7519

「不況に厳しい新年・あいりん地区の日雇労働者・無料宿泊所も11日限り・「場当たり行政では解決困難」

不況の始まった去年の正月から、労働者の要求などでこれを12日間に延ばし、今回はさらに定員を3百人ふやして5カ所千3百人の受け入れ準備(3011日朝)をとった。
ところが暮れの
30日に受け付けを始めると同時にどっと押しかけ、大みそかまでに定員いっぱいになった。正月3日間は、あぶれた約3百人に食糧の現物支給として即席めんなどを配る事態になった。

臨時の宿泊所の1つ北区北扇町の市立衛生研究所跡では1日、労働者たちでつくっている釜ケ崎越冬闘争実行委員会のメンバーが市の委託した臨時所長と「仕事をよこせ、仕事があるまで宿泊を延期せよ」など要求して団交、所長が倒れて病院にかつぎこまれ、後任が決まるまでの3日間、現場責任者は空席となった。
自彊館では同じ日、押しかけた同闘争実行委の労働者ら
5人が暴力行為などの疑いで逮捕された。

また5日からは、港区港湾労働者センターで、市から委託されていた責任者と、ボランティアの天理教徒全員がこわくなって姿を消し、市職員が港署員に守られて弁当の支給をする異常事態が続いている。

いずれの場合も市は現場責任を権限のない社会福祉活動家にまかせ、ほとんど顔を出していない。

4日までボランティアとして3加した協友会の金井愛明牧師は「労働者が疲れきって入所してきたのは確かだ。場当たりの越冬行政ではどうにもならない」という。

これに対して大阪市民生局桜木総務部長は「宿泊所の世話は役所がやるとギスギスするので、民間など社会福祉のベテランにお願いした。宿泊は予定通り11日まで続けるが、就労問題がからむそれ以降については労働行政の問題であり、民生としては限界がある」といっている。

75111

「仕事なく凍る路上へ・日雇い宿泊所閉鎖・退去拒む2人逮捕」

大阪市民生局は、無料宿泊所の期限が切れる11日朝大阪府警機動隊と関係各署の出動を求め、5ケ所の宿泊所を予定通り閉鎖した。

この朝、天満臨時宿泊所では約30人の労働者がはち巻き姿で同玄関ホールに座り込み、「ワシらはこれからどうすればいいのだ。市に行けば府の労働部へ行けといい、府へ行けば国に言えというし…」と演説。
しかし、退去時間の同
9時には、府警機動隊と曽根崎署員が排除にかかり、外に押し出した。また屋上から垂れ幕を降ろし、マ・イクで呼びかけていた2人が、下りてきたところを建造物侵入現行犯で逮捕された。

同市民生局ではこの朝、差し当たっての“生活の糧”として、労働者ひとりずつにカンパン1袋(5個入り)、即席めん1個、ハイライト2個、菓子パン3個、交通費百円を渡した。

75122

「途方にくれる労働者・市・あいりん地区の“テント村”に退去通告・療養施設に入れぬ病人」

公園は地元の人が「年末年始に子どものたこあげをしたい」と先に借りていたが、地元と交渉して労働者が相乗りのかたちで借り、12日までは市公園局も黙認していた。

テント村は4年前から年末年始につくられている。暮れの28日から街頭カンパなどで集めた金を資金に3食のたき出しをし、多いときは約200人がテントに入った。いま3つのテントにふとんが35人分ある。夜、深夜、未明に分け4時間交代で計百人が寝ている。

市立更生相談所でも「ことし医療相談は1日平均百30人と、例年の3倍近い。市の療養施設(4カ所、約700分)は満員で、待ってもらっている状態だ」と頭をかかえている。

75130日夕刊

「“不況寒波”食えず泊まれず・あいりん地区「テント村」ルポ・寝るのも交代で・タキ火囲み疲れた輪」

あいりん地区(釜ケ崎1帯)の日雇労働者に、きびしい冬が居すわっている。
例年なら求人が好転する
1月下旬だが、年末年始の落ち込みのまま回復は鈍い。年の瀬から開いた“テント村”は世間がお正月から抜け出しても、ことしはまだ“閉村”できないでいる。
29日夕から、村で1夜を過ごした午後7時ーとっぷり暮れた公園を長い列がヘビのようにうねる。「仕事よこせ」の大きな看板のある炊事テントへと、黙って並ぶ約220人の労働者たちだ。
地区のキリスト教団体が差し入れている夕食弁当と、街頭カンパによる野菜汁のたき出し。食事がすむと公園内の人数は1
20人くらいに減った。

