四恩学園  かつて釜ヶ崎の地で社会事業を行っていた。

四恩学園の歩み
(社会福祉法人 四恩学園ホームページより http://www.shiongakuen.or.jp/i3.php
1915(大正4)年 9月宗教大学を出た大阪在住の若い僧侶たちが、社会事業の先駆けとなる「四恩報答会」を創設
1934(昭和9)年 組合方式(一新会消費組合?)から財団法人に改組。室戸台風救援事業及び、東北大飢饉救援事業に協力。
1935(昭和10 )年鉄筋3階建の新園舎完成。(西成区東入舟町) 
1947(昭和22 )年焼失した園舎を再建し、乳児院及び診療所を開設。 
1949 (昭和24年)天王寺逢阪下之町一心寺境内に養護施設を開設。
1961(昭和36 )年釜ヶ崎暴動。
1962 年西成労働福祉センター建築のため、 「釜ヶ崎」の全施設を大阪府に譲渡する。 
1963 住吉区苅田町に、乳児院・養護施設(分園)・診療所・ 育児相談所を開設。
四恩学園創業の精神
「四恩」とは   
父母の恩/社会の恩 /自然の恩/み仏の恩
願わくば感謝の心で、ふれあい、
ぬくもりのある幸せな社会をつくりましょう
四恩学園の信条
わたくしたちは/助け合って 勉強する /子どもに なりましょう
わたくしたちは/他人に 幸せを与える /子どもに なりましょう
わたくしたちは/たのしく 明るい社会を /つくりあげる /子どもに なりましょう
  四恩学園HPより
 「萩まちだより」から。撮影年代は1960年代前半の誤りと思われる。

『今宮町誌』に登場する四恩学園(「今宮町誌-1926(大正15)年9月5日発行 第12 社会的事業」より)

四恩学園
今宮町東入船698番地 四恩報答会の所在地 北区西寺町西福寺内
 人類社会が共同存立を必要とする上は、天地自然の惠(親の恩) 共同分業の利益(衆生恩) 国家現存の御蔭(国王の恩) 相互扶助の努め 即ち社会浄化(佛の恩)を期せねばならぬとして立った四恩報答会の事業は、大正4年御大典の慶事を邀(むか)ふる記念として、慈善鐵鉢と四恩報答主義宣伝に始まり、次に真田山陸軍墓地における弔魂祭を加え、更に大正8年今宮警察方面委員等の協力を求めて、今宮お伽教養会を増組し、爾来(じらい)その精神に共鳴する浄土宗10数ヶ寺の尽力〇〇加わり、今やその成績見るべきものが多い。而(しか)して四恩学園事業は之が冠たるものであろう。大正13年中の学園行事を摘記すれば左の如くである。
総務部
家庭訪問及び部落改善(職員12名)-大正103月より旧釜ヶ崎一円
毎日貯金(職員2名)-大正135月より現在貯金者140
時の鐘-大正103月より朝夕5時 付近一円
公徳宣伝(職員兼務)-印刷物頒布又は講演会開催
調査研究(職員兼務)-印刷物頒布又は講演会開催
教育部
不就学児童の教育(普通科)(職員兼務6名)-大正103月始む 現在81
不就学児童の教育(補習科)(職員兼務1名)-大正129月始む 現在9
裁縫科(職員兼務
2名)-大正1210月始む 現在19
生花科(職員
1名)-大正139月始む 現在14
社会部
児童貯金-大正1111月始む 現在65
人事及び法律相談(職員兼務)-大正
103月始む 現在104
職業紹介-大正
103月始む 大正13年中 求人14・求職9・就職8
帰農旅費給与及び現品給与-大正
103月始む 51
医療施薬(薬剤師1名)-大正103月始む 1,334
弔慰-大正103月始む 無料読経 790
代書-大正103月始む 大正13年中41
教化部
日曜学校子供会-大正103月始む 毎日曜日 会員143
敬老会-大正
103月始む 年1回 120
開運地蔵講施行-大正
103月始む 月1回 242
青年団-大正
103月始む 第13日曜日 現在団員32
労働慰安会-大正
1211月始む 月1回 現在会員470
女子青年会-大正
137月始む 毎月15日 現在会員29
児童倶楽部-大正
137月始む 毎日曜日昼 現在会員52
事業部
無料理髪-大正138月始む 毎月25日 40
図書出版-研究発表のため

