129-参-産業・資源エネルギーに…-1号 平成06年02月09日

 

平成六年二月九日(水曜日)

   午前十時一分開会

   参考人

       スタンフォード大学教授スタンフォード日本センター理事長    今井 賢一君

       上智大学法学部教授       花見  忠君

       日本放送協会解説委員      小宮山洋子君

       横浜国立大学長  太田 時男君

       東京工業大学原子炉工学研究所長        藤家 洋一君

       新エネルギー・産業技術総合開発機構理事    木田橋 勉君

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  本日の会議に付した案件

○参考人の出席要求に関する件

○産業・資源エネルギーに関する調査

 (二十一世紀へ向けての企業行動のあり方に関

 する件)

 (エネルギー供給の課題と対策に関する件)

○委員派遣承認要求に関する件

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○参考人(今井賢一君) 商売柄立っている方がやりやすいものですから。

 それで、ところがその問題は恐らく大体片づいたといいますか、片づいたと言うと語弊があるかもしれませんけれども、一九七〇年代の企業の社会的責任というのは一段落しているわけであります。一九九〇年代に入りまして、企業の社会的責任という言葉はそのままは使われませんが、企業の社会的貢献、逆の立場からいうと企業は社会にどう貢献すべきかということにつきまして、より広い立場から企業の社会的責任に対する要請が強まっているわけであります。

 それはなぜかということなんですが、一言で言いますと、私の理解では、それは企業の活動というのが場所的に広がってきた、つまり企業がグローバルに活動するようになってきました。当然日本の企業も世界の中で活動しているわけでありますので、その中で日本の企業の責任はどうあるべきなのか、あるいは貢献はどうあるべきなのか、そういう場所的な広がりの問題であります。

 それからもう一つは、時間的な視野、時間的な長さの問題でありまして、公害問題ももちろん長期的にかかわる問題ではありますが、御承知の地球環境問題に見られますように、時間的な視野が非常に長くなりまして、未来永劫、地球環境問題に対してどのように企業は考えていくべきなのか、そういう問題であります。

 地球環境問題に対しましていろいろな学者の意見はあるわけでありますが、それを三世代に分けて考えるという意見が割合強いわけであります。第一世代というのは、やっぱりまさに公害問題のように、企業が直接地域社会の中などに影響を及ぼす問題。それから第二世代の問題というのは、それがグローバルな規模での問題になりました。それから第三世代の問題というのは、まさに我々の子孫に対して数百年後あるいは数千年後にどういう影響を及ぼすかという哲学的な問題までも含めた問題になってきたわけであります。

 そういう意味で、企業の社会的責任問題というのは、場所的な広がり、時間的な視野の拡大の中で一九九〇年代に問われているわけだというふうに私は理解いたします。したがいまして、きょう二十一世紀へ向けての企業行動のあり方という形で社会的責任問題が提起されているのは、非常に適切な問題提起なのではないかというふうに考えます。それが第一点のコメントであります。

 第二は、そこには「二十一世紀型企業の特質」と書きました。場所的な広がりの中であるいは時間的な視野の拡大の中で二十一世紀型の企業が生まれてきて、そして企業行動が行われるわけでありますが、それに関連して企業の社会的責任をどう考えたらいいかということであります。

 時間もありませんので私の意見を端的に申しますが一企業というものをどうとらえるかということにつきまして、私は、現代のかなり規模の大きくなった企業というものは、技術、テクノロジー、要するに技術を開発し発展させ、そしてそれを社会に使っていく、そういうことに非常に重要な役割を持っている主体であるというふうに考えます。もちろん、かつてのように個人が発明をしたり、個人も技術にかかわるわけでありますけれども、しかし、現代の非常に複雑になった技術のシステムを害のないように管理し、逆に言えば人類のために役立てていく、そういうことができるのは、かなりの研究者を抱えかなりのそういう技術の蓄積を持った企業だけてあります。そういう意味で、技術を開発し発展させ、それを社会の問題解決に役立てていく、そういう主体としての企業というものを対象としてこの問題を論じなければならないというふうに私は考えます。

 そういう企業が当然のことながら、先ほど申しましたようにグローバルに活動し出した、つまり情報通信技術を活用して世界的な規模で活動をしているわけであります。また、そういう企業の技術の使い方あるいは技術の発展のさせ方というのは後世にまで影響を及ぼすような重要な力を持っているし、また影響の程度も大きいわけであります。

 その際、そういう次元で見たときの企業の社会的責任なりあるいは社会に対する貢献というのはどういうことなのかと申しますと、それは常識的な言葉で言いますと、結局は地球環境問題に何らかの形で貢献していく、あるいはその問題を徐々に解決し得るような方向にコントリビュートしていく、こういうことになるわけであります。

