大阪市立大学文学部社会学研究室・都市の野宿者の生活実態調査報告
市民の厳しい側面ー対 市民の共生指向 しかし、共通点が

野宿者は怠け者*野宿者に事情が=仕事を与えよ

 

学生は社会に学ぶ

大阪市立大学文学部社会学研究室では、1995年度と96年度の「社会調査実習」のテーマとして「都市の野宿者の生活実態調査」を設定しました。具体的には、1995年度には大阪の中心部(難波、天王寺、大阪城公園周辺など)で野宿している人々(236名)への面接聞き取り調査を行い、1996年度には(元または現)釜ヶ崎労働者が大多数を占める2つの更生・救護施設(自彊館、大淀寮)で生活している人々に対する、聞き取り調査を行いました。

同時にこれらの聞き取り調査と平行して、1995年には大阪市内の4つの区に居住する市民を対象として、野宿者「問題」についてのアンケート調査を実施し、さらには関係行政諸機関での聞き取りや官庁統計などの既存資料の収集等をも行いました。

こうした一連の調査から得られたデータや資料は、現在、整理・分析の過程にありますが、市民アンケート調査については、分析結果の一部が学生による調査実習報告書(「大阪市民の野宿者に対する意識調査 〜現代社会の見えざる隙間〜」1995年度社会学実習調査報告書)として公刊されています。

 

「車、ハネてくれんかな…」

以上のような調査の過程で見えてきたものは何かと言えば、それはやはり、現在の私たちの社会の徹底した非人間性でありシステムの残酷さであるとしか言いようのない、そのような現実です。ある一人の54歳の野宿者(釜ヶ崎労働者)は、「今後の見通しは?」という私たちの質問に対して、『いっこも明るない。何にもない。あんたに言われて気づいたけど。あと何年生きられるか。朝起きてまだ生きてたと気付く。生きる目標がない。どうしよう。死んでも身分証明書がないので、無縁仏になるから、お金を持っては死ねない。道歩いていて、「車、はねてくれへんかなあ」と思うときがある』と答えています。この人は12年間ほど釜ヶ崎で日雇労働者として働いてきて調査当時は野宿していた人です。まだ54歳の労働者に「あと何年生きられるか」「車、はねてくれへんかなあ」と言わしめる私たちの社会とは、一体どのような社会なのでしょうか。

 

「釜ヶ崎がこわい」

大阪の野宿者およびその最大の「給源」である釜ヶ崎の労働者が現在直面している状況は、きわめて過酷なものです。急速に進行する労働者の高齢化と疲弊、慢性的な仕事不足と厳しい就労状況、貧弱な福祉行政、長蛇の「炊き出し」の行列、暴力団や覚醒剤に象徴されるような「社会病理」的現象の拡大、等々。

こうした状況の中で、釜ヶ崎の「弱い」労働者が日々、釜ヶ崎からさえも排除されて、周辺部(=市の中心部)へと拡散し、そこでの野宿を余儀なくされています。

聞き取りの過程で何度も、「釜はこわい」という言葉が、釜の労働者自身から発せられるのを聞きました。厳しい就労状況の中で、仕事に就けなくなった労働者(その多くは高齢の労働者です)にとって、釜ヶ崎はもはや「こわい」ところになりつつあるのでしょうか。

釜ヶ崎では仕事を巡っての熾烈な競争が始まっているようです。そして、この競争に敗れた労働者にとって、残されている途はほとんどの場合「野宿」しかありません。そして、その先には「行旅死亡」が待っています。

現在の、きわめて貧弱な「福祉」のもとでは、釜ヶ崎の労働者にとっては「仕事」だけが生きる方策なのです。まっとうな保険制度や企業による複利厚生、年金などから疎外され、さらには何程かの扶助を期待しうるかもしれない親族ネットワークからさえも離脱した多くの釜ヶ崎労働者にとっては、自分の労働によって日々の糧を得る以外に生き延びる手段はありません。このことは、釜ヶ崎の「失業労働者」である野宿者の場合にも当然のことながら、当てはまります。そして、まさにそうであるが故に、彼等はなによりも仕事を渇望しています。

 

「仕事があれば」

野宿者の多くは高齢者で、しかも、長年の重筋労働や野宿のせいでほとんどの人が健康を害しています。それにもかかわらず、聞き取りのなかでもっとも多く聞かれたのは「仕事がほしい」、「仕事さえあれば」といった言葉でした。客観的に見れば、とても仕事(とりわけ建設土木の仕事)など不可能だと見える野宿者(たとえば70歳を過ぎた人)が、それでも「仕事が欲しい」と語っています。

しかし現実には、彼等野宿者が仕事にありつくことはかなり困難です。長引く野宿生活によって彼等の肉体は日々磨滅し、このことによって仕事に就くことがますます困難になっていきます。

その結果、彼等は文字どおり「ぼろきれ」のように弱っていきます。そして、「市民」が都市の繁華街や地下通路で目にする「ホームレス」とはこのような人々なのです。

 

…にもかかわらず

私たちが行った市民アンケートによれば、回答者の48%が彼等を「怠け者」とみなし、50%が「無気力」と見ています。「汚い」という回答は66%でした。

どうやら、市民の目には「仕事を求める失業者」という野宿者の側面はほとんど見えていないようです。

野宿している人たちから直接話を聞いたことも全くなく(80%)、野宿者に関する本を読んだことも全くない(82.3%)人々が、街で見かける野宿者に対して抱くイメージです。

確たる根拠なく野宿者にマイナスイメージを抱く人々が、問題解決の方法を尋ねられたとき、どのような態度を選ぶでしょうか。

「行政は生活保護などの福祉援助をするべきだ」については、61.5%が(賛否)どちらとも言えないと答え、賛成は25.8%に留まっています。

「警察は野宿者をきちんと取り締まるべきだ」については、52.7%が(賛否)どちらとも言えないと答え、賛成は36.5%です。

 

コンセンサスはどこに

対策については、「判断保留」が多数のように見受けられます。ただし、次の項目を除いてのことです。

「行政は野宿者に対して仕事をあっせんするべきだ」では、賛成64.6%%、どちらとも言えない32.7%という結果が出ています。「市民の集団的意志」と判断するに足る数字を示しているのはこの項目だけです。

「取り立てて特別な対策をとる必要はない」に反対42%、どちらとも言えない47.6%の結果と併せて考えれば、行政施策として、野宿者に仕事を提供することは、多くの市民の支持が得られると、結論づけることができると考えられます。

先に紹介したように、野宿者も仕事を求めています。私たちの調査は、一つの一致点を見いだしたようです。