フォーラム開会の辞

司会 ただいまより路上死のない二一世紀を目指して釜ヶ崎フォーラムを開催いたします。

私は司会を担当いたします部落解放同盟矢田支部、矢田解放塾の黒田でございます。よろしくお願いいたします。

今始まる前に道頓堀川で殺されました藤本さんに関係するビデオを上映いたしましたが、ビデオを途中で止めるということは、私たちの存在を認めないのかという、そういう一つの提起がありました。

そういうことではありませんが、そういった緊迫した状況が、現在の釜ヶ崎の同状況を表していると理解するものであります。

考えれば、エーペックのクリーン作戦ということで公園から追い出し、そして、10月18日でしたか、藤本さんが殺された。

その後一体大阪はどう変わったのか。

まもなく9月がやってくる。6年前の人権蜂起、世の新聞は暴動といった。だがしかし、その結果変わったのは西成署のでっかい建物だけじゃなかったか。

去年の10月の釜ヶ崎労働者の平均年齢は53.4歳である、もう50.4歳になろうとしている。

そして釜ヶ崎現地の運動の中で獲得した清掃事業も現在月に1日か2日、1日に5千7百円という状況でどうして生きていけというのか、
これでは生存権を認めないといってもひとしいじゃないか、怒りの声は渦巻いている。

そういった状況の中で多くの子供たちが読む「別冊フレンド」において、釜ヶ崎差別と部落差別を合体した、「釜ヶ崎は気の弱い人は近づかない方がいいところ」というような、注釈を出した本を出した。

生徒たちがそれを告発し、西成差別を糾弾する闘いが展開された。

こういった状況の中で、去年の12月4日、大阪市長選が行われていく中で、釜ヶ崎の野宿者と釜ヶ崎の労働者の人権を守る会が、大阪市長の候補者に対して公開質問状を出しました。

「こういった状況をどういう様に考えるのか、市長に当選した後の施策はどういうものなのか」ということを、公開質問した。

現市長の磯村候補の方からは、回答がきた。しかし、一方の共産党をバックとする候補は、回答が、政策会議で検討した結果、出さないことにしたという回答がやってきた。

しかし、磯村市長が、市長に当選した後、どういうことを公約していたか、確かに高齢化がどんどん進行していく、そういった状況の中で、高齢者の軽作業の仕事を作り出したい、短期間宿泊できるショートステイの方もやりたい、そして保護施設を整備したい、ということを、市長になったらやるということを公約いたしました。

その公約をさせた、野宿者と釜ヶ崎労働者の人権を守る会は、その後、市長になった後の、いわゆる、詰めをする要求が必要である、と、考えております。

今大阪府と大阪市が、総合行政が必要だということで、検討委員会を作っています。

多くの、今までに実績のある先生方が集まって、協議を重ねている、役人さんと協議を重ねている。だがしかし、釜ヶ崎労働者の代表は一人も参加していない。

釜ヶ崎で、協友会などで活躍している多くの人々もその審議会の委員として意見を述べる機会が与えられていない。一体、現場の声を聞かないで、どのような施策や、事業が行われようとしているのか。

私たちは、多くの苦難と共に積極的にこちら側から行政側に、こういった施策をしろ、という要求を突きつけて行かなくてはいけない状況というものがあります。

そういう意味で今日は、1年で300人に及ぶ路上死が、行き倒れが現出している現在、
また、今述べましたように、平均年齢が53.4歳になろうというこの釜ヶ崎の高齢化の現象、
および獲得した仕事が生活するに値しない状況、

こういう一つの状況をどういう様に突破するか、ということで釜ヶ崎フォーラムを、開催したわけであります。

本来なら実行委員会の方から、基調報告をということでございますが、最後に、本実行委員会を代表してこの釜ヶ崎に対する施策要求ということで、状況とその要求をまとめて皆さん方にご提起をし意見を求めたいと思いますので、司会が替わりまして今までの経過を述べさしていただいたしだいであります。

それではただいまから、開会するわけでございますが、参加団体を代表しまして、呼びかけ人の一人でございます部落解放研究所の所長の友永健三さんより挨拶をちょうだいしたいと思います。よろしくお願します。


友永 皆さんこんにちは、今紹介いただきました部落解放研究所の友永といいます。

この集会の呼びかけ人の一員に加えていただいて喜んでおります。

我々の研究所は、1968年にできまして、ちょうど28年がたっております。で、目的は部落差別を始めいっさいの差別を無くすために取り組んでいこうということで、ま、ささやかでありますがいくつかの取り組みをやってきました。

で、今日、前におられます西岡さんが、この研究所のできましたときから最初の理事でございます。
かねてから、研究所としてもですね、この釜ヶ崎の問題についてもっと取り組むべきであるという提起を受けまして、ま、おくればせでありましたけれども、研究所の中にこの問題に取り組む専門の部会を設けまして、桃山学院大学の沖浦先生などと一緒に勉強させていただいておる次第であります。

今日もそういう観点からパネラーの方の発言、皆様方の発言からいろいろと学び取っていきたい、そして、何らかの形でですねえ、皆さん方の願いが実現できるように参加していきたい、ま、こういう立場で参加させていただきました。

で、我々の研究所の特色の一つが、国際連帯というところに力を入れておりますので、二つだけこの集会に関係したことを申し上げて話を終わりたいと思うんですが、

ひとつは、今年はですね、国際連合というところが、世界中から貧困というものをなくしていこうと、貧乏というものをなくしていこうと、いうことを呼びかけております国際年になっているわけですね、

国際貧困根絶年ということになっております。

で、果たしてこのことがどの程度みんなに知られて、実際貧困というものを日本の地からまた世界からなくすためにやられているのかということになりますと、まだまだ問題があると思います。

もう一つはですね、今年の6月にトルコで住宅のための世界会議が開かれたわけです。

その中で住宅というものは人間が生きていくために必要不可欠なもっとも大切な人権だということを決めたわけです。

そういう観点からいいますと、今日先ほど黒田先生から紹介ありましたけれども、皆さん方の要求書を読まさせていただきますと、
まさに国際連合が呼びかけておる貧困をなくしていこうということと、
すべての人に住宅を保障しなければいけないというこの考え方を実現するための集会がこの集会ではないかということで、本当に期待しておるところであります。

我々の力は微力でありますけれども今日皆さん方から学ばせていただきまして、今後の活動に反映していきたい、こう思うとります。どうもありがとうございました。