第14回越冬闘争

「アオカン労働者調査」報告
 83〜84・第14回釜ヶ崎越冬闘争は咋年12月25日から1月16日まで23日間にわたって戦われた。
 今越冬は例年にない厳冬の中、打ち続く「アブレ地獄」(失業)と行革による福祉切り捨ての状況下で非常に厳しいものとなった。

 釜ヶ崎越冬闘争実行委員会(越冬実)では「医療班」「釜ヶ崎差別と闘う連絡会(準)」などを中心に支援者の応援を得て、越冬闘争最終段階の1月15日に「アオカン労働者」(野宿労働者)の実態調査を実施した。アオカン労働者を取りまく諸問題はアオカン労働者自身の問題であると同時に、釜ヶ崎日雇労働者全体がかかえる問題を集中的に表現していると考えるからである。

 すなわちアオカン労働者は釜ヶ崎労働者2万人の下層部分をなし、釜ヶ崎を取りまく全体的問題状況(アブレ=失業と貧困な福祉)の中で、次第に経済的に落層させられて行った階層であるが、この階層に属する者も固定的であるわけでなく、情勢によって生活状態において上昇したり下降したりするのであって現役層と常に流動関係にあるからである。

 以下では今調査(部分集計は「日刊越冬合冊版」で既報)及び越冬実パトロール班・医療班の越冬期間中の資料の分析を通じてアオカン労働者の実態と本質を明らかにしたい。
 今回の調査では、1月15日夜8時「あいりん総合センター」内の大阪社会医療センター(以下医療センター)の軒下の野営地で野宿した労働者154人(うち有効票148人)を対象として、26項目の簡単な生活状況調査を行った。(付調査票参照)

第14回越冬の一大特徴

調査結果の分析に入る前に今越冬期間中全体のアオカン労働者数の推移と特徴を示しておきたい。

 まず第一には野宿労働者数が激増したことである。釜ヶ崎地区内総数23日間延べ8,941人、医療センターのみでは6,676人となっており、総数では昨年の22日間延べ4,908人よりも4,033人増と実に約1.8倍増である。1日平均をとってみても今年388人、昨年258人で130人増となっている。この激増ぶりに驚かされると同時に悲しむべき数字である。

 第二の特徴はアオカン労働者数のピークは例年、年の暮の30・31日にあったのであるが、今越冬では闘争開始4日目には500人を越え、この水準は正月4日まで続き、2日に585人と最高に達したことである。つまりそのピークが年明けの正月にづれ込んだ点である。

※上の黒い線は1983.12.25.から1984.1.16.における野宿労働者数
※下の紫色の線は1982.12.26.から1983.1.16.における野宿労働者数

 では、この変化の背景にあるものは何か。

 もとよりアオカンを好んでする者は誰もいない。アオカンを強いられているのである。昨夏の「実態調査(注1)でも明らかなように、釜ヶ崎労働者の平均就労日数は月14日であった。何らかの理由で就労日数が減れば、釜ヶ崎労働者の半数の労働者はアオカンに追い込まれる。
 特に年末・年始にはドヤ(簡易宿泊所)は10日以上を前払いしないと、泊まることができない。日雇でその日暮らしである釜ヶ崎労働者にとって、12月に就労日数が少なかったり、貯えがなければ、仕事の途絶えた年末・年始には即アオカンである。アオカンの背後には常に「アブレ地獄」がある。

 詳細にみよう。表2は越冬期間中の現金求人数の推移(西成労働福祉センタ一(注2)調べ)である。さきの表1と対照してみれば一目瞭然で、仕事が減ればアオカン労働者は確実に増え、仕事が増えればアオカン労働者は減っている。

※12月31〜1月3日は西成労働福祉センター休み
※83−84年の12/25・1/8・1/15は日曜日。82−83年は12/26・1/9・1/16が日曜日。

 今年の場合、仕事の出姶めた6・7日からアオカンは減り始め、仕事が本格化した10日以降ではアオカン労働者数はピーク時の半分以下に減少し、ピークの585人から14日の231人と354人減少している。この減少したアオカン労働者は現役復帰したのである。このように仕事の量とアオカン労働者数は反比例の関係で連動している。他に4日以降認定支給(注3)が考慮されねばならない。
 しかし、これらの要因だけでは今越冬のアオカン労働者の激増を説明するには不十分である。
 なぜなら12月の求人就労状況をみると、西成労働福祉センター調べで現金求人83年65,038人で81年63,667人、82年61,561人と比べると若干であるが増加しているからである。もっとも84年の求人就労状況はどうなるか不確定であるが。

 では他の要因とは何か。ズバリ言って中曽根行革による福祉切り捨てである。大阪市が毎年行う南港臨時宿泊所の収容人員をみると、一昨年1,980人、昨年1,386人、今年888人と年を追う毎に大幅に削減されてきており、臨泊への人所を拒否された労働者がそのまま釜ヶ崎地区内のアオカン労働者や市内のキタ・ミナミ・天王寺公園などの「浮浪者」=アオカン労働者の激増となったのである。
 更に、昨年まで案施された正月三ヶ日の自彊館への短期の入寮・臨時の受付が、今年は全面的に打ち切られたことも影響し、そのピークを年明けの正月にずり込ませたものと考えられる。

