131-参-厚生委員会-6号 平成06年11月01日

 

平成六年十一月一日(火曜日)

   午前十時三分開会

 

       

       年金評論家    村上  清君

       日本労働組合総連合会副事務局長        河口 博行君

       慶應義塾大学名誉教授      庭田 範秋君

       労働運動総合研究所理事     草島 和幸君

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  本日の会議に付した案件

○国民年金法等の一部を改正する法律案(第百二

 十九回国会内閣提出、第百三十一回国会衆議院

 送付)

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○参考人(草島和幸君) 労働総研の草島と申します。

 一言お断りさせていただきますが、労働総研というのは全労連と密接な関係がありますので、年金問題について全労連の主張や見解を踏まえて私の意見を申し述べさせていただくということにさせていただきます。

 私は、今回の年金法案に反対するという立場で意見を申し述べたいと思います。

 最初の問題点は、やはり支給開始年齢にかかわる問題です。

 六十歳から六十五歳にするということについて、政府や関係審議会は今度の法案を準備する過程で、六十歳引退社会から六十五歳現役社会にするんだとか、あるいはまた、現行の年金制度は雇用阻害的な制度だから雇用促進的なものにするということを挙げておられたようです。私はこの考え方について、実は内容上極めて問題の多い見解じゃなかろうか、つまりそれは、現実の日本の労働者の労働と生活の実態を余りにも無視した考え方じゃなかろうかというふうに理解しているところでございます。

 今、民間企業の大部分は六十歳が定年ということになっております。私、この定年制という問題について考えるに当たって、要するに六十までは雇用が保障されるという側面と、そのコインの裏側として六十になったら雇用は強制的に打ち切られる、その両方があるというふうに定年制について理解をするんですけれども、実態としては六十までの雇用保障という側面が最近は相当空洞化しているんじゃないか。そして、もう一つのコインの裏側である六十歳の強制退職ということについては、これだけは現実に生き残って合法的な解雇の制度と仕組みとして行われているというのが実態じゃなかろうかというふうに考えます。

 六十歳定年ということになるとするならば、六十を過ぎたら無収入状態ということになるのは当然の話です、仕事から離れるわけですから。無収入状態というのは、いわばサラリーマン、労働者にとっては地獄の入り口に立つという事態だというふうにとらえるわけですけれども、このときからの暮らしを支えるのは何かといったら、今までは、これからもしばらく続くようですけれども、公的年金が六十から支給されるということで地獄の入り口から救われるという状態だったわけですが、今回の法案ではそれが半分になる、報酬比例部分だけになるということにされようとしております。

 半分出るから地獄の入口から救われるかというふうに考えたら、これはとてもそんなものではないと思います。労働者と家族の暮らしというのはやはり一定の額が絶対的に必要だ、絶対的な要件としての金額というものが必要だというふうになるわけですから、半分でいいというその状態は到底理解できないというふうに考えます。

 そういう点から見ていきますと、引退社会から現役社会へというこのとらえ方というのは、六十から先、半額になった年金では生活できないからどんな労働条件であろうと高齢者が次の仕事につかなきゃいけない、えさを減らしておいて働けとしりをたたくという以外に考えられないというふうにとらえていかざるを得ないと思います。これは現実の事態として本当にひどい事態だというふうに思います。

 まして今度の法案によれば、六十歳からの後退が二〇〇一年から二〇一三年にかけて完成をするということになっておりますが、このときに六十歳から六十五歳にかかる世代というのはまさに戦後生まれ世代、第一次ベビーブームと言われるのが一九四七年から三年間だと言われておりますが、この世代の人たちは年間二百七十万人生まれたということですから、三年間で八百万人の大集団が世代としてあるわけですが、この世代が西暦二〇〇〇年の初めに一挙に六十から六十五に入っていく、まさに強制退職の時期ということと年金の支給開始をおくらせるという時期に重なってくるというふうになってくるわけです。

 言うまでもなく、戦後世代が六〇年代以降の日本の経済成長を支える労働力の主役であったわけです。今日の日本の経済発展の労働力供給の主役だった、主人公だった方々です。この人たちが四十年も働いて六十になる、さらには六十五になるというときに、年金は半分ですというのでは余りにも過酷な事態ではなかろうかというふうに言わざるを得ないと思います。

