91-衆-運輸委員会-12号 昭和55年04月22日

 

昭和五十五年四月二十二日(火曜日)

    午前十時二分開議

         

        参  考  人

        (ルポライター)      加藤 邦彦君

        (出光タンカー株式会社代表取締役専務)   長野  煕君

        (内外産業株式会社代表取締役社長)     田中 克佳君

        (東京都公害研究所次長)   田尻 宗昭君

        (元海上保安庁警備救難監)  船谷 近夫君

 

     ―――――――――――――本日の会議に付した案件

 日本国有鉄道経営再建促進特別措置法案(内閣提出第四七号)

 海上保安に関する件(海洋汚染の防止に関する問題)

     ――――◇―――――

 

○古屋委員長 海上保安に関する件、特に海洋汚染の防止に関する問題について調査を進めます。

 本日御出席いただきました参考人は、ルポライター加藤邦彦君、出光タンカー株式会社代表取締役専務長野熙君、内外産業株式会社代表取締役社長田中克佳君、東京都公害研究所次長田尻宗昭君、元海上保安庁警備救難監船谷近夫君、以上五名の方々であります。

 この際、参考人に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用中のところ御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。

 本委員会におきましては、かねてより海洋環境の保全、海上保安体制の確立等各般にわたり審査を行っております。今国会におきましても海洋汚染防止に係る条約及び関係法案が審査されております。

 このような時期において、海洋の自然環境を破壊するスラッジの不法投棄など大変遺憾な事件も発生し、今後も懸念されております。

 御出席の参考人各位には、海洋汚染の防止に関する問題について忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 まず最初に加藤参考人、長野参考人、田中参考人、田尻参考人、船谷参考人の順序で、御意見をお一人十分程度に取りまとめてお述べいただき、次に、委員の質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。

 なお、念のため申し上げますが、発言の際は委員長の許可を得ることになっております。

 また、参考人は委員に対し質疑をすることはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おきを願います。

 それでは、加藤参考人からお願いいたします。

 

○加藤参考人 私は海が大変好きでございまして、特に素もぐりなどをするために南西諸島の島々、すなわち奄美大島から徳之島とか与論島とか沖永良部あたりの海によくもぐっております。そして、私が初めて廃油ボールというものを知ったのは与論島に初めて行ったときでございまして、その非常に美しい与論島の海岸を歩いておりますと足にべたっとつくものがあるわけです。それでべたっとつきますと、石けんで洗っても取れないわけなんです。これは非常に始末の悪いもので、石けんで洗っても取れないから熱い蒸しタオルで二、三回こすって、それから石けんで洗ってやっと取れるというようなものがあったわけです。地元の人にこれは何かと聞きますと、これがいわゆる廃油ボールだということを教えていただいたわけです。それが私が廃油ボールと初めて遭遇したときの印象なんでございますけれども、それは実は昭和四十七年のことです。それから、地元の人にこれは何か、これはどうしたことかと聞きますと、地元の人はこの南西諸島の沖合いで多くのタンカーがタンクの掃除をしている、その掃除をしてそのまま廃油ボールを捨てるからこういうものが流れ着くんだというようなことを地元の人に伺ったわけです。それが実に昭和四十七年のことです。

 そんなことがございましてから、私はあるときに産業廃棄物業者の方々と懇談する機会を持ちまして、そのときに、これは裏をとっておりませんからはっきり言えませんが、要するにそういうスラッジの中にきわめて有毒な物質を混入させて海に捨てておるというようなことを伺ってさらに私は驚いたわけです。

 そうこうしているうちに、釜ケ崎の日雇い労働者に私は友人がたくさんおるものですから、その人たちにどうしても私はこういう産業廃棄物を調べてみたいというようなことを言っておりましたら、その日雇い労働者の一人が、そんなことは十年も前からずっとわれわれはやってきた、だから本当に君が見たいんだったらタンカーに乗せて見せてあげる、自分が手配するからタンカーに乗ってみないかと言われたわけです。それが昨年の十二月です。そこで私はさっそくタンカーに乗ることになったわけですが、言われたのは二月二十八日です。それから二月二十九日にいよいよ新幹線で新神戸から徳山へ行きまして、徳山から乗ったわけです。乗ってみましたら、それがいわゆる徳山丸だったわけです。したがって、ここでかいつまんでその徳山丸に乗船したときの様子をお話し申し上げたいと思います。