 中曽根行革の正体をここに見たりで、まず弱い部分の切り捨てである。資本は常に釜ヶ崎労働者を利用したい時には最大限搾取し、儲け、要らなくなるとボイと捨て去る。資本の冷酷な論理だ。中曽根行革が軍拡に狂奔するのと同様、大阪府・市は、「大阪21世紀計画」(注4)には浮かれ、労働福祉には金をケチるという福祉の切り捨てを行っている。
 その結果、アオカン労働者の激増となったのであり、これでは政治・行政は資本の論理の仕上げを請け負っているにすぎないといえなくもない。

 今回の調査対象者は仕事が出始め、認定が支給されている1月15日でもなおアオカンせざるを得なかった労働者で、釜ヶ崎の労働者の中でも底辺部分に属する労働者であると考えられる。

 調査当日(1月15日)の夜は雨降りであったが、労働者の協力により一人当たり10分〜20分の調査を行い、一応の成果を得たので以下、アオカン労働者についての属性や問題について、調査に従って考えたい。

調査対象者

 調査の対象者は当日の午後8時の段階でセンターに集まった労働者全員で154人。うち有効な答えを得たのは148人であった。
 「いつ頃からアオカンをしていますか。」(質問5)という問に対し、
@通年と答えた者148人中26人、
A年末からが38人、
B年明けからが83人であった。
 ただここで注意しなければならないのは「通年アオカン」と答えた者の中には、仕事がない時に、時々あるいはしばしばアオカンをするという者がかなり含まれていると考えられ、文字通りの「通年アオカン」はむしろ少数であろう。
 なぜなら「通年アオカン」者の多くは、台車や荷車を引いて、寄せ屋・バタ屋を行っており、南海線のガード下や日東町周辺に寝ぐらをもっていて、医療センターの越冬の野営場にはほとんど来ないからである。

 さて調査対象者の年令分布と在釜年数を相関させて示すと表3のごとくであり、平均年令48.4才、在釜年数14.0年であった。
 年令階層では20才台は3人と少数で、50台以上68人と、かなり高齢に傾いている。(「実態調査」では平均年令44.7才、平均在釜年数12.9年であった。)

 在釜年数の特徴は、

 一つには在釜10年以下の比較的短い者53人、20年以上の長期在釜者39人と二つの階層に分かれており、平均在釜年数14年前後は22人と相対的に少ない。
 二つには比較的高齢者で在釜年数の浅い労働者、いいかえれば45才以上で釜ヶ崎にやってきた人が比較的多いことである。

 表3でいえば右下に位置する人が多く、昨夏の「実態調査」の調査ではみられない特徴である。
 前者は釜ヶ崎での在住期間に関わる問題であり、後者は来釜の理由に関わる、社会的・構造的問題である。

 前者についていえば、在釜が浅い者に「アオカン労働者」が比較的多いというのは、釜ヶ崎に来てそれまでとは激変した労働・生活環境になじめず、不適応になったためと考えられるし、
 他方長期在釜者の場合は、釜ヶ崎での長期の生活が彼等の就労意欲・労働意欲を磨滅させられた結果ではなかろうか。後者は中高年になって、来釜して釜ヶ崎での生活経験の浅い者の中に「アオカン労働者」が多少目立っていることを意味する。

 わが国の労働政策の青年労働者に有利で、中高年の労働者は冷遇されるという条件下で、不景気・倒産・失業・出稼ぎ、あるいは個人的・家庭的理由によって、一般の労働市場から反発された中高年の労働者のうちかなりの者が日雇労働市場としての釜ヶ崎へ流人してきているのであろう。

「アオカン」の原因と越年への対処

 「アオカンをするに致った原因」(復数回答)についての問に対する結果は表4である。
 @の病気・体調不調の38人も、そのために就労できなかったと解し
 Aアブレのためと答えた者85人と合わせれば123人となり、全体の75%の者が、アオカンの原因はアブレだと答えていることになる。

 つまりアオカンの主要な原因はあブレのため就労できなかったことにある。そのために年末・年始の仕事の全くない時期をしのぐだけの収入・貯えを持たない窮乏状態に追い込まれたと考えられる。
 「現在どのようにして食べていますか。」(複数回答)の答えは表5で、7割が「炊き出し」、友人などの援助で辛ろうじて「食って」飢えをしのいでいる。
蓄えの金で 友人の援助 寄せ屋 時々仕事に行く 炊き出し 残飯 その他
15人 34人 10人 20人 92人 12人 12人
※回答者145人(N.A.3人)の回答数195を図示
 したがって、このような労働者は公的な救済が受けられなければ、アオカンするしかない。
 年末(29・30日)の大阪市の南港臨時宿泊所への申し込み状況は表6である。

