新聞記事文庫 生活費問題(1-011) 神戸大学附属図書館

大阪朝日新聞 1912.7.10(明治45)

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生活難問題 (一〜五十四・完結) その内 21~完結

男爵 渋沢栄一氏述/津村秀松/植村俊平

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(二十一) 財政と生活費 () 男爵渋沢栄一氏述

 今日の所謂 生活難を来せる原因 如何 而して 其の救済策 如何は 最も慎重に講究すべき 大問題で 軽々に立言は出来ぬ、生活難の直接の理由は 先ず 国民一般の生活程度の高くなったのと 物価の騰貴とに帰因するは 云う迄もない 然らば 物価は 何故に斯く騰貴せりやと云えば 其の原因となるべき事柄は 甚だ多し、
 曰く 需要供給の関係 曰く 通貨流通高の増減、曰く 租税の負担、曰く 生産費の多少等 種々の原因が 互に交錯し 若くは 綜合して 物価に現るるものであって 若し 以上の原因を 更に分類し 百般の事項に亙りて 精細に研究するのは 到底 一朝一夕に能くすべき事ではない、
 故に 今の生活難の根源は 此に在り 物価騰貴の原因は 彼にあり 抔と 無造作に論をなして 卒爾の断案を下すは 危険である。

 予は 所謂 今日の生活問題に就きては 社会問題としても 将た 財政経済上の問題としても 尚 研究に不満足の点が多いけれど、財政経済上より 聊か卑見を 述べて見よう 尤も 財政経済上の影響と云っても 有らゆる関係に亙りて論じ尽すは 無論不可能で 只二三 予の確信を以て 茲に安心して立言し得る所を 述ぶるに過ぎない。

 今日の物価騰貴 即ち 所謂 生活難を来せる原因は 多々あるが、其の最も重要なるものは 予の信ずる所にては 経済上に於ては 通貨の膨張 財政上に於ては 租税の負担の過重なること の二点に 帰着する、
 世間或は 通貨の流通高と物価の高低とは 風馬牛相 算せざるが如く説くものあるが、
 又 我国民は 尚未だ 重税の負担に堪うる力あり 抔と 説くものもあるが、
 予は 学理は暫く措くも 明治初年より今日に至る数十年間に於ける経験上 我が国経済の変遷及び国力発展の状態に鑑みて 断じて之に同意することは出来ない、
 予は 飽く迄も 今日の物価騰貴は 通貨の不自然なる膨張と 租税の負担の過重なること とに職由するものと断言して憚らぬ、
 而して 我が国に於ては 通貨の不自然の膨張は 常に財政上の作用より起るの例なるを以て 之を物価の経済上の影響と云うよりは 寧ろ 財政上の影響となす方 適当かも知れぬが 其の辺は 何れにてもよい、以下 租税と通貨とが 物価に及ぼせる影響に就きて 具体的に申述べ見る。
  

通貨と物価西南役後の幣制と物価

 明治初年以来 我が国の諸物価が 貨幣流通高の伸縮に依って 高低せるは 蔽うべからざる事実である、左に掲ぐるは 明治元年より四十四箇年に於ける 我が国民の生活と 最も密接の関係ある 米価の騰貴と 通貨流通高の消長を表示したもので 通貨の物価に及ぼす影響の 一般を知るべき好資料である

 [図表あり 省略]

 右の表に拠れば 通貨の伸縮が 米価に及ぼす影響の 最も著るしきは 明治10年より20年に至る10箇年で 此の時期に於ける 我が経済界の歴史は 今日の 所謂 生活問題研究の参考とすべきもの少くない。
  

(二十二) 財政と生活費 (下の一) 男爵渋沢栄一氏述

 明治初年に於ける 我が政府の財政困難は 其の極度に達し 紙幣発行に依るに非ずんば 其の急を凌ぐ能わざる事となり 遂に 元年5月 太政官札を発行し 続いて 民部省札等 諸種の紙幣を発行したが 何れも不換紙幣で 弊害は直に現れ 当時の物価は 其の標準を失って 滅茶々々になった
 其の後 政府当局者は 種々画策して 暫く 紙幣は 我が国通貨需要高の範囲内に止まり 正貨と並貨に通用したが 
 明治9年 国立銀行条例の改正に依って 銀行紙幣も亦不換となり 其の発行高も 大に増加した
 加うるに 明治10年 西南戦争の結果 政費の膨張により 紙幣は 俄に 4,200万円の流通高を増加し 物価は益々騰貴し 紙幣は更に膨張に膨張を重ね 其価格 愈々低落して底止する所を知らず 
 是に至って 官民とも 俄に之を整理せぬばならぬと気が附いた
 而して 其整理方法に就ては 種々の意見があったが 之を大別すれば 外債募集説と政費節約説の二に分れる、
 外債募集説は 大隈参議一派の議論で 即ち 外債5,000万円を起し 之を以て 紙幣を 銷却し 正貨流通の制を立つべし と云うにある
 政費節約説は 松方伯の唱えた所で 政府の経費を節減し 之に依りて得た剰余金を以て 紙幣を銷却すべし と云うにあった、
 結局 政費節約説が 実行せられる事になって 明治14年10月9日 松方伯は 大倉卿に任ぜられ 直に紙幣の回収をなして 其の流通高を減縮し 一方に於て 準備金中の正貨を増殖して 他日 正貨兌換の制度を採るべき計画を立て 之を実行せんが為に 毎年度政費節約に依り700万円内外の剰余金を得 之を以て 直に紙幣を銷却し 一方 紙幣整理に運用し得べき5,500万円の準備金を設け 之を運用利殖して 正貨の充実を計った、
 当時の我が政府の財政で 年々700万円の剰余金を生み出すのは 非常の難事で 大英断というべきである、
 即ち 各官庁の政費に 大節約を加え 其の歳出定額を据置とし 一切 臨時の増額を許さざるなど 有ゆる方法を採って 鋭意 該計画の遂行に力めた当局者の苦心 実に惨憺たるものがあった 其の結果 明治14年より18年に至る5箇年間に於いて左の成績を挙げたり

 [図表あり 省略]

  斯くて 紙幣は 著るしく減少し 従って 通貨流通総額も 亦 漸次縮小し 明治13年末に於ける通貨総数2億300万円だったのが19年末に於ては1億7,400百万円に減じ 
 其の結果は やがて物価に影響し 当時殆ど底止する所を知らざりし物価騰貴の趨勢は 明治15年を極度として 其の後 大低落を来し 米価の如きも 明治14年に於て 一石12円なりしもの16年には僅4円5~60銭に低落し 又 十数年来 常に逆勢にあった外国貿易は 茲 平準に復し 硬貨と紙幣との差も 一時は5~60銭方開いたのが 17年7月には僅4銭7厘となった。

  (二十三) 財政と生活費 (下の二) 通貨収縮後の不景気 男爵 渋沢栄一氏述

 明治14年 松方大蔵卿が 通貨を整理せる結果として 物価の大下落を来したのは 以上述べたようなものだが 是れ 明治年間経済史上に於て 通貨が物価に及ぼせる影響の 最も著るしき実例たると同時に 物価の変動と経済界の 所謂 景気なるものとの関係を 最も明かに表わしたものである、
 明治14年以来 米価を始め諸物価は 低落に低落を重ねたのと 一方に 政府が財政を緊縮して 一切の新事業を見合せたること、両々相待って 商工業界の景気に 大打撃を与えた、
 当時 我が財界の沈淪は 実に甚だしく 今茲に 数字を列ねて 其の実況を写す訳には行かぬが 当時 商工業者が 一斉に 所謂 不景気を訴うる声は 遂に天聴に達し、
 明治15年の歳末 松方大蔵卿は 闕下に咫尺し奉り「本年既に 世上に不景気を現せり、明年に至らば 必ず更に甚だしきものあらん 是れ 臣の予じめ期待せし所にして 敢て怪むに足らず 財政の実数固り免るべからざるなり 臣 敢て理論に拘泥して 説を作すに非ず 是皆 欧米各国の経験に徴し 併せて 臣が実歴に是れ由る、冀くは 陛下 宸慮を安んじ玉え 臣 当さに鞠躬尽すところあらん」と奏上した、
 民草を思わせ玉う聖慮の畏きに感●するとともに 又以て 当時の不景気が 如何に甚だしかりしやを知るに足るのである
 又 翌16年頃の事と覚ゆるが 諸商 不景気の声余りに高いので 予は 故 陸奥宗光伯と共に 時の総理大臣伊藤博文公を訪問し 須く租税を軽減して 財界を賑わすべしと痛論した 
 公は 予に対し「君は商人だから 算数には詳しいが 政治は解らない 我が国の政治は 今後 陸海軍は勿論 其の他百般の施政に経費を要するもの頗る多く 政費は 為に 益々増加しなければならぬと 内外の事情に照し 政費の最早や節減すべき余地なく 租税の如きも 政府は 今後 之を増率せばとて軽減することは出来ぬと 縷々として説破せられ 予算は 最初 伊藤公を大に凹まし呉れんと 意気込める気勢も何処へやら 恰も振り上げたる鉄拳の遣り場に困った というような滑稽談もあった程で 
 当時の不景気は 実に筆紙に尽し難きものであったが 而も 其の不景気たるや 実に過去数年来 我が財政の膨張と 紙幣の濫発とに依りて 馴到せられた 国民一般の奢侈の風と 投機心とを抑え 物価騰貴の趨勢を制し 経済界の不自然なる附景気を去って 健全なる状態に復帰するが為に 当然 支払うべかりし犠牲であって 他日 我が経済界の 大に発展すべき潜勢力は 実に 此の不景気の時代に於て 徐々に涵養されたのである、
 果せる哉 通貨の収縮に依りて 紙幣が銀と並価に通用してから 国内の金利 大に低落し 物価も下落し 労働賃銀も低廉となって 明治20年頃より 我が事業界は 一時に勃興し鉄道紡績を始め其他の諸会社踝を接して興り海外貿易も亦大に増進した、今明治二十年より同二十二年に至る三箇年間に於ける事業界勃興の景況を数字を以て表せば左の如し

 [図表あり 省略]  

 当時 若し大隈伯等の主張を採用し 紙幣整理の方法として財政を緊縮し 政費を節減し 通貨を縮小するの途に出でず 5千万円の外国債を募集し 之を以て 紙幣の銷却に充てたらば 或は 前述の如き不景気を来すことなしに 我が経済界は 更に長足の進歩発達をしたかも知れないが 緊縮主義と借金政策と終局の利害 果して何れにありやは 容易に論断する事は出来ない、
 然し 借金政策を採ったとすれば 明治15年乃至18~9年の不景気を来さない代りに 物価は遂に低落せず 国民一般 奢侈の弊風や投機熱は 却て益々助長せられ 一時の不景気を避けんが為 我が経済界に 更に大なる禍根を貽したかも測られぬ。

 予は 必ずしも借金政策を排斥するものではないが 刻下の大問題たる「如何にして生活費を軽減すべきや」を解決せんとするに当りては 勢い政費の節減を絶叫せざるを得ない、
 蓋し 今日の生活難を来せる原因 通貨の膨張にありとして 生活難を減ぜんには 更に溯って 通貨膨張の原因たる政府の財政を 緊縮しなければならないではないか、
 日露戦争の我が財界は 政費の遽かに増加し 通貨の膨張せる点 及び 物価騰貴し 国民一般の傾向投機を好み奢侈に赴ける点に於て 西南戦役後の事情に酷似するものがある、
 即ち是れ 前段に於て 敢て冗長を省みず 明治10年以後 我が経済界の変遷を叙述し 一は以て通貨が 物価と重大なる関係を有することを立証して 併せて 今日の生活問題を研究すべき 参考に資せんとする所以である。

 (二十四) 財政と生活費 (下の三) 救済策如何男爵渋沢栄一氏述

 通貨と物価とが 如何に密接の関係を有するやは 以上述ぶる所に依り 通貨流通額の消長と物価の騰落とに照して明かである、
 而して 最近数年間に於ける 我が国の通貨膨張の趨勢を見 更に其の由って来る所以を究むる時は 寧ろ寒心に堪えぬものがある、
 明治37年末に於て我が通貨総額3億8,900万円なりしもの 40年末には俄に5億800万円となり 更に44年末には一躍して6億800万円に膨張した、
(第一号表参照)
 
僅々7箇年間に於いて 通貨総額6割を増加するが如きは 実に非常の出来事にして 為に 我が国の物価に大変動を来し 随所に生活難を聞くに至らしめたるも 敢て怪しむに足らぬと思う
 然らば 何故に通貨が斯く急速に膨張したかと云うに 今更茲に呶々する迄もなく 日露戦争の結果内外に多額の公債を起し 一方 政府の財政俄に膨張し 為に 日本銀行兌換券の発行額の増加せるに由るものである 
 我が国の政費は 明治37年度に於て 僅2億7,700万円
(歳出決算)なりしもの 45年度に於いては5億7,600万円(予算)に増加し 即ち 約2倍以上膨張した、
 斯く増加した政費は 一は通貨膨張の主要なる原因となって物価を騰貴せしめ 延いて 今日の生活難を来せしと同時に 他方に於て 直接に租税の形に於て 生活難の原因となった、
 日露戦争に際し、政府は 非常特別の場合なりと称し 税種の善悪を論ぜず 苟くも徴収に便なるものには 片端より課税せり 砂糖、酒、煙草其の他の贅沢品は云うに及ばず 衣食住の日常必要品に至る迄 殆ど一として課税せられざるなき有様であったが 国民は 国家存亡の場合とて 一人の苦情を唱うるものなく 甘んじて此の重税を負担した、
 然るに 戦役終り 平和克復して既に6年を閲せる今日に於ても 尚且 政府は 曩に一時の応急策として 国民の愛国心に訴えて制定せる苛酷の税制を継続しつつある 而して 今日の租税中には 直接に物品に賦課せられ 物価の一部を成すものと 間接に物価に転嫁せらるるものとあれど 共に 通貨膨張の余弊を相待って 今日の生活難の重大なる原因たるを失わぬのである 
 故に 今日の生活問題を解決すべき鍵鑰は 要するに 通貨を収縮すること、租税を軽減すこととの二者に外ならぬ、而して 此の二者は 共に財政の緊縮と政費の節約とに待たざるべからざるものである。

 或は 今日 政費を節約し 通貨を収縮する時は 一時 我が経済界に不景気を来すこともあろう 然し 政府の財政をして 基礎を鞏固ならしめ 一般経済界をして 健全なる発達をなさしめんが為には 一時の不景気の如き 問う所でない、
 財政を整理し 租税を軽減し 不自然なる通貨の膨張を抑制し 斯くて 日露戦争に芽せる我が財界の病源に 根本的治療を加えたならば 刻下の生活問題は 自から解決せらるべきである、
 現内閣は 制度整理局なるものを設けて 目下 財政行政の整理に就き 調査中なりと云う 其如 何なる程度に於て 整理の実を挙げんとするかは解らぬが 須らく 大斧鉞を振いて 根本的の手術を施し 政費を節約し 租税を軽減し 着実鞏固なる政策を確立せんこと 予の希望に堪えぬ所である、啻に 刻下の生活問題の為に希望するに非ず 国家百年の計を憂うるのである。

  

(二十五) 生活費の研究 () 研究の急務津村秀松

 凡そ 生活費の研究ということは、如何なる時代に於ても、如何なる国に於ても、又 如何なる社会、如何なる人に就ても、極めて必要なることである。
 それが単に 入るを量って出ずるを制するとか、又は 出ずるを量って入るを企つるという如き 一家の家政を整うる上に於て 必要なるのみでない、それは 一国の国政を立つる上に於て、殊に 一国の民政を考うる上に於て、又 極めて重要なるものである。それには理由がある、数々の理由がある。

 文明国の人民には、文明の民として 誰れでも彼れでも、是非とも 備えざる可からざる 智識の最低限度というものがある。
 それは即ち 普通教育の与うる智識で、それを認むるから、義務教育という制度が 生れたのである。是と同様に、文明国の人民には、文明の民として、誰れでも彼れでも 是非とも保たざる可からざる生活の最低限度 というものがある。それすらも 保ち得なければ、文明国民たる体面を保つことが出来ない所じゃない、文明国民として 生存することが出来ないのである。
 であるから、是れだけは、苟も 文明国の民たるものの 是非とも保とうと 努むるであろうし、又 之を努め、之を求むることは、確に 正当なる要求であるとして、国家は 之を是認し、之を保障し、少くとも、之を保ち得るの機会を 多からしむ可きが、近世国家の任務である。
 文明の国民たるものは、納税の義務あると同時に、智識の最低限度を保障さるる権利がある、兵役の義務あると同時に、生存の権利があるといった風な 峻烈な議論を立てずとも、文明国の人民には 最低限度の生活を 保障されねばならぬ、之を保障しない国は 即ち 文明国でないことだけは確である。
 所で 其の最低限度の生活というものは、如何なる生活であるか、之をも得ざる者が 幾人居るか、将又 如何にせば之を保障することが出来るか 等のことは、斯国民の 生活費を研究しなければ、到底測り知ることが出来ぬ。之が生活費研究の必要ある第一の理由である。

 一体、人民には 租税を課す可き必要がある。然し 如何なる人民にも 租税を課す可きでない。又 如何なる租税にも 正義を伴うものでない。租税には 選択が必要である。課税には 程度がある。無き袖は振られぬという当局者の説も 尤もであると同じように、無き金は出せぬという人民の声にも 又 同情せねばならぬ。
 出せぬ金をも 無理に出す忠良な人民は 必要であっても、出せぬ金をも 無理に出させる乱暴な政府は 不必要である。出せる金と出す方は続くが、出せぬ金を出す方は続かぬ。続かぬといって出させぬ訳には行かぬのが 租税の性質であって見れば、苛税は誅求になる、誅求は滞納になる、脱税になる、犯罪になる、
 斯くの如くして、苛税が 直接犯罪の原因をなすだけでない、由て生ずる生活の困難が、又 犯罪の原因となす。独り法律上の罪を犯さしむる丈けでもない、又 倫理道徳上の罪を犯さしむるに至るものである。
 であるから、租税の徴収は、常に生活の程度を標準として、生存を犯さない用意が 必要である。それには 国民の生活状態を知悉するの必要がある。そこで 之が又 生活費研究の必要ある第二の理由となる。

 凡そ一家の家計というものは、各家の事情により 千差万別であって、一概に言うことは出来ない。然し 各社会階級に就て、大数観察するときは、同一の社会階級に属する人々の所得が、略ぼ同一であるということと、同一の社会階級に属する人々の慾望も 亦略 同一であるちうこととの 二つの事実に基いて、同一社会階級に属する人々の 消費の種類、並に 其割合、従って 生ずる家計の内容なるものが、又 略ぼ同一なることを発見する。
 是と同時に、社会階級を異にするに従い、消費の種類、殊に其の割合、従って 生ずる家計の内容を異にするものなることをも 発見を異するものである。
 そこで、社会階級を異にすることが、常に家計の内容ならしむる、家計の内容を異にすることが、生活の難易を異ならしむる、生活の難易を異にすることが、人生の幸不幸を異ならしむる、人生の幸不幸を異にすることが、社会階級間に 嫉視の念を勃興せしむる基になる。それも 未だ教育の普及がない、そこで 人生に対する自覚がない間は、唯陰で嫉んで居る、唯内心羨んで居るということだけで済むが、それが西洋のように、下等社会に至るまで 智識が普及してくる、そこで 人生に対する自覚が深刻になると、不平が起れば 直に暴動になる、不満を感ずれば 直ぐ反抗になる。この故に、階級別が甚だしくなると、階級戦が激しくなる。之は現代文明に附随の疾病であるが、唯 痼疾であるとて 諦め居る訳には行かぬ、是非とも治療せねばならぬし、又 予防せねばならぬが、それに就いて、予じめ一国の各社会階級の 生計に通ずる必要がある。これが更に 生活費研究の必要ある 第三の理由になる。

 此の外、特に我国に就ていうと、昨今の物価の騰貴、就中、米価の暴騰、従って 生ずる生活の困難、犯罪の増加は 差し詰め、米価の調節を図らねばならぬし、追ては 一般物価の騰貴をも防がねばならんが、それが特に 如何なる方面に於て、如何なる程度に於て、如何に必要であるかを 十分に了解するには、生活費の研究より始めねばならぬという、特殊の理由もあるのである。  