 タンカーに乗りましたのは二月二十九日の午後一時二十分です。それから出港しましたのは二時二十分だったわけです。出港しますと、まず班に分けられますけれども、私と一緒に乗ったいわゆるアンコといいますか日雇い労働者は二十三名だったわけです。それから、正確には覚えておりませんけれども、そのうちの七人がいわゆるバッタ打ちという作業に行きます。そうしますと、残りが十六名になりますけれども、この十六名が二班に分かれて作業をするわけです。このバッタ打ちというのは大事ですからちょっと御説明申し上げますと、どういうことかと申しますと、スラッジというのは、そのままでは非常に有毒なガスが残留しておりますから、そのスラッジに甲板の上からこのくらいのホースで熱湯を吹きつけるわけです。そうしないと危なくて有毒なガスのために作業ができないわけです。その熱湯をぶっかける作業をバッタ打ちと申しますけれども、このバッタ打ちに大体三時間から五時間かかるわけです。それでもなお有毒なガスが残留しておりますのでタンクの底に入っていけないわけですけれども、その後でガス抜きということを行います。専門用語ではガスフリーと申しますけれども、そのスラッジの中に残留しておりますガスを抜くのにまたさらに三時間から五時間かかるわけです。それでも、三時間から五時間かけてガスフリーを行った後でもタンクの中に入っていきますと意識を失って昏倒するぐらい有毒なガスが残っておるわけです。詳しいことはお話し申し上げませんけれども、たとえばそのガスの危険性と申しますと、甲板の上を金具のついた靴で歩くだけでも爆発するあるいは静電気によっても爆発するわけですから、要するに合成繊維の服を着た者同士がすれ違っても爆発するぐらい危険なガスだそうです。かつて、アンコたちが入るときにどういうことをしたかと申しますと、タンクの中にカナリアを飛ばしまして、カナリアが死んだら行かない。ところがカナリアが生きておったら大丈夫だろうということでタンクの底に入れたというような状態だったらしいんです。

 さて、十六人が二組に分かれまして八人ずつなんですけれども、その八人が一つのタンクの両端からずっとスラッジを揚げていって、真ん中で合流して、合流したところで終わるということになるわけですけれども、その八人はまず四人がタンクの底にもぐります。タンクの底と申し上げますと、徳山丸の場合ですと、約二十九メートルの高さですから十五階建てのビルぐらいの高さなんです。その底に四人がもぐりまして、まずバケツの底にスラッジをくみ上げます。そうしますと、甲板に残っておる四人がそれをウインチでつり上げまして、それから古米の袋に入れてその口を針金で縛りましてそれを甲板のふちにずらっと並べていくわけです。私は初めは袋をフックに引っかけて甲板のふちに並べる役をしておったんですが、余りにも体がしんどいものですから仲間に頼みまして、後は袋を持って立っておる役目に回していただいたわけです。さて、そうした作業は実は朝の四時から始まって夜の十一時まであるわけです。それから十一時から夜食が出て就眠するものですから実質睡眠時間は三時間ほどになります。三時間睡眠で一週間ぶっ続けに作業させられますと、たいがい頑健な男でもぶっ倒れるような状態になります。実は、もう動けないからやめさせてくれというストライキ寸前の状態まで行ったこともあったわけです。それどころかその労働条件と申しますと、食事をする場合でもテーブルもなければ、いすもなければ、座るところもないわけで、スラッジがこびりついた廊下の上でしゃがみ込んで、こんなかっこうで飯を食ったりあるいは立ったままみそ汁をぶっかけて飯を食うというような労働条件だったわけです。