音栄会-事業資金募集のため
附記
1、学園建物 木造瓦葺き平屋建50余坪 一棟
2、
敷地 289
なお、四恩礼拝堂20坪一棟、社会事業所2階建て延べ112坪、児童浴場4坪を計画中

▲大阪市釜ヶ崎地区図 「細民集団地区調査」(大正10年調査・内務省社会局)付属地図。今の太子1丁目付近も範囲内に入っています。「阪南郊外精図」(大正10年)には見えなかった今宮第3小学校、四恩学園が見えるほかに、南北に走る「開渠」(薄く色をつけました)が見えます。道路との交点に「橋」の印が見えます。

大阪毎日新聞に見る四恩学園

新聞記事文庫産業組合(6-044) 大阪毎日新聞 1931.5.20-1931.7.22(昭和6) データ作成:2006.3 神戸大学附属図書館
消費組合めぐり (144)
(29)
 不景気の深刻化、恐慌の尖鋭化の大嵐にうきまくられて、失業の絶壁からあるいは就職難の懸崖からルンペンの群に落ちて行く人々は、エンコのカンタロウ生活を続けた揚句、必ず人間最後の安住地帯たるスラム街へと落ちて行く。
 東京なら江東一帯、西新井、梅島、大阪では今宮、神戸は新川、最近ルンペン群の激増につれてこれらスラム街は世の不景気に引きかえての大繁昌、おすなおすなの賑かさだ。
 大阪今宮釜ヶ崎一帯はこれら人間生活の最下層圏内に蠢動する人々の本拠で、むせかえる悪臭の中に、諦観、絶望、憤怒、嫉視、愚痴、こうしたものが、食欲と性欲の飢餓の桎梏の紐にからまれて、肥壺のうじ虫のように湧き返っている。この暗闇の中に咲いた一輪の花、一新会消費組合を見る。
  一新会消費組合は浄土宗の教化運動、セッツルメント四恩学園の派生的事業の一つで、この日本随一の暗闇街に、成就衆生の理想をかかげて、浄仏国土の光明の世界を打建てようという崇高な社会運動であるが、その活動振を紹介する前に、この組合の組合員たるスラム地帯住居者の生活状態を一渡り見て置く必要がある。
 今宮方面委員、労働紹介所、警察署等の調べを総合して、この地一帯の世帯数および人口を精査した結果次の数字を得た。
カード階級      世帯    人口
第一 釜ヶ崎一帯    916    2,358
第二 鶴見橋一帯   1,071    4,888
失業救済登録者    3,400    11,900
木賃宿住まい     800     2,800
保護所               290
合計         6,189    23,196
(注:世帯・人口とも合計数があっていない。世帯で2、人口で960、合計の方が多い)
 右のうち失業救済登録者とカード階級および木賃宿住居者とは幾分重複した分もあるが、それは二割足らずであるから2万以上の人口を擁していることは確だ。
 内2千余人は拾いやまたはバタやと称する屑拾いで、芥箱に寄生して、その日を生きて行く人々である。一日の収入が約25銭から50銭までで、木賃宿の部屋代45銭を払えば後には米代が残るどころか、部屋代だけも稼げないものもざらにある。そこで彼等は「余禄」を稼ぐ。
 終日芥箱をひっくり返して集めた屑は、紙屑、ガラス屑、金物、女の髪という具合に分類して仕切屋の手に渡し、買って貰うのであるが、品物によってその仕切値が違っている。最も割のよいのは銅、真鍮、靴、メリンス等である。そこでなるだけこれらの高価品を拾い集めなければ、部屋代を払った上、飯にありつくわけにはゆかぬ。従って彼等は芥箱以外の場所から拾う。これを称して余禄という。即ち、台所からニュームの鍋、玄関先から靴、こうもり傘、物干台から古着、晴着、果ては電柱から電線、空屋の軒先から銅の雨樋、門柱から銅の標札を片端から拾って行く。世にいう「掻っ払い」である。不幸にして警察の臨検にあい拘引さるれば、賄附無料宿泊所で食わして貰える。幸に臨検にあわねば一杯飲めるという算段でバタやは非常な勢で増えて行く
 次は乞食と自由労働者と称する鮟鱇仲仕や土木工事の土運びで、おのおの500人前後を占め、自由労働者は一日収入平均120銭であるが、二日か三日おきでなければ仕事にありつけぬ。それもこのごろのように雨続きの日はまたアブレがちで、一週間もアブレが続けば飢の細紐が家族の首をしめつける。
