129-衆-大蔵委員会-6号 平成06年06月03日

 

平成六年六月三日(金曜日)

    午前九時十四分開議

本日の会議に付した案件

 証券取引法の一部を改正する法律案(内閣提出

 第六六号)

 平成六年度における財政運営のための国債整理

 基金に充てるべき資金の繰入れの特例等に関す

 る法律案(内閣提出第二号)

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○藤井国務大臣 まず第一の点でございますが、所得課税ではなく所得税のウエートが真ん中ではないか、そのとおりでございます。

 なぜか。それは先ほど申し上げたとおりであります。課税最低限が非常に高いこと、それから最低税率のあたりが非常に低いこと、これから来ていることは間違いありません。

 同時に、今のように、収入で今おっしゃいましたが、課税所得でいうと三百万までが一〇ですね。六百万までが二〇ですね。六百万というと約千万ですね、収入ベースに直すと。そこいらをひっくるめて、そこいらを延ばしていく、そこいらもフラットにしていくということは大事なことなんです。それには最高税率のあたりから手直しすることによって、いわゆる急勾配を直すということとあわせてやらないと、この二〇%層も含めてフラット化ができない、こういうことは御理解をいただきたいと思います。

 

○金子(一)委員 そうなのかな。我が国のサラリーマン九〇%、二〇%のブラケットにおさまっているわけでしょう。これでいいんじゃないですか。別にそれで所得税率を何かしようなんて考えなくたっていいんじゃないかな。

 ちょっと余談であります。

 我が国の社会のいいところというのは何かなと考えてみますと、所得、消費、資産のバランスの観点なんですけれども、我が国はやはりお互いにみんなで最後は支え合っていこう、落ちこぼれをなるべく少なくしていこう。これは我が国の社会の持っているいいところ、村社会、家社会から来ているのだろう、こう僕は思うのです。

 アメリカみたいにちょっと能力があると、ハーバードかビジネススクールを出てどこかの証券会社に入って、会長になって高額収入を得る。そうじゃないと、うっかりするとホームレスへ行ってしまう。これはアメリカに失礼だったら撤回しなければいけませんけれども、そういう部分がある。我が国の社会はそこがちょっと違うのだろう。我が国が持っている昔からの村社会、家社会といういわば日本のいいアイデンティティー、所得税の平等化というところがもう一つそれを支えてきた大きな要因ではないのかな。

 我が国所得の第一分位と第五分位なんて使いますけれども、格差五倍でしょう。アメリカで十倍をはるかに超えてしまう。イギリスでさえ九・一倍。

 十倍超えてしまいますとどうなるかといいますと、十倍以内だと割と平等な社会。藤井大蔵大臣と私の所得格差、閣僚資産紹介のベストスリー、ベストツーでしたか、それでもまあ十倍以内でしょう。だから、私が大臣から三回おごられても一回はおごり返せる。そういえば最近ちっともおごってくれないじゃないですか。全然おごってくれなくなってしまった。冷たくなってしまったですね。

 そういう、一回おごり返せるという社会は、大臣と私の関係はいわば水平なんです。友達。友人。従属しない。十倍超えてしまうと、これは主従の縦の関係になってしまう。そういう意味で、我が国の社会が五倍というのはある意味でいい社会じゃないのか。

 例えば日本とアジアの諸外国とを比べると、中国の内陸部に行くとこれが百倍近くになってしまうとか、バングラデシュなんかに行きますと同じようなことになる。むしろ、その十倍以内という部分の我が国のよさを東南アジアに輸出する。つまり、東南アジアの諸国と我々の関係を所得格差という観点で今は申しておりますけれども、十倍以内にしてしまうということが二十一世紀の我が国の課題だと逆に私は個人的に思っているのです。国内ではそれは進みましたから。