 さて、私がその目撃したときでございますけれども、最初に目撃したのは三月の二日です。三月二日は、それまでに揚げたスラッジの袋が夜の十一時の作業を終わって帰ってきますと全部なくなっておったというのが第一回目の目撃です。これは実際に投棄しておるのを見たわけではございません。ところが実際に見たのは、三月の三日でございます。三月の三日、私はタンクの真ん中あたりで作業をしておりまして、私は袋を持って立っておる立場ですから、このようにして立っておりますと、こちらにへさきが見えるわけですね。へさきまでは大体百メートルか百五十メートルあるわけですが、その間に袋がずらっと並んでおるわけです。こうやって見ておりますと、五、六人の男がそのへさきの方から袋を捨てにかかったわけです。私は、これが目的だったものですからじっと袋を持ちながらこうやって見てますと、一時間から一時間半くらいかかりましてそのへさきからずらっと百五十メートルくらい並んだ袋を六人がぼんぼんと海の中に捨てておるわけです。一人がフックでひっかけて船べりまで持ってきますと、あとの二人がそれを両端を持ってほうり込むわけです。それから、ずるいことを思いついたやつがおりまして、そいつは手押しの台車にいっぱい山盛りスラッジの袋を積みまして、その台車ごとぼうんとさくにぶつけまして、その反動で袋が中に落ち込むようにしております。その場合に、落ち込むのは上の部分の袋だけですけれども、残った袋は手でほうり出すというようなことで三月二百を過ぎたわけです。

 それから、四日は私目撃しなかったのですけれども、三月の五日には昼間から捨てておりました。これは、六日に入港ですから、もう時間がないので、昼間から捨てるというようなことを行ったんじゃないかと思います。それが三月の五日です。

 それで、そのときのことなんですけれども、甲板はごうごうたる投光器の明かりで照らされておりますので、これは絶対にブリッジから見えないはずはございません。実際に私は、三月二十一日の現場検証のときに初めてブリッジというものに上がってみまして、ブリッジから死角があるかどうか調べてみたのですけれども、死角はほとんどございません。タンカーの中央あたりの両舷に小さな倉庫がありますけれども、その倉庫からの死角はせいぜい三メートルか五メートルです。ちょっと移動すればその死角もなくなるわけです。しかも、その甲板上で作業するときにつける投光器の光はブリッジでしか操作できないということでございますので、ブリッジにおった方は絶対に知らぬはずはございません。だから、出光タンカーが知らないとは私は絶対言わせません。必ずブリッジの人は見ているはずです。残念ながら今回逮捕されたのは内外産業の監督と作業員ですけれども、私はこれに対して絶対承服するわけにいきません。陸上における産業廃棄物の場合には排出者責任というのがあるようですけれども、今回の場合にもこの排出者責任というものを明確にしていただいて出光タンカーの責任を必ず追及していただきたい、私はこのように思います。

 なお、時間がなくなったので余り申し上げられませんけれども、海洋汚染防止法というのを私ここに持っておりますけれども、これはよく読んでみますと、実にざる法です。しかも、国際条約を批准していないそうです。これは、先進国四十三カ国が批准しているのに日本だけが批准していないということはとんでもない話で、世界の国々に野蛮国と思われてもいたし方ないと思います。これをぜひ批准に持ち込んでいただきたい。実際にどういうふうに海洋汚染防止法を改正したらいいかという点につきましては、私も私なりの意見を整理しましてここに持ってきておりますので、後ほど質問を受けるときに全部お話し申し上げたいと思います。

 なお最後に、今回海上保安庁の方々は実によくやってくださいました。海を愛する男として本当に一生懸命多くの方々がやってくださったことを私、心から感謝しております。そして、この海上保安庁が今後絶対に海洋汚染をさせないためにも、この海上保安庁の人員の拡充と設備の拡大をぜひともやっていただきたい、このように思っております。

 これで私のお話を終わります。(拍手)

 

○古屋委員長 ありがとうございました。

 次に、長野参考人にお願いいたします。

 

○長野参考人 出光タンカー代表取締役専務の長野熙でございます。

 今般は、弊社船徳山丸におきまして、スラッジの不法投棄事件が発生いたしまして、大変に世間をお騒がせいたしまして、まことに申しわけなく、深くおわび申し上げます。

 弊社はタンカー専門会社でありますので、安全運航を第一に考えております。それで、特に事故の防止と油流出による海洋汚染の防止に重点を置いて懸命の努力を払ってまいりました。しかし、今般徳山丸におきましてまことに不本意な事件を惹起いたしまして、努力の至らね点を深く反省し、おわび申し上げる次第でございます。

 なお、同船の状況でございますが、この船は二年に一回のドックを昨年の三月に済ましております。しかし、タンクの中のパイプラインに一部不調が認められましたので、安全第一ということを考えまして、工期を一年繰り上げまして、ことしの三月に急遽臨時ドックをすることを決定したわけでございます。これは、パイプラインの不調がもしひどくなりますと、油が流出いたしまして油濁事故が起こる可能性があるというふうに判断したからでございます。応急処置もできたのでございますけれども、応急処置ではいけない、抜本的な対策を講じなければいけないということで、ドックに入れて徹底的に修理をするということで、一年早めてドックに入れたわけでございます。