 結局最も簡単なる飢餓逃避の人肉売買まで堕ちざるを得ぬ、札附の売春婦が200人、男娼70人と推算される。飢の前にはもう道徳も良心も貞操もない。女房に売春を強いて、亭主が見張に立っているなどはスラム地帯特有の珍風景である。
 こういう風な人々を相手に組合を発展させて行こうというのであるから一新会当事者の苦心も想像にあまりある(池松勝)
(30)
 人類愛に燃えた浄土宗の僧侶達と、一部篤志家によって「桎梏のスラムに愛の花園」を作り出す理想から大阪四恩報徳会が生れたのは大正4年の9月。その隣保施設がいよいよ具体化し、セツルメント四恩学園として瓦葺平屋建54坪の建築物を有し、不就学児童の特殊教育、人事相談、助葬相談など、具体的事業に着手したのが大正9年の1月であった。
 自来10年、学園の民衆教化事業は児童相談所、授産部の創設、日曜学校の設置、保育部新設、無料診療開始など、スラム街の暗黒の中に年ごとに明るさを加えて来たが、しかし、新しい教育を受け、殊に唯物思想を多分に植つけられている青年宗徒諸君はこうした恩恵的施設だけにはまだあきたらなかった。これらの若人達がまず一新会なる団体を組織した。そして彼等は隣人愛と相互扶助の原理による社会組織の可能性をこのスラム地帯で実証することが出来ると考えた。
 かくて消費組合の理想を仏教精神を基礎にして実現しようとの大念願のもとに、一新会消費組合は昭和4年の4月呱々の声を挙げたのだ。
 自主自営、相互扶助を根本原理とする消費組合ではあるが、生活苦のために良心の鏡さえ曇った人人―物質慾、権勢慾、名誉慾のために良心の麻痺した人々も社会の上層にざらにあるにはあるが―を相手に組合を組織しようというのであるから、他の組合同様の組織方法ではいかぬ。
 出資金の如きも、多くは一口10円乃至20円であるが、ここでは10円は大金である。一日1円と規定し、さらに特例を設け、木賃宿止宿者には半額の50銭、しかも月10銭分納とし組合員の負担能力を十分に考慮している。
 かくして創設当初130人の組合員を得たが、これを全部一口1円の全納者としても出資金合計で僅かに130円にしかならぬ。しかしこれでは如何に規模の小さい組合でも仕事は開始されぬ。そこで浄土宗務所から3,200円の寄附を仰いでこれを経営資金に当て、出資金は全部積立ることとした。
 経営はロッチデール式によって現金制度厳守である。が、実は現金制度ならざるを得ないのだ。
 林専務理事は笑いながら語る。「スラムの人達の大部分には衣食住中、衣と住とは殆ど問題ではありません。住は木賃宿の一間一日45銭で事足ります。衣は着のみ着のままでも生きてはゆける。食になると直接生命維持に関係するのですから一日も欠かす訳にはゆかぬ。貯蓄心などは勿論ない。金がはいればまず食う、次に飲む、この二つです。それに移動常なきルンペンが大部分ですから掛売制度にして無茶苦茶に借られた日には組合はすぐ破産です。
 この貸倒れの危険が多いだけにスラム地帯の小売値段は一般に高い。従って現金売にしても組合は品物が安いだけに歓迎されます」
 林君の語はなお続く。
「もう一つ厄介なのは価額の上らない割に、口の小さいことです。ここでは金銭建でないと量目建てでは商売は出来ません。たとえば10銭に米何合、醤油5銭がたといった具合です。組合では米は一升を最低単位としていますが、不服が多い。
 粥をすすって生きている人々に189銭も出さなければ米が買えぬというのは不合理に違いありませんがね」
 とさすが人道主義者の林君ここまで語ると暗然と考えこんだだ。
 し
かし地区委員(後で詳述す)の努力で段々に組合思想も普及され組合員も今日では283人に増加し、売上高も最初の1年は3千円に過ぎませんでしたが、2年目の今年は約2倍の6千円近くまで漕ぎつけました。しかし私は10年理想案を抱いています。従ってまだ準備期に過ぎません」(池松勝)
【写真は一新会組合の内部】