7時半ー宿泊用のテントは長さ8メートル、幅4メートルの1張りで、泊まれるのは詰め込んでも40人。4時間ずつ寝ては交代する。

午前0時ーたき火のまわりに腰かけてあたれるのは30人足らず。あとは立ったまま、夜が更けて刺すような寒さが襲う。
みんなが前に出ようとするので、たき火を囲む輪が何度もくずれる。疲れ切った
45人が輪の外に出て身を横たえるが、寒さで230分ともたない。
あついお茶をのみに炊事テントへ走る。清酒カップのあきびんと、塩を入れたわん。「塩をたっぷりいれてのみ、朝方バンク(血液銀行)にいくといい。そうする人が近ごろは多い」と若い労働者が教えてくれた。

午前5時ーたき火の輪から1人抜け2人抜け、西成労働福祉センターの寄り場へ。6時ごろには30人余りがいなくなっていた。「どうせ、あかんやろ」。残った労働者たちのうつろな顔。
7時ごろになって、案の定、労働者たちが重い足をひきずってたき火に戻ってきた。「マイクロ(バス)ぜんぜんきてへん」

75131日夕刊

「テントにバリケード・あいりん撤去めぐり緊迫」

30日夜から301日朝にかけ、周囲約50メートルにベニヤ板、廃材などでバリケードを築いた。
今月中旬以降、大阪市公園局から「公園の目的に反す」と
2度にわたり退去通告が出されており、同テントの存続をめぐって緊張が高まっている。
同越冬委は、東京・山谷地区の同様な公園内のテント村が
30日強制撤去されたと知り、抗戦に出た。
同夜、「テント村防衛決起集会」を開いたあと、労働者たちと公園の東側を中心に、立ち木や公園の遊具なども利用して高さ
2メートルのバリケードを張りめぐらした。

75210

「宿泊施設の開放を!・仕事のない労働者に・キリスト教団体近く市長に要望・あいりん地区」

協友会は地区内の生活相談所「いこいの家」、保育活動の西成ベビーセンターなどを中心としたキリスト教5団体のボランティアグループ。
市が年末年始、労働者に開いた無料宿泊所を手伝ってきたが、同施設は
111日で閉鎖された。
ところが同地区では、仕事がないまま食事代にもこと欠く労働者がまだ多いので、先月
13日から夕食弁当の炊き出しをはじめた。

最初は、百50食をリヤカーに積み、地区内をまわり、野宿したり、たき火を囲んでいる労働者に配った。
やがて、釜ケ崎越冬闘争実行委のテント村が再開され、
16日からはテント村への差し入れに切り換え、12百食に。1月いっぱいで打ち切るはずだったが、テントの中に、高齢者や、体が弱いうえ、働き口のない労働者が多いので、2月もさらに続けることになった。

だが、協友会はボランティア活動では、根本的な解決にはほど遠いとみて、市へ「積極的な姿勢で解決を」と要望書の作成に踏み切った。
市や民間宿泊施設の活用と開放。無料宿泊券の発行。労働センター食堂の無料食券の発行。病人を
1日も早く病院へ。ふろ券の発行ーの5項目。
実施されるまで、テント村や他の公園の労働者に、経済措置を講じてほしい、といっている。

75220日夕刊

「病人・病弱者は収容へ・あいりんテント村撤去をめぐり大阪市」

テント村に泊まっている労働者に対し、大阪市は22日と24日の2回にわたり「病人や病弱者は市が準備した施設や病院へ来てほしい」と呼びかけ、応じない重病者には生活保護法に基づく強制入院措置を取ることを20日決めた。
同テント村の病人に対して市が収容に乗り出すのは初めてである。