 ドックに入りますまでに、さっき加藤参考人もおっしゃいましたが、タンクの中をきれいにしなければいけない。これは、ドックに入りまして、ドックで作業するときに、人が入れてそれから火が使えるような状態でないとドックに入れませんので、そのためにタンクのクリーニングをするという必要で、徳山を出ましてから四国の沖約三百五十キロメートルぐらいのところでタンククリーニングの作業を行いました

 この作業の実施でございますが、私の会社は創立してから十八年になりますが、十八年間にわたりまして山水商事株式会社にタンククリーニングを全部お任せしております。これは請負契約を結びまして作業をお任せしておるわけでございます。それで、山水商事株式会社はこのタンククリーニングの仕事をさらに内外産業に下請させまして、実際の作業は内外産業がやったわけでございます。

 タンクのクリーニングに際しましては、まず最初にタンクの中を熱湯で洗いまして油分を一ところに集めまして、これを一つのタンクに全部集めます。その後でタンク底に残りましたスラッジを袋詰めにいたしまして、これを油分と一緒にドックのところまで持っていきまして、そこで廃油の処理業者に引き渡すことに決めております。

 しかしながら、この袋詰めしましたスラッジの一部を内外産業の作業員が外洋に不法投棄したものであります。

 この件に関しましては、直ちに社内に緊急安全対策本部を設置いたしまして、現状の調査及び事故再発防止対策などの検討を行っております。努力が足りなかった点を反省し、おわび申し上げる次第でございます。今後はこのような不祥事を二度と起こさないよう、次のように改善いたします。

 まず、外洋でのスラッジ揚げにつきましては、関係先と御相談の上、抜本的改善対策を行います。

 次は、社内体制の改善についてでありますが、社内における教育及び訓練を再徹底するようにいたします。

 さらに、工事業者の指導についてでありますが、作業に対する指導と監視を十分に行うことはもちろんでございますが、今後教育を行いまして、法の遵守、正しい作業の実施等を図っていきます。

 どうか今後ともよろしく御指導のほどをお願い申し上げる次第でございます。

 

○関谷委員 いろいろな新聞報道などを見ましても、どうも責任の所在というものがもう一つはっきりしていないということもこういうようなことが起こった原因であろうと思いますので、本船側と下請業者側との作業分担がいままで一体どうなっておったんだろうかということをお聞かせいただきたいのと、同時に責任の所在というものをはっきりしていただきたいと思うわけでございます。それともう一つは、出光タンカー株式会社から今度は山水商事におりて、山水商事からまた内外産業におりてくるという、こういう段階があるわけでございますから、それでまた話が非常にむずかしくなってきておるということでありますが、いずれにしても、そうは言っても一番の責任は出光であることは間違いないと思うわけでありますが、そうなりますと、もうしばらくは出光自体でこの作業をやって、経費はもちろんかかるでしょうけれども、それぐらいやるという姿勢もまた見せるべきであろう、そのように思うわけでございますが、長野参考人と田中参考人にその問題に対してどう考えておるか御答弁をいただきたいと思います。

 

○長野参考人 まず私の方で作業をやるということは、いま外航の船会社と海員組合との間の話し合いで実質的にはできないことになっております。ですから、船員にタンク掃除をやらすということはできません。それでは自分のところでそういう人を雇ってやるということになりますと、私のところは全部で船は九杯持っておりますので、これはドックするときだけしかタンククリーニングをやりませんので、一年間に大体五杯ぐらいドックする。そうすると、一遍が五、六日でございますので、三十日ぐらいの作業のために人をまた別に置くことは無理なので専業者の方にお願いしなければならない。そのためには専業者の方がやって、絶対にそういうことをやられないように私の方で徹底的に注意する以外には手はないと思っております。

 それから作業の分担でございますが、タンクのクリーニング、スラッジ揚げ、そういう作業は全部内外産業、それからポンプを動かしたりする仕事、設備を動かす仕事は私の方でやっております。以上でございます。

 

