傷事件の本質である。
 以下、実態調査に依拠しつつ、釜ヶ崎の労働者がどのような差別を受けているかを明らかにしていこう。以下にのべられるさまざまな釜ヶ崎差別は、その極限に横浜寿町日雇労働者殺傷事件の形態をもつものであることはいうまでもない。

釜ヶ崎差別の実態(2)

地域での差別−日常生活の体験から

ここでは、次の2点を明らかにしたい。第一に、釜ヶ崎でも横浜寿町でおきた事件と同質の事件が起っているということ。第二に、釜ヶ崎の労働者は、地域での日常生活を送るなかで、商店、飲食店、ドヤ、警察などによって差別されているということ。

(1)青カンの現場で

 「横浜の寿町でおきた中学生らによる日雇労働者殺傷事件と同じような経験をしたことがありませんか。または、あなたの友人や顔見知りの人が同じような目にあったという話をきいたことがありませんか、」という問いに対して、
ある19人(20%)
ない76人(78%)
無答2人(2%)
 という結果が出た。実に、5人のうち1人が自分もしくは自分の友人が、横浜での事件と同じような経験をしたと答えているのだ。このことは、横浜での事件が、たんに横浜という一地域に限られたものではないということ。さらには、この事件がひきおこされた背後には、全国の寄せ場労働者に対する差別があるということを物語っているだろう。
 それは、具体的ヶースをみればよりはっきりする。
「2ヶ月前、鶴見橋商店街で中学生5人にサドルでどつかれた。逃げて帰った。」
「通天閣の付近で、バタヤの車の中で寝ていると中学生が石を投げた。」
「去年の冬、自分の友人が南海線の高架下でシートをかぶって寝ていたら、そのシートに火をつけられた、と いう話を聞いた。」
「三宮で自分の知っている人がやられて、アバラ骨を折った。」
「聞いた話だが、友人を高校生が3人くらいでなぐった。」
「青カンしている人に中学生が5、6人でアキビンをぶつけるのをみたことがある。」
「 友人がアオカンしていたら、自転車できた3、4人の学生に石を投げられた。」

(2)消費生活の上で

 「釜ケ崎の商店、飲食店、ドヤなどで、何か不愉快な経験をしたことがあったら、具体的にその状況についてお聞かせ下さい。」ときいてみた。
 「不愉快な経験」を語った人は予想より少なかった。ひとつには、そんなことをいちいち気にしていたら暮らしていけないという労働者のあきらめを含んだ思いがあるだろう。他方、商売人の方も、いくら釜ケ崎であるといっても、店の評判が極端に悪くなっては、商売が成り立たなくなるだろうから、できるかぎりお客と売り手の関係を尊重しようとするだろう。この二つのことから、「不愉快な経験」について語る労働者が少なかったものと思われる。
 それでも、次のような「不愉快な経験」をあげることができる。
「食べている最中に、金を請求されたことがある。」
「冗談でキャッシュで払うといったら、現金でなければ飲ませんとどやしつけられた。キャッシュで払うとは現金で払うということなのに冗談が通じない。金を見せたら親切。」
「ドヤ管理人は、どっちが客かわからないようなつっけんどんな態度をとる。」
「身なりが悪かったからか、空室があるのに断わられたドヤがあった。」
 これらのことばは、労働者と商店・飲食店・ドヤのあいだには、ただ金によるつながりしかないことを想像させる。ところで、釜ケ崎の労働者は毎日欠かすことなくその地域の商店・飲食店・ドヤを利用している(利用せざるをえない)のであって、たまの休みにどこかの繁華街にでて、そこの商店・飲食店・ホテルにはいっているわけではない。それゆえ労働者が日常的に利用する(利用せざるをえない)商店・飲食店・ドヤが、ただひたすら、労働者がいま金をもっているかいないかで労働者に対する対応を変えるのであるとすれば、当の労働者はやはり、やりきれない思いをもたざるをえないだろう。

(3)西成署をめぐって

「西成警察についてあなたの意見や感想をなんでも結構ですからお聞かせ下さい。」

 多くの人が、西成警察に対する反感を表明している。それも一般的な反感というより、自分がひどい目にあわされた体験に根ざしたものである。以下にあげることばの中に、われわれは西成警察の差別的体質をみることができる。