※表6・臨泊の申し込み状況とその結果
 申し込みに行った者56人、受理された者30人で全体の5分の1にすぎない。
 更に臨泊以外で12月、1月の間に市更相(注5)へ相談に行った者は延べでわずか32人にすぎず、その中で何らかの保護・援助を受けた者は7人だけであった。

 窮迫しているにも拘わらず92人の多数の労働者が申し込みにさえ行っていないという事実、今後越冬闘争終了後市更相へ相談に行こうと思っている労働者16人(表7)にすぎない事実、これらを合わせて考えると、窮迫している労働者が行政を全く信頼せず、期待もしていないことを如実に示しているといえよう。
 行政(市更相)は臨泊への入所基準の一つに白手帳の所有の有無を打ち出しているが、調査の結果(表8)からみると、受理・拒否はかなり恣意的であって、福祉切り捨ての口実に利用されているにすぎないように思われる。
表8・臨泊申込者の白手帳所持の有無と受理・却下の関係(申込者総数56名)
  申し込みを受理 申し込みを却下
認定あり 2人 6.7% 3人 11.5%
認定なし 9人 30% 5人 19.2%
紛失 6人 20% 6人 23.1%
作っていない 11人 36.7% 12人 46.2%
不明 2人 6.7% 0人 0%
 もっとも白手帳の所持の有無を人所の条件にあげること自体問題だ。釜ヶ崎労働者の下層部分たるアオカン労働者は白手帳の所持率が低いからである。(表9)所持率が低い理由として、2ヶ月平均して28日間就労する機会にめぐまれる位置になく、白手帳を持っていてもアブレ(認定)受給につながらないことが考えられる。

「アオカン」の本質と問題点

分類の基準

 アオカンを強いられている労働者は果たして世間の人々が言うように「怠情」や「酒飲み」のダメな人間なのであろうか。
 そこでアオカン労働者の置かれている状況を明確にするために調査結果に従って、対象者を分類して分析をすすめる。

 寄せ場という、きわめて資本主義的な競争社会では、労働需要つまり仕事量が一定であれば、当然労働者間に競争が生じ、仕事にありつける者も、アブレる者もでる。その分かれ目は客観的条件が一定であるとすれば、日雇労働者個々が持つ、技能・体力・就労意欲などによって決まる。

 たしかに就労を規定する個人的・主体の側の要因にはさまざまなことが挙げられるのであろうが、ここでは単純に
@日雇労働に耐えられるだけの体力・体調を維持しているかどうか、
A就労意欲を持っているかどうか、の二点を取り上げる。
 そして。@をタテ軸に、Aをヨコ軸にとれば図1のような四類型を得る。(図中の十は有、一は無を示す。)

 類型Tは体力・体調も日雇労働に耐えられ、かつ就労意欲十分でいわば日雇現役層と呼ぶべき労働者層、
Uは体は丈夫で労働に耐えられる体力はあるが、余り働く意欲がない層、
Vは体力・気力ともに衰えていて、すぐには就労には耐えられない層、
Wは体力・体調は余り芳しくないが、就労意欲は十分持っている層ということになる。

 @体力・体調の区分は問5のアオカンの原因、問17の仕事に行けなかった理由などから判断し区分した。ただ厳密な健康診断からの区分ではないので大体の目安と考えてもらいたい。その結果、日雇労働に就労可能な健康状態にある者90人、不可能と思われる者58人となった。

 Aの就労意欲については問19の年明けからの西成労働福祉センタ一の寄せ場3階での求職活動の有無によって区分した。(表10)

 表10によれば求職活動を行った者106人、知り合いの親方への個人的働きかけ、仕事の予約のある者、新聞広告で捜している者など10人、合わせて116人を就労意欲ありと判断した。
 残りの32人は年明けから全く求職活動をしておらず、これらの者を就労意欲なしとした。
 @とAの基準で区分した労働者を、@をタテ軸、Aをヨコ軸にクロスして分類すると図Uが得られる。

※T-a 就労(58人中の23人は4日以上就労・T-b 不就労)
 類型Tには88人と最多数の労働者が含まれるが、この中には現実に就労している労働者58人が含まれている。この58人の労働者の中には体の不調を訴える者もいるが、一応就労しているということから、現役とみて58人はすべて類型Tに分類した。
 なお類型Tで1日でも就労した労働者をT-a 、全く就労していない労働者をT-bと再分類した。