○田中参考人 いま受注経路の問題が出ましたけれども、これは作業専門の会社でありまして、いわゆる受注活動ができかねるというような意味で、商社的なものが入るというような意味合いでございます。しかし、今後はこの問題は山水商事と内外産業との間でもしっかり話し合って、いまおっしゃいましたように特に責任の問題が絡みますので、改善の方向に持っていきたいと思っております。

 それから、いまの本船サイドと、それから実際のタンククリーニング工事をやる内外産業側の者の責任の限界でございますが、本船は本船に固定されているところの機械を動かしたり、たとえばさっき申し上げました固定の洗浄機を動かす、あるいは必要なポンプを動かす、あるいは温水加熱機を動かすとか、そういうふうなことをおやりになり、われわれはそれから実際にタンククリーニング工事をやる分野を責任を持ってやる。そういうふうに任務が分かれております。

 以上でございます。

 

○関谷委員 時間が参りましたのでこれで終わりますが、どうか徹底した抜本的な改善を行っていただきまして、本当にわれわれの生命の源であるこの海洋を汚さないように努力をしていただきたいと思います。

 終わります。

 

○古屋委員長 田畑政一郎君。

 

○田畑委員 今度の徳山丸事件というのは、いままで海洋を油で汚しておる、こういう事件がどちらかといいますと一流の船舶を持っていらっしゃる会社の責任ではなくて、むしろ中小の方にそういう原因があるんじゃないかというふうにわれわれ考えられておったわけでございますが、今回の加藤さんの告発によりましてわれわれも認識を新たにいたしましたことは、大型船を持っていらっしゃるところにおいてこういうものが案外日常のことになっておるという点が大変明らかになってきたことが、私大変重要なことではないかと思うのでございます。そういった意味で、今回の問題についてもわれわれ徹底究明をいたしておるわけでございますが、きょうおいでになられました参考人の皆様方もそういった広い意味の将来というものをお考えいただきまして、率直な御意見を拝聴いたしたい、かように思うわけでございます。

 まず、こういったことが大型タンカーによって日常茶飯事に行われているということを、ルポライターの加藤さんは作業員仲間といいますかアンコ仲間からお聞きになったということを書いておられるわけでございますが、そういう点をもう少し詳しくわかりましたら御説明いただきたいと思います。

 

○加藤参考人 私はかなり釜ヶ崎の人たちの中に友人がおりまして、今回の前にも後にも何度かこのことについてはお話ししております。それともう一つは、一緒に乗った仲間なんですが、ほとんどが数年から、私は十年選手だというような人もおりまして、前からずっと同じことを繰り返しておったということは、そういうことを証言できる仲間は何人でもおります。この間も東燃の明原丸が実際にそれをやっているところを読売の写真に出ておりましたけれども、実際に多くの人たちが何年間も同じことをやっておったということを語る人は幾らでもおります。

 

○田畑委員 いまお話しございましたが、かなり前からこういうことが行われておった。

 これは内外産業の社長さんにお伺いしたいと思いますが、最近、二、三年前の明原丸事件というのが内部告発によって明らかになっております。これはずいぶん以前の話でございますが、あなたの会社の名前が出ているのです。あなたの会社が海上投棄をやった。今回はからずもということでございますけれども、前にもあったのじゃないですか。

 

○田中参考人 明原丸の事件の写真というもの、われわれも新聞で拝見さしていただきましたけれども、格別の写真ではなく、単なる作業の状況を写した写真とわれわれは判断しております。しかもあれはたしか、あの形から見ると五十一年度における工事の写真であろうというふうに推定して考えております。

 それからいまの作業条件の問題でございますが、たとえばいま一つの例として食事のことをおっしゃいましたけれども、作業間における働いている人の食事というものは、本船の炊事室におきまして本船の乗組員と同じものを同じ金額を払いまして、そして会社から行っている監督もあるいは働いている人も、常用も日雇いさんも、全部船員と同じ食事を給食しております。そして作業員の方は、一般は三食ですけれども、四食特別に給食しております。

 それから作業時間の問題ですけれども、これはもしよろしかったら私の方で、その間における何時間働いて何時間休憩されたか、詳細のデータを必ずとることになっておりますので、必要があればお目にかけます。

 

○田畑委員 明原丸では作業しているところではないのです。廊下に寝ているところが写っているのです。廊下に寝ているところが一番大きい写真で写っている。私はあれを注文している。

