164-衆-青少年問題に関する特別…-2号 平成18年02月14日

 

平成十八年二月十四日(火曜日)

    午前九時開議

 

   参考人

   (江戸川区長)      多田 正見君

   (立正大学文学部社会学科助教授)         小宮 信夫君

   (特定非営利活動法人子どもの危険回避研究所理事長)

   (港区教育委員会委員)  横矢 真理君

   (エンパワメント・センター代表)         森田 ゆり君

   衆議院調査局第一特別調査室長           田中 啓史君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 参考人出頭要求に関する件

 青少年問題に関する件(子どもの安全対策について)

     ――――◇―――――

 

○小宮参考人 皆さん、おはようございます。

 私は、犯罪社会学を研究していますので、その立場からお話しさせていただきます。

 こういった犯罪研究あるいは犯罪対策、実践ですけれども、大きく分けて二つあります。一つは、犯罪が起こる前、犯罪の予防と言っていますけれども、この分野と、それから犯罪が起こった後の分野、犯罪者の処遇という言葉を使っていますけれども、この二つがあります。

 日本はこれまで、後者、事件が起きた後どうしようか、犯罪者にどういう刑罰を科したらいいのかとか、あるいは犯罪者をどうすれば改善更生できるのか、そちらの方に関心を注いできたわけです。

 ところが、最近になって急速に、事件が起こる前、予防の方に社会的な関心が寄せられるようになってきた。ところが、この分野、研究も蓄積がありませんし、実践の蓄積もありません。なので、犯罪が起こった後の処遇で主流である犯罪者を中心にした考え方、これを犯罪原因論と呼んでいますけれども、この犯罪原因論をそのまま予防の方にも持ち込んでしまったわけです。ところが、犯罪はまだ起きていませんから、犯罪者はまだそこに存在しておりません。したがって、苦し紛れに不審者という言葉を編み出して、その不審者という言葉が今ひとり歩きしてしまっているというような状況であります。

 ですから、なかなかこれがうまくいかない。なぜならば、人を見ただけで、この人が不審者かどうかはわからないんですね。子供に、どういう人が不審者かと聞くと、一番多い答えは、マスクをしている人だと答えます。ですから、この時期はあちこち不審者だらけになってしまうんですね。あるいは、空き巣被害のチラシなんかつくると、大体は唐草模様のふろしきをしょって手ぬぐいでほおかぶりしている泥棒をかくんですけれども、今どきそんな泥棒はいないんですね。

 犯罪原因論は、どうしてもそうやって特定の犯罪者のイメージをつくりたがってしまうわけです。ところが、それではなかなかうまくいかない。私は、どうもこの予防の分野はボタンのかけ違いをしているように思えてなりません。

 欧米では、この予防の分野は、こういった犯罪原因論ではなくて犯罪機会論が主流であります。これは、犯罪者という人間ではなくて、犯罪が起こる場所に注目します。つまり、犯罪の機会が多い場所で犯罪は起こりやすい、逆に、犯罪の機会が少ない場所では犯罪が起こりにくいということです。

 この犯罪機会論、有名なものとしては、ニューヨークのジュリアーニ前市長が導入した割れ窓理論、あるいはイギリスのブレア労働党政権が制定した犯罪及び秩序違反法、こういうものが非常に有名ですけれども、それがよって立つ犯罪機会論、ここでいろいろな研究それから実践の蓄積によって、どういう場所で犯罪の機会が多いのか、犯罪が起こりやすいのかというのがわかってきました。

 それには二つの条件がありまして、一つは、入りやすい場所。だれでも簡単に入っていける場所というのは犯罪者も簡単に入っていける。したがって、ターゲットに近づいていってもわからない、怪しまれない。さらには、入りやすいというところは逃げやすいというところでもありますから、犯罪を実行した後、すぐにどこへでも逃げていける。これが一番目の条件です。

 もう一つは、見えにくい場所。周りから見えにくいところでは犯罪者が隠れていてもわかりません。待ち伏せしてもわからない。つまり、犯罪を実行しても発見されない。ですから、そういう場所を犯罪者は選んでくるわけですね。