 (二十六) 生活費の研究 () 統計の欠乏津村秀松 

 然るに、我が国には 家計統計というものが一つもない。一体、我等同胞兄弟が 幾人居るのかさえ 正確に調べたことのない日本、唯 戸籍面をあてに、5千万人とか、5千200万人とかいって居る我が国では 家計統計にまで手が届かぬのも無理はな[此ノ間脱落]

せる家計統計であって、大分昔のことであるから、一箇年の所得450円乃至600円のものを下等社会とし、900円乃至1,200円のものを中等社会とし、1,500円乃至2,000円のものを上流社会として 各社会階級の平均生活費を 衣食住以下の費用に分って 左の如く百分比例で示して居る。

[図表あり 省略]

 この統計の結果に基き、エンゲル氏は略次に記するが如き4箇の論断を試みて居る。

  第一 所得の少きもの程、衣食住以外に消費し得る所少きこと

 第二 所得の大小に拘らず、住宅費並に灯火薪炭費は同一なること

 第三 所得少きものほど、食物費が大部分を占むるに至ること

 第四 所得の大小に拘らず、衣服費は常に略同一なること

 これは寔に眇たる統計であり、又 誠に簡単なる論断ではあるが、それが西欧の人[此ノ間脱落]

 この独米両国に於ける 最近の家計統計の結果を通覧すると、前に掲ぐる エンゲルの4大論断と多少異なる論断をなさねばならぬことを発見する。
 
()所得少きもの程、衣食住以外に消費し得る所 益々少きに至るという 第一の点と、所得少きものほど、食物費の割合が 益々多きに至るという 第三の点とは、全く符合して、愈々 其の事実なることを確め得るが、所得の大小如何に拘らず、住宅費並に灯火薪炭費は 常に同一なるものであるという 第二の点と、所得の大小如何に拘らず、衣服費も亦略同一であるという 第四の点とに於ては、大分相違を見るのである。
 この新しい統計の結果では、所得の少きものほど、住宅費の割合も、灯火薪炭費の割合も増してくる、然し 之と反対に、衣服費の割合は だんだん減じてくるものであることを証明して居る。
 此の方が正当であり、事実であることは、後に家屋問題等を論ずる場合に、広く各国の統計を挙げて、之を証明することが出来るのである、
 そこで 主としては 此の新しい独米の統計に基き、従としては 彼の古い独白の統計を参酌して、三種の論断を試み、之を説明することに依て、何れの国でも、社会政策を講ずることの 甚だ急務なる所以を、現実に説いて見たいと思う。

 [図表(生活費に対する百分率)あり 省略]

  (備考) 米は米国、独は独逸「其の他」は教育費、宗教費、衛生費、娯楽費等主として智徳健康を進むるに要する費用一ドルを二円、一マークを五十銭として換算す。以下準之

  

(二十七) 生活費の研究 () 自由所得津村秀松

 昨日掲げた 諸国の新古家計統計を見ると、国々の事情により、多少調査の結果を異にして居るが、然し、如何なる国でも、又如何なる時代でも、常に一定不変なる第一の生活現象は、所得少なきに従って、自由に消費し得可き所得 益々なきに至ることである。
 同じ文明国に生れても、所得の少きものほど、即ち 貧乏人なればなるほど 衣食住に追わるるもので、得たる収入の大部分を この方に費さねばならぬもので、従って 衣食住以外に 勝手に自由に消費し得る余裕 極めて少きもので、それが又 収入の少きものほど、益々少きに至るものであるということは、凡ての時代に、共通なる社会現象と謂わねばならぬ。
 是は蓋し、人間である以上、富貴貧賤を問わず、衣服が必要である、食物が必要である、住宅が必要である、之を必要とする程度に於て同一である、従って 之を節約する能わざる程度に於ても 亦同一であるが故に、之に向って支出する所の費用に於て 大なる相違を見ざるに拘らず、収入する所の所得に於て 大なる相違を見るから、差引剰し得る所は、所得の少き貧乏人ほど、少きに至る道理であるからである。

 然るに 所得の中より 衣食住等日常欠く可からざる出費を除きたる剰余所得が、即ち 自由に消費し得る所得で、この自由所得こそ、智識を磨くとか、修養に努むるとか、衛生を守るとか、心身を養うとか、子供ある者なれば、之が教育費に充つるとか、子供なき者なれば、それだけ貯金するとか、若くはそれだけで保険に這入るとか、孰れにしても、それは人生に趣味を加え、幸福を齎し、慰安を与え、希望を維持がしむるの資となり基となるのであるが 何れの社会でも、常に多数者たる下級民には、斯かる必要なる余力を剰さずして、漸く其の日其の日の糊口を湿し、僅に露命を維ぐに過ぎずとすれば、之 終世物質上 将又 精神上向上発展の機なく 望み少きものであると申さねばならぬ、
 これを悟ると、自暴自棄の基にもなる。それが嵩まると、窮して乱をなす原因にもなる。昔から貧民の多い社会は、不安な社会である。今でも窮民の群る社会は、危険な社会である。之は 誠に厭なことではあるが、事実だから致方がない。
 であるから、国家又は市町村に於て、せめては 特殊学校や施療病院を建て、尚お 進んでは 労働保険等の社会政策的施設をなして 貧民の自由所得を間接に補充してやる勘弁をせねばならぬ。
 欧米の諸市が、市内到る処に、公私の図書館を備えたり、大小の公園を設けたり、尚其の内に、種々の音楽堂を建てたりして居ることは、決して 市の美観を添うるという贅沢な考えよりのみ来るのでない。是等の設備に依りて 修学とか、修養とか、衛生とか、放養とかいうような 心身の養成をなす生活の余裕のない不幸なる人間に、此の余裕ある幸福なる人間と同じ幸福を 幾分にても与えんが為の企てもあるのである。

 貧民は 其の貧なるに従って、一朝 病の犯す所となっても、又 労働に際し 負傷するようなことがあっても、往々 適当なる時期に、適当なる手当を加うることが出来ない。それが為に、徒らに病気を永引しむる、又 遂には 全治を不可能ならしめて、不具癈疾となったり、死亡したりする。
 それが為に、一家の生活が不如意となったり、一家の離散零落を招いたりする。それは 仕方ないこととしても、その病気が 若しも伝染病であり、流行病である場合には、広く他人にまでも 迷惑をかくることになる。又 貧民は 其の貧なるに従って、児童の教育の為に 適当なる支出をなすことが出来ないから、其の成長後に於て、適当なる生業に就く能わざるに 至らしむるの結果となる。それが為に 貧家其のもんが 厄介人を沢山抱うるに至るだけではない、これが為に、浮浪少年が多くなり、不良少年が殖ゆるから、社界も亦 其の悪影響を被らざるを得ない。犯罪の種子が、浜の真砂の尽る期ないのである。
 此を思い 彼を考えたならば、是れだけでも、国家 又は 社会が 慈善病院を開き、貧民学校を設け、更に進んでは 労働保険の制を立てて 以て、細民の生活費の一部を 負担してやることは、独り細民の為のみではないということが分る。

 然しながら 特殊教育を施して、貧民の知識を開発するだけでは、十分でない。十分などころか、それだけでは 却て危険を増すものである。
 近来、文明国では 義務教育の制度を設けて 以て、国民の知識の最低限度を 保障するに努めて居る。又 工場法等を設けて以て、国民の健康の最低限度を保障するに苦心して居る。
 之は 誠に結構なことであるが、同時に 国民の生活の最低限度を保障するの企をなさないでは、折角増した下民の知識は、軈て 各自の境遇を自覚せしむるの基を造って、益々現世に対する 不平の観念を増長せしむる。
 又 折角進んだ労働者の健康が、却て 此の種の自覚に基く暴動を盛ならしむるの原因ともなるのである。
 近頃 英吉利を初め、欧洲諸国を驚倒せしめて居る 彼の石炭工夫等の最低賃銀の要求の如きも、知識や健康のみが増進せしめられても、之に釣合う生活程度の上昇が得られないでは、益々堪え難くなるという所から 起った騒動なのである。苟も 文明の国民たるからには、一と通りの知識を備うる必要あるが如くに、又 一と通りの生活をなす必要がある。人間の健康を重んぜねばならぬと知ったならば、又同時に 人間の生活を重んぜねばならぬことをも 悟らねばならぬ筈だと思う。

  

(二十八) 生活費の研究 () 貧民と食料費津村秀松

 次に 如何なる国でも、将又 如何なる時代でも、常に一定不変なる第二の生活現象は、食物費が常に生活費の大部分を占め、殊に 所得少きに従て、其の割合が益々増加するということである。

 曩に掲げた 新旧二種の統計表を見ると 食物費なるものが、一切の社会階級を通じて、平均生活費の4割5分以上を占めて居る。そしてそれが 下等社会に至っては、5割乃至6割以上を占めて居る。前掲の新しき統計中、独逸の部の平均食物費が、生活費の4割5分5厘となって居るが、これは 労働者の外に、下級官吏、下級教員を合せて、総計852戸の家族に就ての平均である。今若し 之を 労働者と下級官吏教員との二部に分って統計すると、労働社会に於ては、特に 食物費の負担の大なることを知り得るのである。  

[図表あり 省略]

 同じ収入でも、肉体上の働きの激しい労働者の生活に於ては、然らざる 下級官吏教員よりも、食物を摂取することが多い、従って 割合に多くの食物費を要するから 自然 他の費用に於て 欠くる所多きに至ることは、生活問題を研究する者の、先ず知らねばならぬ所だと思う。

 近頃 英吉利でも、労働者の生活が困難になってきた為、不平の声が盛である。そこで 政府も捨て置かれず、商務院をして 各国労働者の生活費を調査せしめ、比較研究して居る。其の比較研究の 材料の一つとして、各国労働者の 生活費中食物費の所得に対する割合が 計算されて居る。之も 念の為に左に掲ぐることとする。  

[図表あり 省略]  

 之を要するに、等しく 衣食住と称する内にも、食物費が 一家の収入なり 一家の生活費なりの大部分を占むることは、下等社会の常態である。其の上に、食を節するということは、他の衣住を節することに比して、至難中の至難であるから、所得 少きものでも、之のみは 其の割合に減ずることは出来ぬ。
 そこで 白耳義(補注:ベルギー)の如きに於ては、一週間の一家の収入20志(補注:シリング)乃至25志のものになると、食物費が収入の6割5分を占むる、20志以下の土方や人足の如き最下等の労働者になると、それが6割6分1厘にも上るということである。
 一日の収入は、大方食うだけに費してしまうので、貯蓄どころか、家らしい家にも住めず、着物らしい着物も着られぬので、全く「手から口へ」の単純なる生活を 繰返して居るものだと謂わねばならぬ。之れでは 全く人たる生活じゃない、動物の生活である。唯 生きて居る、然し 何時 枯れるかも知れぬというところから見ると、それは植物の生活である。少くとも 文明人たる生活じゃない、野蛮人 同様の生活である。方今、文明国の 文明の中心たる都会の 其の又中心に、斯様な野蛮人が 沢山 棲んで居るものだということは、文明の恥辱だと申さねばならぬ。

 今日まで 数ある 貧民調査の内で、最も信頼す可き科学的研究だと称せらるる ラウンツリー氏(補注:ラウンツリーは河上肇『貧乏物語』で紹介された経済学者 ・実業家、賃金・労働時間・労働条件・医療等労資問題〕/ビー・シーボーム・ ラウンツリー=ローンツリーのことか?現在では、ラウントリー)の 英国ヨーク市に関する貧民調査を読むと、
 氏の計算では、夫婦に子供三人の五人暮しの一家の 最低限度の生活費は、一週間21志8片である、之を標準とするときは、同市の人口の2割8分は、単に体力を維持するにさえ不十分なる所得しかなき、赤貧の状態に在るものだというて居る。
 又 前年 日本に来たこともある 彼の救世軍の大将ブース氏の倫敦市貧民調査(補注:Charles Bootu チャルズ・ブース、救世軍のウィリアム・ブースは別人、大将ブースは、著書「最暗黒の英国とその出路」の中でチャルズ・ブースの調査と断った上で数字を紹介している)によると、倫敦に於ても 亦 市民の3割は 前同様の 窮民より成り立つということである。
 一向社会が世話しない 我が東京や大阪や神戸には、果して 幾許の窮民を含んで居るであろうか。想像するだに恐ろしい程である。此の様な 現代生活に於ける生存競争の 落伍者 即ち 文明国に於ける野蛮人なるものが、動もすると、現代を呪い、文明を詛い、不徳の企てをなし、若くは 之に附和雷同するに至るものである。又 斯様な窮民ならずとも、其の一段上にあって、やっと手一杯の生活をなして居るものが、何れの国にも沢山ある。此種のものも、何か一寸事が起れば 忽ち生活に窮し、窮すれば乱をなす 誠に危険な厄介な分子なのである。

 これ故に、我が国に於ても、昔から 名君賢相たる人々は、常に 第一に人民の生活状態を顧慮して居る。庶民の生活を 安泰にすることを以て、政治の第一義と心得て居る。

  

(二十九) 生活費の研究 () 家族の数津村秀松

 是れまで述べた所で以て、諸種の費目中、食物費が、一家の家計に対して、最も重大なる関係を保つこと、そしてそれが 上流社会よりも下等社会に於て 就中、労働者社会に於て、一層重大なる負担たることを知り得た、そして見ると、結局、一家の所得と食物費との間に、重大なる関係 存することになるが、然しそれよりも 更に一層重大なる関係を持つものが 他に一つある。それは 一家の人員である、家族の数である、殊に子供の数である。

 子供のなき家庭よりも、之ある家庭、児女の少い家庭よりも、児女の多い家庭の方が、其の多きに従って、食物費が多くなり、自然 他の費目に於て 倹約する所あり、欠くる所あるに至ることは、自明の理であるが、左様な場合に、如何なる程度に於て、食物が増加し、如何なる有様に 家計の按排が変化するかという一段になると、あまり知られて居ない、然し之を究むることが 甚だ必要で、そして又 甚だ興味多きことだと思う。
 そこで 又 統計が出て煩さいと思う人もあるかも知れぬが、暫く 辛抱を願って、近く 1903年に 米国政府の発表した調査の結果、並に 1909年に 独逸政府の発表した調査の結果の内で、特に一箇年の所得1,000円乃至1,300円の家族に関する部分を、子供の有無多少に応じて 左の如く表示する。

 [図表あり 省略]

  (備考) 米は米国、独は独逸  

 此の表を見ると、一家の所得が 同一であるのに、子供多く家族大なるときには、食物費の負担が著るしく増加する、それに次では 衣服の負担が 又増加する、そこで、其の結果、勢い他の一切の費目、殊に衣食住以外の費用に対して、著るしき節約を加えねばならぬ成行になるものだということが分る。
 之は蓋し 衣食住という内にも、食うだけのものは、是非食わねばならぬ、衣るだけのものは、是れ亦省く訳には行かぬ、然し 何か節約せねば、子供が殖えても、収入が殖えぬ以上、暮して行ける道理がないから、先ず以て 衣食住以外の費用たる 教育費とか、衛生費とかに 大斧鉞を加えて、子供の学校行きを止めさして 働きに出す、冬でも炭を焚かないで我慢する、五分心を豆ランプに代えるという寸法に出ずるのであるが、
 それでも追附かないから、表屋から裏屋に引越す、二間の家から一間の家に引移る、でなければ間貸して狭苦しくても、之に依って 住宅費の負担でも 軽減せねばならぬことになるのである。
 我が国には 此の種の調査がない、従って 此の種の統計はないが 東西国は違っても、人情に二つはない、恐らく 我が国の 中流以下社会では、此の種の不見目な世帯をなし、斯の如き憐れな生活を営んで居るものであろう。殊に 子供の多い特徴ある我が国の 下等社会では、此の種の傾向が一層著るしいであろうと想像せらるる。

 一体 何れの国でも、「貧乏人に律儀者多し」であるから、正直に子を産む。そこで兔角、「貧乏人の子沢山」になる。そこで 多子多産は則ち 多子多難となる。食う口数が多いから 食物の騰貴より来る生活の困難は、下等社会になるほど 激しく感ぜられる。中等以下の社会では、食費 最も多額を占むるが常である上に、食物を節するは 至難中の至難であるから、所得少きものでも、之のみは 其の割合に減ずることが出来ぬ、そこで 子供が多くなるに連れ、家計は荒む一方である、其上に 食物の騰貴ときては、とても立つ瀬がなくなる。
 是の故に、為政家たるものは、常に此の点に留意して、日用品中、殊に食物の騰貴を 保護せんとするが如き政治は、其の実、一部の農民
(即ち大地主)の利益の為に、全部の国民、殊に下等社会を 益々死地に陥れるものとして、断じて排斥せねばならぬということも、全く此の道理に基くのである。

 或る人の話に、方今 我が国に於て、各府県庁の手を経て届け出でらる、各種の統計の内に、常に二種ある。
 一つは 常に内輪に見積られて居る統計で、それは 各種産物の統計の如きものである。之は 課税を恐るるが為である。
 他の一つは 常に外輪に見積られて居る統計で、それは 就学児童の統計の如きものである。之は 選奨に与ろうが為であるとのことだ。之は 少しく酷評であろうが、昨今の 米価騰貴より来る就学児童の減少は別として、平生から 我国に於ける実際の就学児童は 統計面より大分少いことだけは確である。それは 子供を家庭に留置くことが、生活上必要だからである。授業料は免除されても、筆紙墨を給与されても、小供が学校行をやっては、少しも一家の手助けにならぬ。そこで 子供の多い下等社会では、長男は 働きに出して、積極的に家計を助けさせる、次女は 内で三男四女の子守りをして、消極的に家計を助けさせる、そうしなければ、夫は兔に角、妻は働きに出られなくなる。
 之は 都会の貧民窟だけのことでない、田舎の特殊部落の如きに於ては、殊に著るしい。普通教育を奨励するのも宜しい、特殊学校を建てるのも結構であるが、同時に 独逸のように、幼稚園なるものを、其の実、労働者の為の子供預り所たらしめないでは、親が働きに行かれないから、子を学校に遣れない場合が増加する一方である。そして置いて、それでも 是非学校に遣れと強いては、いくら選奨に与かれるにしても、それは無理と申すものである。

  

(三十) 生活費の研究 () 労働者の未来津村秀松

 先頃、東京の或る新聞に 或る巡査の妻君の 小使帳に基いて、其の家計を調べたものが 載って居った。
 巡査の初給は 12円であるが、此の巡査は 奉職3年になるから 現在16円の月給を頂戴して居る。それに 弁当料が2円50銭、宅料が2円50銭、被服料が1円
(年12円) 密行及び出張応援の手当が月平均1円、そこで合計月23円であるが、月々1円の強制貯金を差引るるから、手取22円の収入になる。
 ところで 此の巡査の家庭が、夫婦の外に、当年12歳9九歳の子供があって、都合親子4人暮しである。
 然らば 其の支出が如何であるかというに、副食物は非常に始末して、一日平均15銭7厘5毛、月計4円72銭5厘、御飯は 平均一人宛2合9勺、四人で1升1合6勺、一箇月3斗4升8合、之を 三等米にすると、両に3升9合であるとすれば、勘定すると、此の巡査の家計は、ざっと斯様になる。
 

[図表あり 省略]

 是れだけでも、既に 月々45銭ずつ不足になる。然るに 前表には、衣服、履物等の費用が含まれて居ない。又 其の他一切の 臨時費が勘定に這入って居ない。それだけは、内職をするか、然らざれば 借金を重ぬる外ない。正直な巡査の家庭は、皆 斯くの如く窮迫なのである。

 以上は 唯是れ 一巡査の家計に過ぎぬ、それが又 精密なものとも謂えぬが、然し 是に由って 略ぼ 我国現時の 下級民の生活難を 推知し得るのである。
 紡績業は 日本に於る現代的工業の模範で、又 最大の工業である。大日本紡績連合会の報告を見ると、此の五月に於ける 就業者の数が、男工女工合して10万人に達して居る。
 そして 其の平均賃銀如何にというに、男工僅に45銭3厘9毛、女工僅に30銭2厘3毛となって居る。
 昨年の5月頃に比すると、諸色 殊に米価が 非常に騰貴して居るのに、昨年の5月の 平均賃銀、男工44銭3厘6毛、女工28銭4厘7毛に比すると、前者に於て 僅1銭3毛、後者に於て 僅1銭7厘6毛しか 増給されて居ない。
 紡績職工の多い大阪辺では、昨今でも 五等米が25~6銭する。南京米の慈善販売でも18銭する。女工には 独身者が多いから、まだ宜しいとしても、男工中 之に依って 一家を支えねばならぬ者では、食料を差引かれないで、丸々手に這入るとしても、日に2升の米も買えぬ。一家5人で平均3合ずつと、内輪に見積っても、米代しか出ないのである。此の秋 不作ときて、此の上 米価騰貴すれば、遂に米代さえも出なくなる。