 対象者148人の1月15日までの就労状況を示したものが表11である。就労した労働者(T-a )の平均就労日数は3.7日で、仮に残りの半月で10日就労したとしても認定ギリギリである。しかしこの数字は不可能であるから、釜ヶ崎労働者の月平均就労日数に達する者は極端に少ないことがわかる。
 全く就労していない90人を含めて平均を出せば1.45日となってしまい、これは就労していないに等しい。1月は年末・年始で仕事の出が遅く、普通の月よりも就労日数は少ないが、15日まで4〜5日以上就労(23人)していないと平均的釜ヶ崎労働者とは言えない。
 23人の中には8日以上就労している労働者が7人いる。うち2人は飯場帰りで15・16日の休日だけ釜ヶ崎に帰ってきたものである。別の一人は賃金未決済のまま帰ってきている。ここに就労日数が多ければアオカンする必要はなさそうなものであるが、必ずしもそうなっていない釜ヶ崎の問題の複雑さが潜んでいる。

 類型Uは2人のみで、1人は年令39才、在釜10年。もう1人は40才、17年。前者は「くすぶったらとことんまでくすぶってしまう。働いてもしれている。」「2〜3年前まではまじめに働いていた。」「(飯場では)衛生費や飯代を引かれて、いくらも残らずバカらしい。」、後者は「(仕事に)行く気かなくなったら2週間でも休む。行く気になったら行く。」と言っている。
 両者はともに年令は若く、全く就労する意欲がないというわけではないが、就労・労働条件の悪さに嫌気がさして働く意欲が削がれていると見受けられる。

 つぎに4類型の特徴と問題点を検討しておきたい。
 各類型の構成と年令・在釜年数の平均を示したものが表12である。また表13〜16は各類型の年令と在釜年数の相関を示す。

 まず年令の平均で最も若いのは類型T-bのグループで、45.3才、ついでT-aのグルーブの48.1才となっている。年令で特に注目すべきことは、類型VとWはともに52才台とT-a、T-bと比べ相当高齢となっている点である。

 在釜年数ではT-bグルーブが12.2年と一番短いが、他のT-a、V、Wは13年台で、差がほとんどない。(類型Uは省略)
  人数(%) 平均年齢 在釜平均
T-a 58人(39.2%) 48.1才 13.6年
T-b 30人(20.3%) 45.3才 12.2年
U 2人(1.3%) 39.0才 13.5年
V 30人(20.3%) 52.3才 13.2年
W 28人(18.9%) 52.4才 13.8年
148人(100%) 48.4才 13.6年
つぎに表13〜16の相関について。
 T-aは平均的分布、つまり若年層は在釜期間が短く高齢層は長いという傾向が見られる。ただ例外は、50才以上の高齢で来釜し、在釜期間の短いという層が若干多いことは注目される。
 T-bグループも大体T-aと同じ分布傾向であるが平均年令が一番若年であるためか、在釜年数10年以下が30人中16人と大多数を占めている。またこのグループの平均在釜12年前後には少なく、在釜20年当たりに集中する傾向があり、在釜の浅い層と長い層の二極分解の傾向が見られる。
 V・Wの分布は一、二の例外を除いて分布傾向は酷似していて、年令40才台〜60才台でタテに分布している。ここでは二つの大きな特徴を見い出せる。一つは在釜期間5〜15年に両グループとも全体の半数が分布していること。他は比較的若年で来釜し、在釜が長期にわたっている者が多少目立つ点である。

年令・病気・アブレ

 前項まで類型別に年令構成・在釜年数の特徴をみてきたが、この二つの要因が釜ヶ崎日雇労働者に対してもつ意味は大きい。一般的にみても、高齢化するとともに体力は衰え、肉体的強労働にはむかなくなる。とくに建設・土木の肉体労働が主である釜ヶ崎では、肉体の消耗は激しく、その傾向は著しい。

 問18A(仕事に)「行けなかった理由」(自由回答)の問では、
(1)「顔付け」(注6)29人、
(2)「アブレ」25人、
(3)「体調がわるい。」15人、
その他28人という結果であったが、
 前三者が回答の大部分を占めている。

 また、問21「求職活動をしない理由」。「飯場に入れない理由」の問に対しても、
「体力・体調に自信がないと答えた労働者が、各々21人と22人でトップを占めている。
 高齢者は直接的に年令制限で排除されるし(問23で一一人が年令制限を挙げている。)見かけの老化、つまり年よりも老けて見えれば「顔付け」によって就労がむずかしくなるし、そのことは労働者の意欲を削ぐことにもなろう。

 こうみてくると、さきの類型V・Wの両グループの平均年令52才台で、Tのグループに比べかなり高齢化している事実。V・Wのグループの労働者は高齢化している分、就労の機会を失うことになろう。つまり、釜ヶ崎では高齢化・病気・労災→体力の衰え→労働能力の低下の過程はそのまま就労機会の喪失につながる。

 つぎに在釜年数と就労日数についてみよう。今回の調査で1日でも就労した労働者は類型T-aに分類した。彼等の平均就労日数は3.7日であった。調査日は1月15日であったから、釜ヶ崎労働者全体の1ヶ月平均就労日数14日と比ベると、この半月で3.7日はかなり少ない。残りの半月を連日就労しないと認定資格を得ることはできない。