 所得の方は、戦後所得の平等化というのは、これは我が国国民の中に定着をした唯一絶対と言ってもいいくらい一つの真理になってきていると思っているのです。

 しかし、それでは資産の方はどうか。この税調の文章の中にも、資産性所得を含め資産に対する課税については、抜本改革以来、利子課税の見直し、株式の譲渡益の課税、地価税の創設、土地譲渡益課税の適正化等々、いわゆる資産家層に対する課税はかなり強化されてきている、この成果を踏襲しみたいな、要するに資産課税が何となくでき上がったみたいな政府税調の書き方になっているのですが、私はこれは物すごく疑問なんです。

 大体、土地譲渡益課税とか地価税の創設とかという資産課税の考え方を、ずっと踏襲しながらつくり上げてきたみたいな書き方になっていますけれども、実態はそうではないのです。その時その時の経済状況において、土地が上がてしまった、しょうがない、地価税をつくろうよ、土地譲渡益課税なんというのは、ここに当時の専門家もおられますけれども、その時その時によって上げたり下げたりしてきているのです。

 そういうことで、必ずしも資産、消費、所得のバランスでもって資産課税が今まで議論されてきたなんて、税調はいろいろ議論されたでしょう、大蔵省もいろいろ考えられたでしょう。我々もいろいろ議論してきましたけれども、しかし、資産、消費、所得のバランスという前提の中ででき上がった議論ではない。むしろ、同僚の石原議員から話がありましたとおり、三代続いたら土地は全部召し上げみたいな、これは相続税の議論ですけれども、そんな哲学、これは共産主義ですよ。大蔵省はそういう意味では共産主義だと私は思っているのです。そんなのが国民のコンセンサスを得たとはとても思っていないのです。ちょっと余談になってしまいましたけれども。

 それからもう一つ、話は戻りますけれども、私はそういう意味で二〇%のブラケットまでの給与所得者が九〇%もいれば非常に平等化も進んでいると思っているのです。これは、細川さんのときに働き盛りの負担という言葉が盛んに使われたのですが、この働き盛りというのはどこの層もしくはどこの階級なんでしょうか。これは局長でも大臣でもどちらでも。

 

○藤井国務大臣 いろいろ話がございましたので簡単に一つずつ言いますが、戦後の所得税中心超過累進制度は、私はそれだけだとは思っておりませんが、例えば今の日本の雇用形態等々、全部を引っくるめて日本社会の正しい、いいあり方に貢献したと私も思っております。したがって、さっき申し上げたように、戦後のシャウプ税制の結果

であると言いながら、それが日本国民の間に定着したというのは、まさにそれを多くの国民の皆様が評価をしたからだと思います。私は、その意味で所得税中心主義というのは、金子委員のおっしゃるとおりだと思います。超過累進の度合いの問題はあります。しかし、所得税がそういう一翼を担っていたということは申し上げられると思います。

 またもう一つは、九〇%とおっしゃるのですが、その中に二〇%層があるわけです。そして、それがどんどんふえているという今の現状を見ますと、一〇%層、二〇%層の幅を広げていくことがどうしても所得税のあり方として必要だということを私は申し上げているわけです。それには、こうしてフラットにしておいてぐっと上げるということはできませんから、全体としての勾配を考えなければいけないということを申し上げているわけであります。

 それから資産課税は、土地税制はあのときの単なる経済情勢とは私は思っておりません。ああいう一つの経過を経て、土地税制というのはこうあるべきだという恒常的な姿としてつくったものだと思っております。

 第三番目に、働き盛りとは何かというお話でありますが、年齢とか職業の問題ではありません。皆さんのように、また会社で働いていられる方のように、第一線で働いている方はちょうどお子さんの育ち盛り、そして家を建てようというようなことでお金が一番かかるときです。そういう一番出費の多い方々のところに急速に税負担が急勾配で出ていくことを私は申し上げているわけでありまして、働き盛りを何歳から何歳までとかそういうふうに限定する意味ではございません。