 こういうような入りやすくて見えにくい場所が一番危険だ、そういったこと。

 例えば実例を挙げますと、きょう、皆さんのお手元にこういう写真のプリントを配付させていただいていますけれども、これをちょっとごらんください。

 まず、Aのところ、これは奈良の連れ去り殺害事件の現場です。幹線道路ですけれども、幹線道路は車を使った犯罪者からすると非常に入りやすい。さらに、両側にこのような遮へい板がありますし、さらに、ここの両側には一軒家がないんですね。マンションしかありません。マンションの一階は駐車場ですから、全く自然な視線が子供のところには流れないということであります。ですから、やはりここも入りやすくて見えにくい。

 Bの写真は栃木の今市の事件現場ですけれども、あの被害児童の女の子が歩いていたとされる近道、ここは家が一軒もないんですけれども、だれでも入っていけるような入りやすい場所。しかも、こういう雑木林で見えにくい。

 さらに、次にCの写真ですけれども、この近道を真っすぐ行くと、こういうように、開発を途中でやめてしまったので不法投棄の山です。自動車も捨てられていますし、パソコンも捨てられている。このようなごみの山になっています。

 それから、そこをずっと行くと、被害児童の女の子、その自宅に行くまでに地下道がありますけれども、そこには落書きがある。今市の山間部では落書きを発見することはまず不可能ですけれども、ここにはちゃんとこの落書きがあるんですね。

 その下のEの写真、これは広島の事件現場ですけれども、この周辺では、このような路地、路地は徒歩による犯罪者だと非常に使い勝手がいい。入りやすくて逃げやすい。しかも、両側にこのように塀や壁が高くて家の中から道路が見えない。やはり見えにくい状況でした。さらに、Fの写真ですけれども、死体遺棄現場にはこのように落書きがある。ごみも散乱しているようなところでした。

 Gの写真、Hの写真は宮崎勤の四番目の事件ですね。江東区の現場ですけれども、Gの写真の真ん中あたりに黒っぽいアパートの一階、ここから入っていくとHの写真になります。ここは昼間でもこのように暗いところで、しかも、入りやすくて逃げやすいというところです。この真ん中の写真、ガラスのところ、ここが保育園の玄関です。ここで宮崎勤は女の子に声をかけて、車に一緒に行こうというふうに話しているんですね。ですから、ここもやはり入りやすくて見えにくい場所でした。

 こういうように、ほとんどの犯罪は二つの条件を満たしたところで起きています。こういうことを教育に応用して、子供でも、あるいは地域住民でもこの犯罪機会論を実践できるような形で考え出したものが地域安全マップというものです。

 こういう場所が、どういう場所で犯罪が起こりやすいのかわかれば、まずそこには行かない。これが一番いい方法ですね。行くのであれば、一人では行かない。これが二番目の対策です。どうしても一人で行かなきゃならないという場合であっても、そこで犯罪が起こりやすいと自覚していれば、いつもよりも注意力をアップして、すきを見せないようにして、犯罪者には犯罪の機会を与えないようにして歩くことができるはずだと思います。これが三番目の対策。こういうように、場所によって対応を変えられるというような能力をつける、これが地域安全マップであります。

 ところが、日本は、先ほどお話ししたように、犯罪原因論という、不審者という人間に注目して予防をやっていますので、常に、不審者とか犯罪者が目の前に来ているというところから対策が出発してしまうんですね。

 ですから、防犯ブザーもそうですし、それから、防犯教室という名の護身術を教えているもの、これも、どちらも犯罪者が目の前にいるわけですね。ですから、ある意味、子供にとってはそもそもリスクの非常に大きい状況に置かれているわけです。

 もちろん、防犯ブザーも必要ですし、護身術も必要ですけれども、防犯ブザーを渡してこれで終わりというのではなくて、防犯ブザーを渡しながら、しかし、防犯ブザーを使わない方法を教える、防犯ブザーを要らないような状況に自分の身を置く方法を教える、こういうことも必要ではないでしょうか。それが地域安全マップというものです。