 私はこういう点で、六十五歳問題というのはぜひもう一度考え直していただきたい。日本の労働者の労働と生活の実態からしたら、これは余りにも過酷だ。まして、戦後世代のあの人たちがその一番最初に直面する世代に当たっているということについては、ぜひとも御考慮をいただきたいというふうに考えているところです。

 もう一つ、定年制についての空洞化、現実には空洞化しているという問題について、ぜひとも御理解いただきたいと思います。定年までが、六十歳までが完全な雇用保障の状態ではないという点についても御理解いただきたいというふうに思います。

 九二年十月に労務行政研究所というところが企業の調査を行った結果を発表しております。定年前の定期昇給はどういうふうになっているかということで企業からの回答を集計した結果によると、一般と同じだというのがたった二八・四%です。それ以外のところは、定期昇給を減らすとかあるいはストップをするとか、ひどい企業になると、マイナス定昇といって今ある賃金を逆に減らしていくという企業もある。これは三・六%と極めて少ないですけれども、そういう状態になっている。それから、定期昇給以外の賃上げではどうかというと、マイナスベアになるということも現に行われるわけですけれども、三三・七%が何らかの形で賃上げもストップをする、逆に賃金を減らすということをやっているという回答が寄せられております。

 六十までまともな状態で年功序列のてっぺんまで行けるなんという状態はもう既になくなっております。政府が五十五歳定年を六十歳に引き上げろというふうに強く働きかけたのは八〇年代です。八〇年代に企業の大部分が五十五歳定年を六十歳にしました。そのときにこういう事態が企業の中で起こっているという点は大変重要な問題、意味を持つのではなかろうかというふうに思います。六十歳から六十五歳ということを考えた際に、高齢労働者の賃金、労働条件についても同様な事態が起こり得るというふうに思っております。

 ましてや、最近はリストラ合理化といって、出向、配転、事実上の退職である移籍あるいは強引な退職勧奨ということが行われている現状ですし、労働省の行った雇用管理調査では、これは九二年の六月ですか発表されたところによると、六十歳定年制を持っていて一人でも六十歳定年でやめた労働者がいる企業はどれくらいかというのを発表しております。たった四八%しかない。六十歳定年はあっても六十前に半分以上がやめさせられている、企業としてやめさせているという結果も出ておるというところから見ると、この六十歳の支給開始を六十五歳におくらせるということの持つ意味というのは大変大きな問題点があるというふうに指摘しなければいけないと考えます。

 同時に、私はこの点について、高齢者の雇用をめぐる現状あるいはこれからの見通しという点についてもぜひ御考慮いただきたいというふうに思います。

 先ほど来、部分年金が出る、就労すれば賃金が上積みされる、雇用保険からの奨励金が出るという話がありました。問題は、高齢者が働く場があるかどうかというところでその上積みの効果が発揮されてくるわけです。在職老齢年金も同様です。雇用の場が確保されなければ上積みの効果はなしということになってしまうわけですので、高齢者の雇用が本当に確保できるかどうか、これについてやはりぜひとも御考慮いただきたいと思います。

 西暦二〇〇〇年の初め、先ほど申しましたように戦後世代が、第一次ベビーブームの世代が約八百万人、三年間かけてどっと高齢者の段階を迎えるわけです。これが労働市場に無職の労働者としてはじき出されてくるというときに、高齢者をめぐる労働市場の状態が民間の企業の努力だけで十分に吸収していくことができるのかどうかという点については甚だ疑問です。

 ということであるとするならば、六十五歳現役社会と政府がおっしゃるのでしたならば、六十五歳現役になるような高齢者の雇用について政府はどのような責任をとろうとするのか、その点をはっきりすべきでなかろうかと思います。今のところ何も示されていないというのであるならば、これにかかわっての年金問題についてぜひとも六十歳からの支給というのを確保しておかなければ、高齢労働者はそれこそ大量のホームレスにならざるを得ないんじゃなかろうかというふうに考えるところです。

 二つ目の問題点として、保険料率の問題について意見を申し上げます。

 現在、現役の労働者については実質賃金が二年連続で低下する、前年を下回るという状態がほぼはっきりしております。この八月に国税庁が民間労働者の給与実態というのを発表したところによると、名目賃金でもダウンするのじゃないかというようなことも言われております。大変深刻な事態だというふうに思います。したがって、政府も所得減税等を行っていく、来年も三兆五千億規模の所得減税を行うということになっているようで