 その差別的体質とは、釜ケ崎の人間は彼がいま釜ケ崎にいるがゆえに、過去に何かよからぬことをしたにちがいないし、いまも何かよからぬことをしているにちがいないし、これからも、よからぬことをするはずだ、という偏見・予断であり、この偏見・予断は、警官が日々労働者と接触するさいの態度・行動の中に表現されている。
「ケンカしてつれていかれたことがある。ふみつけられた。」
「免許証を紛失した時に紛失届けを出しに行ったら、いいかげんにあしらわれた。不親切。態度が横へい。」
「シノギにやられたときなどでも、こちらのいうことはとりあげてくれない。」
「サイフをとられて、いうていくと『夜おそく酒のんでブラブラ歩いているからや。とられる方が悪いんとちゃうか』という。夜歩いていると『夜ウロウロするな』といわれる。夜、走っているととめられて、3人のポリにポケットの中まで調べられた。」
「今年の5月、トランジスタ買って紙ぶくろに入れ、荷物預けにあずけ、それを出して、トランジスタ買ってくれと店に行った。そこに私服がいて、派出所にひっぱられた。ポリに足をけられた。ポケットのすべてを調べられ、あちこち身元を調べられた。最後にはあっちがあやまる。」
「酔って保護1回、どつかれてぽろくそにいわれた。」
「2人でシノギの被害届を出したら、こっちの方がおこられた。」

釜ヶ崎差別の実態(3)

労働現場における差別の諸相

(1)

 釜ヶ崎を始めとする寄せ場の日雇労働者の労働と生活(その実態については「牛草レポート」を参照)をその根底において規定し、また「必然」化せしめているのは、これら寄せ場労働者が「重層的な階層的構造をもつ現代の産業予備軍」(注@)のその最下層に位置せしめられているという現実であり、そして、より本質的には、このように階層化された産業予備軍を自己の「増殖欲」のために「何時でもすぐ利用できる人間材料」(マルクス)として温存しようとする資本(総資本・個別資本)の意図と政策に他ならない。

 総資本の労働力政策と個別資本の日常的な労働者管理の諸施策は、不断に労働者どうしのあいだに、個別利害の誘導と操作によって、分裂と対立をもたらし、更にはそこに差別−被差別の関係をうみ出す。
 たとえば、本工層は、社外工や臨時工が資本によって「景気調整」のための「安全弁」として利用され、廃棄されてゆくことに対して何らの抵抗をも示さず、むしろ彼らの苦痛と引きかえに与えられる諸利益をすすんで追い求め、更には彼らをさまざまに差別することによってみずからのそうした行動を「合理化」し「正当化」するといった状況が顕著になりつつある。

 資本による労働者分断政策によってうみ出された労働者間の階層構造によって、資本主義社会の諸矛盾や労働者階級総体に対する抑圧は、不断に労働者自身によっても、下へ下へと転化・移譲され、その結果として、この階層構造の内部でより下層に位置せしめられた労働者は、より多くの矛盾を背負わされ、より多くの抑圧と苦痛を強いられることになる。
 そして、こうした労働者階級の内部における抑圧や苦痛の下方向への転化・移譲は、さまざまな形態の「差別」によって煤介され、「合理化」され、さらには「正当化」されているのである。それ故、この階層構造の最下層に存在せしめられている寄せ場の日雇労働者は、このようにして不断に下方へと転化・移譲されてくる現代資本主義の諸矛盾と、苛酷な「差別」をその最も凝縮されたかたちで、引き受けることを余儀なくされているのである。

 本レポートは、このようなものとしての寄せ場の日雇労働者が、その労働と生活のあらゆる領域で日常的に強いられている被抑圧と被差別の諸状況の一端を今回の調査にもとづいて明らかにすることを目的としている。

(2)