(31)
 居住者の移動常なきスラム地帯は在来の消費組合運動者からは組合発展の可能性なきものとして捨てて顧みられなかった荒蕪地帯である。賀川君が創設した神戸消費組合も新川のスラムに産声を挙げたが、結局主として山手の土で育てられた。
 物質的には購買力が甚だ薄弱なる上に、精神的にも無学蒙昧、生来の良心さえが、生活難の苦患に麻痺し、愛妻の肉をひさがせねばならぬような人々に、崇高な組合精神を説いたところで、蛙の面に注ぎかけた水程度の効果しか期待出来ぬ。
 一新会の林君の苦心も、この点にある。彼が10年理想を提唱するのも根拠はまたそこにある。しかし彼林君をして、10年後に闇のスラムに組合の花を咲かし得る自信を把握せしめたるものは、一新会消費組合の母体、セツルメント四恩学園の隣保事業経営の組織とその事業成績であった。  
 そこで、四恩学園隣保事業の輪廓を一瞥する要がある。学園内には消費組合のほかに保育組合、保健組合、和合組合の4組合と日曜学校、人事法律相談所、無料理髪部、助葬相談部があるが、順序としてその各組合の仕事を一わたり見学する。
 【保育組合】一言にしていえば託児所で幼児を抱いた労働者のために、書間出稼いでいる間、子供を預ってくれる組合で、日出から日没まで一口50銭、三口即ち150銭の組合費(1)で、1組合員につき2人まで(2人以上は僅かの委託料を徴す)毎日小児の面倒を見て呉れる組合である。
 【保健組合】組合費一ヶ月20銭で無料診療を行う。
 【和合組合】女工の組合で主として和洋裁縫ミシン、生花、茶湯の夜学教授をなす。
 【日曜学校】人事法律相談部、無料理髪部、助葬相談部については改めて説明するまでもあるまい
 右学園事業は悉く消費組合事業と有機的関係にあるが、林君が諸事業中特に消費組合発展助成策として着目利用しつつあるのは保育組合で、同組合は書間は託児の面倒を見ているが、夜間は組合員家庭の就学児童のために開放し、その復習予習場所としている。林君はそこに着眼した。この夜間学習時間開始に先だって彼は必ず一場の訓話をなし、その中に必ず消費組合思想の一端を織込んで置くその他種々の教材によって「今日貧富の懸隔が甚だしく、貧乏人が苦しまなければならぬのは、本人の心掛けの悪いのもあるが、多くは社会組織の欠陥の犠牲で、この欠陥は消費組合の発達によってある程度まで矯正し得るものだ」という意味のことを児童の脳裏に毎日毎日手をかえ品をかえ、倦まず撓まず、深く、克明に刻み込んでいる。
 将来に光明を認めた林君は語る「スラムの人々に直接組合思想を普及しようとしても、それは無駄です。第一集めることが困難です。そこで私は子供を通じて親爺教育を行っていますが、案外有効です、子供は先生のいうことを無条件に信ずるもので、また親達も可愛い子供の言葉は、比較的直に受け入れる場合が多い。つまりこの人間の弱点を利用している訳ですが、まだまだ組合精神の間接普及を行っているようでは前途遼遠で今私が教育している子供達が一人前になって、世に出る時即ち10年後こそ、ほんとうにわれわれの精神が徹底する時だと信じ、日々同一なことを気永に繰返しているのです」と。事実彼は10年の彼岸を見つめて大創作の筆を進めているのだ。
 この組合の特徴として看過し得ないのは地区委員で、釜ヶ崎一帯を10区に分ち、10人の地区委員を設け、その区内における組合員の生活状態を調査して、万端の相談相手となり、組合に対する不平不服を聞き、組合と組合員との連絡を取り、恰も高砂消費組合における職場班選出の理事のような役割を演じている。
 これらの人々はいうまでもなく人類愛に燃えた使徒達で、その熱誠の通るところ10年を待たずしてこのスラム地帯に光厳浄仏国土への道は開けるであろう。(池松勝)
▲「本市における密集地区調査」大阪市社会部・社会部報告246号・1940(昭和15)年所収「釜ヶ崎地区」。徳風勤労学校、聖心セツルメント、今宮警察署、今宮第3小学校、四恩学園、今宮労働紹介所、今宮保護所、邦寿会今宮診療所、今宮乳児院、今宮共同宿泊所、今宮消防署などが見えます。