 然し之は 独り紡績職工だけではない。其の他の 職工や、人夫や、大工左官に至るまで、稼ぎ人は 皆同様の境遇にあるのである。
 成程、東京や大阪の商業会議所の調で見ると、大工の賃銀は日に1円20銭とか、仲仕の給料は1円となって居るが、これは皆 官吏のように月給でない、日当であるから、雨風の日を 勘定に入れねばならぬ。病気や負傷で 働けぬ日も 勘定に入れねばならぬ、働こうとして働く仕事のない日も 計算に加えねばならぬ。其の外、朔日とか、十五日とか、御祭りとか、盆暮れで 仕事の出来ぬ日も 少くないから 東京の職人仲間では、一年間に少くとも80日、多きは120日の休日があるとの話である。
 石工、左官、経師屋、建具屋、煉瓦積職、洋服裁縫師の如き、割合に高い給料をとる者ほど、休む日 又は 休まねばならぬ日が多いことである。
 これでは 仮令 一日1円50銭の給料取りも、平均すれば、一日1円の生活をせねばならぬ、日当1円の賃銀も、実際は60銭余りの日割にしか当らぬ。

 それでは 仮令 労働者の収入が、日勘定に於て 余りあっても、月勘定に於ては 足りぬ、今のような米高が続けば、漸く 一家の米代位しか得られない者のみとなるのである。

 然し 日本の労働者が、日計有余 月計不足 という境遇に あることは、独り社会の罪のみでなく、又 労働者其の人の罪でもある。日本の職人仲間に 休日の多いことは 多年の習慣の然らしむる所でもあるが、又 職人の思慮の浅い結果でもある。

 之は 兔角 日本の職人仲間には、今尚 所謂 職人根性なるものが 失せぬからである。職人根性とは 懶ける根性である、又 宵越しの金を使わぬ気風である。儲ける時に 十分儲けて置いて、儲けられぬ日の用意をするとか、働ける時分に 存分働いて置いて、働けなくなった老後の計をなす とかいう未来心 一名 貯蓄心が 甚だ薄弱であることが、確に 日本の労働者の 生活難の基をなして居る。此の心が改まらないでは、如何程 賃銀が引上げられても、給料を増しても、上がるだけ遊ぶ、増すだけ使うから、一向に 彼等の生活程度を 上昇せしむることにならぬ。
 然るに 未来心なるものは、未来を慮るの心、即ち 前途を考うるの精神であるから、通常 知識の程度に比例する。故に 我が国の如きも 下等社会に至るまで、教育が普及して、一般労働者の 知識の進歩を見ない内は、第一に 労働力が劣るから、産業の発展を見ることが出来ないし、第二に 労働心が弱いから、生活難を救うことも出来ぬ。結局、労働者の知識が進歩しないでは、労働問題の解決が 困難だということが、茲にも亦 証明せられるのである。

  

(三十一) 生活費の研究 () 米価の問題津村秀松

 然しながら 方今 我が国に於ける生活の困難は、独り労働者や職人のみでない。一般の祭日又は休日の外は、殆ど休むことなき銀行会社員でも、病気其の他止むを得ざる場合の外 懶けることなき精勤なる下級官吏公吏でも、昨今の米高では、とても暮して行けないのである。労働者や職人の内でも、職人根性の失せぬものは 独身者に多いのである。仮にも一家を構えて居るものは、余程 懶け者でない限り、貧に窶れた妻子の顔を視ては、働かずに居られない。働くにも働く口がないのと 働いても一家の米代さえ出ないのが、人夫や車力のような、下等労働者の現状である。

 飢餓に迫って 親子4人、千住の大橋から身投げしようとしたり、嘗て 選奨された巡査が、子供の多い為に、遂に 白昼剽盗をやるに至ったり、親が泣く泣く子を殺したり、置き去りにしたり、厭きも厭かれもせぬ夫婦が 別を告ぐるというような 悲惨な記事が、毎日 数限りなく新聞に現るるということも、一升の米が30銭台を摩するに至っては、別に不思議はないのである。

 そこで 日本の政府も、遂に傍観する訳には行かない。昨年の初秋、所謂 端境期に方って、米価暴騰するや、7月29日に 外米輸入税軽減を断行した、取引所に於ける立会の中止を命令した、又 台鮮米格附代用の奨励もやった。然し 一向 功能がなかった。米価は どしどし騰る一方である。そこで 本年になってから、先ず第一に、朝鮮米の移出税廃止を断行した、内地米の格附範囲の拡張を行うた、台鮮米格附代用の強制も 復 繰返した、深川正米市場の検挙をやった、各地 期米市場の圧迫を試みた、遂に5月に入り、外米輸入税の一大軽減を決行し、更に 最近に至り、米穀に対する 鉄道運賃の半減をも為した。斯様に 政府の考えの及ぶ範囲、政府の手の届く限り、ありとあらゆる 米価調節の手段方法を尽したが、小売白米30銭台を 摩せんとするに至ったのである。

 是は抑も 如何なる原因によるか、之に就ては 今尚 種々雑多の説が行われ居る。昨年は 持越米が 存外 少かった為だという説もあれば、本年は 囲い米が 案外に 多い為であるという説もある。地方に於ては、低利資金の供給や、米券倉庫の発達の為に、農家の売惜み、買込みが 盛に行われたからだという説もあれば、都会に於ては 米価の上向き、金利の低落が、米商人の思惑心を刺戟して、連合買占が盛に行われたからだ という説もある、否な、買方の暴力によるのでない、寧ろ 売方の無謀による失態に乗ぜられた為だ という説もあれば、原産地不作の為、例年に比して、南京米が割高であり、又 輸入 少かったからだ という説もある。近年、日本人が一般に 贅沢になった為、日本米の需要が 激増したからだ という説もあれば、過れる 財政政策の結果、騰貴したる一般の物価が、其の標準たる米価に集中した為であるという説もある。

 斯様にして 諸説紛々の状態であるが、私は 是等の諸説 一々尤も、孰れ 原因たらざるものなし と思って居る。そこで 今日の米価は 単一なる原因に基くのでなく 複雑なる原因、即ち 前記諸種の原因の綜合に基くものだと思う。さりながら、前記諸種の原因だけが、原因でない。此の外に 尚お 最も重大なる原因が 深く裏面に潜んで居ると思う。それは 日本米に対する 日本人の執着心が 猛烈であるということと、日本米の増加が 日本人の増加に伴わないということの二つである。

 此の事に就ては、昨年の冬、東京に於て、社会政策学会でも演説したし、又 本年の春、本紙上で、其の然るある所以を 説明したこともあるから、今更 改めて之を詳論しないが、今尚 之が 米価騰貴の根本的原因であることを 確信して疑いはない、
 古いことは分らないが、明治年間に入り、年々の豊凶に応じて、米価に高低あったとはいえ、大体に於て、年々日本人の増加に準じて、日本米の騰貴して居ることが、先ず第一に 何よりの証拠である。而して 其の騰貴の割合が、他の物価に比して、特に著るしいということが、又 第二の証拠である。殊に近年に至り、日本人の増加率と、日本米の増加率との差が甚だしくなったということ、米価の騰貴率が著るしくなったということ、米価の騰貴率が著るしくなったということとが、ゆくりなく符合するのが、更に第三の証拠である。

  

(三十二) 生活費の研究 () 米価の問題津村秀松

 世界に 米は沢山出来るが、日本米は 日本にしか出来ない。世界到る処に 麦は沢山産するが、日本人の常食たる麦は、日本にしか産せぬ。日本の米の味が 特別である如く、又 日本の麦の味も 特別である。日本人は古くから、斯様に 一種特別な米麦を常食し、それが永年の習慣になって 遂に 今日の如くに、強烈なる嗜好力、猛烈なる執着心を 養うに至ったのである。そこで 日本米 並に 日本麦に対する 日本人の執着力というものが、自ら 日本の農業に対する 有力なる保障になって居るのであるが、然し 此の事たる、日本の農業に取って、此の上もなき幸福である 其の裏面には、日本の国民に取って、此の上もなき 不幸の基を成して居るのである。

 明治42年前、32年間の 本邦 稲作附段別の増加を見ると、44万八1,308町歩で、一箇年平均僅に1万4,000町歩に過ぎない。
 それも近年に至っては、一箇年平均の増加が、1万3,000町歩に下って居る。
 収穫の増加も亦同様で、明治22年前10箇年平均一段歩の収穫1石2斗8升のものが、明治42年前10箇年の平均では、1石6斗4升に上って居るが、これだけの増収を得るが為に、前後30年の長年月を要したとすれば、平均一箇年の増収は僅に1升5合弱に過ぎないのである。

 然る所、此間、我が国の人口の増加は 年に約50万人、それが近年になって、彼れ是れ60万人近くに進んで来て居る。そこで 過去10箇年の統計に徴すると、為に 年々約60万石の増収を要する。
 年々60万石の増収は、我が国の現耕地を以てするも、平均一段歩に3升、10坪に1合、一坪に1勺の増収で 有り余る勘定ではあるが、現在既に 平作に於て34万石の不足があるのであるから、之を補う為に、現在の平均収穫1石6斗4升を、1石7斗7升に高めたる上に於て 更に 此後 無限に 永久に 一段に付3升ずつの増収を 期待せねばならぬ勘定になる。
 之は 過去の増収 一段歩平均年に1升5合に過ぎないという事実に対照して考うると、甚だ 覚束ない次第であると謂わねばならぬ。

 斯様な訳であるから、米価の騰貴は、今に始まったことでない。それが嵩じて 遂に 今日のような騰貴を見るに至ったのである。であるから 此の後も亦 是迄の如く 漸次騰貴するであろうし、又 其の騰貴の歩調を 嵩むる運命を免れぬであろう。
 日本の米には 斯様な運命がある。斯様な運命あることを、永年の経験から割出して、遂に 感附くに至ったのが、斯界一流の黒人筋である。
 近頃、彼等の間には、強気は10年帳尻利得があるという 一種の信条、牢乎として抜く可からざるものあるに至った。そこで客筋の注文やら、一時の策略で、時には売方に立つこともあるが、大体に於ては、株と反対に、昂然として 買方に立つに至ったのである。
 それが又 早耳の素人筋にも 何時とはなく伝わって行く。地方の百姓も、昨年の経験から、米には売急ぎはいらぬ という考えも深くなってきた。低利資金の供給や、米券倉庫の発達で、所によって大分金の融通も付く。
 其の上、昨年は 南京米が不作であった、日本でも 持越米も 存外少かった。
 通貨が膨張した、物価が騰貴した、関税が増徴せられた、外米の輸入が減少したというような、曩に掲げた諸種の一時的 又は 人為的原因が 沢山加わったものだから、遂に 今日のような未曾有なる米価の奔騰を見るに至った次第である。麦に就ても 亦 大体同一であるから、絮説を避ける。米食を廃して麦食に代えても、一升の麦が18銭近くもする昨今の相場では 食物難には 大した変りはないのである。

 之を要するに、今回の米価奔騰に就ては、根本に 恒久的原因が伏在して居るのである。唯 之を助勢する 諸種の 一時的 又は 人為的原因が、折悪しく 一時に沢山集り来ったものだから、当然 騰貴す可かりし米価に、更に一段の猛勢を見るに至ったまでのことである。之あるが故に、一時的又は人為的原因なるものに 重きを措きて、其の内、政府に取って 除くに都合の宜きものだけに就て試みた米価調節策なるものが、事毎に 失敗に終ったのも、別に不思議はないのである。
 勿論、今日の米価の 法外なる騰貴なるものが、仮令 一部たりとも、一時的 又は 人為的原因に由来するものとすれば、差し詰め、之を 一々除く工夫をせねばならぬ。政府に 都合の宜きもののみでなく、都合悪いものをも、全然 除き得たならば、今日の米価をして 自然の騰貴の程度まで 低落せしむることが出来るのである。それに就ては、先ず第一に 外米関税の撤廃から初めねばならないと思う。

  

(三十三) 生活費の研究 () 外米輸入税問題津村秀松

 日本人の 日本米に対する執着心が、左程 強烈であるならば、関税を撤廃して 南京米の輸入を容易ならしめても、一向 効能なき筈じゃないか という質問 あるようであるが、其の実は そうでない。
 日本人の 日本米に対する執着心は 強烈である。であるから、日本米の 供給が十分である年、即ち 平作以上の年には、南京米が安いが、安くても、其の方に振り向く者は 甚だ少い。唯 夫れ 一朝不作となると、米価が騰貴する、騰貴しても、それが甚だしからぬ間は、衣住其の他の生活費を 節約しても、成る可く 日本米に執着しようとする。それが 労働者を初め 細民に至るまで、苟くも 日本人たるものは、皆 然りであるから、日本米は 益々騰貴する、普通世人の予想以上に、即ち 意外なる奔騰を見るのが、日本米の特色である。従来の米価騰貴の史実が、之を遺憾なく証明して居る。
 斯くの如くして、米価の騰貴が或る程度を越ゆるというと、収入に限りある細民は、遂に日本米を買えなくなる。そうなれば、南京米で我慢をするか、其 南京米も関税の為に 高くて買えないとすれば、遂に 餓死する外ないのである。之の故に、せめて 元地から安く買える南京米を、関税で以て 高くしない工夫だけは、是非 必要だということになるのである。

 それならば、別に今更関税を永久に撤廃しないでも、日本が不作の年、即ち 日本米の供給が不足な年に限り、之を経験するとか、若くは 一時課税を 中止すれば それで差支なき筈じゃないか という疑問が 又 起ってくる。
 然し それもそうじゃない。明治20年頃までは、平作の年には 不足米はなかった、然るに 其の後 人口の増加に伴う産額の増加がない為に、年々 不足米が増加して、今日では、仮令 平作であっても、又 幾分か 平作以上であっても、即ち 大抵の年は、日本人の頭数に対して、日本米が 常に不足であるという事実が現れてきた。
 此後も 年々此不足が増加して、如何程 豊作であっても、3~4百万石の不足米は 常に之にあるを免れぬ というようになるのも、余り遠くはあるまい。
 之が 曩にも述べた通り、日本米には 此の後も 此の上段々 騰貴する運命ある所以で それが為に、日本人中幾割かの細民が、家計上 否でも応でも 南京米を食べねばならぬことになるのである。そして 其の南京米を 食べねばならぬ細民の割合が、又従って 年々増加す可き運命のものであると知ったならば、せめては 夫等の人々に、安く買える米を 高く買わせないだけの心配をしてやることが、善政ではなかろうか。

 加之、外米関税の 一時の中止と、永久の撤廃とは、其の外米の 相場の上に及ぼす影響が 大に違う。外米の輸入季節たる3~4月を外した 今回の関税軽減が、余り効能がなかったことは 勿論であるが、之が適当なる時期に 軽減し、若くは 一歩進めて、撤廃したのであっても、3箇月とか4箇月の後に、復旧されるとも、又 其儘 継続されるとも、それは一切 行政官の掌の中にあって、商売人に於ては、一切五里霧中に彷徨せざるを得ないような、今の内に売った方が得だか、先きで売る方が利だか、一向分らぬような、商売人の商略が 行政官の手心によって 裏をかかるる危険のあるような、左様な不安心な状態では、一体、真面目な商売が出来ないのである。左様な訳であるから、若しも 政府に於いて、多数の細民に 安き食物を 絶えず供給してやろうという 一片の真心あらば、此の際、断然 外米関税を永久に葬り去る可きである。

 然し 外米関税を撤廃したからとて、それだけ 日本米の相場が 引下げらるる、依って 米価の調節策が成就すると思うたならば、それは 大なる見当違である。昨今、新聞紙の社説や、学者の論議を読むと、此の種の見当違いをして居る人が、大分多いように見受けらる、
 之に 米といえば、日本米も、南京米も、台湾米も、等しく米であるという 速断から来る 誤解である。
 外米関税を撤廃することの 直接の効能は、安い米でないと食べられぬという連中に、安く外米を供給するというだけである。
 又 其の間接の効能は、余り値段に異りがなければ、少し位高くても、甘い日本米を買うという連中を引き留めて、外米に向わしむるから、それだけ 日本米の騰貴を防ぐだけのことである。
 勿論、此種の連中は 年々殖ゆる勘定であるから、従って 其の効能も年々増す訳であり、又 其の訳があるから、関税の撤廃が 更に一層必要となるのであるが、同じ米でも、日本米の味は 格別である、此 味に対する日本人の嗜好が 又 特別であるから、木綿物が下っても、絹物は 其の割に下らぬが如く、麦が下っても、米は 其の割に下らぬが如く、石に2円40銭の関税がなくなって、其の為、南京米の相場が、それだけ下ることあっても、日本米の相場には、それほどの好結果を期待することが出来ぬ。

  (三十四) 生活費の研究 () 米価調節策津村秀松

 然らば 日本に於ける日本米の相場を 如何にして調節す可きか という問題が起る。実いうと 是に就ては 私には 名案がない。名案がない為に、日本人の食物の前途、引いて 日本人の前途に就き、悲観説を懐いて居るものである。

 方今、朝野の間には、此の問題に就て、色々の提案が出て居る。賛成者の一番多いのは、食物改良論である。米を廃めて 麺麭を食べという 麺麭論である。第二に賛成者の多いのは、移民奨励論である。過剰なる日本人を 海外 到る処に盛に移住せしむ可し という議論である。而して 内外に盛に日本米の産額増加を図る可し との主張も 亦 甚だ有力である。其他、曰く何、曰く何と、一寸数えられぬ程、諸種の提案あるようだが、何れも 目下の米価の調節には、何の役にも立たぬ、誠に気の永い話のみである。

 2000年来、米を常食として居る日本人に、今俄に 麦を食べ、南京米を歓べ、麺麭で我慢しろと、ハイカラな注文をした所で、とても行わるる話じゃない。薩摩芋を食べ、馬鈴薯を喰え、豆が宜しかろうなどと、旧弊な議論をした所で、それは 牛馬でさえ余り喜ばぬ食物である。斯様な 無理な注文をする識者に向っては 私は、請う隗より始めよと言いたくなる。成程 日本人も 太古から米を食った人種でもないようだから、改められぬという道理はないが、それには又 これだけ深く染み込むに要した年月の幾分かを 要すると思う。和服を廃めて 洋服に改むることさえ困難である。日本家に代えて 洋館に住むことさえ至難である。それを思うたならば、日本米に断念して、南京米を歓迎せよということは、議論は容易に出来ても、実行は 甚だ六ヶ敷い。衣住の欲さえ、変更容易でないのに、口舌の欲は、とても急に改まるものでない。
 日本米が高ければ、貧乏人は 南京米を食うであろう。然し それは改まったのでない。であるから 少し日本米が安くなれば、直ぐ 南京米を見捨てる。頃日、米価暴騰するや、神戸市自ら外米を一升18銭にて廉価販売に従事したが、本月17日に至り、日本米下落して、一升26銭台に下った為、外米が見捨てられ、売る可き筈の外米1,400石の内、売れた米は 僅に252石3斗7升5合に過ぎないという失敗談が、何よりの証拠である。将来 日本人の増殖に対して、日本米は 到底不足を免れないとすれば、食物を改めることが、必要であるに相違ない。そこで 料理法の改良により、漸次 改良食物に向わしむることに努むるは急 務であろうが、其の効果に 多くの望みを嘱し、其の成績の容易に挙がることを期し、之を以て 有力なる米価調節策と心得ることは、一大早計の譏を免れない。之を要するに、食物欲変更という如き、気の永い話では、決して安心が出来ないのである。

 次に 移民奨励策も、排斥せられぬものならば、誠に結構な思い附であるが、漸く落附いたかと思う布哇(ハワイ)や濠洲や、南米や北米や、台湾や満洲の日本人でも、絶えず日本米を輸入して居るようでは、日本を去ったからとても、日本米に断念するものだと安心が出来ぬ。そこで農業技術の発達、種子肥料等の改良により、内地に於ける米産額の増加に努力することと、日本以外に於ける 唯一の日本米の産地たる朝鮮―現在に於ても朝鮮米は米質に於て日本米と同一なるが故に 斯く言うのである―の農業の開発を 企図することとが、先ず比較的に早く間に合う方策である。