まず最初に、今回の調査から一例を挙げてみよう。
 釜ヶ崎の労働者の多くが日常的に経験している以上の様な事実は、現在、寄せ場の日雇労働者(とりわけ低熟練労働者)が、使い捨ての安価な労働力としてさえも、日々、あらゆる労働市場から陰に陽に、しかも組織的に排除されつつあることを示している。
 寄せ場の日雇労働者は、かつての主要な就労先であった港湾労働からは新港湾労働法の制定を契機として排除され、合理化と不況によって製造業より駆逐され、今また、寄せ場労働者に残されたいわば最後の就労先である建設労働市場からも、「とくに元請大資本系では、土工や雑役工などの不熟練職種について、出稼ぎ労働者を確保できる限りは、都市の不熟練労働者(すなわち寄せ場労働者−筆者)を雇用しようとはしない」(傍点は筆者)(注A)という資本の意図によって排除されようとしている。
 ほとんどの労働者は、この釜ヶ崎の地に他ならぬ「仕事」を求めてやって来たにもかかわらず、実際には、1週間の就労日数の平均が3.4日(月にして14.5日)という「日常的なアブレの状態」にあるという事実(注B)の背 後には、こうした現実がひそんでいる、ということも見落されてはならないであろう。
 こうしたことの結果として、多くの寄せ場労働者は、やむなく、更に劣悪な労働条件や低賃金にもかかわらず、違法手配師による就労や、半ダコ飯場への入飯を強いられることになる。
 今回の調査に応じてくれた103名の労働者のうちで、「今後絶対にゆきたくない、そして友人などにもゆかせたくない飯場(たとえば暴力飯場、タコ部屋飯場)がありますか」という質間に対して、
「ある」と答えた労働者は61名(58.7%)。現場でケガをした経験のある労働者は68名(60.6%)で、更にそのうち28名(44.4%)は、「示談」もしくは「ウヤムヤ」のうちに「処理」されている。(注C)
 このような事実は、寄せ場の日雇労働者が、建設業における重層化された下請制度の最末端に位置し、ピンハネのみをその「利潤」の源泉としている「福利費なき請負人」(注D)を介して、就労し、最も危険な現場で、「常用のイヤがる仕事をおしつけられ」ているという現実をはっきりと示しているだろう。
 そして、このようにしてやっと就労した現場では、監督、元請社員、常用などによって「釜のアンコ」と蔑視され、さらには、出稼ぎの労働者からも差別のまなざしで見られている。建設労働現場への出稼ぎ労働者の一人は、その手記の中で、寄せ場労働者について次の様に記している。
 「飯場は山形の人達を入れても、なお手不足だった。そんなある日、大型バスが現場の前にとまると、中から髪を乱した、よれよれの服装をした、一目で日雇い人夫とわかる一群が降りて来た。彼らは真冬だというのに上着がなく、外とうの下に下着が一枚という人や足が半分も出ているようなズックをはいている者、さまざまな格好をしていた。彼らは山谷の住民だったのである。
 彼らは自分の方からは話しかけてこなかった。かりにぼく達が話しかけても、数の少ない返事がかえってくるだけであった。さらに変わっていることは、彼ら同士でも面白そうな話し声が聞かれないことだった。それは彼らの中には小ボスがいて、彼らを監視しているせいでもあろうが彼ら自身もすでに暗いけものと化している」(傍点は筆者)(注E)
 寄せ場日雇労働者は、建設労働現場の最底辺において、共に使い捨ての安価な労働力として酷使されている(それ故、本来は共にウデを組む仲間であるべきはずの)出稼ぎ労働者からさえも、「たましいの抜けた集団」「うす気味悪」い異様な存在として、差別の視線のうちにとらえられているのである。
 こうした現実は、一方では山谷や釜ヶ崎を始めとする寄せ場の日雇労働者が、その労働現場においてさえも、いかに苛酷な被差別の状況におかれているかを示しているとともに、他方では、資本の労働者分断の意図と政策(すなわち、資本は、自己にとって「管理しやすく、従順で勤勉な労働力である出稼労働者」(注F)によって、管理しにくく、反抗的で、何かあるとすぐに「トンコ」する寄せ場労働者を「駆逐」しようとしている)が、いかに労働者内部にも差別−被差別の関係をうみ出してゆくか、ということをも示しているだろう。
 このような労働現場における寄せ場労働者に対するさまざまな差別の諸相をもう少し明らかにするために、今回の調査で「現場で監督やボーシンや元請の社員といざこざをおこしたことがありますか」という質問に対して「ある」と答えた34人の労働者の、その「理由」についての説明から、いくつか例を挙げてみよう。(注G)
 これらの事例は、一方では寄せ場日雇労働者が、その労働現場において、いかに日常的に差別的言辞によって遇されているかを示していると同時に、他方では、自分の仕事に対して、それなりの自負と誇りをもっている寄せ場労働者の、その仕事に対する主体性をまったく無視し抑圧しようとする、現在の建設労働現場の状況をも示している。(上に挙げた事例以外にも、「仕事の段取り」をめぐって「いざこざ」をおこしたり、それが原因で「トンコ(=仕事を途中で放棄して帰って来ること)」した経験のある労働者は少なからずいる)。
 しかし、同時に、寄せ場の労働者は、彼らが置かれているこのような被抑圧と被差別の状況の只中で、ただ黙って忍従しているのではなく、明確に抵抗の姿勢をも示しているのだ、ということも忘れられてはならないだろう。
 それは、他ならぬ、「現場でのイザコザ」の数字のうちに、更には、「仕事を途中でやめて帰って来ることはありますか」という質間に対して、「よくある」と答えた労働者が91名中9名、「たまにある」と答えた労働者が30名、両者をあわせると全回答者の42.6%にのぼるという事実(注H)、
 その「理由」の大部分が、やはり現場の差別的言辞であり、条件違反であり、労働強化(いわゆる「追いまわし」)であり、また仕事の段取りをめぐる意見の衝突である、という事実のうちに、はっきりと読み取られうるだろう。
 その抵抗は、たしかに、「現場でのいざこざ」や「トンコ」といった、ある意味では、消極的なそれではあるとしても、「アンコにトンコはつきもの」と言い切れる寄せ場労働者は、資本による支配と管理に容易には屈服しない、労働者のあり様を示しているとは言えないだろうか。
 しかし、まさにそうであるが故に、先にも述べた様に、資本(とりわけ大資本)は寄せ場日雇労働者を組織的に排除しようと意図しているのであり、「かれらを雇用する場合は、よほどの労働力不足に直面して、『やむをえず』臨時的に依存する場合に限」(注I)ろうとしているのである。
 そしてこのような資本の意図と政策によって、景気の波動の影響による就労の不安定性が、より一層増幅されているのである。