テント村は1日延べ百20人が利用、4060人が泊まっている。

75221

「強制入院に反発・あいりん地区テント村」

市の強制入院の方針に釜ケ崎越冬闘争実行委は、「場当たりの病人対策はテントをつぶす伏線であり、受け入れられない」と、反発している。

これまで同テントの病人たちは連日、どう地区にある市更生相談所に「入院か療養」を申し入れているが、受け入れられない場合が多い。
たとえば、
12日、右足の骨ずい炎と診断された男(42)が、「このままでは右足切断になるので、ご配慮下さい」と病院の添え書きを持って相談に行ったが、過去、勝手に退院したことなどから入院を拒まれた。

かっ血して急救車で運ばれても入院できず、ぐったりとなって戻ってきたケース。
数日前からは「釜ケ崎結核患者の会」を作って入院を要求する動きも出ており、越冬実行委のメンバーはこれまでのやり方から、病人を受け入れてもらえる保障はどこにもない」と今度の病人対策を警戒。

仕事のないテントの労働者には、街頭カンパを資金にしてたき出しを続けている。

75222日夕刊

「入院を呼びかけ・あいりんテント村・まず2人応じる」

ぶり返し寒波で冷え込んだこの日午前0時、大阪市は公報車1台と急救車2台、市職員約20人が大阪府警機動隊に守られ、テント村の外から「病人は出て来て下さい」とマイクで繰り返し呼びかけた。
バリケードで囲いをしたテント村には、赤旗が
10数本立ち、バリケードには「仕事をよこせ」などと書きなぐってある。労働者約百50人が中から「仕事を持ってこい」「入院させよ」「テント村は防衛するぞ」とこぶしをふりあげシュプレヒコールやがて結核と足の骨ずい炎で松葉づえをついた0島さん(42)と作業現場から落ち、腰を痛めている0実さん(51)の2人が釜ケ崎越冬闘争実行委のメンバーに付き添われてテント村を出てきた。
2
人は「これまで何度も相談に行ったのに、なんで入れてくれなんだのか」と市職員に詰め寄り、「ほかの病人にも全員入院を約束せい」など抗議した後、タンカで急救車に運ばれた。

75225

「あいりん地区のテント村に市強制撤去の方針」

テント村に対し大阪市は24日、事実上の最後通告に当たる2度目の「病人の入院を呼びかけた。
テント村からは労働者たちが「テント村は防衛するぞ」と、旗ザオをふりあげて“対決”の構えをみせただけで病人は現れず、市は約
0分後に呼びかけを切りあげた

75225日夕刊

「あいりんテント村手入れ・越冬委の4人逮捕・リンチ容疑・撤去へ布石

仕事と宿泊場所のない労働者のために釜ケ崎越冬闘争実行委員会が昨年末から花園公園に開設しているテント村をめぐって、立ち退きを求める大阪市との間で緊迫した状態が続いているが、大阪府警警備部は25日朝、約7百人の警察官を動員、テント村で起きたリンチ事件に関する傷害容疑で同実行委員会の4人を逮捕した。
同時に労働者を扇動して暴動を起こす目的で凶器類を用意したという凶器準備集合容疑などでテント村を捜索、角材、竹ヤリなどを押収した。

同テント村については大阪市が近く行政代執行法に基づく強制撤去に踏み切るとみられており、この日の強制捜査は、強制撤去の際に予想される混乱を防ごうとする“先制摘発”ともみられる。

警察側は、実行委メンバーやテント村の労働者たちの大半が連日午前8時・前後に近くの愛隣総合センターまで早朝デモを続けていることから、この朝も午前8時すぎ、約50人のデモ隊が出たすきにテント村に踏み込み、中に残っていた約10人の労働者らを退避させたうえ、リンチ事件の現場検証と凶器準備集合容疑の捜索を進めた。
デモの
1団はテント村近くで「テントの仲間がんばれ」などのシュプレヒコールを繰り返したが、周辺の10カ所を交通しゃ断しての警備に動きを封じられた.