『西成区政誌』に見る四恩学園 (「西成区政誌-1951(昭和26)年41日発行 第7民政」より)

3 児童保護
 本事業は幼児の保護者が労働又は疾病等の理由により保育にかけている幼児を優先的に受託し、なお余裕ある場合には一般幼児をも受託して、心身ともに健やかに育成するよう指導するものであって、現在本区内には次の6ヶ所がある。
市立 今宮市民館保育部 定員40名 東田町73
市立 千本保育所 定員
50名 千本通631

財団法人 みのり園保育所 定員
112名 長橋通り11

私立 聖化保育園 定員
55名 千本通61

私立 惠光保育所 定員
50名 南神合町36

私立 四恩学園乳児院 定員35名 西入船町1 
6 勤労者宿泊所
 定住地のない生活困窮者のうち満18才以上60才以下の単身の男子で、身体強健な者を収容して勤労意欲の向上を図るとともに適切な生活指導を行っているものに、昭和236月創設の市立西成寮(松通76)がある。その現在定員数は480名となっている。
 なお、私設の収容施設としては、明治456月創立の財団法人大阪自彊館(西入船町23)と四恩学園養護院(西入船町1及び特殊婦人保護施設としての朝光寮(松田町142)がある。

『西成区史』に登場する四恩学園

(「西成区史-1968(昭和43)年10月発行 第7社会福祉と保健衛生-1戦前の社会施設」より)
 四恩学園は大正92月し恩報答会(北区西寺町西福寺内)の経営として同1010月児童相談部、同144月保育部託児所、昭和86月授産部を開設するなど隣保事業を通じて地区改善に大きく貢献したが、3811月閉鎖され、現在その跡は労働福祉センターとなっている。なお四恩学園は今も住吉区の乳児院など福祉事業を継続している。
1962101日 (財)西成労働福祉センター設置。大阪府労働部西成分室廃止。西成区東入船町23に設置
19635月 財団法人西成労働福祉センター新庁舎完成「落成式」(旧西成区東入船町)

参考:

明治中期における仏教慈善事業の形成について 名和 月之介 四天王寺国際仏教大学紀要 大学院4号 2005
http://www.kamamat.org/yomimono/ronbun/kiyo2004w-02nawa.pdf
感化救済事業と仏教ー内務省救済行政と仏教との結合様式についての一考察 名和 月之介 四天王寺国際仏教大学紀要 第44号 2007年 
http://www.kamamat.org/yomimono/ronbun/kiyo2006-3-07.pdf