 然し 此の二策の内でも、日本は 旧開国である、朝鮮は 新開国であることを思うたならば、土地収穫逓減の法則により、外米関税の撤廃どころか、此の上更に 永久に之を増徴又増徴しない限り、内地に於ける米の増収は あまり有望でない。それと反対に、朝鮮に於ける米の増収は 大に有望と考えられる。
 然るに 朝鮮には、土地はあっても、水がない。水がないでは米が作れぬ。そこで 農商務省の調査のように、明治70年までに 朝鮮の産米を加倍するという意気込みには、是非共 水源の涵養が必要である。それには 盛に植林をやらねばならぬ。孰れにしても、10年や20年で、朝鮮米の供給により、日本人が自給自主し得るとは思わぬが、この 日本以外に於ける 日本米の唯一の産地たる朝鮮の農業が、日本人に取って 唯一の救世主たることを疑わぬ。それ故に、私は 日本の政府も人民も、朝鮮の農業の開発に対して、真面目なる努力を 熱望するものである。此の意味から言って、朝鮮米に対する移入税の撤廃の如き、論ずるまでもないのである。又 東洋拓殖会社の改造の如き、説くまでもないのである。
 唯一つ 此の際注意して置きたいことは、朝鮮の農業の開発には、水の外、道の修築が甚だ切要であるということである。本土の鉄道すら 持ち厭んで居るのであるから、朝鮮に 今急に 鉄道を 四通八達せしむることは出来ない相談であるが、せめては 道路だけでも、完全に修築されたならば、朝鮮内地に於ける生活も、交通も、開墾も運搬も容易になるし、米の如きは、今より遥に多く、且 大に 安く供給されることになるのである。

 

(三十五) 生活費の研究 (十一) 穀物専売案津村秀松

 以上述べたような次第であるから、日本米価の調節に就ては、幾多の応急策も、あまり有効でない、又幾多の永久策も、朝鮮開発策の外は、あまり有望なるものとは思われぬ。
 そこで結局 如何にして調節するが、現在並に 将来最も宜しきかということを考うるに、随分苦心した。其の際、ふと思い附いたのが、先年瑞西(スイス)に於て試みようとした 穀物並に麦粉の政府専売の 復旧計画である。それを日本に応用したならば、如何であろうか。之には施行上困難を伴うこと勿論ではあるが、今の儘でも、日本米が将来永く日本人に禍する、其の禍も亦甚だ大なるを思うたならば、其の禍の比較的小なる内に、政府専売に改めたならば、之が施行上の困難も亦比較的小ならざるにあらざるかと思うのである。

 此の説 世間に伝うるや、本紙の記者 先ず 反対意見を述べて、色々詰問せられた。近頃 復 其の当座 小口欄に於て 催告を受けたのである。然る所 本問題に就ては、具体的意見が必要である。それには 外国の前例を詳細に取調ぶる必要がある。そこで 二三外国に注文したものの到来を待って、貴意を得る積であったが、今に間に合わぬ。そこで 之は後日のことにして、差当り 一言なかる可からずである。

 等しく政府専売という内にも、財政政策より出でた専売もあれば、社会政策より出でた専売もある。此の二種は 其の趣旨に於て違うから、其の結果に於ても 亦 違う。日本の煙草や塩のような 第一種の専売の結果を見て、私が米に就て主張する 第二種の専売の結果を 批評する人があったならば、それは先ず以て 御免を蒙り度いのである。
 次に 私は 米の専売を主張する理由に色々あるが、根本は 天下広しと雖も、日本米ほど投機の目的物として、面白味の多いものがないという所にあるのである。
 日本米は 特種米で、それに対する日本人の執着心が 又 格別であるのに、其の産額の増加が 遅々として 牛歩の感がある。朝鮮米の増加が 一番有望であるが、それとても急激なる増加は望めない、又増収の程度にも 自から極度がある。それに 孰れも天候によって 支配せらるるを免れないものであって見れば、自然の儘でも 将来 益々乱高下を免れないものであるのに、之に 買占めとか、売崩しとかの人為を加えたならば、今は兔に角、此の後は 年を逐うて余程面白い投機物になる。それも 投機者の資力が 比較的に薄弱である間は、其の影響も亦少いが、人が集中する如く、金も集中する、事業も亦集中するというのが、現代文明の特色であって見ると、此の先き、有力なる買占者、殊に 絶大なる買占団が起らぬといえぬ。
 其の上、国際交通、国際金融が益々発達してくると、シカゴやニューオレアンスあたりの 穀物ツラスト関係者の手が、間接又は直接に 蠣殻町堂島辺に 及んでこぬとも限らぬ。それならば、米穀取引所を閉鎖すれば宜しいという反問も起るか知れぬが、取引所がなくても、買占は出来るのである。それは唯 買占が便利か不便利かというだけの問題で、従ってそれは 買占の資力が豊富であるか否かの問題で、而も 豊富なる資力で、不便利を犯して買占められた暁には、其の不便利なるだけ、買占の影響が又猛烈になるのである。私は将来の日本の為、之を恐れる。それは●人の憂であるかも知れぬが、智人の憂いであったならば大変である。

 且 夫れ 米専売の効果には 此の外色々ある。米を専売にしたからとて、米の供給が絶対には増加しないにしても、囲米がなくなるから、在るだけの米が 悉く市場に供給される、又 買占其の他思惑を許さぬから、常に米を 至当なる値段で供給することが出来る。至当なる値段である以上、それが此の後高くなっても、我慢がし易い。それに相場に乱高下がないということが、農家に安心を与うるし、
 又 政府が公平に定めた値段、実費で支給する米価が 漸次騰貴するときには、それに準じて、労働者が賃銀の引上げを要求することは 正当であるし、要求が正当であって見れば、資本家も亦之を拒むことが出来ぬと思う。
 之を要するに、米専売の結果、米価低落すと言えないが、米価騰貴しても、為に今日のように、労働者を始め 細民の生活費を膨張せしめて、諸種の痛ましき社会現象を見ることを 多少予防し得るであろうと思う。
 之れが 私が米専売論というような、私自身も 初めから世間の批難攻撃が随分多いであろうと自覚して居る愚論を唱うるに至った所以である。従って 之に代うる他に 良策があるならば、私は直に専売論を撤回して、引き退るに躊躇しないのである。然し 唯 専売論を頭から攻撃するだけで、之に代うる経国済民の良策を示して呉れないような 不親切な、無責任な反対論である間は、私は決して専売論を撤回しないし、又 決して引き退らぬ覚悟である。

 専売論には 買上価格を決定するの困難がある。然し 現在 煙草でも塩でも 此困難を切り抜けて居るのだから、米に於ても 此困難を切り抜けられぬ道理がない。又 専売論には 莫大なる買上資金を要する障碍がある。然し 鉄道の国有にさえ 数億の資金を投じたのであるから、出来ない相談とは言えぬ。
 殊に 米の売買は 大体一年間に終始を告ぐるのであるから、短期公債の発行にて支弁し得るの便宜もあるのである。此外、米専売に就ては、大小色々なる故障がある。それも決して知らないのでないが、之に就ては 細なる研究と計算とを要する。依ってそれは 後日 外国の事例と相俟って 詳細 御覧に入るることにする。

 前言を繰返すようだが、結局、私には 日本人の生活費中食費の節約に就ては、別に名案がないのである。そこで せめては 此の上食費の増加だけでも 防ぐ途はないかと考えた窮余の窮策が、米専売である。私は一体 専売とか官営とかは嫌である。其の事は 此の春 雑誌「中央公論」にも書いて置いたと思う。であるから、若しも 江湖諸賢の名説に依って、此の窮余の窮策を脱し得たならば、それは私独りの幸いではあるまい。

  

(三十六) 生活費の研究 (十二) 住宅費の問題津村秀松

 是れまで述べたところは、各国に於ける 家計統計より判断して、所得少きものほど、自由に消費し得る所得少いという 国民生活上の第一の現象と、食物費が常に生活費の大部分を占め、殊に所得少きものほど、其の割合が益々増加するという 国民生活上の第二の現象とであるが、之に関連して、最後に今一つ研究す可き 第三の生活現象なるものがある。それは都会に於ける 住民の住宅費は、所得少きものほど、其の割合が益々増加するということなのである。

 全国を通じて大数観察するときは、所得の大小如何に拘らず、住宅費の割合は 常に 略同一であること、曩に掲げたるエンゲルの統計の如くであるが、特に 市民の生活に就て調査するときは、収入の少きものほど、即ち 細民なればなるほど、住宅費―即ち主として家賃―の負担を増すものであること、之も曩に掲げたる 独米の新しき統計に依って、既に明白に証明されて居る。
 近年、我が国に於ても、亦 西洋の如く、人口益々集中し、都会愈々膨張し、地代益々高く、家賃愈々騰貴せんとする 明かなる傾向がある。そこで一般には 食物問題 重きをなすが、特に 都会生活に就ていうと、家屋問題は 食物問題に劣らぬ重大な問題で、米価の騰貴に泣く市民は、又 家賃の騰貴に苦しむのである。仍て 是れから少しく 都市に於ける住宅問題の研究に入ろう。

 1901年 独逸 のハンブルグ市に於て 市民の所得に対する家賃の割合を 細に調査したことがある。それを見ると、大要次の如き割合になって居る。  

[図表あり 省略]  

 斯くの如く、現今 都会に住む人々は、各々 其の所得に比し、少からざる家賃を 負担するものであるが、其の負担が、下等社会になるほど、著るしく増加して、最も少い収入の者が、最も大なる負担をなして、それが最も憐れな生活をなさしむるの原因をなすに至っては、志士仁人の 決して看過す可き 所でないと思う。

 それでも まだ 細民の需要する小家屋が 沢山あれば結構であるが、何れの国 何れの都会でも、之が甚だ乏しい。それが乏しいということが、家賃を騰貴せしめ、負担を増加せしむる原因になるのであるが、独逸では 年900マルクの収入の者が、年250マルクの家賃負担を 極度として居る。ところが 年250マルク位の貸家を建てることは、地代の 無暗に高い都会では、家主が好まぬ、従って 供給が 常に需要に伴わない。それでも 細民は都会に住まないと、毎日の働きにこまる。そこで 是等の細民が、已むを得ず、狭隘な茅屋に 数家族合い住居するにあらずんば、則ち 高い建物の家根裏とか 又は 地下室に 潜り込まねばならぬことになる。この田鼠のような住居をして居る文明の民が、文明国の中心に甚だ少くない。伯林(ベルリン)市に於ては、其の数、1890年に11万7,702人、其の後少しく減じたが、それでも1900年には 尚 9万1,426人、100人に就て7人位、田鼠生活をやって居るのである。

 次に 白耳義(ベルギー)のブラッセル市を見ると、茲も 略同様の有様である。1890年、同市に於ける労働者の 住宅4,601軒、此の内に住する 9,284の家族に 就て調査せる所を見るに、左の如きものがある。

  一軒建の家に住むもの 491

 三室の家に住むもの 1,371

 二室の家に住むもの 8,058

 一室の家に住むもの 6,978

 家根裏に住むもの 2,168

 地下室に住むもの 200

  当時 同市に於ける労働者の 平均賃銀 一日1円20銭なりしに、一室限りの 豚小屋同様のもので以て、尚 一箇月の家賃 平均4円50銭なりしといえば、都会に於ける 下等社会の生活難は、食物よりも、住宅に於て 甚だしと謂わねばならぬ場合がある。少くとも、都会に於ては、食物難よりも、住宅難が、悲惨なる生活を現して居る場合が多い。

 

 

(三十七) 生活費の研究 (十三) 倫敦貧民と住宅 津村秀松

 倫敦(ロンドン)では、家屋状態が更に一層良しくない。方今 倫敦市の 住民 約450万と称するが、其の内の 8割8分は、収入の2割を越ゆる 高き家賃を払って居るものである。斯様に 市民の大多数が 身分不相応の家賃を払って居るに拘らず、其の借家なるものが、甚だ手狭なものである。1901年の調査によると、倫敦市民の 6分7厘は 一室の家に住み、1割5分5厘は 二室の家に住み、1割6分6厘は 三室の家に住み、1割5分2厘は 四室の家に住み、五室以上の家に住むものは、即ち 剰す所の 4割6分で、四室以下の家に住むものが、5割4分という勘定になる。
 序に 断って置くが、倫敦では 台所等を入れて 六室の住宅を以て 普通として居るのであるから、今では 大部分の人間が 普通の家に住めなくなったということを意味することになる。

 同じ倫敦の内でも、密住の程度が まだまだ激しい所がある。
 フィンスベリー区などでは、一間の家に住むもの 1割4分2厘、二間の家に住むもの 3割1分に達して居る。
 ホルボーン区でも、一間の家に住むもの 1割4分3厘、二間の家に住むもの 2割3分2厘に上る。
 殊に驚く可きは、寝室、食堂等を一切加算して、平均一間に二人以上の割合で住んで居る人間が、全市民の 1割6分以上に達して居る。それが又 フィンスベリー区では、3割5分以上に上って居る。ステプニー区では、3割3分以上に上って居る。
 同じ英吉利でも、北部に進むに従って、この過住の勢いが烈しい。
 スコットランドでは、1908年の調査によると、一室に二人以上の割合で住んで居るものが、全人口の 4割5分以上、一室に四人以上の割合で住んで居るものが、全人口の約四分の一、就中、グラスコーの如きでは、一室に二人以上の割合で住んで居る者が、全市民の 5割4分7厘に達するということである これでは 正しく人間の箱詰が 出来る。

 千九百一年の調査によると、倫敦市中で現に一間限りの借家住居のものが、全市民の六分七厘に達することを述べたが之を人数でいうと、合計三十万四千八百七十四人となる。是れ既に驚く可き現象であるが、更に其の内訳を見るときには小家屋の欠乏なると、其の家賃の割高なるとにより、花の倫敦も、其の下層になると、群居密住の状、人をして戦慄せしむるものがある。即ち左の如くである。

  人

 一室の内に一人住むもの 60,421

 一室の内に二人住むもの 96,682

 一室の内に三人住むもの 71,040

 一室の内に四人住むもの 45,116

 一室の内に五人住むもの 20,005

 一室の内に六人住むもの 7,542

 一室の内に七人住むもの 2,688

 一室の内に八人住むもの 824

 一室の内に九人住むもの 351

 一室の内に十人住むもの 100

 一室の内に十一人住むもの 33

 一室の内に十二人以上住むもの 72

 

 さりながら、仮令い 一間に10人寝ようが、12人住もうが、兔に角も、家があり、雨露を凌げるものは、まだしも幸いなのである。
 昨年の2月17日、雪の降る夜に、倫敦市役所の衛生課の吏員が手別をして、市中に於ける宿無しの連中を 取調べたことがある。
 其の結果によると、同夜は 前年の同月同日の 2,747人に比すると、少しく減じて居ったが、それでも尚 男が1,462人、女が321人、子供が2人、合計1,785人の無宿者があった。
 此の外に、同夜、市内無料宿泊所に救われて居ったものが 男 4,549人、女 829人、子供39人、合計5,416人あったといえば、実際、倫敦市中には 毎日毎夜 彼れ是れ 7~8,000の宿無し 若しくは 宿無たる可き筈のものが 居る勘定になる。
 然らば 倫敦には 実際 家が不足なのであるか 室が足りないのであるかというに、そうでない。是も 同夜 衛生課の手で調べた所によると、上等の旅館を除き、普通の宿屋、下宿屋、木賃宿等に於て、合計7,038の空室があった。して見ると、これは宿無しじゃない、それは 金無しなのである。

  

(三十八) 生活費の研究 (十四) 過住の弊害 津村秀松

 惟うに、時勢の進運と与に、交通の発達と与に、文明の刺戟と与に、欲望の増進と与に、何れの国でも、人は 益々都会に密集するであろう。人が 益々都会に密集すると与に、地代は 益々騰貴し、家賃は 愈々 不廉となるであろう。そこで 一国としては 食物問題に悩み、都会としては 住宅問題に悩むことであろう。之は 現代文明の一大特色として、又 現社会組織の一大欠陥として、寔に 已むを得ないことであるとあきらめても、あきらむる訳に行かないのは、密住の醸す諸種の弊害、殊に 国民道徳上 並に 国民衛生上の大害である。

 都会が 繁昌すると、地価が 騰貴する。地価が 騰貴すると、土地節約の必要から、住宅が 益々密集してくる。又 都会が膨張すると、場末の土地まで 値が上るから、貧民窟は 益々 不適当なる場所に向って 逐払われる。それでも尚 貧民の需要する小家屋が 沢山にありさえすれば、結構であるが、高い土地に、小さな家を建てることは、一般に 家主の好まぬ所であるから、需要の増加に 能わざる供給の不足が、自然 小家屋の家賃の 割高を促すことになる。それも 好景気のときは、儲けも多いから宜しいが、一旦 不景気になり、収入が少いものは、家賃が騰貴すると、差し詰、之が節約を図らねばならぬ。そこで 間貸しが流行る。合住居が 多くなる。伯林には、一室に6人以上、二室に11人以上の密住をなして居るものが3万人、ブレスラウには7千人、ケムニッツには5千人あるという。又 伯林では、一室より成る住宅 千軒の内、391軒が、間貸し 又は 合い住居をやって居る。ミュンヘンでは、一室 又は 二室より成る住宅千軒に就き、572軒が 同じく 間貸しをして居る。倫敦では、一室に二人以上の割で住んで居る者が、30万人以上もあるとか、激しいのになると、一間に12人以上の男女が住んで居るとか、我が国でも、貧民窟に這入ると、畳一枚に 二人の割合で 住んで居る者が、決して珍らしくないということも、皆この結果である。

 斯様にして、一家の内に2~3の家族が雑居し、一室の内に 老若男女が 沢山 混在することになると、秘密ということも 次第になくなる、羞恥という念も 次第に薄らぐ、悪風の感染が 盛んになる、性欲の刺戟が 猛烈になる、姦通とか、密通とか、野合とかとは、常習犯になる、そこで又 怨恨とか、嫉妬とか、猜疑とかの妄念が 深くなる、
 結局、自然の境遇が、破倫とか、悪徳とか、犯罪とかの 練習所たらしむるに至るのである。それは致方ないとしても、これでは 一家団欒の快味を味うことが出来ぬ、家庭に安静がない、休養を得られない、内に慰安を求むる訳に行かないから、漸く 仕事先から帰って来た亭主も、直ぐ外に出でて 飲酒と賭博に耽ることになる。内が狭いから、子供も常に外で遊ぶ。小さな時分から、路上で悪戯に耽り、放浪生活を学ぶから、大きく成ると、堕落生活に入るのである。
 大阪の難波署長とかの話に、あの辺の貧民の子供は、常に屋外で遊ぶということと、自宅の給養が不足勝ちであるということとに由って 動もすると、人の物を盗み取る癖があるが、それは盗むとか、掠めるとかいう自覚があるのでなく、全く 放浪生活に原因して 自分の物と他人の物との 区別観がない為であるとのことを、又 聞きに聴いたが、之は 誠に 貧児心理に通じた説で 独り難波の子供だけじゃない、貧民部落の子供は 皆 斯くあるものであると思う。
 斯様な訳であるから、貧民の生活状態が改まらなければ、社会に罪悪の跡が 絶ゆる筈がない。読者 若し試みに 大阪とか神戸の貧民窟なるものに 一歩足を入れらるれば、日日 新聞紙に現れる 所謂 三面記事なるものの、多く此の間より発生するの理を 首肯せらるるであろう。
 之を要するに、都会に於ける 貧民の生活状態は、決して 単純なる社会問題でない、況んや 乾燥なる経済問題でない、重大なる人倫の問題である、深大なる国民道徳の問題である。兔角 荒んだ生活には 荒んだ心が起り易い。居は 心を移すものであることを知ったならば、経世家は 先ず 眼を都会の住宅問題に注がねばならぬ。

 