 そこで58人の就労した労働者を3.7日という平均で、つまり3日以下と4日以上の就労日で再区分すると35人と32人になり、平均以下の就労者は実質上はアブレ状態にあったと考えてさしつかえなかろう。したがって平均程度就労できた労働者は148人のうち23人にすぎない。

 この23人の在釜年数をみると10年以下が14人、20年以下が7人、それ以上が2人となっており、 T-aの各層内の比率でみると各々54%、35%、16%(類型T、更に全体における各層でも同じ傾向)となり、 在釜年数の短い労働者の方が、若年、高齢に関係なく、長期在釜者よりも平均以上の就労をしている労働者の比率が高くなっている。

 この事実は釜ヶ崎での強度な肉体労働者は長期になればそれだけ激しく肉体と就労意欲を磨滅させられることを意味する。

 類型V・W(表14・15)について、指摘しておいたように、若く働き盛りの時、来釜した労働者であっても、在釜年数が20年以上というように長期になると、就労日数が減少したり、極端には就労できなくなって「アオカン」層への落層の危機に追い込まれる。
 逆に50才位の高齢で来釜した労働者の場合、在釜が浅い期間は就労意欲も高くマメに求職活動をして就労は安定しているが、慣れない労働・アブレ期におけるツテの喪失により、不就労に致り急速に経済的に下降し困窮する危険性が大きい。

 V・Wのグルーブで年令50才以上、在釜10年以内の「不就労アオカン」者の分布が比較的多いことがこのことを証明している。

 1月15日の時点でアオカンをしていた労働者も最初から「アオカン労働者」であったわけではなく、現役の日雇労働者であったはずで、さきの分析のような経路で就労から排除されることになればアオカンが待っていることになる。

 アオカンしている労働者が釜ヶ崎労働者の中の底辺層であるとすれば、類型V・Wに分類される労働者は、その階層の中の最底辺に属しているといえよう。これらの労働者はアオカンの常態化の危機にある。その窮状ぶりは、アオカンに加えて「現在、どのようにして食べていますか。」(問14、表6)に対する結果をみれば明らかである。
全体では148人中92人(47.2%)が「炊き出し」を受けていると答えていて、これ自体高率であるが、
友人の援助17人、
残飯4人と辛うじて命をつないでいる現状である。
 このグループに属する労働者はアオカンを続けるようなことになれば、ますます健康を害し、体力は衰え(表17)就労のチャンスが閉ざされる。そしてこの悪循環からアオカン労働者の個人的な努力だけでは抜け出ることは不可能であると思われる。
 類型V・Wの両グループの労働者は高年齢病弱・ケガなどの身体的状況には殆ど差異はみられない。
 ただ類型Wのグループの労働者はそのような苦しい状況にありながら、就労しようと現実に求職活動をおこなっているのに対し、Vのグループの人たちは求職活動をする気力さえ失っているようにみえる。

 以上の分析から釜ヶ崎でのアオカンの問題の根底には日雇労働者の失業・アブレがあることが明らかになった。アブレの結果、アオカンを強いられた労働者の姿だけを見て、釜ヶ崎労働者を判断すると本質を見誤ることになる。世間一般に流布している「釜ヶ崎の人は怠け者で自ら招いた結果で、アオカンをしているのだ、」という見方はこの過ちを犯している。

 かりにアオカン労働者自身がもつ問題性がありとすれば、それはそれで考えなければならないが、アブレという根本的問題が解決されない限り、アオカンの問題はけっして解決されない。さきにも示したようにアオカンを強いられている労働者もけっして就労意欲を失っているわけではない(表7・10参照)。年間を通じて十分な仕事が保障されるならば、アオカンの問題の多くは片がつく。

 ただし、仕事さえ出れば、すべて解決がつくというわけにはいかない。「顔付け」・福祉・住居・健康など沢山の問題は残る。
 働ける健康状態にあり、就労意欲も十分持っているグループ(類型T)の労働者にはまず仕事が保障されなければならない。働く意欲はあっても、病気やケガ・高齢で強労働に耐えられない労働者(類型W)には適当な軽作業が必要だ。「相対方式」という業者まかせでは「顔付け」による高年齢排除という問題は解決されない。それ故、このような就労は公的に保障されなければならない。
 それでも問題は残る。高齢・病弱でかつ働く意欲を失っている労働者(類型V)に対しては、それに対応する福祉政策が必要だ(注7)。

 アオカン労働者の中にも様々な問題を抱えた層が存在するのであり、したがってそれに合ったさめ細かな施策が求められる。かかる現状にありながら、これらの労働者に対する労働・福祉政策は十分なものであったろうか。

 「行政対象は白手帳の所持者のみ」(府労働部)という行政姿勢にみられるように、元気で働けて、認定資格を維持できる労働者にはアブレ手当を、というわずかの施策をなすが、アブレ期における就労日数不足で有資格を維持できないアオカン労働者には何らの施策も執られていない。
 いいかえれば府の労働政策とは労働力として役立つうちは日雇労働者と認めるが、一時的にせよ、常態的にせよ、労働能力を失えば、一切面倒をみないということになる。このような労働政策は、資本に奉仕するだけの政策にすぎないのではないだろうか。
 アオカン労働者が労働政策の対象外におかれるとすれば、労働能力を磨滅せしめられた労働者に対してはどのような福祉政策が執られてきたであろうか。