 私は、こういう理由から、この地域安全マップの方法を開発して提唱してきました。ところが、最近は間違ったマップというものがかなり出回っているような状況です。

 一番多いのは不審者マップというもので、ここに変な人がいました、ここに怪しい人がいました、こういうものですね。これが犯罪原因論の弊害ですけれども、本当にこれが犯罪者であれば、一歩手前の人間であればまだいいんですけれども、大体はそうではないんです。つまり、人を見て、この人が不審者かどうかわからないですから、明らかに外見上普通の人と違うという人を不審者扱いしてマップに落としているんですね。

 具体的にいえば、外国人、ホームレス知的障害者です。私のところにも知的障害者の方からいろいろな相談が来るんですけれども、特に広島、栃木の事件の後は通報をしょっちゅうされてしまうので、もう散歩もできないというような状況に陥っているそうです。

 そういう問題と、それからさらには、子供に、不審者に注意しましょうとか、不審者マップをつくりましょうとやっていますけれども、子供に、不審者に注意しましょうとはどういうことと聞くと、ああ、それは大人を無視しなさい、そういうことだよと答えます。大人を無視しなさい、大人を信用するな、人を見たら犯罪者と思え、こういう教育になってしまっているんですね。ところが、学校じゃ全く正反対の教育もしています。あいさつ運動とか、あるいは親切にしましょうと。親切にしましょうも、知らない人にも親切にしましょうと教えているんですよね。そうすると、子供にとっては、無視すべきなのか、親切にすべきなのかわからなくて混乱してしまうわけです。

 ところが、場所から入っていけば、そういう混乱は回避できます。犯罪が起こりやすい場所にいる大人、入りやすくて見えにくいところにいる大人、これは無視してもいいですと。栃木の事件のように、きれいな目をしたお兄さんが道を聞いてきても無視して歩き去ってもいいですよと。ところが、安全な場所にいる大人、これとは積極的に交流しましょう、あいさつもしましょう、困っている大人がいたら、むしろ、子供の方から近づいていって助けてあげましょう、そういう教育をすべきじゃないでしょうか。そのためには、人間から場所へと、まず発想の転換が必要だと思います。

 もう一つよく間違えられるのが、犯罪発生マップです。ここで起きました、あそこで起きましたですね。これは一見、場所に注目していそうですけれども、やはりこれも犯罪者に注目しています。なぜならば、犯罪発生場所というのは、犯罪者がそこにいたということですから、犯罪者に引っ張られているんですね。

 ところが、実際、次の犯罪も同じところで起こる保証はないですし、仮に、自分の学区の犯罪発生場所を丸暗記できたとしても、知らないところに行ったらお手上げ、応用力が全くつかない、こういうことになってしまいますから、どういう特徴のあるところで犯罪が起こりやすいのか、どういう特徴のある場所では気をつけなきゃいけないのかというように、未来志向の地図をつくらせる必要があります。そのためには、起きたところではなくて、起こりやすいところということですね。

 それから、これはまた別の問題も引き起こしています。つまり、犯罪発生場所を特定したいがために、子供に被害体験を聞いているところも多いんですね。被害体験は、子供にとって大きなトラウマです。心の傷です。これを広げてしまうようなことをやっているわけですね。

 ある自治体では、被害体験アンケートをすべての小学校と中学校でやってしまいました。その結果、被害児童の親がその地域の弁護士会に今人権侵犯救済の申し立てをしています。つまり、別の意味で今子供の安全が脅かされているというような状況になってくると思います。

 そういうところを注意して、不審者マップはつくらない、犯罪発生マップはつくらないというような形で地域安全マップをつくれば、急速に子供の、自分で被害に遭わない力が育ってきます。そういった被害防止能力、それだけではなくて、さらに子供同士のコミュニケーション能力、あるいは、地域の大人にインタビューしたりしますので、地域の大人とのコミュニケーション能力、あるいは地域への愛着心の向上、そういうことも期待できます。

 さらには、そういう子供たちが一生懸命地図をつくって地域の安全のためにやろうという姿を見て、大人も刺激をされて、よし、自分も少し子供のために何かしよう、そういうような機運の盛り上がりにもつながってきます。

 そういう意味で、それこそが地域ぐるみの子供の安全対策につながるものだというふうに思って、私は地域安全マップを進めているというような現状であります。

 以上で私の意見陳述を終わります。どうもありがとうございました。(拍手)