 (三十九) 生活費の研究 (十五) 過住と衛生津村秀松

 然るに 都会に於ける 貧民の生活状態は 単に重大なる国民道徳問題たるだけでもない、又 重大なる国民衛生問題である。
 現今のように、都会が繁昌して行き、膨張して行くと、勢い貧民の住宅は、益々 不適当なる場所に逐い込めらるることになる。空気の腐敗し易い、光線の不十分な 汚水の溜まる低地や、湿地や、裏通や、場末に 密集することになる。
 其の上、生活の困難から、一軒の内に 多数の人間が密住すること 前述の如くになると、悪疫が 発生し易いのみでない、発生した悪疫が 感染し易くなる。又 一旦感染すると、適当な時機に 適当な治療を施す余裕のない貧民生活では、それが 兔角 永引き勝ちである。これが原で 一生不具になり、癈疾になり、病身になり、労働が出来なくなる。又 これが原で 世を儚んで 死を早める者も出来るし、養いを得ないで 自と倒れる者も出来る。然らざるも、これが原で、一家離散の悲劇を 演ずること間々ある。
 西洋でも、日本でも 下等社会には、出産率が多いが、死亡率も 亦 多い。殊に 流産が多い、死産が多い、子供の死亡率が 甚だ多い。それは 内外諸種の原因から来るのであるが、又 不自由なる生活が 自然持ち来す 不衛生なる家屋状態に 原因する所、甚だ少くないのである。

 1905年並に6年の両年に亙って、英吉利のグラスゴー市の教育課が、7万2,857人の 小学児童―年齢5歳以上18歳以下―に就て 取調べたところによると、左の如き 驚く可き 結果が現れて居る。

 [図表あり 省略]

  之を観ると、同じ市の 同じ小学児童でも、狭苦しい家に育つ子供と、広々とした家に育つ子供とでは、其の体格の上に 著るしい相違を起すものであることが知れる。一室の家の男児は、四室の家の男児よりも、体重に於て、平均11ポンド七軽く、身長に於て、4インチ7短い。又 一室の家の女児は、四室の家の女児よりも、体重に於て、14ポンド軽く、身長に於て、5インチ3短いということを知ったならば、誰しも 悚然たらざるを得ないのである。

 同じグラスコー市の 衛生課の役人ドクトル、チャルマーク氏が、1901年に 同市民の死亡数 並に 死亡率を、住宅の大小に応じて調べたものがある。之も 参考になるから、左に掲ぐる。  

[図表あり 省略]

  同じ人間でも、広い家に住むものほど、死亡率が少くなる。四室の家に比べると、一室の家には、約3倍の死亡率があるなどは、驚く外ないのである。

 又 1906年に 倫敦の貧民窟たるフィンスベリー区の 衛生吏ドクトル、ニューマン氏が、同区全体に就て調べた結果を見ると、一室の家の死亡率は、千人に付き39人、二室の家では、それが22人5分、三室の家では、それが14人8分、四室以上の家では、それが6人4分となって居る。是に由ると、一室の家の死亡率は、四室以上の家の死亡率に比して、6倍にも達する。更に一層驚く可きものであると謂わねばならぬ。

 少し統計は古いが、1815年に 独逸の伯林市に於て調査せる結果によると、家の大小と 死亡率の大小との関係が、今一段甚だしく現れて居る。当時 伯林市の平均死亡率は、千人に就き20人1分であったが、それが一室の家になると、勿驚、63人5分に上って居る。二室になると、それが22人5分となり、三室の家になると、7人5分に下り、四室以上の家になると、更に5人4分にまでも下って居る。
 斯くまで著るしい相違が、何れの国にもあるかどうか、少しく疑わるるが、然し 前記の英吉利の二市の統計は、確に信頼す可きものである。我が国には 未だ此の種の統計がないから、知らぬが仏で、安心して居れるが、之を知っては、如何に無神経な我が国の社会でも、多少慈悲の念が起るであろうし、又 如何に無頓着な我国当局者でも、少しは 貧民の家屋問題に顧慮することとなるであろう、それから先きは、仏でなくなる、鬼であると謂わねばならぬ。

  

(四十) 生活費の研究 (十六) 悪住居の弊津村秀松

 然し 日本でも、貧民の生活状態に 就ては、知らぬ、存ぜぬとは言えぬ。
 東京では、芝の新網、四谷の鮫橋、下谷の万年町、扨は 本所深川の場末の貧民窟は、夙に 有名なるものである。
 大阪でも、難波今宮一帯の地には、八幡不知のような 狭巷細区の縦横に交叉して居る。
 神戸の葺合、宇治野には、足を踏入るる余地さえない 修羅の巷が横って居るのである。
 それが冬になると、内部の惨状、更に一層を加うるが、それが夏になると、遺憾なく、外部に曝露する。日本の玄関と称せらるる神戸の 其の又玄関であるメリケン波止場や、東端を流るる新生田川の橋の下や、西端に横わる湊川の樹の下には、夏の夜、参々伍々たる 野宿の群を見る。帝都浅草の 観音堂の周囲には、7~8月の頃、毎夜 少くも300人の露店宿泊者があるという話である。

 数年前、東京巣鴨の 百軒長屋を 視たる人の話を聞くに、実際は 百軒にあらずして、120軒許りあるが、毎戸 殆ど 四畳半位のものである、それに 茲では畳を貸さぬ、建具と床板だけにて、家賃は一箇月1円30銭である。其の内に住んで居る人数はと見ると、甚だしきものに至っては、四畳半に三家族合宿で、8人もゴロゴロして居る。着物は 着た儘で、夜具のなき者もある。飯は 各種の残飯を 或る所に 求むるのであるから、普通の食事時間より、二時間後れを 常として居るということである。
 然し之は 以前のことで、今は 家賃の如き 大分高くなって居る。近頃、東京市中の貧民長屋を取調べた人の説に、一箇月の家賃は、畳一枚に付き50銭から1円位に達するものもあるので、中流の借家に比すると、確に2倍も 高い割合になる。そこで 棟割長屋も 段々小さくなって、三畳敷の家が 沢山殖え、甚だしいのになると、其の内に9人の合い住居という 殆ど 想像にも及ばぬ 密住が行われて居る。六畳敷の家になると、其の一部を又貸して、二家族も三家族も、同居して居る。木賃宿でも、数年前までは、一夜3銭であったが、昨今は 最下等で 一夜8銭に 騰貴して居るということである。

 然し 我が国では 西洋と違って、家屋問題―従って又 大なる社会問題たるもの―が 横って居るのである。それは 地方到る処に 散在せる特種部落と称するものである。方今、此の 部落に属する民は、全国合して 約89万と称せらるる。然るに 此の89万の民は、種族が 特種であるという所から、元々 風俗が違う。後には 職業も 野卑であるという所から、自然 他の擯斥を受け、排斥を被りて、其の部落の範囲が、孰れも 昔から 厳重に限られて居る、容易に 其の地域の拡張を許されない。
 又 一般に 赤貧洗うが如きもの多いから、隣村隣地に 土地を求めて、住居地域を 拡張するということは、実際 為し能わぬところである。然るに 此の種族は 一般に 体格強健である上に、世間普通の行楽を得られないから、人生唯一の慰安を 情慾と仏教とに求め、早婚であるから 出産率が多い。信仰が強いから 如何なる場合にも決して 堕胎をせぬ。そこで 随分 死亡率も多いが、大体に於て 人口の増殖力が 強烈である。それが益々 此の部落の密住、混住、雑居、合宿を激しからしむる原因となって、今日では 孰れの部落に行っても、其の家屋状態たる、筆にも口にも尽せぬ程の 惨状を極めて居る。
 不潔極まる其の風俗も、野卑甚だしき其の習慣も、元はといえば 此の 矮陋なる生活から 来るのである。トラホームを初め、兔角 流行病の巣窟たる所以も、全く 此の極端なる密集生活に 原因するのである。野合が盛んだということも、犯罪が多いということも、其の外、此の部落の下劣なる一切の特色は、皆 昔から其の居住地域が 限られて居るという所からくる 広義なる家屋問題に帰着すると思う。

 斯様な訳であるから、我が国に於ける 下等社会の惨状は、とても 倫敦や伯林の比でない。倫敦や伯林でさえ、家や間数の大小に応じて、死亡率の上に 著るしき相違を見るのであるから、我が国の如き 流行病、伝染病の多い国では、如何なる結果を見るであろうか、想像するだに 恐ろしい位である。
 先年、神戸にペストの大流行があったとき、遂に 葺合の貧民窟を 焼き払ったことがある。随分 人権を蹂躪した 乱暴な遣り方であるが、然し それは万止むを得ざる結果であるだけに、それが 軈て 我が国に於ける 貧民窟と流行病との関係の 如何に重大なるかを 証明するものだと思う。

 日本では 昔から 衣食住と言い習わして居るが、其の人生に対する必要の程度からいうと、衣食住ではない、食住衣、若くは 食衣住である。食物は 如何に騰貴しても 口数に応じて、食うだけのものは、食わねばならぬ。衣服とても、平素から余分の物を多く蓄えて居ない下等社会には、夏になれば、綿入を曲げ、冬になれば 単衣や袷物と入れ代える位より外に 融通が附かぬ。そこで 物価が騰貴し、生活が困難になると 差し詰め、家賃の節約を 図る外ないのである。家賃騰貴の場合には 殊に然りで、益々 劣等なる家屋に 引越すことになる。それが 下等社会では 割合に容易に行わるる。割合に容易に行わるるが故に、結局、劣等家屋より生ずる害は、劣等食物より生ずる害に勝ることになると思う。

  

(四十一) 生活費の研究 (十七) 家賃の騰貴津村秀松

 然しながら 現今 我が国に於ける家賃の騰貴、殊に 小家屋の割高なる所以を以て、一に家主の罪に帰する訳には行かぬ。政府の財政政策や、関税政策が主なる原因となって、一般に物価が騰貴して居る、建築材料も騰貴して居る、直接又は間接に 家屋に対する租税の負担も増加して居る。又 都会に於ける人口集中の結果、只さえ 騰貴しつつある地価地代が、昨今に至り 富豪や成金連の土地投機の盛んなる結果、法外なる値上げを見るに至った。之では、とても今迄通りの家賃では我慢出来ぬのも無理がない。

 労働者を初め、下等社会の人々が需要する小家屋の割高なるにも、亦 一般の理由がある。概して 労働者の家庭は、留守勝ちであるから、不用心である、密集して居るから、火災の危険も多い、そこで保険料が高い。又 下等社会の人々は、家屋の使用方が乱暴である、永住の考えが少いから、保存の念も薄い、其の上、子供が多いし、合い住居が盛であるし、仕事をする 内職をやるから、家屋を毀損することが甚だしい。
 そこで 家屋の生命が短い。普通の家屋ならば、先ず5年で元を取り返す勘定であるのが、貧民の長屋になると、3年乃至4年で、元金を取り上げる算用になって居るということも、亦 この関係からくるのである。加之、下等社会には 転宅が激しい、不景気になると、空き家が多くなる、収入が不確実であるから、家賃の滞りが多い、従って 管理費が嵩む。それやこれやで、結局、割合に高き家賃を取るが、其の割合に引合はない。そこで家主は あまり小家屋を建つることを好まぬ。それが又 家賃騰貴の原因をなすのである。

 さりながら、西洋でも、将又 日本でも、家屋問題に就き、最も痛切に困難を感ずるものは、労働者でない、下級の官公吏、民吏其の他、一般に小額の俸給に 衣食する 所謂 勤め人である。
 労働者は 体面を重んずるの必要もなく、又左様な精神もないから、家賃が騰貴すれば、裏屋に引込むことも出来る、合い住居、又は 間借りをすることも出来るのである。
 それが 月割にすると同じ収入でも、巡査であるとか小学教員であるとか、其の他の勤め人になると、体面上 左様な家賃節減が出来ない、世間体を思えば、棟割長屋に入るのさえ躊躇する、小さくても、一戸を構えねばならぬという気位が高い。
 そこで、同じ収入でも、労働者は 食物費に於て負担多く、勤め人は 住宅費に於て負担多い。少くとも月給の2割5分乃至3割は、家賃の負担となるのである。衣服に於ても亦同一で、労働者には此の種の出費は甚だ少いが、勤め人には此の種の負担が甚だ多い。是もやはり 前者は体裁を構える必要はないが、後者はそれ相当の身装をせねばならぬからである。
 そこで 一家の家計上より云えば、後者は 却て 前者よりも苦しい。食費の負担は少くても、衣住に要する所、割合に大であるのに、其の上、米価の騰貴に遭い、食費の割合が増加すると、立つ瀬がなくなるのである。巡査教員が賄賂を取るとか、市町村の公吏が不正を働くとか、会社銀行員が使い込みをするとかいうような事件の続発することも、多くは生活難に迫られる憐む可き犯罪と申さねばならぬ。

 元来、日本の建築は 不経済に出来て居る。それは木造であるからである。建築材が 木材という天然材であるから、建築材の内でも、それは最も割高であるし、又 年々騰貴す可き運命のものである。之を煉瓦とか、鉄材とか混凝土とかの如き、人造材を使用し 従って 技術工業の発達と与に 年々割安になる可き性質の西洋の建築に比すると、大分の相違になる、
 加之 木造であるが故に、脆弱である。火災、風害、水害、白蟻の害等を考えたら、保存年限も極めて短小である。木造であるが故に、建築を高く四階にも五階にも高く築くことが出来ないし、
 之が出来ない為に 高い地代なり 掛り物なりを 数戸数十戸で分担するということも、西洋の如くなる能わぬ 其の上、建築資金に対する金利も高い。
 結局、一般に日本の家屋は、西洋の家屋に比して 建築費も 将又 維持費も割高であるから、そこで一般に家賃も割高になるのであるといった風な議論が昨今大分盛である。
 之は 道理に於て間違がない、誠にこの通りの成行であるが、扨 其の道理を会得したとしても、今俄に 西洋風の住宅を造る訳には行かないし、よし 之を造っても、住む人なきを 如何せんやである。
 日本の風土気候なり、日本人の風俗習慣なりが改まらないでは、西洋流の建築材や、西洋風の建築法を応用し得る範囲は、存外狭小なものだと思う。
 そこで 此の種の議論も、米食を廃して、麦食をせよとか、御飯を止めて、麺麭を食えというような麦食論又は麺麭論と同一価値のものになる。口舌の欲でないだけに、或はそれよりも比較的に実行容易であるかも知れぬが、少くとも永遠の策であって、応急の策でない。家賃の負担の増加に悩む 今の日本の下等社会に対しては、差し詰め、何か別に 応急の策をも考えねばならぬ。

  

(四十二) 生活費の研究 (十八) 細民長屋津村秀松

 由来、日本の都市には 理想というものがない。全くの 其の日暮しである。道路の修繕に就ても、ほんの一時凌ぎである、橋梁の改築に就ても、全く間に合せ主義である。電灯会社が 埋て行く道路の手前を 瓦斯会社が掘り返して居る。其の後を 又 電鉄会社が 堀り立てて軌条を敷設するといったような風で、丸で権兵衛と烏との関係をなして居る。
 電鉄の敷設を許可するに方っても、目先きの勘定許りで、後日の回収を考えぬ。水道工事が出来上る時分に、最早や給水が不足になる。築港工事が出来た頃には、船舶が大きくなって、水深が不足とくる。
 万事 斯の如き調子であるから、都市の膨張は分り切って居っても、又 其の膨張率を測定し得ても、西洋のように、20年も、30年も、先きを見越して、郊外の地を 低廉に買上げて置くのでもなければ、又 其の地に 貸長屋を建設して置くのでもない。斯様なことは、財政困難な我が国の都市に 今 俄に望むことが出来ないにしても、せめては、郊外の地を開拓し、予じめ田園を区劃して、道路を幅広く定めて置くとか、適当な場所に小公園の候補地を取って置くとか、工場地と住宅地とを接近せしめない用意をなして置くとか、
 それそれ市街宅地の拡張を図り、将来の都市に就き、予じめ衛生上適当なる処置をなす一方に、電鉄許可の条件の一つとして、成る可く郊外線を延長せしめ、低廉なる土地に、低廉なる貸家の建築を誘導することが切要である。
 尚 市政に余裕ある限り、市営の貸長屋を建築するとか、又は 富豪の寄附により、同一の目的を達し得たならば、仮令 其の数に限りありとはいえ、之れに依って 一般の家主の無法なる家賃の引上げを牽制するの功、甚だ大なるものあると思う。
 それも到底出来なければ、新に小家屋条例を制定して、適法なる小家屋を建築する者に対しては、一切の家屋税、其の他の附加税を 有期又は無期に免除するか、若くは 之も国家の負担になることではあるが、一定の小家屋建築者に対し、低利資金融通の途を開くが如き、小家屋建築奨励法を採る可きであると思う。

 若し夫れ 彼の木賃宿の如きに至っては、質屋同様に 之を 全然市営にのみよることは、到底不可能であるとしても、せめては 市内到る処に、市営の木賃宿をも設けて以て、一面 低廉なる宿泊所を供給すると同時に、他面 現存の木賃宿に対し、改良を促すの刺戟とせねばならぬ。
 現存の木賃宿なるものは、単に不潔であり、割高であるのみでない、今の儘では、如何に取締っても、常に罪悪の練習所たり、風紀の破壊所たることを免れぬ。
 万一、市自ら之に当るを不適当とすれば、慈善団体若くは営利会社をして之に当らしむるも、市が之に対して補助さえなせば、更に立ち入ったる取締をなすことが出来るのである。
 現に神戸の如きには、神戸労働株式会社なるものがある。資本金10万円で、主に沖仲仕、茶焙人夫、其の他日雇人足を宿泊せしめ、労働を紹介して居る。現在の有様でも相当の成績を挙げて居るが、今若し之に対し 神戸市が相当の補助をなすに至ったならば、営利会社たるより生ずる諸種の弊を大に脱することを得て、面目を一新するであろう。

 方今、西洋諸国に於ては、家屋問題解決の一法として、小家屋の供給乃至小家屋の建築奨励に 非常に苦心して居る。之を一々説明しては、長談義に亙る虞あるから、単に其の内の二三を紹介するに止むるが、
 倫敦の如きは、市自ら盛なる貸長屋を経営して居る。之は 夙に著聞する所であるが、白耳義の如きに於ても、既に1889年以来、各自治体に対し、小家屋を建築し、之を労働者に貸附け、若くは現金又は月賦にて、売買するの便宜を開く可きことを命じて居る。
 独逸に於ては、政府又は其の他の公共団体の補助の下に、労働者を初め細民をして、それそれ建築組合を組織せしめ、頼母子講の如き方法により、漸次 彼等に自宅を所有し得るの機会を与えて居る。
 此の外、土地増価税により、市街宅地の所有権が屡転換するより生ずる地価の騰貴を防いで居る国もあり、市内の明き地に 特に重き宅地税を賦課し、其の上 其の税率を 明き地たる年数に応じて累進せしめて居る国もあり、又 建築条例により、五階以下の建築を禁止して居る国もあるが、是等皆 之に依って、直接又は間接に、細民の需要する小家屋の増加を図らんとする立法者の意思を含んで居るものである。
 西洋と日本とは、建築の方法が違う、又 財政の状態も違う。一々直輸入する訳には行かないが、此の内に、直輸入し得る方法もないではない。又 其形を更えて、其の実を伝うる方弁もないではない。然るに甚だ失礼な申分ではあるが、日本の当局者に於て、果して斯様な家屋問題解決の試みがあるであろうか。私の寡聞なる、未だ嘗て之を聞かぬのを、甚だ遺憾とする。

 

 (四十三) 生活費の研究 (十九) 日用品の供給津村秀松

 凡そ何れの国でも、生活費中最も大なる費目は、之まで述べた食物費と住宅費とである、此の二つを軽減し得たならば、生計を裕かならしむるを得ること勿論ではあるが、然し生活費は決して之だけでない。此の外に衣服費もある、灯火薪炭費もある、食物費の内にも、主食物の外に、副食物がある、住宅費の内にも、家賃の外に、尚家具家財費もある。凡て是等の費用も積れば大したものになるのであるから、そこで如何にせば 是等一切の日用費を節約し得るかという問題が起る。
 之に就ては、西洋でも色々と苦心した結果が、公開市場の拡張となり、消費組合の勃興となったのである。何れも生産者と消費者との中間に介在する 大小幾多の商人の手を省き、依て 其の手数料口銭を省き、斯くして 廉価に日用品を売買し得せしめようとの企である。