 「自立の福祉」(市民生局)と称して、臨泊縮小に見られるような福祉切り捨てがあったにすぎない。労働者を青空の寒風の中へ放り出してきたのだ。

 アオカンを強いられた労働者は労働政策からも福祉政策からも見捨てられた存在である。これまでの分析はアオカン労働者のみならず、釜ヶ崎労働者全体に係わる問題である。アオカン労働者は釜ヶ崎の平均以上の現役労働者層に対し最底辺にあるが、釜ヶ崎労働者は常雇的組織労働者に対し下層の立場におかれている。

 常雇労働者は賃金・就労・労働福祉などの点でそれなりに制度的に「保障」されている。釜ヶ崎の日雇労働者は、こうした「保障」さえもなく、それらの点で全く劣悪で無権利状態にあるからだ。

 これらの状況の打開は彼ら自身が本質的には労働者であるという認識に立ち、働く権利、生きる権利を要求し勝ち取る以外にあり得ない。
※本調査報告はアンケート集計を行い、共同討議の結果まとめられたものである。牛草(原案)・奥田・北川・久保・小柳・原(作表)平川・本間の参加による。釜日労・争議団の検討を経て発表するものである。調査に協力していただいた労働者ならびに越冬実に参加された方々に感謝いたします。

(1)実態調査

「釜ヶ崎差別と闘う連絡会(準)」が1983年8月、「釜ヶ崎労働者の労働・生活実態調査」として実施したもので集計結果の一部は「中間報告Vol.1。1983・9・25」、「釜ヶ崎と人権−83年8月釜ヶ崎実態調査報告」(いずれも同会発行)で発表された。
それによると調査項目は、労働・生活・意識など203項目にのぼり、有効回答は104人であった。
対象者の平均年齢は44.7才、平均在釜年数は12.9年であった。
調査時点前1週間の平均就労日数は3.38日(月換算14.53日)で、賃金は7,000円が最も多かった(約5割)。
だとすると釜ヶ崎の平均的労働者は労働収人として月98,000円を得ていることになる。更に日雇雇用保険を受給できる資格のある者はそれが収入として加わる。
調査での平均収入は90,200円であった。
なおドヤ代(宿代)の平均は886円、食費の平均は1,630円でその他の経費を加えると、釜ヶ崎で一日生活するのに3,000円前後、1ヶ月では90,000円位必要であると思われる。

(2)西成労働福祉センター(財団法人)

現在「あいりん総合センター」(大阪市西成区萩之茶屋1−3−44)には次の四つの施設がある。
・あいりん労働公共職業安定所(あいりん職安)
・西成労働福祉センター
・大阪社会医療センター(医療センター)
・市営萩之茶屋住宅
通常、あいりん職安と西成労働福祉センターとを合わせてあいりん労働福祉センターと呼ばれている。67年大阪市の「愛隣総合対策」のAブロック案の中で登場してきたもので、70年10月に開設された。なお医療センターの前身である「済生会今宮診療所」(55年開設)はこれを機に廃止された。
西成労働福祉センターは「第1次釜ヶ崎暴動」(61年8月)の直後に開設された府労働部西成分室をうけつぎ62年10月に発足したものである。
「地区労働者の就労の正常化と生活の安定をはかる役割を担つて、官民一体となり幅広くこの任にあたる組織」とされている。
主な業務として、無料職業斡旋事業、就労正常化事業(求人事業所の登録等)、労働相談事業の他に福利厚生事業(生活相談・広報活動・文化事業等)を行っている。
センター開設当初のあいりん職安による職業紹介、労働福祉センターによる労働者福祉事業という機能分担計画は、行政の怠慢により未だ実現されていない。
就労斡旋事業には、早朝のセンター1階での「相対方式」(後述)とセンター3階の労働福祉センター紹介課窓口によるものの2種がある。
3階の紹介は1階の「相対方式」に比べ圧倒的に少ないが、第1次石油危機以降の求人数の激減に伴い利用が多くなり、81年6月以降は求職者が求人数を大きく上回り、抽選による紹介方法が実施されている。
なお、早朝には飲食店・売店がセンター構内で営業している

(3)認定支給

 日雇労働求職者給付金の支給業務が1月4日から開始されるが、その支給を受けられる者、また受けた者から借金できる者などは、医療センター軒下の野営地からドヤヘ移ることが出来る。
 日雇労働求職者給付金は、職業安定所の名称を持ちながら、職業紹介をしない、おそらく日本の中で唯一の職安・あいりん労働公共職業安定所において「雇用保険日雇労働被保険者手帳」(白手帳と通称)と「求職受付用」(写真が付けられていることから写真カードと呼ぶ)を作り、白手帳に雇用保険印紙を2ヶ月間に28枚以上貼り付けることによって、3ヶ月目から、貼り付け枚数によって最高13日間ないし17日間、4千百円の支給を受けることができる。
 就労できなかった日(アブレた日)の午前8時に手帳を職安窓口に提出して失業の認定を受け、午前11時に支給を受ける。このシステムによって、給付金のことを、”アブレ”あるいは”認定”と呼ぶ。