すけれども、一体この保険料の引き上げ、十月からやるといいますけれどもおくれそうですけれども、この引き上げというのがこういう状態の中でどういう意味を持つのかというのをぜひ御考慮いただきたいと思います。

 労働者と事業主の負担分を合わせると、年金の保険料引き上げでトータルで約三兆円が政府の方に戻ってくるというふうに言われています。所得減税三兆五千億円ですから、減税の効果というのは保険料の引き上げによってほとんど帳消しになるという事態になってきます。ましてや、労働者は目に見えて一%の保険料を余分に負担するということになるわけですから、標準報酬の平均は約三十万円ですけれども、これに置きかえてみますと、毎月約三千円、一年間で三万六千円、ボーナスを含めたら、労使折半で一%の半分で約五カ月とするならば約七千五百円が引かれるわけですけれども、こういうことになったら個人としての労働者の減税効果はまるでゼロ、余分に持ち出しになるという事態になろうと思います。

 こういう時期に労働者あるいは中小企業の負担も大変だというふうに思いますが、こういう保険料の引き上げはやるべきではない。むしろ、消費を高めて景気を刺激してもっと豊かな状態になってから財政のあり方をどうするのかということを基本的に考えるべきじゃなかろうか、根本的に考えるべきじゃなかろうかというふうに思います。

 三つ目の問題としては、そういう年金財政を含めて全体の問題にも関連するわけですけれども、国庫負担の問題について一言申し上げたいと思います。

 基礎年金への国庫負担については、大変奇妙な事態が今の国会に起こっているというふうに私は思わざるを得ないと思います。旧連立政権のときに野党であった自民党と社会党は、衆議院段階ですけれども、基礎年金への国庫負担を二分の一に引き上げるという修正の御意見を出されていたようです。ところが、これが政権与党になった。今度は旧連立が野党になったということになると、旧連立、現に今野党の側が衆議院段階の審議では二分の一の国庫負担率引き上げということを御主張なさった。

 結果的にはちょっと先延ばし、先送りするということで結論が出ないまま今日に至っているという状況なんですが、この事態をトータルで見たらどうかといったら、国会を構成する政党のほとんどが基礎年金への国庫負担率を二分の一に引き上げるということを御主張なさっているという状態だと思いますのであるにもかかわらず結論が出せないというのは、国民にとってはなかなか理解できないというふうに言わざるを得ないと思います。

 当面、基礎年金への国庫負担率の引き上げというのは、先ほども村上先生がおっしゃったように、負担に耐えられない層が国民年金被保険者の中でどんどん膨らんでいるという事態も含めて大変緊急を要するというふうに思います。まして、基礎年金について二分の一国庫負担から計画的にこれを全額国庫負担へ持っていくような、いわゆる税方式の年金にしていくということでやるならばやはり無年金者の解消ということに直結するでしょうし、我々の公的年金に対するもっと充実した負担と給付の側面における改革が可能になるのではなかろうかというふうに思います。

 この問題についての財源としての消費税ということはここで言ういとまもありませんので、私はあえて消費税を使わなくてもやるべきじゃなかろうかというふうなところだけを申し上げておきたいと思います。

 次の点は、可処分所得スライドに関する問題です。

 可処分所得スライドが現役労働者とのバランス上必要だという御意見が多いようですが、現実の年金生活者についての実態からぜひ御考慮を願いたいと思うんですが、老齢年金の受給者については、現実に所得課税の対象として老齢年金から税金を持っていかれるという状態になっております。

 そういう実態を踏まえて、さらにまた健康保険の負担も強いられるということから見て、年金生活者にも可処分所得という、そういう概念があるかどうかわかりませんが、そういう事態があるということを考えていただくならば、均衡論というのはもう少しトータルの立場でお考えいただきたいというふうに考える次第です。

 雇用保険等について若干意見を申し上げたい点もありましたが、時間ですので省略をさせていただきます。

 最後に、年金問題が国政上のトータルの問題としてぜひとも慎重な御審議を、国政全般にかかわる立場からの御審議をお願いしたいということを申し上げて、私の意見を終わらせていただきます。