 我が国に於ても、近年 日用品の甚だ不廉なるに鑑み、農商務省に於て 熱心に日用品公開市場の研究をして居ると聞くが 若しも此の研究の結果に基き、全国都市到る処に、青物や、魚肉や其の他の日用品の市場が常設せられ、公開せらるるに至ったならば、それは確に 今日よりも低廉なる生活を得せしむるの一助となるであろう。然し 之を為すに就ては、其の前に多大の準備がいる、一と通りの注文をなさねばならぬ。其の一は 全国殊に市内の交通機関の整備である。其の二は 国民殊に市民の掛買習慣の改廃である。

 今日のように、鉄道庁の主力が 官線にのみ集注して、支線の発達を無視したり、又 現今のように、政府の補助を受ける大汽船会社の横暴を大目に見て、其の上、過重なる船舶輸入税を賦課する為に、船体の不足を来して、運賃が法外なる騰貴をしたり、市の内外に於ける道路が、雨が降れば河原のようになったり、沼田のようになったり、それもまだ宜しいが、七八月の頃になれば、道路が崩れたり、橋梁が落ちたりして、忽ち都鄙の交通が杜絶するような、不安な、不便な有様では、如何に全国到る処の日用品公開市場其の物が整備しても、其所に地方の産物が集中し難い。
 今日 日本の日用品の騰貴は、それは確に 中間に余り多くの商人が介在して、口銭を貪ること少からざるにも由るが、又同時に 交通機関の不備なる為、運搬上 多くの手数と日数とを要することも、一の原因をなして居るのである。交通機関の不備なることが、中間に 幾多の商人を介在せしむるに至ったので、従って 交通機関の不備なる間は、中間に幾多の商人の介在するを必要とすということを 先ず第一に悟らねばならぬ。そこで 日用品公開市場の発達には、先決問題として、交通機関の整備が必要である。之さえ出来上れば、今日の青物市場や、魚市場のような組織だけでも、尚大に物価の低落を来さなしめ得るのである。

 西洋でも 日用品公開市場の繁栄ということは、一般には古い歴史でない。其形は古くからあったが、それは 現代的交通機関の発達に伴うて発達したのである。殊に 市内の交通機関の完備が 甚だ与って力多いのである。彼のデパートメントストアの発達史の如きも、亦能く此の道理を示して居る。日本でも現に同じ店である三越デパートメントストアが、電鉄の比較的普及して居る東京では成功して居るが、まだそれ程の普及を見ない大阪では失敗の形であるのが、何よりの証拠である。
 加之、電鉄の賃金が区域制であった前と、均一制になった今とに於て、何地でも、デパートメントストアの繁昌に大差があるのも、亦証拠になる。公設であろうが、私設であろうが、道理は一つである。日用品であろうが、贅沢品であろうが、余り異りはない。

 日本の家屋が 縦には高く建てられないから、日本の都会は 自然 横に広く拡がる。そこで同じ戸数の町や市でも、西洋の町や市に比ぶると、面積が非常に拡大である。之が道路の修築に 割合多くの費用を要する所以であるが、それが又一面 日本の都市は西洋の都市よりも 一層交通機関の整備を必要とする所以にもなる。然るに 只今の所では、東京以外の全国都市に 殆ど市内電鉄の完備して居る所はない。多少之ある所も、其の賃金が割合に不廉である。東京でも 普通の道路ときては、丸で田舎の田圃路とあまり異りのない不便な不快なものである。

 話が少し岐路に迷うが、住民の多い、往来の盛な東京や大阪の道路が 田舎の田圃路とあまり異りのない粗悪なものであるが為、雨の降る日毎に、雪の降る夜毎に 銘々が用うる傘や、下駄や、靴や、洋服や、足袋や、着物が損じたり、毀れたり、汚れたり、破れたりする其の損害や出費というものは、積れば大したものになると思う。一人1円の出費としても、200万の市民を擁する東京では、200万円の損害である、120万の市民を擁する大阪では、120万円の損害になる。何もかも入るれば、とても一年に一人1円どころじゃないから 貧乏な日本人が、富裕なる西洋人に比し、無益に財を浪費する高というものは、驚く可き巨額に達するであろう。そしてそれが 生計裕かならざる日本の細民には、殊に大なる負担となり、出費となるのである。

 

 (四十四) 生活費の研究 (二十) 掛売制度の弊津村秀松

 市内の往復が 斯く不便でまた不快であるところに 搗て加えて、日本人の衣服が 洋服でなく和服である、日本人の履物が靴でなく下駄である、日本人の生活は立って居る生活でなく、坐って居る生活である、若しくは 兔角 横に寝転び易く出来て居る生活状態であるのが、自然 日本人殊に日本の婦人の出不精な性質を造るに至ったのである。其の上、女はあまり外出するものでないという東洋風の家庭思想が更にまた中等以下の婦人にまでも、蟄居的生活を勧める有力なる動機となったのである。
 加之、日本の家屋の構造が戸締りに不便であるから、少人数の家庭では、容易に外出が出来ない、買物に出かけられないという事情もある。
 そこで其の間より生ずる欠陥を充すの策として、西洋では多く見ない所の、八百屋、魚屋の御用聞なるものが盛に行わるるに至ったのである。昨今では 洋酒店や洋品店までも盛に戸別訪問をやるようになった。それが又日本固有の掛売、帳附の制度を一層盛んならしむる原因となったのである。之には月々の掛倒れや、金利を見込まねばならぬ、又戸別訪問の入費を要するから、一層小売値が高くなる勘定である。
 して見ると、此の際、日本でも西洋のように、日用品公開市場を特設すること頗る機宜に適し足る策ではあるが、それには前記の如く日本の家庭の風俗習慣と、市内外の交通機関の不便不快とが、大なる障碍をなすことを知らねばならぬ そこで先ず交通機関の整備が急務になるそれが済めば、自然家庭の風習も大に改まるであろうが、西洋のように日用品市場が 一般市民に大に利用せらるるかどうかは、時日の問題として、多少疑問であると謂わねばならぬ。

 日本全国到る処の都市に、日用品公開市場を設けても、市内外の交通機関が便利になり、愉快になり、低廉にならなくては、西洋の如くに功能がない、又其故障がなくなっても、日本人の風習が一朝一夕に改まらない限り、早効が著るしくないことは、以上述べたような次第であるが、唯今の有様でも、改められるし、之を改めることが、消極的ではあるが、少からず家計を整理する基となるものがある。それは即ち掛買の習慣を改めることである、通帳制度を廃止することである。即ち家家に於て日用品を買うに方り、一々現金支払を断行することである。

 元来、日本の社会ほど、掛買の盛なり国はない、通帳制度の発達した国はない。
 之あるが為に、買手が選択の自由を束縛せらるる、売手の競争の範囲が益々狭めらるる、売値に金利と掛倒れの負担がこもる、買手に相場を知るの機会が減ずる、
 其の上、目先き金が要らぬから、自然余計な物まで買うようになる、支払の宜しい家では、兔角余分の物まで置附けらるる、そこで多費になり、徒費になり、浪費になり、奢侈になる。高いものを多く買い過ぎて、其の日は愉快に暮せても、月末には火の輪が廻るのである。
 そこで家計が追々不如意になる、借金がだんだん嵩む、遂に夜逃をしたり、犯罪をしたり、それが基で一家の支離滅裂を見るに至るのも、中等以下の社会では、多く此の掛買が造る罪である、通帳が犯さしむる罪悪なのである。
 私は神戸の郊外を散歩する時折に、場末の下級官吏や、稼ぎ人の小さな台所にも、勝手の柱の上に常に幾冊かの通帳がぶら下って居るのを見るにつけ、嗚呼之が彼等の家庭の獅子身中の虫だと思って嘆息する。
 賞与金を目当に衣類を注文する下級の会社銀行員や、雨が上がれば働きに出ようという稼ぎ人には、成程、掛買や、通帳ほど便利なものはない、又之による外なき場合もあるのであろうし、何分永年の習慣であるから、一朝一夕に改まらないであろうが、之が改まらないでは、如何に給料が増しても、収入が殖えても、それだけ掛買が増長するから、生活難の疫病神が相変らず一家を放れない。
 又之が改まらない限りは、如何程公開市場が整備しても、現金売りであるから、此の種の客を引き附けることが出来ぬ。之れさえ改まれば、公開市場が発生しなくとも、我国に於ける中等以下の生活を堅実にし安泰になし得るのである。

  

(四十五) 生活費の研究 (二十一) 消費組合津村秀松

 方今 欧米諸国に於て、日用品の公開市場と相並んで、中等以下の社会の生活を助けて居るものは、前にも述べた通り、消費組合なるものである。
 そこで、我国に於ても消費組合の普及ということに依て 現時の生活難問題を解決しようという試みが、近頃大分に識者の注意を引くようになった。生活程度の略相等しい連中が、多人数団結し、出資し、又は連帯で低利資金の融通を受けて、日用品を原産地から安く仕入れて、実費で分配する、今一歩進めば、日用品を自ら製造して、分配し消費するという仕掛にまでも及ぶから、それは英吉利のように、大に生活費を節約し得る利益があろう。

 方今、英吉利では、消費組合に加入して居るもの、約200万人、資本金3億2千万円、一箇年の売上高約5億7千5百万円に達する 英吉利の人口を4千万人として 一家平均4人の家族と見れば、戸数1千万戸に当るから、英吉利人の約五分の一は、消費組合の恩恵を受けて居るものである。
 又白耳義では 消費組合員約30万人、此の国の人口は約700万人、一家平均 3人半の家族と見れば、戸数2百万であるから、国民の約1割3分は消費組合により 低廉なる物資の供給を受けて居るものだと断ずることが出来る。
 我が国でも 斯業に沢山に消費組合が勃興したならば 組合員が之に依って低廉なる生活をなし得るだけでない、これが為に 到る所に各種の小売商に対する 有力なる競争者が現われる訳になるから、自然小売商を牽制して、暴利を貧らしめず、誠実なる商売をなさしむることになるから 消費組合に属せざる者までも、自然安く日用品を買入れ得るの利益に浴するのである。

 然るに我が国民は 由来自治心が薄い、団結力が薄弱である。そこで又 共益心が発達しないから、消費組合などに就ても 之が中心的人物となって、経営の衝に当らんとする 真に任侠なる人が少い、偶々之あっても 其の人には信用がないといったような訳で、消費組合なるものは、一向に振わない、
 稍 成功して居るものは、同一工場内とか、同一官署内とか、又は同一学校内とか、極めて狭い範囲に限られたもののみである。
 一般市民を包擁せるものでは、東京の共同会
(組合員1,311人)、大阪では大阪購買信用組合(組合員1,300人)、京都では京都信用購買組合(組合員357人)、神戸では共益会(組合員325人)位なものが、全国主要の組合である。
 然るに 是等主要なる組合も 何れも皆至って若輩で、年長者たる共同会ですら 生れて10年に達するに過ぎぬ、其の他は皆3~4年此の方の出産である。
 それが為でもあるか、何れも余り振って居ない、中には今にも倒れそうなのがある。畢竟ずるに、今の日本はまだ消費組合の試験時代である、
 であるから、今俄に其の前途を悲観するを許さないが、之に就ては、日本人の共益心が微弱であるということと、処によっては、小売商の反感を招き、妨害運動が盛に行わるるという障碍以外に、やはり公開市場と同じく、兔角日本人が掛買帳附を好むという陋習と、交通機関が今尚お不便であるということが故障となって居る。此の後とても、先ず此の二障碍が除去されない内は、消費組合に依って、我国民の生活難を救済すること覚束ないと思わるる。

 そこで交通機関のことは別として、日本の家庭に固有の弊害たる掛買帳附の陋習は、前回以来述べたるが如く、公開市場の有功を期する上よりいうも、消費組合の発達を期する上よりいうも、将又是等の必要なきにしても、是非とも根絶せしめねばならぬものである。それに就ては、社会教育により一般の反省を促すこと、最も適切ではあるが、さし当り、女子教育の力による外ない。
 女学校に於ける家政科や又は家事経済の講義に際して 先生が十分に此の理を説いて注意を試み反省を促したならば、我が国に於ても亦西洋の如くに、漸次現金主義が行われてくるのであろう。之が何より適切なる 従って又 有功なる生活費節約策であり、生活難救済法であるのである。

 

 (四十六) 生活費の研究 (二十二) 奢侈論の批評津村秀松

 上来述べた如く、帳附制度や、通帳組織が、兔角国民の浪費を勧め、徒費を誘うことは、主として都会に行わるる所の弊害であるが、之を外にして、近頃都鄙一般に奢侈の風が盛んになって来たという説がある。

 方今日本の生活難、家計難を以て、それは全く国民一般の奢侈的慾望の増長の結果に過ぎぬと論ずる説がある。斯様な贅沢な気風が改まらない内は、如何に米が安くなっても、収入が多くなっても、生活難や家計難が永久に附きまとうという説がある。
 然し 私の見る所を以てすれば、此種の奢侈説には 一段の吟味を要する、其儘そっくり賛成する訳には行かぬと思う。成程、田舎娘が派手なリボンを翳したり、百姓男が鳥打帽子を被るのを見ると、都会の奢侈の風が普く田舎にまでも及んだものとして、天保時代の老人が慨嘆するのは、一応道理がある。それが又今日の生活難を招く一原因であることも必ずしも否定することが出来ぬ。

 さりながら、時代には時代の風があり、文明の進歩に連れて、人慾の増進することは、人情免る可からざる所である。であるから、前の時代の人が、後の時代の人の為す所を見ると、それが兔角奢侈に見ゆる。自分の若い時に比ぶると、今の若い者は兔角贅沢に思わるる。そして其の今の若い者が、更に後に若い者を観る時代になると、同じ述懐を繰返すようになるのである。この分では世がだんだん澆季になるという老人の嘆息が続く間に世が益々開明になっていった例は、西洋にも、日本にも数あるのである。
 今の世は最早や無智無見聞の為に 知らず知らず生活上の慾望を欠いて居る者を、其のままそっとして置く可き時代でない、又置くを得可き時勢でないのである。教育が普及する、智識が進歩する、見聞が広がる、そこで慾望が発達する、これが現代教育の目的でもあり、それが現代文明の特色でもある。
 人間が 無智蒙昧なる間は 慾望も亦単純である。唯情慾と、一と通りの衣食慾さえ充たさるれば、それで済んで行く。然しそれでは 野獣の慾望と変りがない。従って 野獣の生活と変りがない。故に又野蛮の状態を脱することが出来ない。文明人には慾望が盛んである、故に又満足がない、満足がないから、奮発が起る、活動が起る、そこで進歩が起るのである。慾望は無限大である、故に進歩も亦無限大になる。進歩が無限大である、故に慾望も亦無限大になる。斯くて文明の進歩と慾望の増進とは、互に因果の関係をなすものである。そしてそれが又 小にしては人生の幸福、大にして国家の発展を致す所以でもある。

 我が国に於ては、古より消極主義なる仏教の伝来と、制慾主義なる儒教の感化とにより、寡慾を以て唯一の美徳となす思想が、深く人心を支配して、今尚衰えぬ。老荘の教を奉ずる漢学者流や、学究先生の間には、極端なる簡易生活論が行われて居る。
 成程、是等の人々の眼から見れば、虚栄に憬がるる人の世の人心では、仮令い千百の努力を以てしても、到底理想の社会を見ることが出来ないと思うであろう、慾望の増長を抑え、栄華の巷を蔑視し、常に華美の念を去り、万事質素を旨とし、成る可く簡易なる生活を営み、成る可く高尚なる思想を懐くことが、人間最大の道徳で、又人生最高の標的たる可しと思わるるであろう。
 
Plain living and high thinkingということは、西洋でも随分早くから言って居ることである 殊に今日のように、人心の帰趣する所、一に全く物質的方面のみなる時勢には、此の如く人生の慰安を物上に求めずして心上に求む可しと説く 此の種の議論は、確に現代の思想に対する有益なる清涼剤たるに相違ない。それ故に 私は決して此の種の説を否定せぬどころか、大に歓迎するのである。
 然しながら、物的満足を伴わざる心的満足は、果して永久に 且 一般に存立し得るものであろうか、又仮りにそれが 永久に且 一般に存立し得たからとて、それが誠に人生の幸福を得る所以であろうか、抑も又文明の進歩を起す基であろうか、私は之れを頗る疑問だと思う。
 成程、世が変り、従て人の心が変ったならば、理想を高しとし、現実を卑しとし、理想と現実とを別々に考え得る時代も来るであろう、社会も生ずるであろうが、今の社会組織では、斯様な空虚な議論に、現実の裏に生存する人々の煩悶を解くだけの権威があるであろうか。私は之を大に疑問だと思う。

  

(四十七) 生活費の研究 (二十三) 奢侈論の批評津村秀松

 西洋にも日本にも、昔も今も、社会の一部には、盛に簡易生活論を唱うるものがあって、思想は成る可く高尚にす可く、生活は成る可く簡易にす可し、それが人間最大の道徳であり、又それが人生最高の標的でもあると論ずるのであるが、若し我々が常に此の種の道徳を守り、始終簡易生活に甘んぜざる可からざるものとすれば、我々は永久に我々の生活程度を上昇せしむるの期がない、富者も貧者と等しき生計を守らねばならぬ、文明人も野蛮人と同じ生活を営まねばならぬ。
 今若し 此の論歩を押し進めて行くと、人間は寧ろ去て原始の状態に復帰し、木の葉を纏い、木の実を喰い、常に出でて首陽山下に蕨を採るが如き仙人生活を学ばねばならぬことになる。事茲に至っては慾望なく、慾望なければ活動なく、活動なければ進歩なく、進歩なければ幸福なく、社会の進運長えに絶えて、万事沈滞不振の世の中と化する外ない。
 若しも我々にして、常に此の種の標的に追従し、徹頭徹尾、簡易生活に甘んぜざる可からざるものとすれば、我々は一切の音楽を放擲せねばならぬ、我々は一切の絵画を無視せねばならぬ、我々は一切の鉄道汽船を排斥せねばならぬ、我々は一切の電気瓦斯を擯斥せねばならぬ。之を要するに、我々は一切の芸術、一切の文明を否定せねばならぬことになる。
 斯くて一切の利器を捨て、一切の趣味を脱し、一切極端なる簡易生活に就かんには、社会は茲に沈滞して、誠に無味乾燥なる世の中と化するに至るのである。之が人生の幸福であろうか、抑も又之が人生の目的であろうか、疑わざるを得ないというのは、茲のことである。

 勿論、今日は漢学先生にしても、学究先生にしても、斯様な極端なる説を主張するのでない。又昔の佐田介石のように、ランプ亡国論を唱うるのでもなければ、故谷将軍のように、今の百姓が伊勢詣をなすのを見るに、草鞋を穿いて歩かないで、皆々汽車に乗って行くのは贅沢千万な次第と言った風な頑迷な奢侈排斥論を説くものでもない。
 殊に現時の 生活難を以て奢侈の風潮に帰する論者の意見の如きは、必ずしも上流社会にまでも簡易生活を勧むるのでなくて、中流以下の社会が、上流社会の真似をして、兔角身分不相応なる慾望を懐き、身分不相応なる消費をなし、若くはなさんとするのを戒むるのである。

 事新しく説くまでもないが、元来身分に過ぎた消費は、即ち所得に過ぎたる消費である、所得に過ぎたる消費は、即ち財産を傷くるの消費である、而して財産を傷くるの消費は、即ち財産を尽すの消費である、借金を造り、借金を重ぬる消費である、遂に一身一家を亡ぼす消費なのである。
 されば 身分不相応なる消費、即ち奢侈の不可なることは、倫理道徳上より説明しないでも、経済上より十分に説明し得るのである、抽象的に其の不心得なることを説かなくとも、具象的に其の不都合なる所以を証明し得るのである。

 そこで問題が、結局 現今日本の中流以下の社会の慾望なり消費が、果して身分相応であるか、将又 不相応であるかという所に帰着する。
 不相応であるならば、それは即ち奢侈又は奢侈的慾望であるから、如何にしても戒飭せねばならぬ、何としても反省を求めねばならぬ、此儘では、如何に収入の増加を図っても、食物費なり、住宅費なりの節約法を考えても、それは結局何の役にも立たぬ、生活難は何時までも続くことになる。
 若し又 之に反して、相応なる慾望であり、相当なる消費であるならば、それは何んとしても之を充し得るように、又之を続け得るようしてやらねばならぬ。
 さもないと、それは仁政じゃない、善政じゃない、否な、全く政治じゃなくなるからである。如何に学者や識者が叱り飛ばしても「我れにパンを与えよ」の一言には敵することが出来ぬ。人はパンのみにて生活するものでないが、又パンなくては生活できぬものであるからである。