(4)大阪21世紀計画

 「大阪を世界に開かれた国際都市に」のかけ声のもと、財団法人「大阪21世紀協会」が発足したのが、82年4月。主な構成団体は関西経済連合会、大阪商工会議所、大阪府、大阪市である。会長は、あの「今太閣」を自負してやまない松下幸之助。
 「21世紀計画」は、83年10月の「御堂筋パレード」とそれに続く「大阪築城400年まつり」をもって始まった。これから2001年まで種々雑多なこと−「わんぱく相撲大阪場所」から「関西国際空港」の建設まで−が行われる。
 「21世紀計画」がもくろんでいるのは、大阪ーひいてはこの国全体をさらなるアジアへの経済侵略へ向けて、物質的にもイデオロギー的にも再編・強化することである。
 物質的基盤づくりとしては、「関西国際空港」がある。それはなによりも「21世紀の大阪創生の第一の基軸である」とされている。この「空港」が軍事併用の空港としてアジアに「開かれている」ことはあきらかである。
 イデオロギー的には、「大阪21世紀計画」という一大運動の中で、財界が中心となって行政・マスコミをとりこんだ形で差別・排外主義の風潮が作りだされようとしている。
 「築城400年まつり」では、秀吉の部落差別・朝鮮侵略政策は意図的に隠され、ひたすら秀吉とその大阪城は「大阪の活力」の象徴とみなされた。
 「御堂筋パレード」への大衆の動員のために、企業ぐるみ、行政ぐるみ、町会ぐるみ、さらには学校ぐるみへとチケットが押しつけられた。
 このような「21世紀計画」の差別・侵略的性格、したがって反民衆的性格を釜ヶ崎との関連でみれば、それは「御堂筋パレード」を前にしての行政によるウメダ・ナンバ地域での「浮浪者狩り」としてあらわれる。「皇族」参加の「パレード」のために、行政はなりふりかまわず、アオカン労働者を「浮浪者」ときめつけ追っ払ってしまおうとしたのである。
 差別・侵略路線の延長上にきずかれようとしている「大阪の21世紀」が、いかに民衆にとって危険極まりないものであるかを今後も暴露し続けていく必要がある。

(5)市更相(大阪市立更生相談所)

 釜ヶ崎地区における唯一の公的な「福祉」実施機関。1971年8月「大阪市立更生相談所条例」にもとづいて、「愛隣会館」と「市立中央更生相談所」(この前身は「市立厚生館」)とを統合して設置されたもの。

 その目的は「愛隣地区における住居のない要保護者の福祉に関する措置を行うほか、地域住民の生活向上と環境の整備改善を図ること」(「事業概要」昭和58年版)とうたわれてはいるが、その実態は福祉機関というよりもむしろ、地区の「治安」維持機関としての側面を濃厚に示している。相談に来た労働者に対する市更相職員の尊大・横柄な態度やきわめて官僚的かつ冷酷な相談「処理」のあり様は、地区労働者の避難の的である。

 それ故、労働者は、少々の困った事では、けっして市更相に相談には行かない。へたに相談に行って、罵詈雑言を浴びせられたりもっとヘタをして、悪質な病院(とくに精神病院)へ送られるよりも、むしろ、アオカンする方を選ぶといった現実が厳然として存在する。
 たとえば社会医療センターの診断書を持って相談に行った肺結核で苦しんでいる労働者に対して、「自分でやっていけ。昔から見ればよくなっている。何も仕事がなかったらバタヤでもやれ。」と「助言」してくれる様な「福祉」機関なのである。もしくは、冬の臨泊受けつけをやる場合には、大量のガードマンと機動隊の動員が必要である、という現実こそがこの市更相の実態を最も如実に示しているかもしれない。

(6)顔付け

 職安が職の紹介をせず、職安法違反の人夫出し手配師を野放しにしていることから、仕事のない時期には、見かけ・体力などで恣意的に選ばれ、仕事につきやすいもの、仕事につきにくいものがでる。顔を見て仕事を付ける、の意。

 (全国一般大阪府本部)西成労働福祉センター労働組合・政策委員会の発行したパンフ”釜ヶ崎における西成労働福祉センターの現状と課題”の中では、センターの職業紹介について以下のように記述されている。
”「センタ一」の職業紹介は窓口紹介と相対方式によるものである。