 技術というのは、改めて申すまでもなく、ある一時点で固定しているわけでありません。絶えず進化し発展していくわけでありますので、いわゆる地球環境問題を解決すべく進化させ、新しい技術を開発し、かつ人間が取り扱いやすいように、そういうふうに進化していくということがまず第一に企業の責任であります。

 それから第二は、先ほど申しましたように、それを空間的に広げていくわけでありまして、世界じゅうにそういう技術の成果をディフューズしていく、普及させていくということが責任の第二になります。

 つまり、先進国の問題だけではなく、発展途上国を含めて地球環境問題というものが存在するわけでありますので、それをどういうふうに解決するか、これはそう簡単にソリューションがある問題ではありません。あらゆるところで今その議論が行われているわけでありますが、私の理解では、基本的には技術なり情報なりを世界の中に伝播し普及させていき移転させていく、そういうメカニズムをつくることがまず基本であるというふうに考えます。

 そういう意味合いからいいますと、最近アメリカで御承知のようにスーパーハイウェー構想、クリントン、ゴアが情報ネットワークを世界に張りめぐらすという構想を出しているわけであります。あのことの持っている意義は、単純なる情報技術の適用ではありませんで、やはり深く地球環境問題を解決していくには世界じゅうの人々が情報的につながって、そして情報とともに技術が地域に移転していくということが大事なわけであります。

 御承知のように、インターネットは世界じゅうに十億人ぐらいの人間がもうすぐつながる状況になっているわけでありますが、それは単に情報がつながるだけではなくて、そういうことを使いこなすということは技術も同時に移転していくわけであります。そういう広がりの中で問題解決を進めていく、そして技術社会が何らかの形で進化していく、エボリューションしていく、そういうことに積極的な役割を持つのが二十一世紀型企業の社会的な責任なのではないかというのが第二点で申し上げたい点であります。

 しかしながら、以上申し上げた点はやや少し大きな話でありますので、日本の企業に即して問題をさらに申し上げてみたいと思います。それが第三点、第四点、第五点の話であります。

 つまり、今我々といいますか日本の産業界あるいは日本の立場として必要なことは、こういう地球環境問題を大きく広くグローバルな空間的な広がりの中で、そして長い時間的な視野の中で考えると同時に、そういう視点を入れて今何をなすべきなのかというふうに考える。よく言われている言葉で言えば、大きく考え小さく行動するというか、あるいはシンク・グローバル・アクト・ローカル、要するにグローバルに考えてどういうふうに問題解決のために今第一歩を踏み出すか、そういう視点が必要だと思いますので、私、その点につきまして、第三点としてグローバル化と雇用の問題というのを取り上げてみたいと思う次第であります。

 なぜ雇用がということなんでありますが、今申しましたように、企業の社会的責任というのを、地球環境問題を解決するとか、あるいはグローバルの中で日本の企業が役割を持つというのは当然でありますが、結局それを進めていくのは人であります。人的資源でありますし、またそれぞれの企業というものは、やはり人々を雇用しながら、雇用機会を与えながら、そして今申しました役割を果たしていかなきゃならないわけでありますので、雇用問題を同時に含めて考えなければならないわけであります。

 それに対して、今非常に深刻な問題を世界じゅうが抱えているわけであります。先日もOECDでこの問題に関する閣僚会議での議論がありまして、私もそこへ日本から意見を言ってくれということで呼ばれたわけでありますが、非常にヨーロッパは深刻であります。一言で言いますと、今まで試みられてきたあらゆる方策、経済学的な考え方は単純に言うとすべて失敗した。一つはケインズ型の、今日本でもその問題が議論されておりますけれども、需要を拡大する。要するに需要が不足していれば需要を拡大する、そういうやり方についてはヨーロッパはこの十年来やってきたのでありますが、これは完全にどうやってもうまくいかなかったわけであります。

 それで、そのケインズに批判的であります学者の世界ではいろんな議論がありまして、もう一遍古典派的な、ケインズの前に返って、賃金を安くすれば雇用がふえるんじゃないかというのがもう一つの古典派的な考え方であります。アメリカはそのやり方をとりまして、最近は雇用機会がふえているというんですが、これはまた非常に低賃金あるいは最低賃金以下の雇用がどんどんふえているという形で雇用はふえているのでありますが、しかし私どもが望ましいと考える雇用形態ではないわけであります。

 ヨーロッパは福祉社会をとってきまして、いろいろな形で北欧諸国はやってきたわけでありますが、それは御承知のように、どんどん財政支出がふえるということでこれも成功しない。どうも日本は失業率が低くうまくいっているので日本はどうかということなのでありますが、御承知のように、日本にも潜在失業あるいは企業内失業というのを抱えているということなので、この問題についてこれからどう考えるかということは非常に深刻な問題であります。