 どうですか加藤さん、一日に三時間か四時間しか寝られないのだということとか、寝る内容も余り大したことないというようなことについては、雇い入れられるときに労働条件の明示というのがありましたか。こうなんだよというお話がありましたか。

 

○加藤参考人 雇用主からは一切ございません。ただ、何年も経験してきた日雇い労務者からは、とにかく三時間しか寝かせてくれない地獄船だよということを伺っておっただけで、雇用主である内外産業からはそういうことは全然伺っておりません。

 それから寝るところなんですけれども、毛布を二つ折りにして、それもスラッジのこびりついたような毛布なんですけれども、それがちょうど幅がこれぐらいになり、横の人の肩が当たるようなスペースで寝ますし、頭の上にはスラッジのいっぱいついたスリッパとか長ぐつがある、そんな状態です。

 食事の内容につきましては、労働者にとって決して悪いとは私は思いませんでした。ただ、いただく場所が、狭い廊下にこのぐらいの一斗かんのバケツを両方に置きまして、その間に三十センチの板を置くわけですね。廊下の両側に置いて、したがってこのぐらいの高さに食事が置いてあるのですけれども、そこにプラスチック製の器に盛られております。下が汚れておりますので座るわけにもいかないし、かけるところもない。だから、かっこう悪いけれどもやってみますと、こうやって食べるわけですね。

 

○田畑委員 長野さん、これは率直に言いまして、スラッジ類の海洋投棄といい、それからそこで作業する労働者の労働条件といい、今日の状況ではちょっと考えられませんね。日本の恥ですよ。これを船会社としてどうお考えになられますか。

 

○薮仲委員 参考人の皆さんには、大変お忙しい中を、また長時間、御苦労さまでございます。

 私は、今後の参考にするために、多くの意見を皆様方からお伺いしたいと思いますので、大変恐縮でございますが、要点だけ簡潔に御答弁をお願いしたいと思うのでございます。

 最初に、加藤参考人にお伺いしたいのでございますが、雇用された会社はどこでございますか。採用された会社名は何という会社ですか。

 

○加藤参考人 ぼくは釜ヶ崎の友人を通して行ったものですから、雇った会社は内外産業だと思います。それから神戸から行った人たちは、その下にある日水というところに雇われたということを言っております。

 

○薮仲委員 先ほど、労働条件の改善というお話が加藤参考人からございましたけれども、賃金などは時間給ですか、それとも何日間に幾ら、こういうような賃金体系ですか、もしもお話いただけるのだったら、御説明ください。

 

○加藤参考人 私のいただいた日当は、あれだけの労働時間、すなわち朝の四時から始まりまして、晩の十一時まで、これで一日九千七百円です。それで、これは具体的には私知りませんけれども、四コース制という制度があるそうです。一日を四コースに分けまして、一コース、二コース、三コース、四コースとありまして、具体的に言いますと、たとえば新神戸から徳山へ行くまでに、新幹線で何時間かかる、これを一コースなら一コースとして算定するということらしいのです。具体的には私知りませんけれども、四コース制に分かれておるということです。よろしゅうございましょうか。

 

○薮仲委員 加藤参考人にまたお伺いしますけれども、参考人はこういう問題をルポなさったわけでございますから、海洋汚染防止法については多少のというか御理解はあったと思うのでございますが、私の聞きたい点は、採用された会社の方から、海洋汚染防止法について説明を受けたか。受けたか受けないかだけ答えていただきたい。

 

○加藤参考人 全然受けておりません。

 

○薮仲委員 それで、海洋汚染防止法という大きな問題ではなくても、少なくとも船に乗って作業しますと、船からスラッジとか油性汚水、そういうものは海洋投棄してはいけませんよというような作業についての注意は、その会社からお受けになりましたか、受けませんか。

 

○加藤参考人 全く受けておりません。

 

○薮仲委員 もう一つお伺いしたいのは、参考人のいろいろお話になった中で、お友だちの中から、こういう事案というのは今回の徳山丸だけじゃないよ、ずっと何年もこういうことが行われているよということをお聞きになったということで実態調査をなさったと思うのですが、少なくともそういうお友だち等に聞いている限りでは、こういう事案というのは今日までずっとあった、そのように理解していらっしゃるか、いらっしゃらないか、いかがでしょう。

