1975年 国勢調査結果 調査区別集計表(5歳年齢)

 ここで紹介している資料の元は、大阪市公文書館から提供されたものです。


 上の表の内、右は1975年国勢調査結果として公表されているものですが、小学校区別集計となっています。左は、調査区別集計の調査区1番からの累計によって、右の表と照合したものですが、「弘治」までは合うのですが、それ以下では誤差が出ています。1970年では、少なくとも総数ではぴったり合ったのですが、1974年に町名変更があり、多少混乱があったのかも知れません。調査区地図で調べて整理すると合うのでしょうが、今回は手が回りませんでした。従って、「連合区分」はあくまでも参考区分です。
 上の表は、連合区分(参考区分)別に調査区の数字を整理したものです。萩之茶屋の調査区数が最も多く、簡易宿泊所・アパート単位の調査区も多数あるようです。

 ◎西成区全体の入力はできていません。とりあえず「萩之茶屋地区」について入力しました。エクセルファイル(1975hagi)をご覧下さい。

 ◎萩之茶屋地区以外でも極端に女性あるいは男性の少ない調査区についても入力してみました。エクセルファイル(1975imamiya)をご覧下さい。

以下は、調査区地図です(萩之茶屋周辺のみ)




 女性の割合が30%未満の調査区について、1970年との比較をしてみました。

 不景気のせいで人口が減っています。

 1970年と1975年を比較すると、40歳未満の占める割合が減少し、40歳以上の占める割合が大きくなっていることが分かります。

 妙なグラフですが、鶯色(?)が「1975年-1970年」で、単純に5年間で当該年齢層の増減を示しています。
 青色は、1970年から1975年までの移動量を示しています。1975年の「0~4」歳は、1970年には、生まれていなかった。1975年当時団塊の世代は「25~29」歳で、1970年当時は「20~24」歳だった。この年齢層は、5年間で88人増加した。
 「65歳以上」は、5年間で227人減少した。これは他地区への流出か死亡と考えられる。
 ということで、全体として、1,170人減少しているけれど、5歳刻みで移動を見ると、増加した年齢層もあるということが分かります。また、30歳以上は、減少ばかりのように見えますが、「0~4」歳、{10~14」歳は増加しています。この年齢が単独で移動することは、あまり考えることができません。成人と共に移動したはずですから、減少ばかりのように見える30歳以上についても、出入りが有り、5年間通して計算すると減少となったという、当たり前の結論になるようです。

 「今宮地区」にある大阪自彊館の数字をどう取り扱うか。結構な数字なので悩ましいところですが、今回の検討では、女性3割未満調査区なので含めて居ます。