テント村は昨年1228日に設置、例年は正月過ぎには求職が増えるためテントをたたんできたが、ことしは不況の影響で112日にいったん打ち切ったものの、3日後に復活させた同警備部の調べでは実行委の母体となっている釜ケ崎共闘会議は、47年に「手配師追放」を掲げて労働者のほう起をくわだてたが、労働者側との意識のずれや爆弾事件などでリーダーらが摘発されたこともあって昨年は目立った動きをみせなかった。
しかし、不況で仕事にあぶれた労働者らの不満をとらえて、連帯を呼びかける動きが最近活発となっており、東京・山谷の活動家らもこれに呼応する動きをみせているという。

テント村で過ごしてきた人たちによらと、他人の金品を奪いとる“しのぎ”のうわさのある男たち45人が、警察の追ってこないテント村に逃げ込んできていた。
うち
1人が18日に腕時計をしており、問いつめたら「しのぎをした」といった。56人が寄ってたかってなぐったり、こづいたりして追い出したという。「もしあれが“容疑”というやつやったら、どっちが被害者なんや」と、はきすてるような声も。

75226

「病院で死亡・西成・花園公園・テント村の病人」

花園公園のテント村に14日から収容されていた愛知県南宇和城辺町出身0元弘さん(43)が24日夜、住吉区の阪和病院で手当てを受けていたが、25日午前8時すぎ死んだ。
住吉署の調べによると、
0さんは昨年1118日から筋無力病で通院していたが、この13日で通院をやめ、花園公園のテント村で過ごしていた。

75227

「あいりん・テント村ついに撤去・抵抗の住民14人逮捕・機動隊出動させ代執行・2カ月ぶり」

大阪市は26日午後、テント村を行政代執行により2カ月ぶりに強制撤去した。しかし、労働者ら約80人がたてこもって抵抗したため大阪府警機動隊千百人が出動、投石などした14人を公務執行妨害などの現行犯で逮捕した。
越年のためのテント村は今度で
5回目だが、市が強制的に撤去したのは初めて。

労働者と支援学生ら約80人は、赤いヘルメット姿でバリケード内にたてこもり、撤去作業に対して石や汚物をビニール袋に入れた「黄金爆弾」を投げて抵抗。

強制撤去に伴い、同市はテント村内にいた病人4人を病院に収容、40人を同市更生相談所で受け付け、更生施設へのあっせんと宿泊代(千円)の支給などをした。

同市が行政代執行に踏み切った理由@ー略ーAテント村から病人や死者が出ているにもかかわらず、収容の呼びかけにも協力的でないので、人命上このまま放置するのは適当でないBー略ー

「抜本策なく追いたて」

テント村が長引きそうになって市民生局は頭を抱えた。
テント村を強制撤去した場合、住人をどこに収容するかー要保護者をあずかる更生施設は不況のせいで入所者が急増している。大阪市内
4施設、定員7百人のところへ千人の超満員。
あいりん地区に多い結核患者を収容してくれる病院も少ない。和歌山、京都の病院まで捜しまわっているのが実情。

「今年の暮れは、もう公園は貸さない。再びこのようなテントはつくらせない。」代執行終了後、大阪市公園局管理部長は断言した。
しかし、十分な施設と病床はあるのか。
「更生施設は
50年度に急いで2カ所を新設する計画ですが、場所や時期はまだ…」と市民生局福祉部長は口ごもった。
就労対策となると民生局は大阪府労働部の責任範囲だと逃げ、府労働部の現在の対応も民生局から「とても満足のいくものでない」と批判されている有り様なのだ。

7531

「仲間もとめて、1夜で姿消す・あいりん地区テント村撤去で入院のAさん」

花園公園にあったテント村が26日撤去された。そこで“静養中”だった41歳の労働者、Aさんは「要診察者」として、急救車で病院に運ばれ、入院した。ー寒風に身を縮めるテント村とは比べものにならないほどに居心地は良かったはず。だがAさんは1夜明けた27日、病院から姿を消した。雪が降りしきる正午前であった。・・

ポッリポッリと語るAさんの「気持ち」はおよそこんなものと思われたーいくらいい施設に入っても、まわりになじめず、息苦しい。本当の「仲間」はテント村で気ままに暮らしていた労働者たちだ。病院なんかにいると、だんだん仲間が恋しくなると…。

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