 

○加藤参考人 何人もから聞いております。具体的に言いますと、ぼくと一緒に行ったときに一番経験の短い者がこれで三回目、その次に短いのは三カ月日、タンクの下にもぐった者は十年選手と言っておりますし、同じことをやってきたと聞いております。

 

○薮仲委員 そういうことを前提として次に船主の方あるいは内外産業の参考人、長野参考人、田中参考人等にお伺いしたいのでございますが、私の手元にあります海上保安庁の過去十年来の海洋汚染の違反の事項がデータで出ておるのですが、やはりそこの中で一番多いのは、今回問題になっております船舶からのそういうスラッジ等の油の排出を犯したという事案が一番多いわけでございまして、私はこれは非常に残念でございます。これを限りに日本の海かきれいになるように船主並びに関係の皆様が本当に決意をしてきれいにしていただきたいという願いを込めて参考人から御意見をお伺いしたいわけでございます。

 まず、出光タンカーさんとしてはこの徳山丸以外にこういう事件を過去に違反を犯したことがございますか。あるかないかだけ。

 

○三浦(久)委員 加藤さんにお尋ねいたしたいと思いますが、先ほど、この出光タンカーの乗組員が知らないはずはないんだ、たとえばブリッジでもちゃんと視界はぴちっときくし、またサーチライトもぐっと照らされている、作業をやっているところがそのブリッジから見えるのだ、こういうお話でしたね。するとそのブリッジというのは操舵室のことだと思うのですね。その操舵室というのは船長とか一等航海士とかそういう船の最高の責任者が乗っておるところだと思うのですけれども、その点いかがでしょうか。

 

○加藤参考人 日雇い労働者はブリッジなんてとても入ることはできなくて、ブリッジの一階の廊下のところだけしか入れなかったので、ブリッジに実際に私が上がりましたのは現場検証のときです。このときに高級船員の乗る部屋から見ましたら全く死角はございませんし、私がそのとき、検証のときに写した写真もございます。死角はもうほとんどございません。倉庫の陰がちょっとぐらい、それも体をちょっとずらすと全部見えちゃいます。

 以上でございます。

 

○永江委員 そういたしますと、われわれとしても、先ほどのお話を聞いておりましても、何となく現場の監督の人が少しでもサボりたいということがすべての原因のようにおっしゃるのですけれども、現実的にその船に全部積み込めるにもかかわらず積み込まなかったというのですけれども、これは新聞等の報道によりますと、左舷から右舷に運ぶのがめんどうくさかったから片一方捨てたというようにも書かれておるのですが、加藤参考人、その現場におられて、その運ぶ船との関係はどういうふうな位置づけになっておりましたのですか。

 

○加藤参考人 運ぶ船というのは、最後にスラッジをおろす……。関係と申しますと……

 

○永江委員 廃油を運ぶ船には加藤さんがいらっしゃる時点では全然おろさなかったわけですか。

 

○加藤参考人 いえ、六日にはもうクレーンの下に集められておりまして、残った分ですね、三分の一ぐらいだと思いますけれども、その残った分を集めておりまして、私も一、二回だと思いますけれども、台車を押して集める作業もしましたし、それから、最後に貨物船が着きまして、それにクレーンで積み込んでいるところも見ました。確かに、おっしゃいましたように、七日の朝下船しましたので最後までは見ておりませんけれども、いっぱい、山盛りになったような記憶は全くございません。まだ積めるスペースは残っていたような記憶がございます。

 

○永江委員 そういたしますと、先ほどお話があったように、経済的な理由からいいますと、田中参考人の立場から言えば、もうとにかく船いっぱいに廃油を積んで持って帰った、うちの会社はこれだけたくさん廃油を処理しておるんだから、契約的にもっと値段を上げてもらいたいというのが経済原則だとおしゃったこと、わかるのですが、しかし、長い間、現場監督がめんどくさいからとにかく捨ててしまうということでございますならば、これは現場監督を含めてのそこの労働者の賃金が大変安い、そういうことから考えますと、出光さんの方に契約を上げてもらうよりも、おたくの会社の立場から言えば、働く人々のピンはねをすることによってもうける方が手っ取り早いということで、ある意味では経済的にも有効に働いておるのじゃないかというふうにも私は推測するわけなんですけれども、どうなんでしょうか。