(3)

 以上の様な、資本と寄せ場日雇労働者とのあいだの対抗関係において、資本にとって、きわめて重要な「機能」を果しているのが、「アングラ建設労働市場」(注J)たる寄せ場を宰領している違法人夫出し(=手配師)である。
 寄せ場における最大の「問題」であると誰もが認めている(それは行政機関や、その行政のお先棒をかついで、寄せ場を「研究」し、「調査」をしている学者先生達も認めているところである)「違法な」手配師制度は、それにもかかわらず、それがまさに、寄せ場労働者を雇用する個別資本にとっては労働者を選別するという重要な「機能」をはたし、また、総資本にとっては、産業予備軍のプールとしての寄せ場そのものを分配支配して温存するための重要な「機能」をはたしているが故に、決して排除されえないのである。
 手配師制度は、行政が手をつけることの出来ない、あたかも「聖域」であるかのごとく厳然と存在して、寄せ場の日雇労働者を苦しめている。 今回の調査においても「(手配師の)顔付けによって仕事をことわられることがありますか」という質間に対して、「よくある」と答えた労働者が88人中24人(27.3%)、「たまにある」と答えた労働者が11人(12.5%)もあった。
 そして、「手配師についてあなたの意見をお聞かせ下さい」、「顔付けについてあなたの意見をお聞かせ下さい」という質問に対しては、たとえば次のような意見がのべられている。
 このような意見のうちには、寄せ場の日雇労働者が「手配師」とその「顔付け」によって、さまざまに苦しめられているありさまが見てとれる。しかし、このような現実にもかかわらず、もう一方では、「手配師」や「顔付け」を「必要」もしくは「必要悪」として認めている労働者が少なからずいることもまた事実である。そのような意見をいくつか挙げてみよう。
 ここでは、「手配師」や「顔付け」に対して、何らかの意味でその存在の意義や必要性を認めて、肯定的に評価している意見をいくつか取り出したのだが、これらの意見は、現在の寄せ場において、そこでの就労の不安定性を「克服」して、それなりの「安定」した就労のルートを確保しようとすれば、職安が実質的には何らその機能をはたしていない現状では、労働者は手配師にたよるしかない、という現実を反映しているように思われる。
 そして、この手配師との良好な関係を保持し、そのことによって不安定な就労状況を乗り切って行くためには、労働者は手配師の「信用」をえて、仕事の少ない時にはその「顔付け」によって仕事にありつけるように、現場では「いざこざ」をおこさず、「トンコ」もせずに「マジメ」に働くことを要求されているのである。
 すなわち、手配師制度とは、資本のために、労働力の質の点においても、またモラール(勤労意欲)の点においても良好な労働者を「選別」する機能を果していると、考えられるのだが、このような選別をパスすることによってしか「安定」した就労を確保できない現在の寄せ場においては、労働者はそれらを少なくとも「必要悪」として受け入れることを強いられているのである。
 とすれば、この「違法」手配師制度とは、寄せ場の労働者にとっては、一見すると就労の機会を与えてくれるものとして存在しているかのごとくであるが、実際には、それは寄せ場の労働者総体を苦しめている就労の不安定性と波動性そのものをいささかも緩和するものではなく、むしろ、それらを一層増幅せしめて、一方には比較的に「安定」して仕事にありつける少数の労働者と、他方には、日常的にアブレ→アオカンを余儀なくされる「弱い」労働者との二層を析出する「機能」を果していると言える。
 結論的に言えば、手配師制度は、寄せ場の労働者にとっては、労働者仲間の「内部」における、仕事を求めての「競争」を加速し、強めるものとして存在している。
 すなわち、寄せ場労働者の総体を規定している構造的現実(とそこからみちびき出されるべき寄せ場労働者の共通利害)は、手配師制度によって増幅される個々の労働者間の仕事を求めての「競争」によって見えなくされてしまい、その結果として、手配師やその顔付けは「必要」もしくは「必要悪」として容認され、更には、この増幅せしめられた「競争」から「脱落」して、アブレ→タキダシ・アオカンを余義なくされ、そのことによって日々、その肉体と精神を摩滅せしめられてゆく「弱い」労働者が、この寄せ場の内部においても、たとえば「クスブリ」として陰に陽に差別されてゆく、といった構図が出来あがっているのである。
 この意味では、資本によって労働者階級総体の分断支配のためにつくり出されている「差別の構造」は、この寄せ場の内部においても、(行政の意図怠慢によってもささえられて)個々の寄せ場労働者間の仕事を求めての「競争」のうちに日々再生産され、温存されているのだとも言える。
 そして、この寄せ場における「差別の構造」をささえるひとつの重要な「制度」として「手配師制度」は存在しているのである。