  

(四十八) 生活費の研究 (二十四) 生活費と文化費津村秀松

 然らば現今我が国の中流以下の社会が 果して身分相応の慾望を懐き、身分相応の消費をなして居るものかどうかというに、其の判断は 余程困難である。之を判断するに就て、周密なる注意を要する。
 之れは蓋し 身分あるものは、仮令 下等社会にしても、国により、時代により、それそれ違う、又違ってくる、決して絶対に定るものでなく、相対に定るものであるからである。誰しも麦酒を飲まぬ時代に、麦酒を飲み始めた者があったならば、人は之を奢侈と思う。米の産出の少い地方では、米を食うことさえが贅沢になる。
 嘗てグラッドストーンが、「我々が日常消費する茶でも砂糖でも、其他如何なる物でも、之を金持しか消費すること出来ない贅沢品と化することが出来る。それは唯之に重税を課すればそれでよいのである」と言ったことがある。新聞紙でも一箇月分1円にもなれば、之を読む労働者は贅沢だということになるかも知れぬ。水道の水でも、高い税金をかくれば、水を飲むことが奢侈になる。米も、麦も、塩も、醤油も、何もかも今日のように高くなっては、細民が之を食い、之を嘗めることが奢侈だと評せらるるかも知れぬ。

 現に今日の米高を論ずる人の説に、近来日本人が一般に贅沢になってきて、是まで麦を食って居った田舎者が米を食うようになり、今まで南京米で我慢して居った労働者が、日本米でなくては承知せなくなってきたものだから、日本人口の増殖以上に、日本人の日本米消費量が進んだことが、米価の騰貴を促すに至ったのであると断定して、米を廃して麦を食え、麦を止めて芋を常食にしろなどと切に勧告して居る。
 成程、此の理法で行けるものならば、昨今の米高も麦高も別に苦にするに足らぬ、それは容易に解決を附け得るのである。然し 此の論調で行けば、芋も喰手が多くなり高くなれば豆を食え、豆も高くなれば稗を食えという議論になるが、一体、之では世が文明開化に進んで行くのであろうか、人間生活の向上発展であると評されようか、国民の平均生活程度が上昇するものだと許せるであろうか。
 一升の米が30銭近くまで進んだり、一升の酒が8~90銭もするようになれば、米を食い、酒を飲むことは、確に多数の日本人にとって奢侈になる、贅沢でもあろうが、それはグラッドストーンの言った通り、高い税金を、米にも、酒にも、塩にも、醤油にも、煙草にも、砂糖にも、反物に至るまでも、一切の日用品に課して置いて、そしてこんな高い物を消費しようとするのが、抑も不心得千万だと叱り飛ばされては、国民たるもの、甚だ迷惑千万な話である。
 生を此世に享けたからには、誰しも好む酒も飲みたい、砂糖も嘗めたい、せめては米だけでも腹一杯に食べたいと思うのは、仮令細民として身分不相応な慾望であっても、人間としては人間相当の慾望なのである、是れまで奢侈品であったものも、今は日用品となり、今まで社会の一部しか消費出来なかったものも、今は誰しも消費し得るようになるのが、文明であり、開化である。又斯様になし、左様にするのが、仁政であり、善政ではあるまいか。

 西洋の社会学者は 常に労働者の家計に注意して、絶えず其の内訳たる生存費と文化費―教育費とか衛生費とか娯楽費のような―との振合を監視して居る。
 そして 文化費の割合がだんだん増加するのを以て、社会文化の瑞徴しとして喜んで居る。最近の独逸では、これが全国平均8割4分5厘と1割5分5厘の振合にまで進んで居る。
 勿論、物価によって、所々で1割位の差がある。
 然し独逸の労働者の家計が追々裕かになって、漸く人らしい生活をなし得るに至ったことは、これに依っても明かである。
 英吉利のロイド、ジョージが、昨今 切りに独逸の社会政策に注目して、漸次之は倣わんとするに至ったのも、実は此の好成績を見たからである。独り労働者のみでない。一般下民の生活費中に、生存費以外に、文化費なるものが生じ、それがだんだん増加して行くに従って、人心が穏かになり、社会が安泰になるのである。之が反対に行くに従って、人心が荒くなり、社会が不安になるのである、
 老人の眼から見れば、余計なことで、又事によったら贅沢に見ゆるかも知れぬが、今の若い労働者が、新聞も読み得る、芝居も見得る、毎日一回位は肉を食い得る、毎朝一合位な牛乳を飲み得るようにならないでは、決して安心の出来た社会状態じゃない。又それでないと日本の労働者の労働功程なるものも進まないのである。

 且つ夫れ人は 一度に双脚を出すことが出来ぬ。双脚の揃うたときは、即ち体歩の時である。然らずんば 必ず一脚ずつ歩を転ずるの外ない。左脚を前進せしむるのは、軈て 右脚を前進せしむる所以である。慾望増進、従って 生ずる身分の上昇も亦 斯くの如くである。慾望が進む、消費が嵩む、そこで身分不対応となるのであるが、之あるが故に、相応たらんとする今一段の努力奮闘が加わるのである。そしてそれが原因となり、結果となって、順次、身分の向上発展を致すのである。

 

(四十九) 生活費の研究 (二十五) 慾望増進の結果津村秀松

 そこで又 問題が一歩を進める。社会の進歩、人生の心境は、確に不相応の三字に由来する。不相応が相応に達する発程である。不釣合だから釣合を求むる動機になり、刺戟になるのである。
 然し其の不釣合も甚だしきときは、到底釣合をとることが出来ない、双脚を一度に出すことが出来ないから、先ず右脚を出すのが前進の順序であるが、其の出し方が余りに大きいと、左脚を出す場合に、体の平均を失して遂に顛倒する。慾望の増進も亦斯くの如くで、其の之あるを必要とするが、それが突飛的増長ではいけない、秩序的発達でなければならぬということになる。

 下等社会の人々でも、既に人間である以上は、慾望の発達を期せねばならぬ。又之ある所に、其の社会の向上的精神発作の徴候を見るのである。されば之を全然窒息せしめようという企は不可能でもあるし、又不良である。国家は寧ろ其の之あることを期待せなばならぬ。
 従って又 之に伴う消費の増進あることをも覚悟せねばならぬ。志は大なるを要し、行いは小なるを要すという先哲の訓言もあるが、人が皆聖人君子でない以上、之を以て今の世の人心殊に下等社会の人心を支配することが出来ぬ。それは今の社会問題を解釈するには、余りに飛び離れて居る。
 結局、下等社会の人々をして、慾望の秩序的発達により、絶えず其の向上心を刺戟せしめ、之が充足の機会を多からしめ、以て彼等を失望せしめず、彼等を奮励することが、社会問題解決の第一義であると思う。浪費は宜しくない、徒費は飽迄排斥せねばならぬが、多費たりとも、それが其の人の労働力を加え、労働心を強むる基となるものであるならば、之を継続し得るの機会を多からしむことが生活問題を正当に解決する仕方だと思う。

 現代の生活難の内には、過古の生活程度を守るにも尚困難であるという生活難の外に、又文明の進歩に伴う慾望増進の結果、新に求むる生活に対し困難を感ずる生活難もあるであろう。そしてそれは老人や若くても老人のような頭の人から見ると、贅沢だ、贅沢な要求だと思われるのであろう。又それが今の所謂二宮宗や報徳宗に反する次第でもあろうが、個人の生存の意義を全然没却せしめない以上は、文明の進歩と与に、新なる生活を望み、進んだ生存を求むることは当然の結果であって、それが軈て文明の進歩を齎す基になるのである。幾分の吟味を要するが、大体に於て、現代的要求は即ち文明的要求であるという理を悟らねば、到底与に人生問題を談ずるに足らないのである。

 加之、今の中流以下の社会の生活難は、悉く其の慾望の増長、従って生ずる奢侈の流行から来て居ると断ぜられない。煩悶の一半は奢侈が身を攻むる結果であると言えようが、又他の一半は単純なる衣食住の慾望さえ満足に充たされないところから来て居るのである。
 身分不相応なる生活が招いて居る贅沢な生活難もあるであろうが、又身分相応なる生活さえ出来ない真の生活難も少くないのである。月給二十五円の収入にさえ、所得税を課する我国では、誰でも其の之れあるを否定することが出来ぬであろう。

 近頃聞いた話であるが、英吉利の倫敦では、毎年クリスマス時分になると、上流社会の貴婦人が連れ立って、東部の貧民窟を訪問する。そして衣服を恵まないまでも、衣服を縫ってやる、シャツを洗濯してやる、靴下の綻びを直してやるといった風な家庭の手伝いをセッセッとして廻るようであるが、或る時、例の如く貴婦人の一行が貧民窟を見舞って、或る貧民に、お前さん釦が脱れて居るならば、釦を附けて上げましょうと言ったところ、其の貧民が、此処に洋服の脱れた釦がありますから、此の釦に洋服を附けて下さいと言ったそうである。今の日本の下層にも、洋服に釦を附けて貰う位では追附かない釦に洋服を附て貰いたい連中が沢山あると思う。

 斯様な訳であるから、仮令い 今の日本の中等以下に生活難が、奢侈贅沢に基くところ少からざるにせよ、之を戒めるだけでは、生活問題の解決が附かぬ。奢侈を戒むるというならば、それは中流以下よりも、中流以上に於て、ヨリ必要である。
 貧乏人が身分不相応な贅沢な真似をしては宜しくないならば、貧乏国が少からぬ借金までして、英吉利や亜米利加のような金持の真似をするのも宜しくない 軍人形や、軍道具を身分不相応に多くするのも、考え物である。親が時分で贅沢な真似をしながら、子供の贅沢を叱っても一向功がないが、親が贅沢な真似をする為に、子供の給養を怠るに至っては、丸でお話にならぬ。

 今日の日本の生活難なるものは、種々の方面から来て居る。
 兔角国民に虚栄心が強くて、贅沢の盛なのも一つの原因であろう、労働者に貯蓄心が薄くて、兔角休み勝なのも、一つの原因であろう、国が貧乏で金利が高くて、真面目な事業が起らぬのも一つの原因であろう。其の外、米価や、家賃等、個々の物価の騰貴に就ては、又個々特別の原因があるであろう。
 然し一般に就ていうと、何時とはなく、日本の政治が、国政を重んじ、民政を軽んずるに至った為。日本の財政が、日本の経済を圧迫するに至ったことが、最も大なる原因をなして居る。
 官業の膨脹ということも、関税の増徴ということも、国債の激増ということも、租税の苛重ということも、紙幣の増発ということも、物価の騰貴ということも、何もかも皆之から来て居るのであって、それが又廻り廻って、一般の生活の困難を引き起すに至ったのであると思う。之の故に、何より先き政府の施政の方針から改まらないではとても今の生活問題を解決することが出来ぬ。

  

(五十) 生活費の研究 (二十六) 反省の時代津村秀松

 勿論、政府当局者に於ても、此の点に気が附かぬのでない。改め得るだけは改めて居るのでもあろうし、又救う可きだけは救うて居るでのもあろう。
 彼の済生会の如きも、民政を思う一つの大なる表徴と見ることが出来る。誠に結構な企であり、誠に有難き仕合であるが、然し十分のことを言えば、之は色々の社会政策を講じて然る後組織しても決して遅くはない、寧ろ其の時に至って初めて必要になるものではあるまいかとは思わるる。
 今の日本では、貧民が病気に罹って後治療して貰うよりも、病気に罹らぬようにして貰う方が必要である。病気に罹らぬようにして貰うよりも、生活して行けるようにして貰う方が更に切要である。
 今のような家屋の状態で、又今のような工場の有様で、そして折角制定した工場法も今に実施しない日本では、労働者が病気に犯され易い、負傷したり、災害に罹り易いのは、当然のことである。一升の米が30銭近くもしたり、それに連れて諸色皆高値で、豚小屋のような家賃でも、収入の3割にも上る日本の細民は、不時の病どころじゃない、四百四病の内でも最も恐ろしい貧という病に絶えず襲われて居るのである。

 凡そ世界に国を建つる以上は、民は固り国を以て主とせなければならないが、是と同時に、国も亦民を以て本とすべきを忘れてはならぬ。然るに従来日本の政治は、兔角国家本位に傾いた政治で、国民本位の政治でない。それも先ず以て国家の統一を図らねばならぬという明治維新の際や、差し当り国家の大敵を圧服せしめねばならぬという日清日露の戦争の場合には、国政が第一で、民政を顧みる暇なきは尤もの次第で、又そうなくてはならぬのであるが、斯様な国家非常の場合に於ける施政の方針が、平時に至っても、其の儘継承せざるに至ったことは、丁度、彼の非常特別税が戦後に至って其の儘ソックリ永久税に引き直されたような観がある。之あるが為に、兔角、日本の財政が主となり、日本の経済が従となり、財政上の必要の為に経済上の利害を無視さるる傾きあるに至ったのである。又之あるが故に、国家の歳計は収支適合しても、国民の家計が収支適合しなくなったのである。ソレが激しくなると、兵に銃剱あっても、民に菜色あるに至るのである。

 斯様な次第であるから、今日日本の先決問題は、日本の財政、日本の経済、殊に日本の社会の現状に三省して、此の上尚国権の拡張に憧がる可きか、抑も又国民の幸福に就く可きかにある。
 今はこの二大方針の内、其の一つを選ぶ可き秋であると思う。
 成程、国権の拡張は軈て国民の幸福を増進する基となるであろうが、それまでには少からぬ歳月を要する、それには高価なる代価を払わねばならぬ。日本現下の財政、経済、殊に社会生活の状態が、果してこの永の歳月に、この高い代価を支払うに堪うるであろうか。
 国権の拡張が、国民の幸福を増進する基になると同時に、民福の増進が又国権の拡張を促進する基にもなるのである。孰れを主とし、孰れを先きにす可きかが今日日本国民の静思熟考す可き大なる問題である。今の時は即ち反省す可きの時代で、決して盲進す可きの時代でない。

 人若し日本の経済及び財政を如何にす可きかと問うたならば、私はそれは積極主義でもない、又消極主義でもない、唯この反省あるのみと答うるのである。
 唯この国家的反省、唯この国家的自覚、これさえ起ったならば、日本の経済は健全なる自然の発達を遂げ得る、
 従って其上に築かる可き日本の財政も自ら堅実なるものとなり得る、そして又それが 日本の社会の安泰を致す所以にもなり得る。於是乎、初めて日本現時の生活難家計難を解決し得るの基礎が開かるるのである。
 と同時に、若しもこの反省がなく、この自覚がなければ、幾度び制度調査会を開こうが、如何に税制の整理を行おうが、国民の負担に帰する所は大同小異である。又其の之ある以上は、如何程熱心に社会政策を講じても、幾多の救民済生の策は、畢竟するに、焼石に水で、大した功果がない 従って日本国民の生活難は、相変らず、引き続いて行く外ないと思う。
(生活費の研究完結)

  

(五十一) 生活費の比較 () 生活状態の向上植村俊平

 余は本問題に就き 特に研究したる者に非ず 又 手許に何等参考書等なく 単に平素所感の一端を陳述するに過ぎず 読者幸いに之れを諒とせられよ

 欧洲近代の 所謂 文明は 其の外観頗る美麗にして 欧洲人 自ら之を誇り、邦人の如き 夙に眩惑して 詳に其の内容を研究するの遑なく、直に之を模範として 何事も之に倣い 孜々として及ばざるを恐るる有様なり、此傾向は 維新後早く全国上下に発生して 一世を風靡しつつありし、爾来 識者の警告を待ちて 幾分か之を矯正し得たるが如しと雖も 未だ風潮の十分に制し得たりとは謂う可からず、特に 近年に至りて 研究を要するの愈切なるを覚ゆるなり、勿論 欧洲崇拝の弊は 万般の事物に関するものにして 独り衣食住の生活状態のみに限らざれども 今日 生活難の問題に逢着して 特に其の弊を感ずるの痛切なるを知るべきなり。

 元来 欧洲人自らも 文明の進歩とは 生活状態の向上を以て其の一大要件なりと信じたるが如し、而して 生活状態の向上とは 主として慾望の増進、換言すれば衣食住の贅沢を指したり、固り贅沢其の物を 直に生活の向上とは思わざりしならんも 文明進歩とは 生活状態の贅沢と離る可からざるものと信じ、結局贅沢を奨励し、之を誇示するの実況を呈したり、
 随って開化の程度低き国民は 欧洲文明の域に到達するには 先ず其の衣食住を改めて 欧洲人に近かしむるを以て急務と信じ 頗る之を苦心したり、今日の所謂「ハイカラ」党なる者は 全く此の点に於て最も急先鋒を為す輩を指示する名称とはなりたるなり、然れども 欧洲人自らも今日にては其の自家の所謂文明なる物の価値を疑い居るものにして 多くの点に於て文明の根基を異にせる他国人が 徒らに皮想の外観に眩感して軽率に之を模倣するは 頗る愚挙にして又危険なりと謂うべし。

 更に一歩を進めて 考うるに欧洲人の生活状態は 其の実際に於て 日本人が多く想像する程に贅沢なるものに非ずと信ず、
 近き例を挙げて云わば、西洋料理と云えば 幾多の珍味を列ね 美酒佳肴を備えざる可からざるものと思い 随って 西洋人は 平素常に此の程度の食事を朝夕に供し居る次第なりと思う者少からず、
 勿論 特に人を招くか又は特に祝意を表する場合等に於て 費用を惜まずして 鄭重なる料理を要するときは 邦人の驚愕すべき設備をなし 又 之に巨費を投ずることを厭わずと雖も 西洋人の食事は常に豪奢を極むるものに非ず 寧ろ 今日 日本中流程度の食費を標準として考うるときは 余は 寧ろ西洋人の平素の食事は 質素なりと断定し得べしと思う者なり、
 或は 西洋人は 牛羊の肉を多量に食し 酒類に贅を尽すと思う者あるべしと雖も、彼の牛羊は 我れの魚介なり、彼の葡萄酒は 我れの清酒なり、唯古来の習慣異りて 飲食品の材料を同じうせざるのみ、
 我が邦に於て 彼の材料を求むるを以て 高価なり 随って贅沢なるが如し、衣服と雖も 亦同様にして 彼の絨類は我の綿布なり 彼若し我が絹布を使用するときは 甚だ高価にして 恰も 我が邦にて舶来の絨類を着用する場合に比すべきなり、加之 西洋人の習慣は 衣食住に軽便なり 食は割烹の方法軽易にして 衣は概して耐久力強し 故に 日本人の衣食に比して 著るしく廉価なるものとす。

 如此 観察し来るときは 西洋人が 各自郷国に於て生計を立つる程度は 日本人の想像するが如くに贅沢ならず、其の費用も亦 随って意外に低廉なりと謂わざる可からず、
 然るに 其西洋人は 自ら顧みて 生計費の現状は適度なるやを疑いつつあり、又 文明の進歩は 生活状態の向上に在りと速断するの不可なることを気附きて 議論百出せるものの如し、
 我が邦人が 半世紀以前の欧洲人の単純なりし議論を 今尚盲信固守して 欧洲文明の外観に心酔し居る者多きは 頗る怪訝に堪えざる次第なり。
 次に生活状態の向上とは 高価なる食品に飽き 遠国に産出する衣服を纏い 壮大なる高屋に居るの意に非ずして、身体精神の健全を保持するに 最も有益なる方法に依るに在ることは 何人も否定せざる所なり
 従来 欧洲人の習慣は 決して此の標準に一致せず 故に 社会の習俗変遷して 幾多の新規流行を生じ、科学工芸の進歩に因り 千種万様の工夫を凝らし 日常の需要品に時時刻々の変化を起して 生活状態の変動は極まりなしと雖も、必ずしも 真正の意味に於て 之を向上と称すべきやは 頗る疑わしきなり、
 例令ば 最近の交通器具として盛に彼地に流行する自動車の如きも 科学工芸の精華を適用し賞揚すべき点少からざるべしと雖も 方外なる高速力を用い 人類の行動に適応するものなりや 甚だ疑問なりと信ず、即ち 自動車を広く採用することは 社会の向上なりや 欧洲に於て疑問なりとせば 我が邦に於ては 更に大なる疑問たるは勿論なり、
 又 欧洲の文明は 都会に過多の人口を集中し 地方の住民を過少ならしめたり、其の結果は 幾多堪う可からざる悪弊を胚胎し来りて 為に 文明其の物の存続を憂うる者さえ生ずるに至れるなり、
 米国の如き新進の社会に於ても 亦 数百万の人口を有する大都市の将来は 頗る憂うべきものあるが如し、其の住民の生活状態は 決して安固なりと謂う可からず、之を要するに 欧米先進国と称する社会に於て 生活状態の向上は 決して理想的に其の進路を取るものにあらず、識者は寧ろ 其の現状に対して深憂を抱き居るものと知るべし、
 果して然れば 我邦に於て 漫然欧米諸国の跡を追いて 社会の変化を指導せんとするが如きは 頗る危険なり、必ずや我が邦固有の国民性を基礎となし 真正の意味に於て 生活状態の向上を庶幾すべきなり、
 況や 欧米の現状を誤解し 正鵠を失したる標準を起着点と思い 汲々として及ばざるを恐るるが如きは 沙汰の限りと謂わざる可からず、勿論 生活状態の変遷の如きは 一の風潮にして二三人士の力を以て如何とも為すべきものに非ずと雖も 世の先覚者は 妄りに欧米の外観に迷わずして 卓越せる見地よりして 我が社会を指導するの覚悟あらんことを望みて已まざるなり。