 相対方式とは、「センター」に業者が届け出た求人条件を記載したプラカード(「センター」発行)をもとに、求人者と求職者が直接話し合って雇用関係を結ぶもので、釜ヶ崎地区特有の紹介方法である。ー略−又、この紹介方法に対して、当初、大阪府労働部及び労働省の見解は公式の紹介方法ではないと云う立場にあったが、その後、労働部が「相互選択管理方式」と云う言葉を使用し、「建労法」施行通達において、「相対方式は本質的に職業安定所の一般職業紹介と何ら差はない」として労働省に追認されている。
 この相対方式はいわゆる職安方式と呼ばれている輪番制では、当釜ヶ崎の条件(多数の労働者と一時に対応せねばならない)に十分に応じることができないところから採用された積極面もあるがしかし、この「良さ」を認めながらも、今日のようにその機能を十二分に発輝し得る条件整備が不完全な段階では、無法な「青空求人」と混同される弱点もある。この条件整備こそが現在の急務である。
 窓口紹介は、求人者から届け出された求人条件を明示した求人票を公開し、求職者の選択により直接「センター」が紹介票を交付して紹介する方式である。”(23頁)。
現状では、”相対方式”という野放し状態での就労がセンターの主流である。

(7)不就労要因

現場や飯場で仕事を拒否された者が16人(1割強)いるが、その中では年令と体力が理由で拒否されている者が目立つ。

現場や飯場で仕事を拒否され帰されたことがありますか。(回答者148人)
拒否理由の内訳
理由 人数
年齢的に仕事に合わないと思われて 4人  (25%)
体力的に仕事に合わないと思われて 5人(31.25%)
現場の仕事の都合で 5人(31.25%)
その他 1人 (6.25%)
N.A. 1人 (6.25%)
16人(100%)

アオカン労働者調査    No.

実施1984年1月15日(日)

(1)氏名(      )
(2)年令(     )才
(3)いつ頃釜ヶ崎に来ましたか。(    )年
(4)白手帳を持っていますか。
@持っている (認定資格あり 認定資格なし)
A紛失した
B持っていない(作っていない)
(5)いつ頃からアオカンをしていますか。
@通年(月)
A年末から
B年明け(臨泊終了後)から
(6)臨泊の申し込みに行きましたか。
@行った
A行かなかった
(7)〔(6)で@と答えた人に対して〕その結果は


@拒否された理由(具体的に)

A受理された
期間 月日〜月日(日で帰って来た 期間一杯居た)
場所 南港 自彊館 待遇(具体的に)

(8)昨年12月に市更相へ相談に行ったことがありますか。
@ある
Aない
(9)((8)で@と答えた人に対して〕相教の内容とその結果をお聞かせ下さい。
@相談内容
A結果
(10)年が明けてから市更相談へ相談に行ったことがありますか。
@ある
Aない
(11)〔(10)で@と答えた人に対して〕相談の内容とその結果をお聞かせ下さい。
@相談内容
A結果
(12)アオカンをするに致った原因は何ですか。
@病気・体調不調
Aアブレ(   )頃から
Bその他(   )
(13)普通どのあたりでアオカンをしていますか。
@センター周辺
A三角公園
B炊き出し公園
C萩之茶屋商店街
D南海線ガード下
D新今宮駅周辺
F天王寺公園
Gその他(具体的に)
(14)現在、どのようにして食べていますか。
@蓄えの金で
A友人の援助
B寄せ屋
C時々仕事に行く
D炊き出し
E残飯
Fその他(具体的に)
(15)アオカンを始めてから体の調子はいかがですか。
J悪くなった
A以前と変わらない
16)〔(15)で@と答えた人に対して〕どこが、どのように悪くなったのか。
具体的にお聞くかせ下さい。

(17)年が明けてからセンター及びその周辺で手配師を通じた求職活動をしていますか
@毎日している
A時々している
Bしていない
(18)(17)で@・Aと答えた人に対して〕その結果をお聞かせ下さい。
@1月に入って(  )日仕事に行くことができた
A行けなかった日の理由をお聞かせ下さい
(19)年が明けてからセンターの3階に行って仕事を探していますか。
@毎日している
A時々している
Bしていない
(20)〔(19)で@・Aと答えた人に対して〕その結果をお聞かせ下さい。
@1月に入って(  )日仕事に行くことができた
A行けなかった日の理由をお聞かせ下さい
(21)手配師・友人あるいはセン夕ーの3階等を通じて求職活動をしなかったり、
あまりしようとはしないのは何故ですか。理由をお聞かせ下さい。

(22)飯場に入る意志はありますか。
@ある
Aない
(23)((22)で@と答えた人に対して)飯場に入れない理由は何ですか。

(24)〔(22)でAと答えた人に対して〕何故飯場に入らないのですか。

(25)現場や飯場で仕事を拒否されて帰されたされたことがありますか。
@しばしばある
A時々ある
Bない
(26)16日でセンターでの布団敷きは終了しますが、その後どうするつもりですか。
@仕事(飯場)に行く
A市更相へ相談に行く
Bアオカンを続ける
Cその他(具体的に)
(27)特記事項