補注

@江口英一他編著/山谷−失業の現代的意味/未来社(頁F)
A高梨昌編/建設産業の労使関係/東洋経済新報社(頁46)
Bこの点については「牛草レポート」参照
C「現場で仕事中ケガをしたことがありますか」

(イ)ある 63名(労災補償 34・示談 15・うやむや 13・その他 1)
(ロ)ない 40名
(ハ)無回答 1名
※しかも、ここで忘れられてならないことは、労働者の当然の「権利」であるはずの労働災害に対する補償をうけるためにも、寄せ場の労働者は多大の労力をついやさねばならない、ということである。このことの一端は、釜ヶ崎の日雇労働者の労働組合における多数の労働相談の内容からもうかがえるし、又、センターの毎年の事業報告からも明らかである。すなわち、労働者は、「だまって」いては、決して、労働災害に対する補償さえも受けられないのである。

D筆宝康之/建設労務下請機構の合理化問題/日本社会政策学会年報第27集「現代の合理化」(御茶の水書房)所収(頁118)
E三橋清/出稼ぎの記録/あおもり文庫/頁69〜70
F高梨昌(同上)

G

  現場で労働者どうしで
いざこざをおこしたことが
ありますか。
現場で監督やボーシソや
元請の社員などといざこざを
おこしたことがありますか。
  (イ)ある (ハ)ない
(イ)ある 11 23 34
(ロ)ない 13 54 67
24 77 101

H「仕事を途中でやめて帰って来ることはありますか。」

(イ)よくある    9人
(ハ)たまにある 30人
(ハ)ない      52人

I高梨昌(同上)
J筆宝康之(同上)

K

  顔付けによって仕事をことわられる
ことがありますか
手配師の顔付けに
よって
仕事に行くことが
ありますか
  (イ)よくある (ロ)たまにある (ハ)ない
(イ)よくある 24
(ロ)たまにある 11
(ハ)ない 16 13 24 53
24 28 36 88

◎顔付けによって仕事をことわられることがありますか
 (イ)よくある 24名  (ロ)たまにある 28名  (ハ)ない 36名 計88名

◎手配師の顔付けによって仕事に行くことがありますか
 (イ)よくある 24名  (ロ)たまにある 11名  (ハ)ない 53名 計88名