  

(五十二) 生活費の比較 () 日本人の資力植村俊平

 一国の資力を計算するは至難の業にして 精確なる数字を得ることは望む可からずと雖も、試みに日本人の資力を平均して考うるときは 欧米人に比して著るしく薄弱なることは 何人も想到する所なるべしと信ず
 日本人の工業は 近年大に発達したるが如しと雖も、全国人口の職業を全体より達観するときは 今尚純然たる農業国民と謂わざる可からず、故に 其の資力増進の速度は甚だ遅々たるを免れず、而して人衆く地狭く 生産力は久しく消耗して 人工的補充を要すること切なり、故に資力増進の急速ならんことは得て望む可からず、
 公私の事務に従事する者の収入も 亦随って 頗る少額なるべきは 自然の結果なるが、加うるに 我が邦社会の中堅たりし士族は 古来貨殖の道を軽蔑し 寧ろ之を恥としたる者さえ少からざりしを以て 維新後に至るも 此の風は未だ十分に矯正せられず、今日に於てすら 此の風習を以て 我が国民の一種長所なりと唱道する者ある位にして 将来に於ても 容易に旧慣を改むることは望む可からず、是亦 我が邦人個々の資力は之を増進するの頗る困難なる所以なりとす。

 然るに 如此薄弱なる資力を以て 維持支出せざる可からざる生活費の状態は、年々歳々増加するの傾向甚だ顕著なり、随って生活難を感ずるの痛切なるべきは 当然の結果と謂わざる可からず、
 我邦現下の風潮は 欧米の習俗を標準として 衣食住の改善を謀るに在るを以て 其の生計費は甚だ過大なるを免れず、勿論 直接に欧米の習慣に一致せんとするものに非ず 又 此の標準を以て実行する者は 邦人中一部分に過ぎずと雖も、中流以上の慾望は常に欧米人と肩を並べんとするに在りて、彼の流行は 直に我に採用するの意気込なるを以て 往々にして感服す可からざる現象を見ることあるは 怪むに足らざるなり、而して中流以上の風習は 徐々に下層に伝播して 終に世間全体の風潮を起すものと覚悟せざる可からず。

 前にも陳べし如く 欧米の富力を以てするも 尚且 近時の生活状態は 贅沢に失することなきかを憂うる者あるに、資力に甚だしき懸隔ありて 到底彼国人に比較すべくもあらざる我が邦人が 衣食住の状態に於て 多く彼に倣わんとするは 大なる過と謂わざるべからず、
 謂うに 開国の当初より 彼我国力の懸隔して 動もすれば彼の陵辱を受くることを感じ、速かに彼と相並馳するに至らんことを冀うの切なるより、日常の生活状態の末まで 彼に倣い 彼我相去る遠からざるに至りで 能く彼の尊敬を受くるべきものと信じて、極端なる欧化説さえ 唱道する者を出すに至りたり、
 此の傾向は 識者の警戒を得て 大に緩和したりと雖も 彼の強大を致せし原因の神髄を考えずして 日常生活の外観を捕えて 其の富強の原因なりと思い 之を尊崇するに至りたるは 大に惜むべきなり、此の傾向の得失当否は 仮に討論の余地ありとするも 之より個人の経済的方面に 重大なる影響を生じ 為に 邦人の生活難に一大素因を加うるに至りては 決して看過す可からざるなり。

 前記の如く 欧米の習俗を愛好するの結果として 邦人の日常需要品中に 幾多舶来品又は舶来模造品の名を以て称せらるる物を見るに至りしが、舶来品とは 時には上等品の意義にも通じて 特に之を好み之を賞賛するの風を為せり、而して 近年に至り保護関税の負担を蒙りて 真実なる輸入品は 価格俄に増加し 又 舶来品の模造品は 往々粗製にして耐久力を欠き 為に 使用上頗る不廉なることとなりて 或は 輸入品を使用するよりも 更に不経済なるを発見することあるべし
 今日も 尚 地方人士の間に 往々目撃する如く 腐敗混濁せる麦酒を 顔を顰めて飲み 以て文明を装い 毫も 飲酒の快味を感ぜざるも 単に世間の風潮に従うを以て満足するの滑稽談は 決して珍らしきにあらず、又 都会の紳士にても 時々怪敷「ウースター、ソース」の模造品を命じて 洋食通の面目と考え 却て 優良なる醤油の美味なることを首肯せざるが如きは 皆以て 時代の傾向を察すべきなり、其の他 舶来品若くは其の模造品の 真に便利なるを思うにあらず 又 快味を感ずるにあらずして 唯欧米の習俗に近きが故に 之を採用するに過ぎざるもの少からず、其の愚や 実に憐むべきなり、個人の好悪に関する問題たるに過ぎざらんには 敢て咎むるを要せずと雖も 為に 些少にても 生活費を増加するの一因たる以上は 識者の考究を要するものと謂うべし。

 如斯 我が邦の現状は 個人の資力は 其増進遅々たるに拘らず 欧米に行わるる新規の流行を追わんとする模倣心は 資力に不相当なる生活費を要するの結果を生じ 大に憂うべき現象として 識者の警戒を要するものと信ず。

  

(五十三) 生活費の比較 () 日本人の贅沢植村俊平

 個人の生活状態を批評して 或は 贅沢と謂い 或は 質素と謂うも 皆比較上の話にて、富有なる人の質素も 貧窮者には贅沢となり 中等社会の贅沢も 上流者の身分には質素とも謂わるるなる、
 畢竟 生活状態の贅沢なるや否やは 其の収入並に資力と対比して決定する外なし、余が日本人の生活状態を概論して 贅沢に失すというも 亦 其の収入及び資力に比較して爾か云うに外ならず。

 先ず現時の最も不経済なる状態は 一般に衣食住に和洋両風の併び行わるることなり、此の事は 一概に之を贅沢として非難し兼ねる事情もあるべけれど 上流の社会は 勿論 薄給の官吏又は学生等に至るまで 少くとも男子は概ね和洋両様の衣服を要す、随って 傘穿物に至るまで 等しく二種を備えざる可らず 斯くすれば便利にして愉楽も多かるべきが 其の費用の増加は実に甚だし、
 世界孰れの国又は孰れの時代と雖も 恐らくは 斯る類例なかるべし、特に 国民の資力一般に薄弱なる場合に於て 此の贅沢を敢てするには 甚だしき失計なりと謂わざる可からず、
 又 中流以上に至りては 衣服のみならず 食物住居まで和洋両様を具備するの習俗 次第に流行の勢いあり、如此は 収入の十分なる少数の人士に取りては 敢て堪難きに非ざるべしと雖も 大多数には甚だしき苦痛なり、世の生活難を謂うもの 主として中流以下を指せど 所謂 上流社会にも 決して其声なきにあらず、特に 官公吏の如き 一定の収入のみを目当てとして生計を立つる者の生活難は 上下を通じて軽重なきが如し、
 此の生活難は 自然に風紀の頽廃を産み、諸般悪風の酸酵素たるものと覚悟せざる可からず、甚だ恐るべきなり、今日 都会の地に於て 中流以上の生活を為す者の多数は 出でて活動するときは洋服を要し 家に居ては和服を用いて安坐し 又 外出するときも 場合に依れば和装して坐作進退の便利を思い 又 礼装にも和洋両様を要して 其の出費は実に意想外なりとす、更に家屋も一部は洋式となして 其の装飾にも舶来品を使用するもの多く、接客の室も亦二様を設備して 費用を二重に負担するを常とす、食物に就ても亦住居と略相似たるものありて、全然洋風の食卓を設備せざる者も 時に或は洋風を混じたる割烹を為し「ナイフ」「フォーク」以下の備品を要し 随って比較的高価なる輸入食料品を消費すること少からず 是れ実に日本人に限れる贅沢なり
 聞く「ビスマーク」公は 独逸人が仏国製の葡萄酒を愛用するの風習を憂い 大に自国製麦酒の飲用を奨励して 外国酒の輸入を防ぎたりと 当時独逸人は 決して富裕なる国民には非ざりしが 今日の日本人に比すれば 其の富力に於て優るものありしに相違なし、然るに 尚且 此の如き政策を執りて一般の生活費を減ぜしめたり、若し「ビスマーク」公をして今日日本人の生活状態を一見せしめたらんには 何と評したらんか 憂慮すべき次第ならずや。

 又上下を通じて 使用せる 所謂 文明の利器と称せらるる 郵便 電信 電話 鉄道の如きも 決して日本人には低廉なりと云う可からず、
 英国にては書状一通は一片にして約4銭なり、之れに対して我邦にては3銭を要す 彼我 資力の程度は 恐くは我は彼の十分の一にも足らざるべし 然るに郵税は僅かに四分の一を減するのみ 加うるに我邦にては 近時教育普及の結果として 小学中学の児童学生に至るまで 貧富を通じて 頻々書状及び端書を交換する風あり 都鄙共に之を奨励し、甚だしきに至りては 郵便官署も亦努めて之を勧誘し 児童も亦好んで 其の奨励に応ずる傾向あり、此の事たる 悪風にはあらざるも 亦生活費を増加するの一因たるは争う可からず、
 其の他 鉄道旅行の如きも 百方之を勧誘奨励し 上下貧富を通じて 旅行を好むに至れり、一方には利益ある事ながら 是亦 生活上の贅沢にして 其の費用は 比較的に欧米人の支出よりも多きは事実なるべし、
 又 新聞紙の如きも 我が邦近時の進歩を示せる一現象にして 其の勢力も意外に強大なるものあり 世人を指導するの利益も 頗る多く 且 多数新聞紙競争の結果 代価も可なり低廉なるが 之を欧米に比較するときは 前記の郵税と共に 日本人の資力に比べて 未だ欧米ほど低廉なるに至らず、要するに文明の利器と称する事物は 我邦に大に発達しつつありと雖も 其の代価は未だ十分低廉なりとは云い得ざるものの如し。

  

(五十四) 生活費の比較 () 国家の生活費植村俊平

 国家の生活費とは 適当の用語なるや否を知らざれど 今仮りに 此語を用いんとす 即ち 個人の生活費は 消極的なりとて 憂うるに足らず 寧ろ 消極的にして 却て健全なる良習慣を維持し 且 之を発揮し得るものなるべし
 現に 日露戦役に従事したる某軍司令官は 将卒の日常生活が 次第に贅沢になりて 困難欠乏に耐うる力は 同一の比例にて減退し 将来の戦争に於ては 日本の兵卒も 今回の戦役と同様なる勝利を得ること恐らくは 困難なるべしと云えり 此の評当れるや否は 姑く措くも 個人生活の贅沢は 種々の関係に於て不利にして 質素は却て利益あることは 茲に喋々を要せざるべし
 特に 目下日本人の状態は 贅沢と質素との比較得失を論ずるの余地なきが如し、乃ち 資力と収入との対比上 質素を方針となし 消極的習慣を奨励すべきは必至の勢にして 生活の贅沢を以て文明の進歩などと主張するは 現状に適応せざる空論と評するの外なかるべし、
 之に反して 国家の生活には 消極的方針を許さざること多かるべし、例令ば 国防問題の如き 苟くも国防の為には 平和の時にも兵備を要する以上は 其施設計画は 勉めて新式にして 世界の進運に後れざることを期せざる可からず 若し此の点に於て 列国との競争場裏に敗亡せば 一国の運命に関する由々しき結果を生ずることと覚悟せざる可からず 故に 兵備の程度緩急は別問題として 兵備を必要とする以上は 必ず最良の方法を標準として計画せざる可からず、又 教育に関する施設の如きも 等しく国家に於て経営する限りは 必ず積極的に最良の方式を目的として計画せざる可からず、其の他 交通機関の如き 司法制度の如き 皆然らざるはなし、要するに 国家の生活費は 主義としては 消極的なる可からず 寧ろ 進歩改良の気運に後れざるを期して 必要なる支出は 之れを惜まざるの方針ならざる可らざるなり。

 然りと雖も 国家の生活費にも 亦 必要なる支出と 然らざるものとあるは 個人の場合に於けると異なる所なかるべし、等しく国防費というも 兵備の目的に対して欠く可からざるものと 外観の美麗を期する虚飾とは 自から区別し得べし、徒に 兵営の建築に費用を惜まず 又は 兵士の服装を美ならしむるが如きは 純然たる虚飾なり、昔者 武士の精神とも称せられたる刀剱の如き 大切なる武器なりしと雖も 其の大切なるは 刀身に在りて外部の附属物には非ざりしなり、然るに 昌平の久しき武士は 其の刀身の腐蝕を顧みず 単に其の外観の美を求めたるが如きは 虚飾に流れたるの弊習なりき、兵備に関する費用は 国家の生活費として 其支出を躊躇す可かざるも 虚飾に属する費用は 断じて之を許す可からざるなり、
 余嘗て「グラズゴー」大学を過ぎ 有名なる物理学の大家「ケルビン」卿
(「サー、ウイリヤム、トムソン」の叙爵後の称)の実験室に案内せられたることある、余は 其の専門には門外漢なれども 外部を観察したる当時の感想は 今尚判然記憶に存する所にして 実に其の外観の質素なる点に驚きたりき、該実験室に於ける研究の結果は 幾多有益なる新発明となり 世界を驚かし世人を益したることは 枚挙に遑あらざるに 何等虚飾に属する設備を見ず 単に其の目的に対して 必要なる程度を越ゆることなきに敬服したるなり、
 謂うに 国家の必要費と称するもの、中之を節約して 毫も其の真正の目的に対して 遺憾なき部分は決して少額に非ざるべし。我が邦人 近頃に至りて 動もすれば 輒ち一等国の伍班に列せりと称して 事毎に欧米強国の外観に倣わざれば恥ずべきものと思えり、是れ大なる誤見なり 若し 我が資力能く足るものあれば 誤見ながらも 或は之を為すべしと雖も 国家の資力も 亦 個人の資力と同じく頗る薄弱にして 真に必要欠く可からざる支出すら 常に足らざるを憂うる場合なれば 虚飾外観に属する支出は 断じて許す可からざるなり、
 個人の尊敬を受くるは 其の衣服の美麗なるに因るにあらず 国家の威厳は 決して其の外観に依って維持すべきものにあらず、日本国にして 若し 今日の如く外観に対して力を入るること久しからんには 愈 列国の軽悔を受くるの日 至るべし 国家の資財は 必要費に対しても 常に不足勝なり 列国と対峙する必要上 既に過当なる費用を忍ばざる可からざる折柄なれば 虚飾外観に関する費用は 常に極端に節約するの覚悟なかる可からず 之を節約するは 国家の恥辱にあらずして 寧ろ名誉ならんのみ 而して 国家の費用を節約せば 個人の生活費も 亦 直接間接に節減し得ることとなるべきなり。

  

(完結) 生活費の比較 () 生活状態の改良植村俊平

 国民の生活状態は 其の気候風土及び国民性に因って定まるべきものにして 単に理論を以て決すべきものにあらず、又 贅沢を斥け質素を奨むるとは云え 今日の日本人をして 太古の状態に復せしめん事は 望んで行わるるものにあらず 要は 奢侈に慣れざるに先ちて 予じめ警戒するにあり、衣食住の贅沢を以て 文明の精華なりと誤信するの弊を悟らしむるに在り。

 日本人の生活状態は 今や過渡の時代にありて 其の思想の錯綜せるが如く 外形の風俗も亦然るなり、故に前にも陳べし如く 和洋両様の設備を要し 其の不経済は言語に絶す 之を今日の儘に放置す可からざるは勿論 之を如何にすべきかは 経世の一大問題なり、世の先覚者は 必ずや思いを茲に致さざる可からざるものと信ず、世間には 何事も楽観して 人間の慾望は 自然に増進するものなれば 広く世界を見渡して 其の好む所を採用するは 即ち社会の進歩する所以にして 之を贅沢と称して排斥するは野暮なりと論ずる人あり、是れは 頗る開けたる議論なるが如しと雖も 日本人の資力は 斯く迄に欲望を煽動して堪うるや否を 疑わざるを得ず、今日 生活難の声を聞きて 各方面に憂慮の色あるは 則ち現下の風潮の健全ならざるを証するものなるべし、是に於て 生活状態の改良に関する方針を研究するの要あるなり。

 吾人は 大体に於て 衣食住共に欧米の模倣主義を緩和するを以て 今日の急務なりと信ずるなり、今日に於て 最も苦々敷感ずるは 往々斯の如き場合に 欧米人は斯く為すが如し 故に 日本人も亦然らざる可からずとの論を聞くことなり、若し 斯く為すことが 我が資力に対して 不当ならずんば 強て咎むべきにあらずと雖も 資力不相当なる費用を負担しても 尚且 之を為さざる可からざるものと信ずるが如きは 大に省慮すべきものと信ず、其の弊や 遂に腐敗せる麦酒を飲み 毫も快味を感ぜずして 尚且 満足するが如き痴態を演じて怪しまざるに至る、我国は 一等国なれば 之れに相応する設備を要すとは 常に聞く所なるが これ瘠我慢を以て 外人に対し 辺幅を飾る見坊たらんことを期するに過ぎず、是れ決して 真に外人の尊敬を受くる所以にあらず、故に 生活状態の改良は 真に身体精神の保全に必要にして 真正の快楽を助くるに足るを 帰着点として研究せざる可からず、固より 各自の資力に応じて 之を決定せざる可からざるものなるが 前記の意味を以てする改良は 必ずしも多費を要せず、多費を要するは 辺幅を飾らんとするが為なり。

 試みに 時々の新聞紙により 邦人が公私の資格にて 外国人に接する模様を視るに 動もすれば日本特色の慣例に則り 誠意を以て外国人を歓迎するに非ずして 単に外国の振合を拙く真似して 却て外国人の好感は買うこと能わず 我には無用の失費を忍ばざる可からざる場合 多きを見るなり 要するに 似て非なる遣り方は 決して真の改良にあらざるなり。
 吾人の希望する生活状態の改良は 主として日本古来の慣習を基礎とし 真に其の弊風と認む可きものは 之を除き 衛生の趣旨に称い 快楽の増進を目的として取捨斟酌せざるべからず 斯くの如くせば 各自の資力に応じて 其の程度方法を発見し得べしと信ず 其の間に於て 欧米の風俗習慣の神髄を玩味して 其の学ぶべきものを学ぶは 固り非難すべきにあらず、彼我資力の程度に著るしき懸隔あるを思わずして 瘠我慢的の見真似を為すべからざるなり。

 申すも畏き事ながら 明治天皇の御盛徳を頌する外人等は 最も其の御倹徳に対して 感歎措かざるものあり 又 崩御の後に於て 御平生の極端に御質素なりしことを初めて覚りて 只管 恐縮して已まざる朝臣も少からずと聞けり、陛下の御倹徳が 実に御鴻業の基礎たりしを思わば 臣民たる者は 永く聖徳を体して 質素倹約を以て 処世の方針と定めざるべからず、斯の如くにして 初めて各自の幸福を進め 国家の富強を致し 以て 外人の尊敬をも受け 以て 一等国の国民たる真価を発揚し得べきは 吾人の敢て保証する所なり(完結)

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