 私の意見を言わせていただきますと、ここではやはり「日本型システムの可能性」という副題をつけましたように、日本のシステムというのは中小企業も含め、それから企業の中でいろいろな形で仕事をつくって、そしてなるべく雇用を確保してくるように努力をしてきた。その点について限界があるわけでありますが、私はやはりアメリカ流の天才とホームレスけが存在し得るような、天才とホームレスの世界というような市場経済、市場メカニズム至上主義ではなくて、やはり日本的なシステムというものの持っている社会的な貢献、大げさに言いますと、それが世界の中でどの程度貢献するかということは非常に大事な点でありまして、私のきょうの論点に戻って一言で言いますと、それは技術をいろんな層に移転していくということであります。

 アメリカは非常に最近技術が発展し、日米再逆転、アメリカの企業は日本の企業にまた逆転したという形で新聞でも取り上げておりますが、それは一部の企業でありまして、日本のようにどんな小さな企業にまでハイテク技術を浸透させていく、社会の隅々に至るまで技術を移転していくというシステムではないわけであります。そういう意味も含めて日本型システムの可能性というのを追求することは、前半に申しました二十一世紀型企業へのグローバルな貢献の中で非常に重要な役割を持つ。ただそれがどうできるかは大いに議論のあるところでありますし、また皆様方の御意見も後ほど承りたいというふうに思います。

 それに関連しまして、時間もなくなりましたので簡単に申しますが、四番目に生活システムの形成と企業ということで、改めて企業とは何かということが問われている時代だというふうに思います。

 企業の社会的責任ということは、暗黙のうちに大企業の責任になり、あるいはかなり中堅規模とかちゃんとエスタブリッジュトした企業の責任という問題として考えられていると思うのであります。御承知のように、最近ではノンプロフィットの企業というものが非常に大きな役割をどこの国でも持っているわけでありますし、またボランティアというものも非常に大事な役割を持っている。ボランティアが企業かどうかは問題でありますけれども、しかし、企業というものを広い意味でとれば何らかの形で業を企てるということでありますから、例えば、医療のために看護婦さんたちのボランティアを組織してそして社会に貢献するということも企業の役割なんではないか。

 そういう意味で言いますと、利潤追求型の伝統的な企業に加えて、直接利潤を対象にしないようなノンプロフィットの企業、例えば学術団体をサポートするような企業、それからボランティアも含めてそういうものの集合体として、今申しましたような雇用をつくり新しい生活システムをつくっていく、そういう役割を持ってきているのではないか。そういうふうに問題を立てませんと、前半に申しました地球環境問題に企業がこれから大きな責任を果たしていくことはできないのではないかというふうに考えます。

 それから第五点は、企業、消費者、政府の関係であります。ここには新たなアライアンス、新たな連合といいますか新たな連携が必要であるというふうにまとめたわけでありますけれども、企業と消費者と政府というものを対立した主体として考えるのではなくて、向きを変えてそれぞれがお互いに役割を必要とし合う時代に来ているのではないだろうか。企業というのは、先ほど申しましたように技術を社会の中に役立てていく主体であり、また人的な資源をどういうふうに生かすかという主体であります。

 それからもう一つは、消費者というのを単なる受け身に考えるというのは、これは時間がありませんからちょっと発展させる時間がないのでありますけれども、消費者というのも消費に関する資本を持っている主体である。つまり、一昨年ノーベル賞をもらったゲーリー・ベッカーというシカゴ大学の教授は、ヨンサンプションキャピタル、消費資本という概念を強く提供しているのでありますが、それはどういうことかといいますと、要するに消費者というのは単に、私も消費者でありますが、受け身の行動をするんじゃなくていろいろなノウハウを持っているわけであります。どういうふうにパソコンを使うかとか、あるいはどういうふうに料理をするかとか、そういう種類のノウハウを蓄積しながら、知識、学習経験、ノウハウを蓄積しながら行動しているわけでありまして、そういう消費者と企業が対向していく、そういういい消費者を育てた企業が利益が上がるわけであります。

 政府の役割というのは、一言で言いますと、そういう中でそういう社会と活発に相互作用を行う制度をつくっていくことである。最近、規制緩和ということが非常に言われているんですが、ああいうことが一回限りの問題として議論されるんじゃなくて、社会は常に変化し動いていくわけでありますし、企業と消費者の関係も変わっていくわけであります。そういう状況の中でどういうふうにそういう情報を受けとめながら新しい政府のあり方、規制のあり方、規制は撤廃するだけが能じゃなくて、例えばきょうの問題で言えば公害であるとか、あるいは地球環境問題に対する枠組みの設定だとか、そういう役割があるわけでありますから、そういう社会の動きと相互作用を持ちながら対応していく主体として、申し上げたい点は、企業、消費者、政府というものが向きを変えで新しい連携を、アライアンスをつくる、そういうことが社会的責任の問題のエッセンスにつながるんではないか。

 時間も過ぎましたので、これで終わらせていただきます。ありがとうございました。